Episode/アリーシャ・アリシュエール(後)
(AA.4-5)
放課後のーー帰りのホームルームの終わりを合図するチャイムが鳴る直前に、一階にある3年の嵐山沙鳥さんが所属している教室に向かいました。
ちょうどホームルームが終わったのか、三年の教室からぞろぞろと人がまばらに出ていきます。
「沙鳥さんがオールドワイズマンだとしたら、豊花さんの識る嵐山沙鳥という人物とは異なる箇所がある筈です。そこを判別できるようなことを問い質しましょう」
裕璃さんは杉井さんと共に2年の教室で最後の別れとばかりに、未練からか過ごしていますが、他の皆さんーー私、瑠奈、ありすさん、豊花さん、有紗さんの五人は三年A組の出入口で待機しています。
なかなか沙鳥さんが出てこないことに痺れを切らしたのか、瑠奈は教室内に入り、まだ座ったまま教科書をのんびり鞄に入れている沙鳥さんの席に向かいズンズンと歩を進めて接近して行きました。
その瑠奈のあとを真っ先に豊花さんはついていきます。
私たちもワンテンポ遅れながらも後を追います。
「おや? 珍しい組み合わせですね。特に豊花さん。貴女は私のことを嫌悪していませんでしたっけ?」
「沙鳥……異能力者救済団体について、沙鳥はどう思う?」
豊花さんは沙鳥さんをオールドワイズマンと判別するための言動とは、一見、関係ないように思える話題を口にします。
「未熟ですね。途中で瓦解して失敗するでしょう」
「どうして、そう思うの?」
沙鳥さんは豊花さんを嘲笑うかのように口角を上げました。
「貴女自身、数々の犯罪に関わっています。いくら敵対する人物相手や依頼された極悪人をターゲットにした行為とはいえ、殺人や傷害を異能力も用いて行っています」
「……!」
このセカイの住民は、このセカイの豊花さんの経歴ーー夢界によって創造された偽りの記憶を元に動く筈です。
その法則を無視した発言をする沙鳥さんは、アーキタイプとやらの名を冠する存在だとしても突出して異常です。
「いえ、豊花さんの“今の記憶”を読んで発言したまでです。豊花さん、貴女は個人で“豊かな生活”という“愛のある我が家”の下部組織を率いて、違法薬物の売買にも荷担しています。他にも細かな犯罪は数知れずーーそんな貴女が異能力者救済団体などを立ち上げ、会長に就くというのは非現実的です。まず世論が許さないでしょう」
沙鳥さんは「そんな貴女に、アドバイスを送りましょう」と続けます。
豊花さんは固まったまま口をパクパクさせるだけです。その様子は、なにか発言しようとしていながらも、なにを言うべきか判断に困っているように思えました。
「愛のある我が家で活動しながら、まずはお金という力を身に付けましょう。法的には悪でも民意で善だと判断してくれる味方を集め、会長には犯罪に荷担していない犯罪に転用できない異能力を持つ者、または、賛同してくれる知名度がある程度高い一般人を据えて、貴女は裏からその会長を意のままに操り、無関係を装い愛のある我が家に所属したままフィクサーとして活動し多額の資金を集めていくのです」
「やめて……」
豊花さんは、苦虫を噛み潰したかのような顔で、弱々しく拒絶を口にします。
「愛のある我が家に所属しながら資金集めのために犯罪行為を働き、表舞台で異能力者救済団体を立ち上げ御輿となる会長を選び裏から貴女の理想に沿う社会になるように動くべきです」
「やめてって言ってるだろ!?」
「極悪人とも云われている犯罪組織に身を落とした貴女の言葉が誰に響くのですか? この世には何をしても賛同してくれる人間は2割、何をしても否定する人間も2割、そして今までの行動等で敵にも味方にもなるその場その場で判断する人間が6割ーー大半を占めています。民意はこの6割を如何にして味方に付けるかによって決まるものです。今の貴女に民意は味方をしてくれていますか?」
「……」
豊花さんは振り返り、沙鳥さんから離れて教室から出ていってしまいました。
慌てて私は豊花さんの後を追います。
背後から、「あなた方は私を明日殺し、現実に還るのでしょう? 現実世界で豊花さんの理想の手助けになれたなら幸いです」と沙鳥さんが言うのが聴こえました。
廊下に出て、豊花さんは少し教室から離れた辺りで大きく口を開きます。
「沙鳥は、オールドワイズマンだっ!」
豊花さんはだらんと垂らした腕の先ーー手のひらを強く握り、怒りを露にします。
「それにはわたしも同じ意見だよ」
遅れて出てきた瑠奈も豊花さんに同意しました。
私もそれには賛同です。
「読心で自らが翌日には害されると知りながら、杉井にアドバイスを続けて、このセカイが閉じたあとの事も踏まえた発言までしていた。嵐山はすんなり夢界で創られたセカイだと受け入れた上で、現実の杉井へのアドバイスとも取れる提案をした。いくら読心が使えても、私も特異な存在だとハッキリ思ったよ、まったくさー」
ありすさんは有紗さんを連れて教室から出てきました。
「……現実の沙鳥なら私が異能力者救済団体を創る為のアドバイスなんてしないよ。直感でも思考でも、あの発言を踏まえても、オールドワイズマンは沙鳥に決まりだ」
豊花さんは吐き捨てるように言います。
これで、排除する人物は全て炙り出せました。
葉月瑠璃ーーアニマ、グレートマザー。
宮下賢司ーーアニムス。
杉井豊花(男)ーーシャドウ。
嵐山沙鳥ーーオールドワイズマン。
次のループで、全て蹴りがつくでしょう。
ーーと、そのとき。
廊下の奥から背後の先まで、パリンというガラスが割れたような音が辺り一面を木霊しました。
窓の外を見ると、まだ3時半だというのに夕方のように辺りが夕暮れ色に染まっています。
何より、廊下の窓ガラスは見渡す限り亀裂が走っていたり、割れて穴が空いていたりしており、外から廊下に熱風が侵入して来ました。
「ーーっ!? え、なに、なに?」
「窓ガラスバリバリに割れてるじゃん。外は橙色に染まっているし」
「ちょっとアリス、これどゆこと?」
皆がそれぞれ異変に対して口にします。
有紗さんも吃驚したのかポカンとした表情に変わります。
瑠奈に問われた回答を私は持っています。そして、こうなった原因もほぼわかっているのです。
「おそらく、裕璃さんが男の杉井豊花さんを排除したのです~。セカイを支える存在の一部であるシャドウが排除されたことから、セカイが少し歪み不安定になった証拠に他なりません」
「え? ど、どうして裕璃が? さっき明日になってから素早く一人一人殺していくって話し合いで結論が出たのに……」
「そこまではわからないのです。ただ、裕璃さんを除いた私たちは全員この場にいます。裕璃さんだけ杉井さんと共にいるのです。一番可能性が高いのは」
ーー裕璃さんが杉井さんを殺害した事です。
私が自身の見解を話し終えると、みんなを見回します。
ありすさんと瑠奈は頷き、二階に続く階段に向かい廊下を駆け出しました。
豊花さんは困惑しながらも、すぐに後を追い、最後に私と有紗さんもそれに続きます。
裕璃さんが一番居ると思われる場所は自身と杉井さんが所属する教室。階段を駆け上がり、2年A組にみんなで入ります。
窓ガラスに亀裂が入り割れていることに見向きもしないクラスメートたちの中から裕璃さんを探しますが、見当たりません。
一瞬、手順を早めて今日でセカイを終わらせる事も考えましたが、既に宮下さんは帰宅したあとで、瑠璃さんの姿もなく教室内から居なくなっていました。
無論、杉井さんの姿も見当たりません。
机や席も経年劣化した様相に変わり果てていますが、誰も彼もそれに対して違和感を抱いてはいないのです。
セカイが崩壊しても、アーキタイプの名を冠する存在含め、壊れ始めるセカイに反応する人物はいないのが救いでしょうか。
「豊花……」
と、裕璃さんが2年A組の教室に、豊花さんの名を呼びながら返ってきました。
制服に付着した朱殷の跡を見るに、殺害してからまだそこまで時間が経過していないのでしょう。
ありすさん曰くアーキタイプ擬きーー例えばシャドウを殺害した際に流れ飛び散る血液は、最初こそ辺りに残留しますが、現実より素早く赤色から朱殷に色が変わり、そのあと徐々に真っ黒へと変色したあと、死体と共に粉々になり粒子に変わりセカイから死んだという情報ごと痕跡が跡形もなく消えるようになっているのです。
「裕璃……どうして……?」
「赤羽? 勝手な行動はするなって話し合ったよね? なに先走ってるの?」
「明日になればみんな殺して消すんだよね……? 現実と向き合えって言ったのはありすちゃんだよ?」
裕璃は力なく言います。
「ここは現実じゃないとは言ったけどさ? 排除していくのは明日にするってみんなで話し合ったよね? 困るよ、勝手に行動されちゃ」
「うん。でも、誰かに殺されるくらいなら、せめて私に幸福を与えてくれた存在は、私の手で決着をつけたかった……ごめんなさい」
それに、短い時間でも最後に幸福を噛み締めたかったーーと裕璃さんは言いました。
裕璃さんの制服は、よく見てみると少しはだけており、喉辺りに鬱血したキスマークが着いていました。
杉井さんは裕璃さんの望みを何でも叶えてくれる、と裕璃さん自身が説明していました。
最後の最後に、どこでなにをしたのか。
そのあと、どのように殺害したのか。
私には憶測すらできませんでした。
「まあまあ、皆さん。このくらいのセカイの崩壊なら排除に支障はないのです~。明日に、いえ、次の今日に備えて早く帰りましょう」
「結果論じゃん……」
瑠奈は愚痴るように呟きます。
「赤羽、もう勝手な事はしない?」
「うん。もう未練はないよ」裕璃さんは続けます。「例え虚実のセカイでも、私は私なりに決着をつけたから」
裕璃さんの制服に付着していた朱殷の血液が闇のように変色すると、ぱらぱらと剥がれ落ち、やがて全てが霧散し跡形もなくなく消え落ちます。
裕璃さんは乱れている自身の制服を自覚したのか、慌てて着崩れている箇所をきちんと整えました。
「じゃあ、風月荘に帰ろっか」
瑠奈はみんなの顔を見て、そう言います。
どちらにしろ、帰宅途中で次の金曜日の朝に回帰するでしょうが、皆さんそれとなく自然と校舎から出るために歩き始めました。
「本来ならシャドウに向き合うべきは杉井なのにさー」
「それは……ごめんね、豊花」
裕璃さんは豊花さんに頭を下げます。
「いや、謝るべきは私のほうだよ、裕璃。裕璃が異能力者になってしまって殺人を犯したのも、もとを辿れば私の責任だし」
豊花さんも謝罪を口にします。
過去になにがあったのかは私にはわかりませんが、互いに誠実に謝り合う様子を見るに、互いに感じていたしこりが多少は解消されたのだと私には思えました。
そもそも……。
「ありすさんが言っていたとおり、私の夢界に登場する主人公が生み出したアーキタイプとやらは、アーキタイプ擬きなのです。別に主人公に選ばれたプレイヤーが向き合うべきとか、そういう条件は一切ないのですよ~?」
「そうだったね。余計な口出しだった。そもそも本来のアーキタイプは排除する対象じゃなくて、万人が一人一人持つ無意識からの固有の要素。それを正しく認識して向き合い、統合していくものだし」
そもそもそんな象徴が本当に各々すべての人間の夢に現れるものなのか、私は懐疑的だけどーーとありすさんは言葉を締めくくりました。
校門から出た辺りで、道路にも亀裂が多数刻まれていることを見つけます。どこか寂れた印象を抱かせる風景です。
やがて、電車に乗った辺りで私たちの意識は完全に一度失いました。
(AA.5)
風月荘の自室で起床した私は、もう歯を磨くのも洗顔するのも放棄して、朝食も味わわず急いで食べ終えると、制服に着替え鞄も持たずに廊下に出ました。
皆さんも夢でなにかを準備する必要はないと思い至ったのか、私と同じく以前より素早く制服姿になり廊下に一人一人出てきます。
「杉井、赤羽。もう鞄なんて要らないでしょ」
豊花さんと裕璃さんは律儀に鞄を片手に持ったり背負ったりした姿で部屋から飛び出してきました。
それを見たありすさんが真っ先に鞄は不要だと告げます。
自覚したのか、言われたからなのか、豊花さんは鞄を手放し、裕璃さんは背負っていた鞄を降ろして床に適当に置きました。
裕璃さんも風月荘からスタートになり、現実の風月荘の住民と同じ、私を合わせて六人が一斉に玄関に向かい外に出ます。
もう玄関に鍵を掛けようとする人はひとりもいません。
完全に今日で終わらせる、皆さん覚悟を決めているのです。
「宮下は登校が私より早い。先に教室で座っていた気がする」
「私は知り合いでもないけどさー、多分、起きた時間から最短で登校しても、宮下ってヤツより遅くに学校に到着することになるよ」
豊花さんとありすさんは早足で歩きながら会話を交わします。
「私が居なくなったことで瑠璃の行動パターンは変わると思う。毎朝一緒に登下校していたわけだし」
「沙鳥さんは三年生なので、いつも何時くらいに学校に着いているかわからないのです~」
登校時間がバラバラになるのを考慮するなら……。
「わたしの力で空飛んで行けば、校門で待ち構えて登校してきた順にみんなで排除していけるじゃん。空飛ぼっか?」
瑠奈はみんなに提案しました。
一見、それが最善策に思えますが……。
「私は教室で騒ぎにならないように、ひとけの薄い場所で豊花ーー男の豊花を殺したけど、殺した瞬間も周りは騒がないの?」
裕璃さんが私に顔を向けて訊いてきます。
過去に一度、夢界を発動してしまったときはどうだったか……私は記憶を手繰り寄せ、口を開きました。
「わらないのです……以前の夢界展開時は、人が密集しない城が舞台でしたから」
主人公に選ばれたプレイヤーは母上ーーアリシュエール王国の王の妻。ペルーシャ・アリシュエール王妃でした。
念のためにひとけのない部屋に連れていき、巻き込んでしまった友人たちと果物ナイフで滅多刺しにしたり、精霊操術で排除したりしていましたし。
あの出来事で叱責され夢界を封印して使わないようにしてきたのです。今の今まで、ずっと……。
どうして今回、禁じられた夢界を使ってしまったのでしょうか。
理由によってはーー例えば瑠奈の言うとおり暴発で発動してしまったとしたら、最悪、ドリーミーとの契約を解除しなければならなくなってしまうのです。
「騒ぎはすぐに収まると思うのですが、それは完全に排除してからです。死体が黒い塵となって消滅するまでは、もしかしたら騒ぎになる可能性は否定できないです~」
駅に着き改札を抜け、ホームに到着していた川崎行きの電車に皆で駆け込みます。
「そしたら、万が一校門で騒がれたら登校する筈だった生徒が来なくなるイレギュラーが発生する可能性もある。まずは2年A組の宮下と瑠璃を殺すべきかなー?」
ありすさんがそう口にすると、豊花さんは「ちょっと待って」と遮ります。
「お願いしたいことがあるんだけど、私はいくら偽物だからって、瑠璃や宮下は殺せない。だから、みんなのうち、誰かが排除してほしいんだ……」
豊花さんは、自ら恋人である杉井さんを手にかけた裕璃さんと真逆のことを言い出しました。
「なら、嵐山なら殺せる?」
ありすさんは、気のせいでしょうか、若干視線を鋭くして豊花さんを見つめます。
豊花さんはしばらく無言で佇んでいましたが、やがて、ゆっくりと頷きました。
「はい、これ。予備のナイフ」
ありすさんは、自身のスカートを捲りスパッツがチラ見えしますが、気にせず太ももに巻き付けてあるホルダー? ホルスター? とでもいうのでしょうか?
小物入れらしき物から折り畳みナイフを取り出すと周りの視線から隠して豊花さんのスカートのポケットに忍び込ませました。
「どうせナイフなんて持ってないでしょ? 刃渡りは短いけど、急所に刺せば仕留められるし切れ味は良いからさ」
「あ、ありがとう」
豊花さんはありすさんに礼を口にします。
「私は残念ながら夢界の中で精霊操術は扱えないのです~。だから皆さんを見守ることしかできません」
「そんな重要なことを今さら言う? でも、ま、今回はアリスの力は関係ないか」
瑠奈はぼやきますが、すぐに必要ないかと訂正します。
言い忘れていたのもありますが、今回の解決に私の力は例え使えたとしても役に立たないので、言う必要性も感じられません。
夢解するにはシャドウ、アニマ、アニムス、グレートマザー、オールドワイズマンの排除ーーつまり殺害です。
いくら相手に幻覚を見せても、私単体の能力には致死性があまりないのです。
「それじゃ、杉井は嵐山を殺りに三年の教室へ。私たちは2年A組で、瑠璃は微風が殺して。クラスメートの名前覚えていないから朧気なんだよー。だから赤羽は私に宮下が誰なのか教えてよ?」
「私が殺ってもいいんじゃ……」
「赤羽の異能力だと周りを巻き込む可能性があるよね? だから私か有紗がナイフで直接殺したほうが安全面で都合が良いんだよー」
裕璃さんは合点がいったのか、わかったと首を縦に振りました。
「豊花には念のため有紗についていってもらおっか?」
「え、有紗に付いてきてもらう?」
「ゆらーりゆらーり……夢なのに、電車に酔う」
当の本人、有紗さんは吊革を掴みながらゆらゆらし、電車に酔ったと誰に言うでもなく呟いています。
「アリーシャのつくった夢界の幻覚とはいえ、嵐山は現実と同じよう異能力が使える。いくら体躯は貧弱とはいえ、杉井が嵐山に言いくるめられないか不安だし、舌戦が始まったらこちらとしても迷惑だしね」
「そんな……言いくるめられはしないよ……でも、一人じゃ不安だし、一人付いてきてくれるのは素直にありがたいかな?」
「ゆらーり……」
「……」
付いてくるのが有紗さんなのが不安なのか、豊花さんは有紗さんに目線を向けると、無言で複雑そうな表情を浮かべます。
風守高校の最寄り駅に着くと、そのまま学校まで行き校門を潜り、最後になるであろう登校を果たしました。
校舎に入ると、豊花さんと有紗さんは一階に留まり、沙鳥さんのいるクラスに向かう後ろ姿を私は見ました。
二階に上がり、教室に入ると、既に宮下さんは自分の席に着いています。いつもより早い時間帯に来たので、クラスメートはまだ半分くらいしか教室に居ません。
「あれが宮下くんだよ」
裕璃さんはありすさんに視線と、周りからは見えないように柔らかく指を曲げた人差し指でひそかに宮下さんを指し示します。
「了解。ありがとう。瑠璃はまだ来てないみたいだね?」
「わたしは入り口の前に待機して、瑠璃が来たら即効排除するから、河川はそれを確認したらすぐに宮下を殺してよ」
「杉井たちが嵐山を先に殺すかもしれないけど、どちらにしろセカイは壊れていくんだし、みんなターゲットの近くで待機してるんだし、まあ大丈夫でしょ」
ありすさんは楽観的に軽い口調でそう言いました。
たしかに、どんなにセカイが崩壊しようと、闇に塗れようと、ターゲットが近場にいれば不安要素は少なく済みます。
すべてのアーキタイプを排除すれば、セカイは完全に破綻します。
そこにはマスターの私と、プレイヤーの皆さんしか存在を保てなくなるのです。
私はありすさんと裕璃さん、瑠奈の三人を見晴らせるように教壇の上に立って待ちました。
瑠奈さんに走り寄って来た碧さんを、瑠奈さんがなにか言いくるめて躱し、自身の席に座るように誘導した姿を横目で確認します。
それからしばらくしたあと、瑠璃さんが教室に入ってくるなり、瑠奈は左手を横に伸ばし風を纏わせました。
教室内に風が吹き荒れ、直後に瑠奈は瑠璃さんの身体を狙い右腕を斜めに振り当てました。
風の刃を纏った腕は刃物よりも鋭く切り傷を深く刻み、瑠璃さんの左肩から右脇腹にかけて一文字に入った傷から、すぐさま鮮紅色の液体が吹き出しました。
教室の入り口辺りから周りに血が吹き飛び、辺りが赤赤に染まっていきます。
それを確認するや否や、ありすさんは豊花さんに渡した物と異なる自前のナイフを、友人に囲まれている宮下さんの心臓に突き刺しました。
刃を横にして、あばら骨の隙間を貫通しやすくしています。
瞬間、窓の外が黒より暗い闇一色に染まり、教室の床に所々孔が空き、そこから真っ黒な陰が現れます。
学校全体が地震でもあったかのように左右に揺れました。
しかし、生徒たちは血塗れの瑠璃さんも、今しがた刺されたばかりの宮下さんも、まるで最初から居なかったものかのように振る舞い始めます。
外から差す闇も、地面に空いた孔も這い出る真っ黒な陰も気にせず全く騒ぎません。
瑠奈に付着した瑠璃さんの返り血は既に朱殷に変わり、乾燥した血液と化していました。
「どうやら心臓が停止した瞬間から、その存在は元からいなかった扱いになるようだねー。これなら校門で待って次々排除してもよかったかもしれないよ」
ありすさんは地面に空いた穴を避けながら、揺れる教室内を器用にバランスを取り私に歩み寄ります。
「電灯の明かりが消えなくてよかったじゃん。この天井の明かりがなくなったら、校舎内も闇に染まって身動きできなくなる」
瑠奈は今しがた殺害した瑠璃から身を振り返り、私に顔を向けます。
たしかに舞台はほとんど破綻していますが、完全には崩壊していません。
豊花さんが未だに沙鳥さんを処分できていないからでしょう。
「沙鳥さんを殺せていないのか、見つけられていないのか、まだセカイは完全に破綻していません。学校が完全に崩壊していないからです」
瑠奈とありすさんは同意するかのように頷きました。
ありすさんは口を開きます。
「いくら話術でまるめ込もうとしても、有紗が付いているから、杉井が言いくるめられても、有紗が容赦なく殺しにかかる筈だよ」
「とにかく、教室に居ても、もうわたしたちはすることはないじゃん。みんなで沙鳥の居る教室に向かおう」
瑠奈さんの提案に異論はないのか、私含めて四人は振動する教室から飛び出し、皆さん一様に三年の教室がある一階に急いで向かうことにしました。
瑠璃さんの骸を避けながら、瑠奈が真っ先に2年A組から飛び出そうとしたとき、背後から碧さんが駆け寄り瑠奈の手を咄嗟に握り行動を阻害しました。
「碧?」
「クスリはしないようにににクスリは逆から読めばリスクくくくどんな薬も半数致死量はありりり薬は使い方によっては毒物に変貌します瑠奈様瑠奈様瑠奈瑠奈瑠奈瑠奈りゅなりゅぬあばばばば」
「碧!?」
碧さんのおかしな言動に瑠奈は咄嗟に驚愕し、不気味な発言をする碧さんに対して困惑を表情に浮かべます。
「瑠奈、セカイが破綻するのは舞台だけではなく登場人物も含めてです。プレイヤーの願望に沿って創造された存在も、無関係なNPCと呼べるような人物も破綻し言動が歪になります。無視してください」
言動や行動が最後まで破綻しないのは主人公を参照にし創造したアーキタイプ擬きのみです。
「ありゃるりはな?」「ありぇすはしぬ?」「あははは」
宮下さんの周囲に集まっていた男女の生徒も、宮下さんが心臓を穿たれた直後にありすさんに向かって理解不能な言動を始めました。
宮下さんの血液は真っ黒に変色し、すぐに本体も真っ黒に染まり、真っ黒な体は散り散りになり霧散し徐々に消え始めます。
同じく瑠璃さんからの返り血や辺りにばら蒔いた血液も朱殷から黒色に変色し、倒れている瑠璃さんの全身も黒に変わり果て、粒子となって空中にパラパラと浮かぶなり消えて、それを繰り返し、死骸が徐々に消え始めました。
「杉井と有紗はなにやってんのさ? 仕方ないから私たちも嵐山の居る教室に向かうよ」
ありすさんは裕璃さんの手を引っ張り、引き連れて教室の出入口まで走ります。
途中で瑠奈を引き留めていた碧さんを、ありすさんは無理やり手で押し瑠奈から無理やり手を放させました。
「アリーシャも早く!」
「わかっているのです~」
私も言われるまえに教室の出入口に早足で向かいます。
無論、地面に空いた孔と、そこから上空へと涌き出ているモヤのような影を避けつつ、ありすさんと瑠奈、裕璃さんと教室の出口で合流します。
廊下に出ると、あちらこちらに地面の穴や亀裂から陰が噴出しています。無論、窓の外は闇でなにも見えず、窓ガラスの亀裂から廊下へ闇が差し込んでいました。
沙鳥さんの所属するクラスに近い方の階段への道はあまりにも闇が濃く、それを即座に察したのかありすさんは踵を返し、あえて遠回りになる反対側の階段へと駆け出しました。
私たちもそれに続きます。
「ねえアリス? あの闇に触れたらわたしたちはどうなるのさ?」
「触れる程度なら多少精神がヤられるだけです。しかし、闇に飲み込まれたら意識を取り戻してからの記憶は失います」
「アリーシャ、重要なことを場面場面で言うんじゃなくて、最初からすべて説明してほしかったよ」
そこまで頭がまわらなかったのは確かですが、ただでさえ基礎的な夢界の説明だけで時間を喰うのです。
一人一人意識を取り戻したひとに対して、今後に起こる事象や影響、どうなるのかまで説明する気力は、たとえ私が気が利く人間でも、完全に説明するのは、どこかしら欠如して結局要所要所で追述することになっていたでしょう。
と、それらしく脳内で自己を正当化しつつも、「申し訳ないのです」と謝罪を口にしました。
一階に降りるなり沙鳥さんの居る教室に向かうために走り続けます。
うう……体力が……。
「アリス、今はがんばる場面だよ!」
「はいぃ~……」
瑠奈の激励に呼応するように、体力の限界を振り切り走り続けます。
一階廊下にも亀裂や孔が空いており、そこから天井に向かい一筋の暗闇が真っ直ぐ伸びています。
それを避けつつ向かう最中、途端に廊下はーーいえ、全体が暗闇に覆われ、風月荘の住民の姿以外は暗闇以外視界に入らなくなりました。
ありすさんが驚いた口調で呟きました。
「これは……」
視界には、沙鳥さんの居る教室があった辺りの暗闇に、豊花さんと有紗さんが佇んでいるのが映ります。
光は一切なくとも、セルフである私、主人公である豊花さん、プレイヤーである瑠奈さん、ありすさん、有紗さん、裕璃さんの姿は目に映っています。
これが真の暗闇であれば、仲間同士姿を確認できなかったでしょう。
私たちは上下の空間や道を把握できなくなったままーーいえ、既にセカイを喪失したなかで、豊花さんに走り寄りました。
「嵐山は処分できたの?」
ありすさんは豊花さんに問いました。
豊花さんはそれに対して、少し間を置くと頷きました。
「うん……」
「ゆらーり……豊花にありす師匠が渡したナイフじゃ止めをさせなかったから、私が刺した」
豊花さんと有紗さんは、ありすさんの言葉にそれぞれ肯定しました。
「ずいぶん時間がかかったみたいじゃん?」
瑠奈は嫌みっぽく文句を口にします。
「それはごめん。ちょっと……話術に捕らえられそうになっちゃったから……」
「まあまあ、第二段階の手順は完遂したのです。最終段階として、最後に夢解を行います。皆さん、なるべく集まってください」
私のお願いを皆さんは受け止め、輪になるように集まります。
皆さんに静かにするように、唇の前で人差し指を立てアピールします。
「では、第三ーー最終段階の詠唱に入ります」
私は集中して、夢解に至る詠唱を始めました。
「ドリーミー 虚実の幸福は終演を迎える 苦痛に満ちた現実へ還ろうーー」
私は詠唱の最後にその言葉を口にします。
「ーー夢解」
直後、暗闇からガラスが弾け割れたような音が辺りから幾重にも木霊して、真っ白い空間に入るなり、上下左右前後の感覚がなくなり、私含め皆さんは宙に浮きます。
真っ白な空間を漂うようにぷかぷかと浮いている状態になりました。
しかし、すぐに全員は光に包まれ視界は眩しいほどの白に覆われます。
気がつくと、私は風月荘の自室でうつ伏せに倒れていることを自覚し、顔だけ上げて周囲を確認したら、私の対角線上ーー目の前で仰向けに倒れ半目を開き始めている瑠奈と、私と瑠奈の間に置いてある、多摩川から拾ってきた小さめの石が幾つか置いてあるのが視界に入りました。
多摩川?
石ころ?
私は夢界を発動した経緯を完全に想起したのでした。
(AA.-1)
裕璃さんが「今日からちょくちょくここに来る新しい住人になったんだ! よろしくね、アリーシャちゃん!」と無理やり私を叩き起こして改めて自己紹介をしてきたあと、しばらく私は再び夢の中へ誘われていました。
しばらくしたあと、瑠奈がノックもせずに部屋に入ってきたのです。
「アリス! 少し質問があるんだけど、いいかな?」
「なんなんですか~……」
面倒そうに瑠奈に返事をすると、瑠奈はそこら辺に落ちていそうな石ころを数個、床にゴロゴロと放り落としました。
「シルフストーンって知ってるよね?」
「風の精霊シルフの風界を込めた、風の精霊操術の魔力を受け付けない石や岩のことですよね? 上級精霊操術学園で一応習いました」
「そうそう。あれにはわたしも苦しめられた苦い思い出があるんだよね」
「思い出話なら寝てからでいいですか?」
瑠奈は私の言葉を遮るように、手をまえに翳して制止してきます。
「アリスの精霊ドリーミーは、なにも痛みだけじゃなくて幸福な幻覚も見せられるんだよね?」
「まあ、そのとおりですが……」
「これはさっき多摩川まで行って拾ってきた、なるべく形の綺麗な石ころなんだけどさ」
瑠奈さんは持論を展開し始めました。
この石ころに、調節して少量の夢界の力を込めて、所持者が枕元に置いて寝たら、所有者が望む幸福な夢を必ず見られる石にできないかーーと捲し立てるように言ってきました。
「あの……私は夢界を正確に操れませんし、下手したら皆さんを巻き込むーー」
「もしそれが出来たら新しい商売が始められるかもしれないじゃん! 違法薬物なんて有害な商売しなくても、夢の中で多幸感を味わえるようになる。凄くない?」
瑠奈は私がやんわりと断ろうとするのを邪魔するみたいに、興奮した様子で捲し立ててきます。
たしかに、夢界の世界の支配力は低いですし、巧く支配範囲を狭め、夢界の本質を制限して、回数制限と夢幻に囚われる時間を調節できれば、幸福な夢の石を造ることは可能かもしれません。
ですが……。
「私は夢界を自在に操れるほど界系奥義を熟知していませんし、技量不足です。もしも皆さんを巻き込んでしまったら、死ぬまで世界の支配下に巻き込んだ人々を昏睡状態にしてしまうのですよ? 瑠奈は理解していますか?」
「大丈夫! わたしより先に界系奥義を習得していたアリスのあとにわたしは風界を習得したけど、既に平均以上に風界を操れるようになってるもん!」
「だからといって、私が夢界を自在に制御できるとは……」
「いいからやってみてよ! これが上手くいけば覚醒剤なんかよりもしかしたら売れるかもしれないし、乱用者を減らせるかもしれない画期的なアイデアだよ?」
そして、瑠奈さんはこう言葉を続けました。
「もしもなにか失敗したら、責任はわたしが取る! だからお願い、試してみて?」
「……」無責任にも程がありますが。「わかりました。私は忠告しましたからね?」
私は立ち上がり、丸い形状に近い綺麗な石ころをひとつ拾い、小さな手のひらに乗せ、指先を丸め掴みました。
「素敵な夢を 始めよう 永久に終わらぬ幻が いま開始の音を奏でるーードリーミー」
辺りに紫色のスライム状の物体、ドリーミーが所々に飛び散ったかのように姿を現します。
「ドリーミー、お願いするのです。この石ころの中にだけ夢界の力を込めるのです」私は願うように言い、それを唱えました。「ーー夢界」
セカイが一変しようとします。
空間は歪み、距離の概念を失い、意識が朦朧として、ある筈のない幻覚が現れ、聞き覚えのない声が脳裏に走ります。
この石に夢界の幸福だけを詰め込みます!
支配下に置くセカイを石ころのみに制御するのです!
「ちょちょちょっとアリス! なんか辺りが歪んでふわふわし始めたんだけど!?」
ドリーミーは指示を上手く把握できないのか従いません。
安直な判断をしてしまったとすぐに悔います。
「やっぱり無理です! ーー瑠奈、早く風界を展開して、夢界の支配を上から塗り替えてください!」
視界が斜めになり不穏が始まり、支離滅裂な思考が脳内を過り始めます。
言語化能力も破綻し出しました。
「微風瑠奈の名に於いて 風の精霊を喚起する」
「瑠奈! 早く! 間に合わないのです!」
「契約に従がい 今 此処に現ーー」
寸刻ーー辺りは夢界のセカイの支配下に陥り、わたしは目の前に倒れ伏しました。
瑠奈が仰向けに倒れた音がします。
朧気な意識のなか、室外からも風月荘の住人らしき人たちが倒れる音が微かに聴こえてきたのを最後に、私たちは気絶し、意識を失い、夢界のセカイへと誘われてしまうのでしたーー。
(AA.6)
水の間には、私と瑠奈を含め風月荘の住人全員が集まっていました。
瑠奈だけ正座をしていて、私たちは瑠奈を囲むように立ったまま視線を瑠奈にぶつけています。
こうなる経緯を皆さんに伝え終わったところです。
「あ、あはは……もう、アリスったら。夢界きちんと制御しないから……」
「責任は私が取るーーそう仰ったのは瑠奈、貴女ですよ」
毅然とした態度で、私は瑠奈に接します。
「暴発じゃなくて半ば無理やり微風がアリーシャに使わせたのかー。人災は人災だけど、文句をぶつける相手はアリーシャじゃなさそうだね」
「私なんて初めて風月荘に帰宅を果たせたのに、直後にこれだよ?」
「ゆらーりゆらーり」
各々が瑠奈を責め立てます。
豊花さんだけは、夢界のなかでなにかあったのか、複雑そうな顔で瑠奈を見つめるだけです。
「たしかに責任を取ると宣言したのは瑠奈です。ですが、私もアリシュエール王国の第三王女の端くれ。瑠奈、貴女と共に罰を受けなければ示しがつかないでしょう」
既にアリシュエール王国から逃亡した身。ですが、私にも第三王女としてのプライドはあります。
そして、罰を互いに受けるため、私は言の葉を詠います。
「素敵な夢を 始めよう 永久に終わらぬ幻が いま開始の音を奏でるーードリーミー」
辺りにスライムーードリーミーが散らばり姿を顕現します。
「え、ちょっとアリス? 私は単純に薬物に頼るひとを減らしたい一心で提言しただけで……アリーシャ第三王女様!?」
「腐っても未だ魔女序列二位の精霊操術師。言い訳は見苦しいだけですーー同一化」
辺りのスライムが私に集まり、私はスライムの中身に包まれ、そこから身体を飛び出し上半身を露にします。
自身の紫がかった綺麗な銀髪が揺れているのが視界の端に映ります。
「安心しなさい。私も安易に不出来な界系奥義を使った罰を受け入れます。共に苦しみましょう。ーーばあ」
私が呟くと共に、全身にくすぐったい感覚がめぐります。
「あ、あははは、はははははっ!? ちょっあははははっ! やめっ!」
瑠奈は正座していた身体を崩し、全身のくすぐったさに耐えきれず、手で全身を触りますが、くすぐりは夢幻、単なる錯覚。防ぐことはできません。
私もくすぐったい感覚に耐えられなくなり、悲鳴に近い笑い声を上げながらもがき苦しみます。
「ちょっはははは!? いつまで、いつまで続くの!?」
「~っ! 一時間は経たないうちに収まるっ! です~っ!」
二人して苦痛からの大笑いをけたたましく上げ、姿勢を崩し、身をひねり、顔を手のひらで覆い、すぐさま手を離しくすぐったい箇所を触り、直後に堪えきれず笑い声を再び上げ、身をよじり、ひたすらくすぐりに耐えます。
「アリーシャまで罰を受ける必要性はないと思うけど……まあ、とにかく二度とこんな事態は起こさないようにね?」
ありすさんが私たちに伝えたあとっ!
皆さんはっ!
部屋から出ていきましたっ!
私はくすぐったさで返事をする余裕もなくなり、水の間ーー私ことアリーシャ・アリシュエール∴ドリーミーの私室は苦痛の笑いに暫し包まれるのでした。




