Episode23/忍び寄る災厄(前)-月に叢雲-
暗い夜道。月明かりが闇を切り裂き差している。
三十路過ぎの帯刀している女性は、ひとけの薄い道の街灯の下を見据えると、歩くのを止めた。
「けひひひっ! 貴女が清水刀子っていう、殺し屋業界ナンバー1でいて、異能力犯罪死刑執行代理人であってる?」
街灯の下で薄く笑みを浮かべる少女が、三十歳前半ほどの女性ーー清水刀子に問う。
「いいや? 今殺しの業界で一位は、この辺りじゃ静夜ってヤツだ。代理人というのは当たっているがな。それで? おまえは誰だ? いや、おまえは何だ?」
「けひひひひっ! あんたら異能力者保護団体をぶっ潰す! Girls children trafficking organizationの一員だよ!」
少女は両手にナイフを構え、清水刀子に一気に飛びかかる。
「両手ナイフでなにをどうするつもりだ? 役者でも演じてろ」
「バーカ! 異能力があるからに」少女は刀子に切りかかり、突き、さらに突き、左から右へ、右斜め下へナイフを振り、切り裂くために両手のナイフを常人と比べ異様に素早い速度で振りつづける。「あーひゃひゃひひひゃひゃ!」
清水刀子の頬にかすり傷がつく。しかし、初撃以外の切り払いは掠りもせず、突きも寸でのところで当たらない。
清水刀子に確実に突き刺したーーと少女は確信しても、実態では半歩ほど間が空き清水刀子に当たらない。
「あーんきゃひゃひゃひゃなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでぇー!」
「ったく、おまえは本当に何なんだ? だいたい、ナイフなら片手を空けておけ。それは異能力者だろうと変わらない」清水刀子は少女の足を軽く払う。「覚えて逝け」
「ひゃーー!?」
いつ抜いたのかーー。
抜き放った刀には、少女の血が多量に滴り塗られている。
少女は崩れるように倒れ、血しぶきを上げながら絶命した。
辺りに血が広まり、鉄と独特な腐臭が漂いはじめる。
「GCTOーーヤツが壊滅させた筈だ。なぜ今になって名乗る? おまえら、残党か?」
清水刀子は背後へ振り向きながら暗闇に問う。
夜道から清水刀子にニヤニヤした嗤い顔を向ける二十歳ちょうどの銀髪の女性がそこにはいた
銀髪の女はただただ嗤うだけで、答えようとはしない。
「まあいいーー暗闇夜々がいないなら、どうにでもなる。去ね。それか、おまえも逝け」
清水刀子はしゅんっ、と刀で銀髪の女を斬る。
しかし、その体は裂けなかった。
切れないどころかかすり傷もつかず、首の肌だけで日本刀の刃に耐えていた。
日本刀の首への一撃を、避けもせず耐えきったのである。
「ったく……おまえも、微風瑠奈と同類の能力者か?」
刀子は背後に下がり、納刀し居合いの構えになる。
「微風瑠奈? あははーーわたくしは砂月楓菜。ルーナでも良いわ。そうね、ルーナルーナ」砂月楓菜は幾度か繰り返すと、ニヤリと口角を上げた。「アウラのように不出来な“精霊操術師”とは違って、わたくしはルナールーー月の女神の加護を受けている“聖霊操術師”ですから」
「やはり知り合いか。無の子の澄だとか、風の大精霊シルフを操る微風だとか、おまえらみたいな人外を相手にするたび、頭が痛くなる」
「あなたは、微風瑠奈に勝てるのかしら?」
刀子は一瞬だけ逡巡すると、答えを返した。
「無論だ」
「なら、わたくしに力を貸してくださらない?」
「その問いの答えも、返す必要はない」
「あら、どういう意味かしら」
「無論」清水刀子は砂月楓菜に居合い切りする。「貸すわけがないだろう?」
清水刀子は刀を振り切る。が、砂月楓菜は傷つかずまたもや押し留められる。
単なる、皮膚一枚に。
「あら?」
清水刀子はいつ脱いだのかーー上着が刃の真上に重なり影ができるよう投げ上げた。
直後、再度手に力を入れる。直ぐ様、砂月楓菜は後退した。
しかし、今度は胴体に薄く切り込みが入った。
血が滲み、衣服に紅が染み出す。
「月の女神とやらの力を使っているんだろう? 月を避ければいいだけなんだな? ーーおまえ、微風より弱いぞ?」
「なっ!? ふ! ふふふっ! ふふふっあはははははっ! はぁ……たしかに、たしかに、たしかにそうでしてよ?」だからこそ、と砂月楓菜はつづける。「貴女が味方になってくだされば、GCTOなど壊滅同然の組織、立ち上げたりはしませんでしたのに」
「悪いな。問題は微風じゃない。青海、嵐山、二、微風、おまえの発端である現世朱音も問題ではない」
「あら? 理解が早いのですね、お利口さん。ならばその問題というのを、わたくしが排除して差し上げましょうか?」
「……ほざくな。おまえが解決なら、当の昔に『愛のある我が家』も『GCTO』共々壊滅できている」
清水刀子は戦意が失せたのか、納刀すると街灯の真下ーー電柱に背を預け腕を組んだ。
「では、問題とは何かしら?」
「……神の子イエス、または仏陀など、聖人くらい知っているだろう?」
「はて? 知りませんわ、そんな方々など。ぶった? イエスとはたしか、はい、という意味ですわよね?」
「イエスではなくイエス・キリストだ。神の子、聖人、救世主がイエスなら」刀子は呟く。「さしずめ澄は、無の子、吸血鬼、善悪、人類の掃除人。現世の言葉を借りれば」
ーー駄作を無へ帰す為に降臨した全人類一掃可能な神造人型人外兵器。
清水刀子は苦笑いしながら言う。
「笑える話だろ? 私だって昔は殺し屋だ。アイツを殺れという依頼は沢山来たもんだ。だが、人は無に勝てない。勝ち負けなどない。最初から無いんだからな」
ーー当然だろう?
清水刀子は言い終えると、タバコを咥え点火し、一息つく。
「澄さんでしたか?」
「ああ」
「覚えておきますわ。ああ、それと」
砂月楓菜は背後から急に飛来した投げナイフを、わざと素手で払ってみせた。
「そこのお人、会話の最中に失礼でしてよ?」
「……静夜。易々殺れる相手じゃない。やめておけ」
そこにいたのは、完全に闇と同化していた殺し屋の大空静夜だった。
「刀子さん……微風の依頼だ。刀子さん、ありす、俺、陽山の四人がかりで、砂月楓菜を殺れと」
「おいおい、今のありすは足手まといにしかならない状態だぞ。聞いていないのか? あと、陽山はいけ好かん。手を組むつもりは毛頭ない」
「なら、断れと? 契約破棄になるんじゃないのか、刀子さん」
「いいや? 私達二人で十二分だという話だ。二人なら直ぐ終わる程度の相手さ」
清水刀子は煙草を捨てると、ナイフを取り出し逆手に構えた。空いた手を前に突き出すように伸ばす変則的な構えとなっている。
大空静夜はタクティカルライトとアイスピックを抜き出し、砂月楓菜の顔にライトを放射する。
がーー。
「あら、眩しい光ですわね。月の光には敵いませんが」
砂月楓菜は高く飛び、月明かりが照らされている塀の上に飛び足を着けて佇む。
大空静夜は舌打ちすると、投擲用ナイフを三本投げる。
しかし、清水刀子はそのうち二本を自身のナイフで切り払い、砂月楓菜に向かわないように叩き落とした。
「刀子さん?」
「やめろ、相手を舐めてかかるな」
一本のナイフが砂月楓菜に当たる寸前、音速を越えた速度でナイフが反射された。大空静夜の片手に深い切り傷が抉れてしまう。
「っ!?」
「奴をよく見ろ」
大空静夜は刀子に言われたとおり相手を見やる。
そこには、全身から月明かりのごとく発光している砂月楓菜が在った。
「とはいえ、このままではヤられてしまいますわ。これにて、おいとまさせていただきます」
砂月楓菜は、塀からさらに上へと宙に飛ぶ。
すると、全身が光に包まれ、次の瞬間にはその場から消えていた。
「ったく、ひやひやさせるな。バカ弟子が」
「悪い……。刀子さん、どうするつもりなんだ? アイツを逃したら、鬼ごっこのはじまりだ」
「こちらが鬼かーーそもそもの話、あの微風はどうして仲間の吸血鬼に頼らない? アイツなら一手で終いだろ、あんなヤツ」
清水刀子は再び煙草を取り出し加える。
大空静夜はそれを見るなり、煙草を奪い取ってしまう。
「刀子さん、禁煙したほうがいい。ありすは18だが、もう止めた」
「そう禁煙禁煙叫ぶな、喧しい。私はもう34だ。あと一歳年を取ればアラフォーの仲間入りなんだよ。今さらやめてどうなるって話だ」
「俺の周りの喫煙者はイカれた奴らばかりなんだ。刀子さん以外は。微風は色情狂い、青海は覚醒剤中毒、陽山は快楽自殺コーディネーター」
「陽山を並べるな、煙草が不味くなる。前者二人は悪人ではない。が、奴だけは違い無く悪人だ」
清水刀子は、激しい同性愛は置いておくとして、覚醒剤に依存しており、なおかつ売り捌くために密造している青海舞香を悪とは定義していなかった。
大空静夜は返ってくる答えを知りながら、なおも清水刀子に問う。
「刀子さんは、覚醒剤を造り、売り捌き、やる人間が悪ではないと言う。だが、犯罪者に違いはない」
「ああ、間違いなく犯罪者だ」清水刀子は新ためて煙草を取り出すと、今度は大空静夜から避けるよう火を点した。「だが、悪ではない」
「……なら善だとでも?」
「犯罪者は皆悪人か? 違うだろ? 現代の法に則らない奴らが犯罪者なだけだ。善悪の判断とはまた異なるものだ。あいつらは覚醒剤をやりたい奴に売りさばくが、やりたい奴らは自らの足で買いに来る」清水刀子はナイフを順手に変え再び逆手に握り回転し握り方を変えて見せる。「ナイフそのものは悪じゃない。使い方によって、悪にも善にもなる。違うか?」
「……屁理屈にしか思えないな、俺には」
「それでいい。善悪の境界線なぞこの世には存在しないんだよ。だからこそ、あの無の子ーー澄はいつまでたっても中立を探し続ける羽目になっているのさ」
二人はしばらく会話を交わした後、それぞれの帰路に着いた。
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