Episode24/女になっているから……?(前)
(46.)
真っ暗闇の中、月明かりと街灯を頼りに僕は自宅へと帰っていた。
ようやく最寄り駅に着き、もう少しで家だと疲労感から解放されると安堵していた。
既に午後の十時過ぎ。夜中とまでは言えないけど、完全に夜だ。夕飯のタイミングはとっくに過ぎている。
あれから、言われたとおり様々な書類を書いたり、契約書らしき紙に名前を銘記したりした。
……それだけで済むはずもなく、異能力犯罪者に対する基本的な心構えーー相手をよく見る。理解不能な力を使い害される危険があると常に考え、逃走、強制連行どちらもできるように気を配る。能力も意図も不明な異能力者も、異能力質問として任意で捜査の協力を願い出る。拒めば任意捜査ではなく強制捜査に変更後、必要に応じて強制連行すること等々ーーまで教え込まれた。
未来さんと僕のマンツーマン。
まさかこんな時間まで、みっちり何時間も部屋を共にすることになるとは思いもよらなかった。
瑠璃は素直に帰っちゃったし。
瑠璃に教えてもらえるなら、何時間一緒にいても苦にはならないんだけどな……。
おまけに、『異能力犯罪に対する基本』と書かれた教本を、『すぐ読めとは言わないが、暇な時間を身繕い、少しずつ勉強しておけ』と未来さんから渡されてしまった。
まさか自宅でも勉強することになるとは思わなかった。
第4級異能力特殊捜査官になるのは失敗だったのかな?
そもそも第1級の美夜さんや、第2級の瑠璃は異能力者じゃない。なのに第4級には異能力者というだけでなれるというシステムは何なんだろう?
普通に4級、3級、2級、1級と昇進していくわけじゃないのかな?
……いや、考えたって仕方ない。
これも瑠璃と関係性を深めるためにも必要な事だ。
総谷って人のことが気になって仕方がなく、実際に対面して調べたくなったんだし、しょうがないことだ。
何気なく夜空を見上げたら、どこか古びたビルの屋上から、こちらを見下ろしている様な人影が窺えた。
「ん?」
人影ーーあれって……?
「静夜!?」
静夜とかいう名前の殺し屋が、屋上から下を眺めているように視界が捉えたのだ。
断定はできないけど、直感も『静夜だ』とうるさいくらい反応を示す。
まさか、まさか瑠衣のことをまだ狙って!?
「くそ!」
何をしているのか確認しなければならない!
もしかしたら、僕の動向を見張っている可能性もあるし。
なにより、まだ瑠衣を狙っているなら大変だ。
廃墟になっているからか、先に静夜らしき人物が開けたのか、入り口から容易に侵入できた。
急いで階段を上り、息を切らしながらも屋上に続く扉の前まで全速力で走る。
ーーその屋上に続く扉の前には、まさかの先客がいた。
見知らぬ歳上の女性が、そこには潜むように一人屈んでいたのだ。
「あんた、誰よ?」
「え、あ……僕はその……」
屋上を覗き見ようと階段を上がった先に居た女性は、髪がボサボサで、身嗜みもズタズタになっている、二十歳くらいの女の人。
体臭は臭くなっており、ぼろぼろの見た目から察するに、何日もお風呂に入っていないことだけはわかる。
「なに、あんたもアイツに恨みがあるってわけ? なら怖がらないでいいわよ」女性はニヤリと笑う。「私もあいつに恨みがある。今からそれを果たすところ」
女性の全体像を把握した直後、僕はギョッとした。
女性の手許に剥き出しのナイフが握られていたからだ。
「あいつって、静夜って人のこと?」
もしかして、このひとも命を狙われているのだろうか。
「違う。私が恨んでいるのは陽山月光ってヤツよ。静夜って、陽山と会話してるあの男?」
「え? 陽山?」
誰だろう?
初めて耳にした名前だ。
というか、静夜以外にも人がいるのか。
僕は気になり、少し開いている扉から、静かに屋上を覗いた。
そこには、たしかに静夜以外にも、三十代半ばといった紳士な姿をした髭を綺麗に切り揃えている男性の姿があった。
あの二人で会話をしていただけか……まだ屋上から静夜は下を眺めているし、僕には無関係だったのか?
いやいや、まだ決まったわけじゃない。
……なにを話しているんだろう?
耳を傾けてみた。
「ーーという話だ」
「それはいい。僕も清水刀子は嫌いだ。そもそも、きみも必ず依頼を受けなければならない義理なんてないだろう? どうしてきみが、清水刀子の味方をするのか。僕にはわからない」
そこには静夜以外に、もうひとりーー陽山という名らしき男性が、煙草を吸いながら佇んでいた。
小綺麗なスーツを着ている男性ーー陽山という男は、煙を上空に吹き出したあと、静夜を見て笑う。
「刀子さんにはいろいろお世話になっている。その刀子さんは断れない立場にいるんだ。なら、弟子として手伝わないほうがおかしい」
刀子さんーーあの、怪しげな女性のことだろう。
たしか、静夜とありすの知り合いだったはず。
「いいや? 僕はそうは思わない。むしろ自業自得だと切り捨ててしまえばいい。殺しの世界から逃げたのだからね」
「そうか。だが、俺は違う」
「清水刀子は嫌いだ。きみは嫌いではないけれど、苦手ではあるんだよ? 僕の十八番が通じないじゃないか。素直に怒ってくれなければ、面白くもなんともない」
陽山が顔を上に向け煙草の煙を吐き出した。
ーー瞬間、隣の女性は突如扉をバンッと音を立てながら開くなり、屋上に飛び出してしまった。
「ちょっ!?」
「ひぃいいやぁああまぁああッッ!」
なにか策でもあるのか、女性は陽山に向かって走る。
近場にいる静夜のことなど気にも留めていない。
「やれやれ、きみはしつこいね。ーーおや?」
陽山にナイフを突き刺す前に、静夜の手許から女に向かって光が放たれる。
あのときの懐中電灯!?
「いっ?!」
女性は眩い光を直に目に食らい動きを止めた。
「おいおい、待ちたまえ」
なぜか片手に包帯を巻いて使えなくしている静夜は、右手のみで手を動かしている。
懐中電灯を照らした直後にそれを放り捨て、ポケットからすぐさまなにかを取り出す。
と、いきなり刃が飛び出てナイフの形となった。
ジャックナイフとか言うんだっけ?
静夜は女性に向かってナイフで切りつけようとする。
しかしーー。
「ぐっ!?」
ーーそのナイフが女性に当たるまえに、陽山の蹴りが女性の腹部に命中。
それにより静夜のナイフは当たらず、女性は背後へ仰向けに倒された。
「この子は今、コーディネート中なんだ。きみとて勝手に殺すのは許さないよ?」
「……そうか。で、そこにもう一人隠れているのは誰だ?」
ば、バレてる~?!
静夜は僕の存在を察知していたらしい。
仕方なく姿を晒す。
「あ、ども、えっと、すみません。単なる通りすが「あんたに恨みがある人間っ! ごほげほっ、か、かならず、ごろず!」」
は?
なに勝手に決めてんだあの人!
陽山は訝しげな表情を浮かべた。
「僕が? はて。きみとは初対面のはずだけど……まあいい。嘘はよくないけど、それより気になることがある。月影日氷子。きみはいつ、異能力者になったのかな?」
え?
異能力なんて使っていないような……。
「なっなんであんたにわかるのよ!?」
「僕にはわかるんだよ。特殊な目があるるからね」
なにかが陽山には見えている?
幽体や異例体が、この男には見えているということなのだろうか?
そして、小汚ない女性の名前は、どうやら月影さんということが判明した。
「大空静夜。きみは清水刀子の知り合いだろう。なら、異能力者として知らせてやるといい。そっちのきみも異能力者みたいだけど、既に異能力者保護団体には報告済みなのかな?」
陽山は月影さんが咳き込んでいる隣を通り過ぎ、僕に向かってゆっくり歩いて近寄ってくる。
「ひっ!」
「心配しなくていい。きみには別に興味はないからね。月影日氷子」陽山は振り返る。「きみはさっさと死んでくれないかな? 自殺場所を決めたら連絡したまえ。ぜひとも、そのときはどのような表情で自害に及ぶのかーー死に顔を拝ませてくれ」
なにやら名刺のようなものを、倒れている月影さんに器用に投げて当てる。
「楽しみにしているよ」
陽山はそのまま屋上から出る扉に手をかける。
咳き込みながら、月影は陽山を制止しようと苦しみながらふらふらした動作で立ち上がった。
「ちょ、ちょっと! ま、待ちなさいっ!」
苦しそうに息をする月影さんの様子を、陽山は笑みを浮かべて一瞥したあと、僕たちを無視して屋上から出る扉に入り、そのままこの場から立ち去った。
「おまえは……たしか、あのときありすと一緒にいたヤツだろ?」
静夜は真顔のまま僕に訊ねてきた。
「そうだけど……」
「なら、おまえがありすに異能力者だと教えてやれ。俺も刀子さんも今は余計な事に時間を割くほど暇じゃない」
静夜はそう言い、しばらくしたあと、陽山と同じく屋上を後にした。
あ、相変わらず、雰囲気が限りなく薄い。目の前にいても気配というものが非常に薄い。
視覚では認識している筈なのに、そこに在るといった気配や雰囲気がほとんど放たれておらず、視界に映る情報と存在するといった精神の認識に齟齬が生まれ、気味の悪さで違和が生じる。
それが、僕には何故か恐ろしい。
刀子さん以上とはいえないけど、刀子さんを思い出すほどの気配の薄さ。
建物の下から見上げただけで、よくもまあ気がつけたな、僕……。
第一、会話を聞く限りでは、瑠衣にはなにも関係ない話だったじゃないか。
完全に無駄足だ。厄介な問題に首を突っ込んだ気がしなくもない。
深呼吸をして、少し冷静さを取り戻そうとする。
とりあえず、今は目前の問題をどうにかするのが先決か。
さすがに、いくら下っ端とはいえ、新米ともいえ、僕も第4級異能力特殊捜査官になったのだから、無視するのは違うだろう。
僕は苦しそうに息を上げ、再び屈み込んだ月影さんに駆け寄った。
「あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわよ……くそ! くそ、くそっ、ちくしょう! ぜったいに、次こそは!」
なにがあったのだろう?
月影さんは怒り一色で顔を染めて憤怒で表情を歪めながら、悔しそうに地面を殴る。
傷つき出血で拳が少しずつ血塗れになっていくのを気にも留めていない。
ありすに伝えろと言われても……いや、いやいやいや。
今の僕は準職員だとしても、見習い以下の新米だとしても、異能力者保護団体に勤めることななった異能力者だ。
陽山の言うとおり月影さんが異能力者だと仮定するなら、せめて名前以外にもなにか身元を確認しなければいけないんじゃないだろうか?
「あの、月影さん。身分証とか住民票を持っていますか? それか、せめて保険証とか免許証とかでもいいので」
「はあ? そんなものいちいち持ち歩いているわけないでしょ?」
まあ、そうなるな……。
特に住民票とか区役所とかに行くハメになり面倒くさいというのに、期限付きのあれをわざわざ普段から持ち歩くひとなんて、この世にいるかも怪しいレベルだ。
ん……でも、待って?
「身分証もないんですか? 免許証や保険証とかパスポートでもいいんですよ?」
「今は手許にないわよ。あっ、そうだ! 今夜だけでいいから、あんたんち泊めなさいよ」
は、はあ!?
いや、いやいや、いやいやいやいやいやいや流石に無理でしょ!
僕はすぐさま否定を言葉にした。
「無理だって! まず親が納得しないよ! 自分の家に帰ればいいじゃないですか!」
しかし、無茶ぶりに対して異を唱えた僕の反論に被せるよう月影さんはやや大きな声で自分の立場を説明し始めた。
「そんなの無理よ。無一文で陽山を追いかけてきたんだから。探すのにも苦労したのに。あいつを殺せば、私は死んだって構わない。でも」月影さんはナイフを強く握りながら立ち上がり僕と視線を交わす。「陽山を殺るまでは、ぜったいに私は死んでやれない! だいたいあんたはいったいなんなの? あいつに恨みがあるんじゃなかったの?」
「あの、僕……一言もそんなこと話してないんだけど……陽山? 今のが初対面だし、素性も名前もどんな人なのか、だれなのかすらわかってないってば」
静夜ならともかく、陽山月光なんて名前、聞いたこともない。
だいたい無一文で、小汚ない格好で、あの殺し屋の知り合いをストーカー、いや、追ってきたという時点で、どうかしている。
……いや、それくらい憎む程のなにかをされたのかもしれないけど。
異能力特殊捜査官になったからといって、僕は4級かつ下っ端の下っ端。おまけに準職員。アルバイトに似た立場の存在だ。おまけに本日からの新参だ。
それくらい、僕だって弁えている。
陽山曰く異能力者となったらしいこの人を、僕ひとりの力でーー緊急取締捜査だったっけ? を行使するのは、荷が重いどころか不可能だ。
どのような異能力なのか、干渉系統も把握できていない。
この場で僕が異能力者保護団体の関係者だと月影さんにばれたら、その異能力かなにかを使うなり何なりして、必ず逃げてしまうだろう。
そうに決まっている。
「で、泊めてくれるの?」
「いやだから無理……いや、ちょっと待っててくれない?」
待てよ?
考えろ、思考するんだ。
いきなり見知らぬ女性(しかも風呂にしばらく入っていないだらう小汚ない女性)を連れて自宅に帰ったら、家族になんて言われるかわかったものじゃない。
第一、さっき親に『異能力特殊捜査官になるから遅くなる』と連絡したときだって、説得するのに少々手こずったんだ。
あえて僕は、“危ない仕事”とか、そういった不都合な点は省いて母さんに説明して、アルバイトの延長線上の仕事だと嘘をついてしまった。
そうまでして、ようやく母さんは納得してくれたんだ。
なのに、急に異能力者を発見したから連行してきた。
ーーなんて、到底通用しないのは予想に難くない。
むしろ、危ない仕事じゃないのが本当だと家族にアピールするために、月影さんに特定の条件を提示して、話を合わせてもらえばいいんじゃないか?
真に命に関わるような仕事じゃないと証明するために役立つかもしれない。
「あのさ? これから親に、僕が第4級異能力特殊捜査官になって初の“安全”な任務をこなすって連絡をするから、家に帰ったら僕に話を合わせてくれない?」
ここから今すぐ異能力者保護団体に後戻りをして連れていくのは、流石に月影さんに疑われかねない。最悪逃げられてしまう。
月影さんの異能力が何なのか、僕はまだ詳細どころか表面的にも認識できていないんだ。
「そうすれば、異能力特殊捜査官になったのなら仕方ない。ってことで泊められるかも」
「本当!? 実はここ半月くらいお風呂も満足に入れていないのよ」
「は、半月? に、二週間?」
どおりで臭いはずだ。
そもそも食事とかはどうしていたんだろう?
「なら、早速、今から自宅に連絡入れるから、月影さんは話を遮らないでね?」僕はスマホを取り出すなり自宅に電話した。「あ、母さん?」
『あ、母さんーーじゃないわよ豊花? 今何時だと思っているの!? 最初に約束してた時間と全然違うじゃない!』
うへぁ、母君はお怒りだ。
異能力特殊捜査官になる手続きに、こうも時間がかかるとは思わなかったんだ。
「だから、僕は今日から第4級異能力特殊捜査官になったんだよ」
『それはさっき聞いたでしょう!? それより、いい加減早く帰ってきなさい! 何時だと思っているの!?』
スマホを耳から話して時間を確認すると、既に23時を回っていた。
スマホの通話口の奥から、裕希姉の『ゆったー彼氏つくったんじゃね?』という噴きそうになる台詞が聞こえてきた。
やめてくれ、どうしてそこで彼氏!?
裕希姉、なんだか最近、本気で僕のことを妹だと思いはじめていない?
「で、でさ。実は帰り道に新規異能力者を見つけたんだけど、そのせいで半月ほどホームレス生活を送っているらしくて……急な出来事だから対処の仕様がなくてさ……実はもう家の近くだから、そのひとを家で泊められないかな?」
『はあ! ちょっと、豊花。家に来客用に使える部屋なんてないわよ? もしかして、あんたロリコンに騙されているだけかもしれないわ! 大丈夫なの? 本ッ当に気をつけなさいよ!?』
女性のロリコンなんているんだろうか?
いや、いるかもしれないけど、ニュースとかでは事件を見たことない。
と、そこで言いそびれたことに気づいた。
女の人だと言い忘れていたのだ。
「いや、そこは大丈夫。女の人だから」
「あんた、よく私がホームレス生活だってわかったわね」
急に月影さんがぼそりと呟くように言葉を挟む。
そりゃ、だって……普通の人は半月もお風呂に入らないなんてあり得ない。
そのぼさぼさの髪や服の埃っぽい汚れ、擁護できない体臭。発言内容。それを踏まえると自ずと察するから。
第一、ホームレスと同義の内容を自ら自己申告していなかった?
『……ちょっとあなたー、豊花がこんなこと言っているんだけど、ちょっと聞いてー』
声が遠くなっていく。父さんに聞きに行ったのだろう。
『ゆったー?』
「あれ、裕希姉?」
裕希姉が受話器を預かったのか。
『なになに? 彼氏でもつくった? 私いまフリーだから、男紹介してくんない?』
「違うから!」
思わず突っ込んでしまった。
『お、いつもの突っ込みじゃん、飽きてこないのそれ? つーか突っ込まれないよう気をつけろよー? あ、別の意味の突っ込まれないだからね。だってゆったー、まだ12歳じゃん』
「14歳ーーいや16歳だから!」
まさかの下ネタだった。
というか、あれ?
自己年齢認識が、いつしか14歳とすり替えられているぞ?
ーー間をとって15歳でどうだ?ーー
ユタカに意味不明な提案をされる。
『援交しちゃダメだかんなーママ泣いちゃうぞー?』
ユタカ?
それじゃほとんど変わらないじゃないか。
いや、瑠衣と同年代になるのか。高校一年生に?
ーー悪い気もしないのではないか?ーー
『あれ、図星? え、マジかよゆったー?』
いやいや、瑠璃の年下じゃん。
そもそも実年齢は変わらないし。
というか、寝ていたんじゃないの?
ーーまだ帰っていないんだもん起きてびっくりしたよ。ーー
口調、そっちに統一してくれない?
ーーいや、断ることにしよう。その口調は外部専用だ。杉井豊花にはこのままの口調で慣れ親しんでしまっている。ーー
嬉しくないんだけど……。
『ちょっとゆった、ぼーっとしてんの?』
だいたい『無視すんなこらー!』
「わっ!」
ついユタカとの脳内会話が捗ってしまった。
どうやら裕希姉の声が頭に届いていなかったらしい。
『まったくさー。おっと? あ、うんわかった』
「なにが?」
『パパが連れてきていいってさー。女性なら突っ込まれる心配はないから、ってちょっとパパエッチ不潔だぞ! ママもいいって。早く帰ってこい我が妹!』
そう言い放つと、そのあとすぐに通話が切れた。
いや、多分、父さんは裕希姉に合わせてくれただけだよ。
どうして自分が言うのは良くて、父さんが言うのはダメなんだろ?
裕希姉、相変わらず幼いときに抱いた姉に対する印象は変わらない。ある種の暴君だ。
というか、やっぱり妹って認識しているじゃないか。
男に戻れるときが来たら、どんな関係性になるのか少し不安だ。
「どうなの? 泊めてくれるの?」
「え? ああ、うん。どうにか誤魔化せたみたい」
誤魔化してはいないけど。
事実を告げただけだ。
ただ、こうして自宅へ泊めておいて、あとでありす、いや、瑠璃のほうが適任じゃないか?
あくまでありすは異能力犯罪死刑執行代理人だ。
それに比べて瑠璃は第2級異能力特殊捜査官で、たしか2級異能力捜査員も兼任しているとか聞いたことがあった筈
準職員とはいえ、僕より明らかに権力はあるし、何より異能力者保護団体に勤めている。
瑠璃ーーの電話番号もメッセージアプリのIDも知らないんじゃん、僕……。
今までそれなりに付き合いがあって、いくらでも聞く場面はあったのに、好きな相手なのに……瑠璃の連絡先を知らないなんて情けなさ過ぎる。
仕方なく異能力者保護団体関係者の連絡先を登録していないか探してみる。
異能力者保護団体は登録していないけど、さっき未来さんの番号は教えてもらった。だから登録したはず……あれ?
「……なぜなにどうして?」
訊いた覚えのない瑠衣の番号が登録されているの?
いつの間にか僕の携帯に瑠衣の番号が登録されていた。
登録した覚えなんか欠片もないのに。電話番号、メッセージアプリのIDまで、みっちりフルに登録されていた。
これは……あれかな?
あの日、瑠璃は先に寝ただろうし。
僕が目覚める前に瑠衣が勝手に登録した?
え、いやでも、パスワード設定してあるんだけど……。
ちょっと怖い。いつ勝手にスマホの中身を見られていたんだろ?
「どうかしたの? 泊めてくれるなら早く行くわよ。あんたんちどこら辺?」
このひと、泊めてもらう立場なのにちょっと横暴な気がする。
「ここから10分くらい歩けば着くよ。それより、月影さん?」
「どうして私の名前を知ってるの? 言っないわよ。あんた、もしかしてエスパー? 異能力者!?」
なぜさっきから月影さん月影さんと幾度に口にしていたのに、今さらそこを気にするんだ……。
異能力者に違いはないけど、陽山の発言から名前は容易に知ることができただけだ。
もしかしたら、少し、バカなのかもしれない。
いや、他人ーーそれも初対面の相手をバカにするのはいけない。
こうして、僕は月影さんを連れて、自宅へと早歩き気味で帰宅するのだった。
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