Episode25/女になっているから……?(中)
(47.)
僕は自宅の布団に仰向けに寝転がり、今しがたの出来事を反芻していた。
自宅に月影さんを連れ帰ったとき、最初に言われたのが裕希姉の『くさっ!』だった。
月影さんの体臭が酷く、早急にシャワー浴びてこいと裕希姉に誘導、いや、命令? されて、月影さんを風呂場に連行して行ってしまった。
まあ、そりゃそうか。
僕の勝手な印象では、女性は皆良い匂いがするものばかりだと思っていた。
けれど、そんな幻想は打ち砕かれた。
さすがに二週間もお風呂に入っていないとなると、女性でも、ああも悪臭漂うことになるのものなんだな、とひとつ勉強になった。
そして僕は、月影さんが浴室から出るのを待っているところだ。
直ぐ様、僕も汚ぱんつを変えたいところだけど、なるべく風呂上がりに衣服を一新したい。そうしないと、なんだか勿体ない気がする。
と、コンコンと部屋がノックされた。
直後ーー。
ーーコンコンコココンコンコンコココンコンココココココン!
いきなりドアを連打された。
それはまるで、太鼓をモチーフにした音ゲーをプレイしているかのような、ドンドンカッ、ドンドンカッカッカッ、ドンカッカッというリズミカルなテンポでのノックが始まった。
「いやいや、裕希姉でしょ? そんなバチで太鼓を叩いているみたいなリズムでノックしないでも大丈夫だよ? 一瞬びくっとするからやめてくれない?」
ーードンドンカッカッドンッカッカッ!
と最後のノック音が響いたあと、ようやく扉が開かれた。
……カッて音をどうやって再現したのかは訊かないでおこう。
「つまんねー! ま、そんなことより、ゆったーって、こんな人助けみたいなこと今までしてこなかったじゃん? なになに? 心変わりでもしたん?」
「まあ、それはその……母さんから聞いてない? ほら一応、準職員とはいえ第4級異能力特殊捜査官になったから、異能力者を見つけたら放っておけないと思って」
ユタカのおかげで変わった部分もあるんだけど、そんな話は裕希姉に言ってもしょうがない。
今の容姿になるまえは自信がなくて、手を差し出すか迷ったときに、どうしても『僕みたいな陰キャブサイクに助けられても、逆に相手に迷惑なんじゃないか?』等と考えてしまって、今までは最初の一歩すら踏み出せなかった。
でも、今は違う。
まえよりひ弱になったとしても、この素晴らしい容姿になれてからは、以前より妙に自信がついた。
だからこそ、ひとを助けるときに逡巡しなくなった。
この姿でなら、最悪助けられない結末に陥っても、相手がはた迷惑に感じない可能性が高まったに違いないーーそう思えるようになれたのだ。
「ま、今のゆったーのほうがいいと思うよ。弟だった頃は、なんか常におどおどしていて消極的で、ぶっちゃけキモかったし」
酷いっ!
裕希姉に反射的に抗議してしまう。
「ひどくない? 家族に、弟に対して気持ち悪かったとか普通言う? ちょっと酷くない?」
「冗談冗談ジョーダンだよ! まっ、連れてきたのがロリコンおじさんじゃなくてお姉ちゃん安心した! これからはその心意気で進むべし!」
「あ、あはは……」
……もしも男の姿に戻ったとしたら、またいろいろ考えて弱気になってしまいそうだけど。
自覚している想定以上に、僕は今の美少女となった自分の容姿に助かっている気がしてならない。
本心での僕は、本当に男に戻りたいと思っているんだろうか?
今の素晴らしい容姿を放棄してまで?
……あの不細工の男に戻りたいのか?
謎の葛藤をしてしまう。
ーー杉井豊花。きみはもう少し自身の容姿に自信を持ったほうがいい。これは今の女になった姿の豊花に言うわけではない。私は“女になるまえの豊花”を憑依するまえに認識しているが、きみ自身が思っているほど醜悪な容姿ではなかった。ーー
そうかな?
自分ではそう思えないんだよね。
特に、今の自身の容姿と比較すると、男女の違いを考慮しても月とスッポンだ。
「ところで、あの人はどうして異能力者になったからって、ホームレス暮らしになってるん?」
裕希姉は僕も知らないことを尋ねてきた。
たしか、陽山月光という殺し屋に恨みを持っていて、そいつさえ殺せれば、もう自分は死んでもいいだなんて物騒な発言をしていた気がする。
そして、陽山の発言も気になる。
『きみの死に顔を見たい』と言っておきながらも、わざわざ蹴り飛ばして静夜のナイフが当たらないように遠ざけていた。
あれでは端から見たら、乱暴ながら陽山が月影さんを守ったように思えなくもない。
陽山という人物像が僕には全くわからないけど、彼は本当に月影さんを殺したいのだろうか?
ーーいや、違うか。
殺したいなら、あのときわざわざ静夜のナイフから月影さんの身を守るため、あえて手出しをする必要はなかった筈。
まあ、それは今考えることでもないし、頭の隅に置いておいて……。
なにか忘れているような気がする。
ーー葉月瑠衣か未来色彩に連絡を入れるのではなかったか?ーー
そうだった!
月影さんがお風呂に浸かっているあいだこそ、異能力者保護団体に所属する瑠璃に間接的に瑠衣を経由して連絡するチャンスじゃないか!
「おーい、ゆったー? なんかぼーっとしちゃってるけど、にゃんかあったかー?」
にゃん、ってなんだ。にゃんって。
稀に飛び出す謎の『にゃー』は、かわいいと思ってやっているのか、無意識でやっているのか、この姉は時々わからなくなる。
「いや、ちょっと用事ーーというか、これから電話しなくちゃいけないのを思い出した」
「なんでだ我がリトルシスター! あと私、ドラッグストアのバイトやめちゃった。嫌なヤツの叱責というかパワハラに懲りた」
シスターってなんだ。
リトルってチビだと言いたいのか?
裕希姉だって、昔はチビだったって言っていたじゃないか!
だいたい、ドラッグストアのアルバイトをやめたなんて情報、こっちはどうでもいいんだけど。
それより、急いで連絡しなければ!
「今からちょっと異能力者保護団体の関係者に伝えなくちゃいけないことを思い出したから、電話するあいだ、ちょっと黙っててくれない?」
「黙れと? 生意気なマイシスターめッ!」
だから、妹でもリトルシスターでもマイシスターでもないって。ブラザーだから!
……いや、今の姿では紛れもなく弟ではなく妹だけど。
などと突っ込みを入れると、雑談の応酬で永遠に話が終わらなくて、月影さんが浴室から出てきてしまう。
そうなったら連絡する隙は減ってしまう。
そう考えた僕は、裕希姉をあえてスルーしてスマホを取り出した。
未来さん未来さん……あれ、電話帳に登録し忘れた?
長時間の書類記載で疲弊して、電話番号は訊いたものの、スマホではなく渡された資料の中にメモしたことを思い出した。
なにやってるんだ過去の自分……。
資料から探せば見つかるだろうけど、メンタル的にもフィジカル的にも疲れた体力では、それを書類の中から探す気にはなれなかった。
とはいえ、無理にでも探すしかないか?
でもその間に月影さんが風呂から出てきてしまう。
ーーあっ。
『葉月瑠衣』と電話帳に登録されていたことを思い出し、方針を改める。
まずは瑠衣に電話して、瑠璃に伝えてもらえばいいじゃないか。
思い付いたら吉秒。
早速、僕は瑠衣の番号へと連絡した。
ただ、起きているかだけが心配だ。
もう23時ほど。
起きていない可能性だってある。
だとしたら、夜中の電話は迷惑でしかない。
そう考えつつも、他に手はないと瑠衣に電話をつづける。
早くしないと月影さんが出てきてしまう。
もう瑠衣に連絡してしまっているのだから、今からやっぱり未来さんの電話番号を書類から探すよりは、こっちのほうが早く済む。
だけど、僕の予想よりも、迅速に瑠衣に通話が繋がった。
『もしも豊花!』
“し”が一文字欠けていた。
もしもボックスじゃないんだから……。
だけど、起きていて安心した。
むしろ、やたら元気で溌剌としている明るい声だし。
「瑠衣、お願いがあるんだけど、ちょっといいかな?」
『ん、いいよ。何か、あった? ロリコン?』
「ろ、ロリコン?」
僕をロリコンだと言っているのか、ロリっ子だと言っているのか、さっぱりわからない。
『もしかして、ロリコン、襲われた?』
「いやいや違うから! ちょっとだけ瑠璃かありすに伝えてほしいことがあるんだけど……よければ電話変わってくれない?」
『わかった。ありす、豊花が、何かあるって』
すぐ近場にありすがいるらしい。
もしかしたら、治るまで居候しているのかもしれない。
『どしたの杉井? なんか用?』
通話相手がありすに変わった。
「あ、うん。あのさ、実は異能力者保護団体からの帰路、偶然、月影日氷子って異能力者を見つけて、嘘ついて自宅に連れてきたんだけど、どうすればいい?」
『へ? 新規の異能力者? 月影日氷子、月影日氷子……ちょっと待って。いまタブレットでデータベースにアクセスして確認してみるから』
どうやら異能力者保護団体の外にいても、新規の異能力者なのか登録済みの異能力者なのか把握できるようになっているみたいだ。
たしかに外で参照できなければ、異能力者を緊急取締捜査や任意の取締捜査ができない。
データベースに上がっている登録済みの異能力者か、異能力者保護団体に名乗り出ている異能力者か即座に判断できないと、例え相手が登録していない異能力犯罪者でも、すぐに捕まえることは難しくなるだろうし、判断できない。
当たり前と言えば当たり前か。
『ふむふむ……うん。申請していないっぽいね。検索しても異能力者一覧に見当たらないや。緊急取締捜査なら住民票も身分証も不要なんだけど、緊急取締捜査は異能力捜査官ないし第2級以上の異能力特殊捜査官じゃないと無理だからなー。一般人の杉井にできることはなんだろ?』
「あ、言い忘れてた。今日から僕、一応第4級異能力特殊捜査官になったよ」
『へ? え、なんで? 杉井、ただでさえ貧弱な女の子になってるのに、どーしてわざわざ異能力者保護団体に従事することにしたの? 正直、第4級異能力特殊捜査官は第2級以上と違って、戦闘要員みたいな扱いだよー?』
どうやら瑠璃から聞いてはいなかったみたいだ。
普段は仕事の話をしないって言っていたけど、本当だったのか。
なんか気になる言葉を言っていた気がするけど、それより月影さんが風呂から上がるまえに、早くありすの指示を仰ぎたい。
「まあ、今はそれはいいじゃん。でもありす、いま動けないんだよね?」
『瑠衣に胸を揉みしだかれても、追い払うのに精一杯ってくらいズタボロだよ。そりゃ動けないよ。歩くのが億劫だしーーだーかーらー、揉むなって言ってるでしょ? ちょっと瑠衣?』
なんだろう?
相変わらず瑠衣は、ありすに変な悪戯を加えているみたい。
「だからさ? よければ瑠璃に伝えてくれないかなーって思って。で、どうにか異能力者保護団体にバレないように連行する方法ないかなって」
『ちょっと、瑠衣? 瑠衣のお姉さんに今から言うこと伝えてきて? あとそれマッサージじゃなくて単なる変態行為だからねー』
通話口から『おっぱいマッサージ。健康に、いい』という瑠衣の声が小さく聞こえてくる。
なんだよ、おっぱいマッサージって……。
思わず自身の胸を見下ろす。
これって何カップなんだろう?
絶対Cはなさそうだし……よくてBか?
でも漫画とは違って、現実では小さくてもCカップだったりするらしいし……。
今度こそ、自分ひとりで下着屋に行って、サイズを測ってもらって正確なサイズを把握したい。
裕希姉が買ってきてくれたものを、ただ単に使うだけじゃなくて。
「あ、そういえば瑠衣にも訊きたいことがあるんだけど」
気になることをーーおっぱいじゃなくてーー思い出した僕は、ちょっと訊いてみることにした。
『瑠衣にもなんかあるの? なんかあった? いま瑠衣はお姉さんを呼びに行ってるけど』
「い、いやさ……これ、瑠衣の電話番号に繋げてるんだけど」
『うん、そりゃ、そうじゃなきゃ瑠衣に連絡できないでしょ?』
「……僕は瑠衣の連絡先を登録した覚えがないんだけど、なんかしっかり登録されているんだよね。これって、もしかして瑠衣が登録したのかなと思ってさ?」
『まあ……瑠衣ならありえそうっちゃありえそうだけど。パスワードかけてないの?』
「いや、パスワードでロックしてあるから、どうやって登録したのか気になって」
「ゆったー、なんか友達増えてんじゃん。男いるなら紹介してよー年下でかまわないからさー」
と、いつまでも室内に居座っていた裕希姉が突拍子もないことを言い出した。
静かにするか部屋から出るかしてほしいんだけど。
という僕の空気が伝わったのか、渋々ながらといった顔をしながら、ようやく部屋から出ていってくれた。
月影さんの衣服を用意するとか何とか言いながら。
『なら無理じゃんかー。あ、瑠衣帰ってきた。あのさ』瑠璃を呼んだらしい瑠衣が私室に戻ってきたみたいだ。『ーーえ? うそ……それで解いたの? どーして普通に連絡先交換しないかなー?』
「え? やっぱり瑠衣が勝手に登録したの? どうやってパスワードを解除したの?」
『なんかさー。指紋の濃い場所をなぞって何度か試したら解除できたって』
怖っ!
え、そんなに指紋ついていたっけ?
というか、よくそんな方法で解除できたな……。
「ま、まあいいや。とりあえず瑠璃に伝えてくれない?」
と、月影さんが風呂から上がった気配がしてきた。
「もうすぐ月影さんが風呂から上がって部屋に来ちゃうから、なにか指示が決まったら、瑠衣から教えてもらって、僕のスマホに電話かメールで指示してほしいーーって伝えてくれない?」
話がたびたび脱線してしまったせいもあり、月影さんがお風呂から上がってくるほど時間は経過していた。
せっかく呼んでくれたのに、瑠璃に電話を変わってもらい、一から説明するだけの余裕はなくなってしまった。
瑠衣にはこちらの電話番号やメアド、個人情報は全て把握されて、向こうもこちらに登録したように、自身も僕の情報を登録しているに違いない。
『おっけー、わかった。伝えとくね。てか、メッセージアプリとかやってないの? メールよりメッセでやり取りするひとのほうが多いよー? それか匿名性・機密性の高いメッセージアプリとか』
残念ながら、僕はメッセージアプリやSNSはやったことがなく、ほとんど知らない。いまいち楽しさがわからなかったからだ。
……友達が少なく、なくても不便に感じなかったのも理由のひとつだと素直に認めよう。
「ごめん、どっちもやってないや……」
『んー、まあわかった。瑠衣の携帯に登録されてるメアドに、瑠璃から送らせればいいんだよね?』
「うん」
よし。
瑠璃には明日、きちんと電話番号を教えてもらうことにしよう。
恥ずかしがっていたら、いつまで経っても状況は変わらない。
好きな子の連絡先を入手するんだ!
「どうなるかわからないけど、できれば穏便に済ませたい」
『穏便かー……てか、その月影ってやつ、どんな異能力をつかっていたの?』
「いや、特に使ってないけど」
『は? え、ちょい待ち杉井。どうして異能力者だとわかったのさ?』
ありすの疑問に満ちた声が聞こえてくる。
「え、ああ。陽山ってひとが月影さんを見るなりそう言っていたんだよ」
『え、陽山? どうしてあんな奴と知り合ったのさー?』
なんだろう?
月影さんからともいい、ありすからともいい、陽山という男は嫌われているのか?
部屋の外から裕希姉と月影さんの会話が小さく聴こえてきた。
「そろそろ切らなきゃならないから切るよ。瑠璃に伝えといて」
『りょーかい。ただし、陽山には深く関わらないようにね?』
「……それは、うん。わかった」
それほど危険な男なのかもしれない。
たしかに、静夜やありすも、殺し屋だと言われなければ、そうは思えない外見をしている。
陽山だって、見た目だけなら紳士なおじ様といった感じだった。
『豊花!』
切ろうとした瞬間、大音量で瑠衣の声が耳をつんざく。
「どわっ! いきなり変わらないでよ」
『次、いつ、家来る?』
「へ?」
『友達、スキンシップ、とらなきゃ』
奥から『ちょっ、瑠衣のこれはスキンシップじゃなくて変態行為だから!』という悲鳴に近い声が聞こえてくる。
「あはは……まあ、そのうち?」
なんか、ありすみたいなことをされそうな気しかしない。
『約束』
「う、うん」と、足音がついに部屋に近づいてきた。「ごめん、悪いけどもう切るね?」
慌てて通話を切ると共に、スマホでネットを見ていて時間を潰していましたよ風を装う。
部屋に小綺麗になった下着姿の女性ーー月影さんが入ってきた。
「あの……服は?」
「同性じゃない。気にしなくていいわ」
肝心な事を言い忘れていた。
考えてみなくても、僕は今、誰が見たって女の子じゃないか。
どう説明すればいいのやら迷いながら、僕はユタカの。
ーーそろそろ自慰を覚えるべきではないか?ーー
という唐突なユタカの下品な発言を脳裏で聞き流すのであった。
……いや、興味はあるんだけどね?
今じゃない、ってだけで。
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