Episode/河川ありす
後日談からは各々の一人称視点となっております。
(Alice.1)
義務教育であるはずの中学校にすら通わずに、まだ今年でようやく13歳となる私ーー河川ありすは、その腕を買われ暴力団の護衛として働いていた。
最低限の衣食住だけは保証してくれるこの居場所は、自宅に居るのよりは遥かにマシだった。
幼い頃から育児放棄ーーネグレクト状態の母と、酒乱で家庭内暴力をしょっちゅう振るってきて、私と殴りあいの喧嘩に発展する屑といえる父。そして、それに対して関心を示さず無視を決め込む姉といった最悪な家庭環境……そんな家族から家出をした私は、一時期ホームレスとして暮らしていた。
警察に行方不明だと届けすら父母共に提出しなかったのか、捜索されている気配はまるでなかった。
けれども私には、いわゆる暴力の才能というヤツがあったらしい。
そこら辺の不良が一人になったところを狙い背後から強襲してナイフと小遣いを奪い武器を手にした私は、暴力の才能というヤツが開花した。
街中に蔓延る暴走族やチンピラ相手に、その才能を振るいはした金を巻き上げ、そのお金でその日暮らしをしていた。
無論、警察に見つからないようなタイミングと場所でしか暴れなかったが、そんな私の事を暴走族がケツモチのヤクザに伝えたらしい。
ちんけな暴走族のケツモチをしていた三次団体のヤクザへと伝わった結果、ケジメをつけるのではなく、衣食住を保証する代わりに、とヤクザの事務所と組長の護衛役としてスカウトされた。
幼いながらも、ちんけな三次団体の親分や下っ端の会話を横で聞いていたから、私はいずれある人物を殺す無関係を装った鉄砲弾として扱われることを察していた。
なぜなら私は、この暴力団ーー雷神興業の人物以外がいる場所、例えば組長が若頭補佐を務める二次団体の烏丸組が関わるときは一切見つからないよう身を隠され、雷神興業組長以外の烏丸組の子分や、その子分が組長を務める三次団体がいる場にすら、私は呼ばれることはなかったから。
でも、他に行き場もない私は雷神興業が起こす小規模な荒事に参加したり、事務所の護衛という名の雑用をただ務める日々を暮らしていた。
だけど、そんなある日。
いつもどおりの、そんな日。
ある事件がーーいいや、雷神興業が深夜に襲撃される事態に遭遇した。
三次団体にしては立派な事務所といえる。一見では単なる郊外にある一軒家にしか見えないようにカモフラージュされている建物。いくら深夜とはいえ、組員は十数名居て組長もたまたま居る事務所に、たった二人の人物が襲撃してきてきたのだ。
ーーそれは、私が刀子さんと静夜兄ぃーー師匠と兄弟子と初めて邂逅し出会った出来事。星の巡り。
最神一家の直参である烏丸組組長の烏丸は、最神一家若頭補佐でありながら、他の組員と同じく自らも直系団体として烏丸組を率いていた。
しかし、烏丸組の若頭は現在空席状態。
国内最大規模と云われているヤクザ組織は現在、大きく別けて二つ存在している。
最神一家と総白会。
その最神一家と敵対関係にあたる暴力団ーー総白会の直系団体のひとつの組のヒットマンに、烏丸組の若頭が殺害されてーーと噂されているが事実かは知らないーー間もないからだ。
烏丸組の若頭補佐の一人であり私をスカウトした稲妻茂雄ーー三次団体の“雷神興業”組長は、烏丸組の若頭候補の一人として、何としてでも跡目になろうと策を練っていた。
それだけじゃない。
まだ子どもの私には理解できないことだと侮られていたのか、稲妻茂雄は護衛として私をお供に待機させているときでも、雷神興業で信頼している構成員には烏丸暗殺の計画を話すし、烏丸組内部でも烏丸組長を暗殺しようという企みを持つ裏切り者が居り、その裏切り者ーー烏丸組の若頭補佐である猪亥組組長の猪井猛と会話するときだけは、私は隠されなかったから真横で話を聞いていた。
なにやら稲妻茂雄を烏丸組の若頭にするために、猪井猛は稲妻茂雄を若頭に推薦する予定で、なおかつ烏丸組内で稲妻茂雄派を密かに増やしているらしい。
そして稲妻茂雄が若頭になったあと、水面下でヤクザ最大の禁忌とされている親殺しをして烏丸組組長になる。そして直系団体の烏丸組の組長に新たに就任したことで、最神一家の会長と親子盃を交わし、本家直参になるーーという陰謀を企んでいる様子だった。
ゆくゆくは本家若頭の跡目争いに参加するなんていう夢物語まで描いていた。
ーーその話を聞いてきた私の脳内では、既に『あっ、こりゃ烏丸暗殺の鉄砲弾役になるのは間違いなく私だわ』と理解してしまっていた。
そして、殺したのは無関係の子どもだとして警察に突き出されるのも私。他の二次団体や本家に自分が烏丸殺しと無関係なのをアピールするために、稲妻茂雄は怒り狂い積極的に犯人探しをした末に私を発見、警察に突き出しカエシはしました!ーーみたいなことをしでかすのだろう。
そんな嫌な予感を抱きながらも、個人や数人相手に対しては最強な私でも、雷神興業組員全員には逆らえない。飛び道具を使われたらアッサリ殺される。
それも理解していたから、内心では嫌々ながらも今日まで付き従い命令に忠実にしているという絶望の最中。
ーーそんなときにこの事態が発生したのは、私からしてみたら僥倖とも言えた。
その日の深夜、私は組員が集まる事務所をいつもながら雑用……きょうは部屋の掃除をしていた。
ヤクザは、いや稲妻茂雄はやたらと掃除にうるさい。13歳の身で姑の嫌がらせを身を以て体験したことがあるのは私くらいなんじゃないかな。大人になっても結婚とかしたくないな。なんて思うくらいには埃ひとつにうるさい。
「組長! 不審な人物二人が事務所周りをうろうろしていますッ!」
子分のひとりが慌てた様子で部屋に入ってきた。
なにやら事務所周囲に設置してある監視カメラの確認係は、不審者が事務所周りに近寄ってきたのを確認したらしい。
「いくら一軒家だといえ、ご近所さんらはうちが極道だと理解してるはずだ。その彷徨いてるヤツは顔馴染みか?」
「いえ! 少なくともこの辺に住んでる者ではないです見たことありません。一人は高校生くらいの男。もう一人は、詳しい年齢まではわからないんですが、成人女性です。ただーー」
「はあ? ガキと女? んなもん俺に上げるまえにとっとと追っ払えや!」
稲妻茂雄は椅子の背もたれに凭れながらテーブルを蹴る。
その命令に早まった子分たちが数名ーー五人ほどがバタバタ足音を立てながら慌ただしく玄関に走る。
「いえ……その、ただ、女のほうは日本刀らしき物を帯刀しているように見えたんすよ……勘違いかもしれやせんが……」
「あっ!? んだと!? 一応は烏丸の命令で事務所待機が厳命されてんだぞ? んなときに騒ぎを起こしたなんぞ知られーーッ!!」
稲妻茂雄が愚痴を吐き終える直前、廊下の窓ガラスが割れる音が部屋まで響いてきた。
庭の窓から廊下に侵入しようとしているんだとその音でわかる。
直後、廊下と反対に位置する玄関の方から組員の叫び声が轟く。
稲妻茂雄は非常事態だと即座に認識したのか、私に視線を送る。
「おい、河川。てめーはガラス割ったヤツを捕まえてこい。無理なら殺せ」稲妻茂雄は私に命じると、室内に残っている組員全員に怒鳴る。「てめーら室内に隠してる拳銃全部持って来い! 烏丸から預かってる手榴弾も出せ! 勝手に使っても責任は全て俺が取る!」
組員たちは途端に慌ただしくなり部屋を漁ったり、玄関に向かったりと、家中バタバタと走りまわる。
私は命令されたとおり部屋から出て庭に面している廊下に急いだ。
廊下に繋がる扉を開け早足で進んだ先。
ーーそこには、背中から血を流し地面に伏している組員二人。
それを認識すると、相手まで6メートルほどまで歩み寄った段階で足を止めた。
それをヤッたのであろう年上の男を認識したからだ。
組員の報告どおり高校生くらいに見える。髪がバサバサで中途半端に伸ばしたまま整えてなく、私が過去に倒してきたヤンキーやチンピラとは正反対、目立たない普通のおとなしい男の子ーーといった外見だった。
まだ小学校に通っていた時期にもいたなぁ、こんな男子。部屋の隅で一人で座っているような男子。
ーーまあ、今の碌に着替えもない、風呂にもあまり入らない、髪が伸びきったまま散髪にも行っていない私よりはマシか。
と、ほんの少し自嘲して直ぐ、思考を切り換える。
私より、多分3歳か4歳ほど歳上の暗い表情の男。
だけど年の差も人物像も殺すには何ら問題ない相手だ。
今まで相手をしてきたのは全員、ひとり残らず歳上の男だけだ。それは父親と殴りあっていた自宅時代も、暴走族やヤンキーを襲ってきたホームレス時代も、組に属した現在も変わらない。
どいつもこいつも舐めてかかるソイツらの顔面を、真っ青に染め上げ後悔させる。今回も同じ事。
けれど、今回は普段のパターンじゃなかった。
その青年は、いつも相手にしているヤツらとは異なる反応を示してきたのだ。
「まずったな……聴いてた話と違う。こっちを刀子さんに任せたほうがよかったか? いや、それとも、おまえほどの腕を持つ用心棒が他にも居るのか?」
ーー単なる三次団体にしてはオーバースペックな用心棒だ。
気だるそうな表情で、その青年はそう呟いた。
「へー? 貴方ってアレじゃないの? ほら、世間でよく云うオタクくんってヤツ。そんななのに、私の実力を見抜いたんだ?」
「……まだ子どもじゃないか。本当はやりたくないが、仕方ない。雷神興業の構成員なんだろ?」
私の実力を見抜いた事には驚いた!
私が最強だって事にねっ!
私はスカートを右手で捲りふわりと上げ、右太股に着けたナイフホルダーから右手で武器を素早く取り出す。
「あーーッ!?」
急に視界が眩い閃光に覆われ、あまりにも明るすぎるその光から、思わず反射的に目を逸らしてしまった。
熱ッ痛ッ!
なにされた!?
ライトを放射されたの!?
まだ眩んだまま治らない!
失明するレベルいったいなんなのコレ!?
三間の距離は保っていた。けど、そんな距離で隙を晒すのは致命的!
私は眩んで正常と言えない視覚を放棄。耳に意識を集中させ廊下の軋む音で相手の居場所を察し、牽制としてあえてナイフで切りかかり相手を後退させ、次にナイフを振りながらバックステップし後退。まずは距離を稼ぐ。
視界が正常に戻りつつある私に対して、青年は再び手に持つ小型のライトを私の目に向ける。
同じ手を二度も喰らうもんか!
私は視線を逸らし、さらにさっきよりも大きくバックステップしながら、低空姿勢で着地した。
可能な限り屈んで、片足だけ後ろへ伸ばす。片手は地を掴む勢いで伏せ、右手もナイフを握りつつ最大限床に力を込める。
「なんだ……?」
青年が疑問を口に出すと同じに、私は青年に向かい滑空するかのような勢いで跳び、五間の距離を一歩で詰める。
ナイフの切っ先は無論、青年の心臓。
「くっ!」
全身の体重と力を地面に与え、その反発を利用し前方に直進することに全力をかけ、その勢いをナイフに移す私の奥の手ーー突進からの刺突!
それに対して青年はナイフで弾こうとしたけど、まあ、手だけの力で振ったナイフが、全体重、全筋力、反発力をひたすら込め突進だけに心血を注いだ勢いによる刺突。それをナイフ一振りで弾けるわけがない。
青年は振るったナイフを直後に手放すハメになる。
私の刺突してくるナイフの勢いに耐えられず手から弾け飛んだからだ。
しかし軌道が衝撃により若干逸れ、脇の下を抉る程度になってしまった。
でもーーコレで終わりじゃない!
青年の脇の下辺りをナイフで抉りながらも勢いは殺さず、肢体を宙で捻りながら青年の背面の離れた位置になるべく低空姿勢で着地。跳んで跳ねた身体を捻り回転したことで、私の身体と顔はまだ振り返るのに間に合っていない青年の方に向いている。
そして、着地と同時に既に奥の手を放つ直前の構えになっている。連続での終わらぬ刺突、これこそ今まで武器を所持する相手にも生き抜いて来れた理由!
再び突撃しようとした刻、私が廊下に出るために開けた扉……つまり今は青年の奥にある扉が開いた。
ーー衣服の至るところに返り血らしき朱を染み込ませた女が、殺し合いの邪魔をするよう廊下に姿を現した。
目の前にしても気配が感じられない。この男も気配が限りなく希薄で気配に頼るのは避けたというのに、この女は目で見ているのにすぐには存在が認識できなかった。
私は視覚から得る情報と認識の齟齬に一瞬だけ困惑した。
「おい、静夜。ガキ相手になにを手間取っているんだ?」
「悪い、刀子さん……。でも、俺の実力じゃ抵抗するのが限界だ……」
「私が相手をするには役不足に思えるんだがな?」
血に染まる20代後半くらいに見える女ーー刀子とやらが私に対して向ける瞳は、かつて処してきた男どもと同じだ。
私を舐めてかかっている奴らの瞳そのもの……。
「退け」
静夜と呼ばれた青年は、刀子という女に言われるがまま、刀子の背後へと無言で退いた。
情けない男……けど、私の実力を理解していたぶん、この刀子とかいう女より幾分かマシに違いない。
「なあ、ガキ。既に雷神興業の組長ーー稲妻茂雄は処分した。組員も。組は機能しないほど壊滅したんだ。つまり、おまえの担う仕事は破綻したんだよ。戦う意味は何処にもありはしない。だろ?」私は刀子を睨む。私を舐めた女を!「だというのに、おまえはまだ争いを続けようとしている。おまえの存在は烏丸からも聴いていない。失せろ」
刀子は腰に差している日本刀ーー打刀も脇差も抜かないまま、私に歩み寄ってくる。
近寄る気配もまるで感じられない。
でも、数々の野郎を葬ってきた最強の私に勝てると思っているんでしょ?
舐め腐っているんだよなー?
たしかに稲妻茂雄が消えたのは、雷神興業が壊滅したのはある種で私からしても僥倖だよ?
けど!
こんな屈辱を弱者から味わわされて、弱者に見下されて、引き下がるほうが私には堪えられない!
ここから消えるのは、こいつを殺したあとでいい!!
私は勢い良く背後に跳んだ。
再び全身全霊で刺突を繰り出すために十分距離を取る。
歩み寄るのをやめない刀子に対して、そのまま静夜に攻撃したよう一気に跳び刀子との距離を詰める。
しかし、刀子は私の凄まじい速度の筈の刺突を易々と躱す。頬に薄い切り傷ひとつ付けた程度には掠ったが、これじゃ当たってないも同然だ。
「おい、静夜ーー手は出すなよ」
ーー生意気なクソガキにひとつ勉強させてやる。
刀子は呟くように静夜に命じた。
刀子の奥ーーつまり静夜の側で静夜に背を向けた状態で着地したことになった事を少し危惧したけど……。
……そこまで舐め腐ってんなら手加減不要だ!
必ずぶち殺して後悔させてやる!
すかしたその顔を絶望で染めてやる!
今まで逝った奴らと同じようになっ!
「死んでも文句言うなよ!?」
着地直後に私は死の忠告をしながら再び刀子に向かって跳ぶ。
しかし、当たるか弾くかしなければ避けられないと直感する距離に到達したのに、刀子の奇妙なーー説明し難い身の熟しのせいでナイフは躱されてしまった。
今度は切り傷すら与えられていない。
普通なら躱すことなど不可能な速度、避けようにも次撃までに隙が必ず生じる。それなのに、よくこんな廊下で躱すなんて発想に至れる?
静夜とかいうヤツは、だからこそ避けるのを早々に諦めて正面から受けたのに!
ただいくら躱そうと当たるまでは終わらない!
再び刺突が躱され刀子の奥へ身体を捻りながら低空姿勢でちゃく……ち……?
ーー私の視界には女性のものらしき両足が広がっていた。
つまり、目の前スレスレに刀子が居る!?
焦った私はナイフでその足を切ろうとする。
しかし、刀子は片足を半歩退くだけでそれを避けた。
この間合いじゃ切り札はつづけられない!
私は焦り背後に跳ぼうとする。
が、刹那に左手首を掴まれ後退が阻まれてしまう。
すぐさま屈んだ状態から立ち上がる勢いに乗せて、顔面にナイフを刺突しようとしたが、それすら刀子は頭を傾けただけで平然と避けーー直後に足払いをされたのか、私は無様に倒れた。
刀子は身に着けている武器を抜いてすらいない。
今まで私を舐めてきた相手は全員、ひとり残らず見返してやったのに……この女には武器を持つ必要もないと思われるくらい舐められたまま……やり返せずに……私は……このまま終わる……の……?
私は味わったことのない初めての感情ーー凄まじい敗北感に襲われ、泣きたくなり、それをひたすら堪え、しかし我慢できず、とうとう涙を溢してしまった。
「……おい? このガキ。好き放題、暴れに暴れた末、ついには愚図りだしたぞ?」
刀子は静夜に責めるように愚痴を吐く。
こんなのを相手によくも苦戦したなと言いたいのかもしれない。
でもっ!
「刀子さん……いくら殺しの技術があってもまだ小学生……だ。泣くのも無理はない」
「うう……あっ、あんたにだけはっ! 言われたくないっ! それにっ、13……だッ!」
私は悔しさと怒りで脳内がぐちゃぐちゃになってしまい、実力では私より劣っていた筈の静夜に対して罵倒する。
悔しい。悔しい悔しい悔しい……!
無敗の私が、最強な筈の私が、なんで……こんなおばさんごときにっ……!
刀子は転倒した際に私が手離してしまったナイフを、割れた窓から庭へと蹴り飛ばす。
「ったく……こんなガキの用心棒がいるなんて話、烏丸からは聞いていないぞ? 恐らく烏丸から身柄を隠し鉄砲弾として使うため、稲妻が個人で所有していただけだ。烏丸から依頼されたターゲットに含まれているとは言い難い」
依頼主……烏丸?
烏丸組の若頭補佐の稲妻茂雄を、わざわざ烏丸が殺せと依頼した?
……私が思っていたよりずっと、烏丸という人は上手だったのかもしれない。
稲妻茂雄が密かに自分を裏切る計画を立てていたのを烏丸は知っていたんだ。でも、腐っても直系団体の若頭補佐の一人。自分の組も持っている。
だから、こいつらーー話を聞く限り殺し屋に依頼して、雷神興業ごと稲妻茂雄を処分したんだ……。
「烏丸組の若頭は本部長の木城正直が継ぐ。稲妻茂雄ごときが務まる筈もない」刀子は呟くと続けて問うた。「ガキ、名は?」
「……河川ありす」
未経験の敗北という経験のショックが大きく無様に泣き喚いてしまった。
ようやくショックが薄れてきたのか涙は止まった。けど、荒んだ心は晴れないまま。
私はこのまま、いったいどうなるんだろ……。
「烏丸は把握してない。なら、おまえの処遇は私が決める。ここで餓死するまで孤独に過ごすか。私の仕事を手伝うか。二択だ。後者を選ぶなら、最低限の衣食住は保証してやる」だが、と続けた。「他に選択肢はない。私に再び歯向かうなら、そのときは、その不遇な生から解放してやる」
「刀子さん、まだ子どもだ。殺しの対象に含まれているなら仕方ない。だが殺す対象じゃない子どもまで手にかけるのはーー」
「黙ってろ。そもそもおまえもまだガキの範疇だ。それに、選択肢は与えてやった。何も知らないガキには道を示してやらねばならん。あとは、河川ありすが選ぶだけだ」
このままこの場で餓死するーーつまり、放置して自由という名の不自由を再体験する事になる。家から逃げてホームレスの日々を送ってきた私は、雷神興業を失った今、その暮らしに逆戻りすることを意味する。
今ので実力差はハッキリした。私の全力は、認めたくないけど、刀子の片手間より格下だ。不意討ちしても容易くあしらわれ殺されるのがオチだ。それに、不意討ちで殺しても悔しさは一切解消されないだろう。
それなら、気に入らないけど、最低限の衣食住を保証してくれるぶん、刀子とかいうこの女の仕事を手伝うほうが遥かにマシだ。
身近で技術を見て盗み、いずれはこの女の実力を越えてやる!
「……わかった。仕事を手伝う」
「そうか。仕事現場で今日のような失態を犯して死体という痕跡を残すハメにならないよう忠告してやる」刀子は私に顔を近づかせた。「今のおまえは相手の実力も測れない素人だ。いくら荒事を担当してきたとはいえ、負けた経験がないんだろう?」
図星だった……。
少なくとも一対一の状況なら、私はこの世で最強なんだと自負していた。
それをたった今しがた、圧倒的な実力で捩じ伏せられたばかり……。
刀子は帯刀している打刀も脇差も一切抜かず、平然とした顔色のまま最小の体術だけで私を倒した。
相手の実力がわかっていなかったのは私だったという事実。
刀子は私の実力を把握し、そのうえで尚も“単なる生意気なガキ”だと判断していたんだ……。
正しかったのは、この女ーー刀子のほうだった。
「なら付いてこい。ここに在るのは死体だけ。烏丸組の手下が処分に来る手筈だ。殺しの現場からは早急に立ち去る、それが鉄則だ」
刀子は私と静夜を連れて、堂々と玄関から外に出ると、目立たない位置に停めてある自動車に乗り込んだ。
静夜は助手席に座り、私は後部座席に自然と乗ることになった。
「ありすーーおまえは正面からの戦闘技術は、既に私のバカ弟子より高い」
「……面目ない」
静夜は頭を下げる。
「責めてるわけじゃない。言ったろ? 正面戦闘では、と。今回の仕事はおまえの本領を発揮できる舞台ではなかったからな」
「……でも、刀子は刀すら抜いてなかった」
それは、武器すら不要なほど私に実力がなかったという意味に等しい。
「斬ったら血と油が刀に着く。そしたら、また懐紙で拭うハメになる。単純に懐紙の無駄遣いだからだ」
「命の取り合いで、紙っぺら一枚惜しむくらい、私が弱かったってことに違いないじゃんか……」
抗うことすらできないほどの実力差。
簡単にあしらわれる程度の切り札。
こんなので最強だと自負していたさっきまでの自分が恥ずかしい。
「ありす、おまえに足りないのは彼我の実力差を正確に測れないこと、いや測ろうともしないことだ。そして奥の手はここぞと言う場面で使うものだ。真っ先に使ったら奥の手でも切り札でもなんでもない」
だが……と刀子はつづけた。
「奥の手として扱うには、既に完成していると言っても過言じゃない。それほど十分な性能がある。ありす、おまえはこれから、基礎的なナイフを使った戦闘面を鍛えていけ。奥の手の刃も鈍らないよう研ぎながらな」
「……静夜は刀子の弟子なんでしょ? なら……刀子、いや、師匠。私の師匠として、私の技術を鍛えてくれない?」
「……考えておく」
そのまま車は、しばらく走り続けるのであった。
(Alice.2)
「って感じで、私は刀子さんに弟子入りしたのでしたー!」
「わー、パチパチ」
「ゆらーりゆら……んん……?」
私の昔話が聞きたいと言ってきた瑠衣と、ついでに以前から『師匠の師匠がどんな人間なのか気になる』と興味を示していたもう一人の弟子の有紗も連れて、“花の間”に押し入り予定よりも長く話し込んでしまった。
ついつい当時を思い返し、懐かしさや恥ずかしさを自分まで追体験しちゃったからかもしれない。
「……なんでその話をわざわざ私の部屋でしたの? いや、たしかに少し興味はあったけど」
風月荘に入居が決まった私に宛がわれたのは風の間だけど、引っ越し初日に瑠衣が謎の新居祝いとして訪ねてきた。
そして、その勢いで来た瑠衣は特に用事もなかったみたいで、突拍子もなく『師匠について』訊いてきた。
瑠衣は私の弟子だけど、弟子入りした経緯が少し劇的だったせいか、瑠衣は私が刀子さんに弟子入りしたときの経緯も気になった様だった。
瑠衣から見たら、私は強姦被害に遭うのを颯爽と現れ救ってくれたヒーローに映っているだろうし、弟子入りを直後に頼んできた。
でも、私が刀子さんに弟子入りしたときは、むしろ真逆で情けない経緯だ。
あんまり話したくはなかったんだけど、詳細はともかく少し話したことはあったし、あれからずいぶん年月は経過した。私は殺し屋から足を洗って異能力犯罪死刑執行代理人という国属の仕事に就いた。
いい加減、単なる思い出として消化できるようになっている。
それはいいんだけど、少なからず引っ越しの荷物は私にだってある。段ボールで手狭になっている部屋で瑠衣だけならともかく、ついでに師匠の人柄を知りたいと欲していた有紗にも話すとなると、この部屋じゃ少々窮屈。
「いやさー、杉井も聞きたいかなって思ったし。杉井の部屋は殺風景レベルでなにも置いてないって微風から聞いてたし、ちょうどいいかなって」
「私の師匠の、ありすの師匠! それに、立ち向かったのは、勇ましい! すごい!」
「いや、瑠衣。これは恥ずかしい思い出話なんだけど……勘違いしちゃったかなー?」一応、私は私の全肯定マンと化してきている瑠衣に忠告するよう追述する。「勝てない相手に無謀に突撃するのは勇敢でもなんでもないよー。蛮勇……いやー蛮勇ですらない単なる阿呆だからねー?」
瑠衣は忠告を受け、素直に頷く。
でも私と違って、瑠衣は強力な異能力者でもある。
ナイフ戦の技術以上の大きな力だ。
だから、私たち非・異能力者とは違い単純な実力差が測りにくいと思う。
「私や有紗みたいな非・異能力者同士なら対峙して少し切り交わせば実力差はハッキリとわかるんだけどさー? 瑠衣みたいに異能力者相手に実力を測るのは難しいんだよ。普段、異能力犯罪者ばかり相手にしてるけど、死刑執行の対象になるってことは情報が機関に把握されてる、つまり異能力の内容が予め判明してることが多いから相手にできるんであって……相手の異能力がなんなのか知らない状態で異能力者と対峙するのはキツいって」
ーー瑠衣は知らない異能力を持つ相手だった場合、彼我の実力差ってわかる?
と問うてみた。
「杉井でもい」いと言いかけてやめた。「いや、杉井は今回の話では例外にしとく」
「え、なんで?」
杉井は純粋に疑問を抱いたのか首を傾げる。
……こいつはもちっと自分の異能力の特異性を認識しろーと言いたくなる。
杉井は詳細不明の予知に近い直感とやらの異能力を持っているんだ。
瑠衣とは違って脅威的な相手には危機感を覚えるだろうし、少なくとも初撃は躱せる可能性が高い。
私の鍛えたナイフ術と早々に張り合えるようになったけど、目線を見ていればわかる。ナイフの切りや突きを回避するのに目じゃなくて異能力に頼り切っている。
「ん? もちろん、わからない。だから、先手必勝」
「そう、そうそうそうだよ! 私の求めていた答えに近い! さすがは私の愛弟子だー!」
「えへへ」
瑠衣の頭を撫でてやりながら誉める。
「異能力者相手に実力差なんて測る暇は普通ない。愛のある我が家みたいな今や日本一有名な異能力犯罪組織だって、正確なんてとてもいえない不正確な異能力の内容がネットに漏れる程度にしか知られてないんだよ?」
愛のある我が家は神造人型人外兵器の対処活動時の報道や、災厄を齎す者を成敗したとニュースや動画投稿サイトで話題になり、いっとき炎上気味の騒ぎになった。
なのに構成員の人数からして誤った情報が散見していて、どれが本当なのか市民には判断できないレベル。
見た限りの情報サイトはいずれも参考情報や参考文献元が提示されていないし、あってもお粗末な情報源。ファクトな資料が提示されているサイトなんて知る限りなかった。
そんな基盤からめちゃくちゃな情報に掲載されている異能力の内容なんて、正誤が混ざっちゃっていて、逆に意味不明だとネット民にすら文句を言われている始末。
「例えば、この風月荘の廊下。入り口側に青海が立って、廊下の奥に微風が立って、互いに敵として対峙したとする。その範囲から出ないのを条件にデスマッチ。どっちが勝つと思う?」
「舞香は何にも持ってない状態? 瑠奈は詠唱してない状況?」
「青海舞香はナイフだけ所持。微風瑠奈は詠唱前だけど警戒はしててすぐ唱え出せる状況ーーなら?」
杉井は悩むように唸り声を出す。
「ゆらーりゆらーり……微風瑠奈はともかく青海って人の力は知らない……」
有紗ですら、あんなに大騒ぎされた犯罪組織“愛のある我が家”の大幹部の青海の異能力までは把握していないんだ。
やっぱり、異能力者同士じゃ実力差はわかりにくい。
「舞香が瑠奈の心臓にナイフを転移、瑠奈は詠唱も間に合わず三次元的な風の膜も上の次元から働くちからによって貫通。舞香が勝つんじゃない?」
「うん、それも正解。でも同時に間違いでもあるんだよー」
「ん?」
「微風は警戒状態だって言ったよねー。青海の能力は私の知る限り“空間置換”、つまりナイフを転移するには“微風の心臓”なんて人物を指定するんじゃなくて、“微風の心臓のある位置、座標、空間”を指定するんだよー聞いた話じゃね。だから、もし微風が一直線で青海に飛んで風の刃で切りかかれば、青海のナイフは微風の遠く背後に落下してその隙に青海が切られて敗北ーーなんて可能性もあるよ」
「言われてみれば……」
「でも、舞香? が、風の刃、自分を転移、させれば、回避できる」
「そう。だからこそ、異能力者相手にはー?」
「先手必勝!」
私と瑠衣は盛り上がる。
異能力者と異能力者の場合、お互いの実力差がわからないから、自然と能力を悟られるまえに先手で致命傷を与えるのが一番有効と云われている。
例えば微風も青海も両者能力を知らない他人同士なら、最適解は相手に対して先に攻撃を仕掛けること。
微風なら暴風の速度で接近して風刃で真っ二つにする。
青海なら手元の武器か物をすぐさま相手の心臓の位置へと空間を置換する。
これが最適解であり必勝法。早くその判断をした側が勝つ。
まあ、実際の異能力者はごちゃごちゃ言い争ったり、無駄に能力を見せて力を誇示してきたりするヤツ多いけど。
それに、そもそも始めから相手を殺す意図で異能力を使うヤツは愛のある我が家には少ないか……。
例えば微風なら青海相手に無駄にオーバースペックな力を発揮しようとして、ごちゃごちゃ呪文みたいなのを唱え出すだろうし。物質干渉や身体干渉には通用しても、精神干渉以上の区分の異能力者相手には殺害可能な力を素早くぶつけたほうがいい。
唱えている合間に、例えば精神干渉なら操られたり、概念干渉なら風の膜を貫通する上位の次元からの攻撃が降り注ぐし……。
まっ、わざわざ本人に伝えてやる気にもなれない。
「ゆらーー清水刀子についての話を聞きに来たのに、まだあまり聞けてない……」
有紗から不満が出た。
過去の話じゃ満足できなかったかー。
「まっ、瑠衣はナイフによる戦闘技術もあるし、異能力もあるけど、つまりは敵と対峙するまえに相手の異能力を把握できるなら把握する。まあできないだろうから、だったらとにかく先手必勝を前提に頑張ってねー。ただ、お互いすぐに殺れない状況になりそうだったら、奥の手はいざってときのために隠しておく。いい?」
「難しいけど、わかった」
頷く瑠衣を横目に、有紗に視線を移す。
「有紗は師匠とーー刀子さんと戦ったことあるんだよね、たしか。その経緯で私に紹介されたんだし」
「え? そうだったの?」
杉井はなにか勘違いしていたのか、すっとんきょうな声を出す。
「え、なんだと思ってたの?」
「いや、だってヤクザを破門になってぶらついていたのをありすがスカウトしたって言ってなかった?」
「要約しただけ。ヤクザの身内を切り裂いて破門になったんだけど、今まで世話焼いてただけに、親心みたいなのが芽生えていたみたいでさ、昔の伝で師匠に保護してほしいって連絡が来て、仕方なく出向いた矢先、師匠に切りかかったんだよ」
「めちゃくちゃ危ない人にしか聞こえないんだけど?」
杉井は警戒心からか、有紗を危ない人を見るような不審な目を向ける。
「意外と、いいやつ」
「ゆらーりゆらーり……瑠衣、意外といいひと」
ありすと有紗は両者共、私の弟子にして関わりがあるからか、瑠衣からは妹弟子として可愛がり、有紗からは親切な人として認識したのか、初対面とは真逆とまで言えなくても、仲は良好になっている。
それにしてもーー。
「経緯は違えど有紗は師匠ーー刀子さんに歯向かったんだよ。私みたいにね? それも勇敢だと瑠衣は讃えるのー?」
「いや、なんか、違う」
「瑠衣は私を神聖視するあまり、私の発言なんでも全肯定するようになってるよー。私は気分良いけど、瑠衣自身にとってはあまりよくないことだからね、偏った目線にならずにさ? やっていこうよ」
「ん……わかった」
多分、言っても利かないけど。
とりあえずは頷いてくれはする。
「で、師匠に襲いかかったときどうだった?」
「ゆらー……ナイフが当たらない。私の動作が全て読まれてた」
「師匠はさー、たしかに攻撃面も防御面も強烈だよ? でもね、一番凄いのは観察眼なのさ」
師匠は本気のときも油断しているときも、相手をよく見て観察する。有紗の奥の手の特殊な動作も一目で仕組みを理解して、すぐに対処したんだと予想できる。
私の奥の手も、初撃が掠る前から、油断しながらも私を観察し、どのような行動に出るのか、その攻撃の速度や威力を見抜いて理解していた。
もしそうじゃなければ、あの刺突は直撃していたはず。
「異能力者相手に実力差はわからないーーって言ったけど、師匠だけは別。相手の所作や仕草、癖なんかで、経験からどんな系統の異能力者で、どんな異能力を使おうとしているのかだいたいは把握できちゃうんだってさー」
どういうからくりなのか私にも理解できない。
陽山月光や異能力者保護団体に属す何 美夜のような特殊な“目”を持つわけじゃないのは本人から聞いている。
過去に有紗以上に奇妙でいて、それでいて洗練された無駄のない歩法のやり方を教えてもらおうとしたとき、実践しながら説明を受けたのに一切理解できなかった。
前提として相手の視線、姿勢、得物、体躯を見て、視線誘導や姿勢の維持を阻害する動き、得物に対する間の取り方、体躯から相手の練度を把握。それを踏まえてーーと、しょっぱなからわけがわからなくて思考を放棄してしまった経験がある。
あれも全て師匠の観察眼と経験則から来るものなのは間違いない。
昔の私は師匠を追い抜くのが夢だった。
でも、殺し屋からの異能力犯罪死刑執行代理人として長年共にやってきて、私の今の目標は少しでも師匠に追い付くことだった。
未だに実力差は縮まるのを知らない。
そして、師匠のアレは努力や経験もあるが、才能に起因している部分が大きく占めている。
なら、私は経験を積むと共に、師匠のようなある種の天才とは違う努力で、別の角度から師匠を補佐できるくらいの実力になってやる。
「長話しちゃったね。瑠衣、有紗、それとついでに杉井」
「うん」「ゆらー」「は?」
三人各々の反応を返す。
「今から外で実践訓練するよ!」
「いや、なんで私まで……」
「いいからいいから。ついでだし」
ぞろぞろ花の間から出ていく。
そんななか、私は密かに瑠衣に耳打ちする。
「瑠衣……誰にも言わないでね?」
「ん……?」
有紗は外に出たし、杉井は文句をぐちぐち言いながら有紗につづく。そんななか、瑠衣だけ少し遅めに歩くよう引き留めた。
「例え話なんだけどーー豊かな生活を抜けて、死刑執行代理人として私の仲間にならない?ーーって私が誘ったら、瑠衣はどうする?」
「え、え?」
「ーー考えといて」
私は困惑する瑠衣を連れて共に風月荘から外に出た。
「さあ、始めよっか!」




