Episode238╱平行世界から這い出る存在(後)
(350.)
模擬戦の場には私、宮田さん、みこの三人。向かい合わせに瑠奈がひとり。やや離れた位置に鏡子が立っている。
さっそく私は両手で握り瑠奈へと切り込む。
ユタカは重さを感じないから片手でも余裕で触れるが、竹刀だとちからが足りない。
しかし、瑠奈は踊るように避けると背後に一歩下がった。
「のーろま! っとと!」
宮田さんが不意に発砲するが、瑠奈はその弾丸も素早く避けてみせる。
「わたしは澄よりは早くないけど、銃口からだいたいの位置が読めれば避けるだけの速さはある!」
みこが手のひらを上空に翳し、集めた閃光を瑠奈に向かって放つ。
が、瑠奈は躱す必要などまるでないかのように、体に纏った風で全てを防ぎ止めた。かと思えば、風がガリガリ音を立てて削れていき、さしもの瑠奈も右にステップして閃光の斜線から位置をずらす。
「んっ!?」
急に瑠奈がビクッと止まる。瞬間、瑠奈は四方八方へと跳び、いや、翔びはじめる。
なるほど、鏡子が異能力をつかったのだろう。
そこだとばかりに宮田さんは銃を放つが、空をぐちゃぐちゃに不規則に飛ぶ標的に銃弾は当たらない。
しかし、瑠奈の表情からおちゃらけていた空気がなくなり、焦りが見えるようになってきた。
そこに狙いをつけて宮田さんは再度撃つが、すぐに飛んでいくため掠りやしない。
「ストップ! みんな止まって! 部屋がめちゃくちゃじゃない!」
舞香の声で、皆それぞれ動作をやめた。
瑠奈が上下左右四方八方に翔びまくり撹乱しまくったせいで、端にまで寄せてあるはずの小物まで飛び散らかり、壁にはなんと亀裂が入ってしまっている。
「鏡子、はよ戻して」
「あ……はい……」
瑠奈に言われて鏡子が異能力を解いた。
やはり、視界を塞ぐのはむしろ悪手になるかもしれない。縦横無尽に動かれてしまっては、さらに攻撃が当たる可能性が低くなってしまう。
澄の視界を見えなくして、錯乱して向かってきたところに斬りかかるとか?
瑠奈とは異なり、澄はあくまで左右前後と平面に動作する。いや、上下左右に動けるかもしれないけど、瑠奈みたく当たり前のように飛行したり飛翔したりはしないはず……いままでの澄どおりであってくれればーーという希望的観測が前提となるけれど。
いやーーそもそも瑠奈の速さはあくまで暴風レベル。澄は最低でも音速、もしかしたら光速で動ける可能性だってある。
そうなると手詰まりだ……。音速や光速なんて当たる当たらないの次元じゃない。私の直感があろうと、自身の瞳に映らない速さに対する対策は皆無……。
やはり、私の真の力を自覚しないといけない……そんなちからが、あればだけど……。
そのとき、いきなりこの広い室内に、“見慣れた姿の人物”四人が、パッと瞬きをした寸刻に現れたーー。
四人の姿を端的で表すなら、青海舞香よりも少しだけ若い、二十歳前半くらいに見える青海舞香。私と同年代そうな目に憎悪を溜めている私の姿。ゆきと同じ姿をしたゆき。瑠奈と同じ姿をした瑠奈。
ーーそんな、ドッペルゲンガーとしか思えない見慣れた人々が、突如として目の前に姿を現したのだ。
室内にいる鏡子、沙鳥、みこ、宮田さんは一端距離を取り室内の端に下がる。
私たちも警戒して、私は私を見据えながらナイフをスカートから抜き取り順手で構える。
舞香は若く悲しい瞳をした舞香の前に立ち、相手と視線を交わす。
瑠奈は相手の瑠奈の目前まで歩き、「なに? おまえ?」と問い質す。
ゆきは自分と同じ姿をしたゆきを信じられない物を見たかのような瞳で凝視している。相手のゆきの瞼の内側にある眼は、絶望に彩られていた。
なんだと考えていると、神がフッと姿を見せた。
私の視界には、いま、二人の自分の姿が見える。
「さあ、君たちの相手は自分自身だ。ボクに挑戦する資格があるか否かーー試させてもらうよ」神は沙鳥やみこ、鏡子に手のひらを向ける。「君たちは邪魔するな」
「なんなんだよ……こいつらは誰なんだよ!」
あり得ない現象のつづきに耐えられなくなり、思わず叫んでしまう。
「この子たちは並行世界の君たちだ。もっとも、時系列は気にしていない。舞香は沙鳥を亡くした。だからこちらの青海舞香を抹殺すれば、沙鳥がまだ生きている世界の舞香として生きていく資格を与えよう。杉井豊花は瑠璃を殺され仲間を殺され、のほほんと生きているきみを教えたら殺すと宣言した。ゆきは澄に助けてもらえず自力で脱出に失敗し幽閉されたまま。こちらの世界の自身を殺せば助かると教えてあげた。瑠奈は仲間に受け入れられず孤独となった。だから瑠奈を殺して入れ替わりたいとーー」神は嗤う。「さあ、自分自身に勝てれば、晴れて澄に挑戦させてあげよう!」
それを聞いた四人は、いや四人と四人は、それぞれの相手と対峙する。
(351.)
「沙鳥を失ったらしいけど、貴女なにをしたのかしら?」
「……」
舞香は相手の舞香の手に持っていたトレーが消えるのを察知して、舞香は背後に空間置換で自身を転移する。直後、舞香の元々の首があった部分にトレーが出現。避けなければわけがわからず舞香は死んでいただろう。
舞香は姿を消すなり相手の背後に現れドロップキックを決めようとする。それを相手の舞香は手で触れようとした瞬間、舞香は再び姿を消す。
「沙鳥は……沙鳥は私が覚醒剤にハマっているうちに殺されたのよ! もうそんな辛いこと起こさない!」
「あなたね……自業自得で沙鳥を失っているじゃない。なに? 沙鳥よりも覚醒剤のほうが大切だったの?」
「うるさい! 私ならわかるでしょ!? 覚醒剤の魔力には打ち勝つことなんてできやしない!」
舞香は転移を繰り返し、相手の舞香も転移を繰り返す。あちらこちらに現れてはお互いに体に触れようとしたり、落ちている道具で相手の体内を破壊しようと物質を置換し転移させ合う。
と、舞香がわざと隙を見せた気がした。
舞香の腕を掴み、相手の舞香は勝利を確信したかのように異能力を発現させた。
瞬間ーー。
「な、どうして……!?」
そこに広がっていた光景は、片足を亡くし無様に床に倒れ伏す舞香……相手の舞香。
「私は沙鳥や仲間のおかげで強くなれたのよ。沙鳥たちを守るために、異能力は変わったわ」
「な?」
「私はね、本気を出せば時空間を転移することができるのよ」
舞香は言う。
腕を捕まれた過去の時空に転移し相手の舞香の足に触れて転移させ、時空間が戻るとその過去の結果が今に繋がると……。
異能力の世界の重力を操る敵に強襲をかけられたとき、舞香は仲間を……沙鳥たちを救う一心で、無理して限界を突破し奇跡に近い力で仲間を救いだしたことがあった。
あのとき、舞香の力が覚醒しなければ、仲間もろとも全滅していただろう。
「あなたはね……覚醒剤なんかやめて、沙鳥に頼ればよかったのよ」
「あは、あははは……悔しいわ……」
「残念だけど、あなたじゃ沙鳥の隣に立てない」舞香は沙鳥を見る。「沙鳥を愛しているのはーー私なんだから」
舞香は最後に告げると、瞬間、相手の舞香はバラバラに分裂した。
(352.)
ゆきは錯乱している相手のゆきの突きを、自身の突きで防ぐ。
互いの力量は、舞香たちとは違い等価のはずだ。
激しく、重く、早い攻防がつづく。
「あなたを殺せば、私が助かる」
「私を殺しても、あなたは救えない」
両手と両手の手のひらを絡ませながら、ちからを互いに注ぎギリギリとからだを揺らす。全身を震わせる。
と、ゆきが舞香みたくわざと隙をつくった。
相手のゆきがゆきに飛び込み正拳突きをくわらす。
「かはっ!」
息を吐き、ゆきはーーそれでも相手のからだに強く抱きつきーー首筋を噛み千切った。
「ぐぅう!」
相手のゆきは痛みのあまり距離を取る。
ゆきは腹部を抱えながら、距離を空けるものかと一気に相手の懐に飛び込む。そして再度突きを放つ。当然相手のゆきは腕でガードする。が……。
「なっんで!? ーーッ!?」
相手のゆきの腕にゆきの突きが衝突すると、ミシミシと音を立てるとそのまま鈍い骨を砕いた音が響く。
そのままゆきは相手の腕を、先程よりも強い力で噛み千切る。そして食う。飲み込む。
痛みでふらふらとゆきは後退する。
「な、な、なんで……?」
「……私はみんなと一緒に食事をしてる。幽閉されていた、頃の私と違って」ゆきは言う。「普通の食事、舐めちゃいけない。私は幽閉されて絶望しガリガリだったあなたとは違う。その差、だよ?」
「仲間仲間仲間ーーうるさいんだよぉおおっ!」
相手のゆきはゆきに駆け寄る。それは私から見ても年相応の速さでしかない。
ゆきは待ち構える。
ちょっとの差が勝敗を決することもある。
その差で相手の血肉を貪ったゆきに、相手の拳は届かない。
互いの突きが激突する。
相手のゆきの拳だけ砕け散る。
ゆきは相手の腹部にちからを込めた突きを穿つ。
ゆきは、相手のゆきはーー腹部にポッカリと空洞を空け、血を吐きながら、壊れたマリオネットのように地面に崩れ落ちた。
「澄や、みんなが、いてくれたからーー私はここにいる」
(351.)
瑠奈は相手の瑠奈に対して言った。
「ごめん。わたしはみんなみたく聖人じゃないから、一気に終わらせてもらうよ?」
「うぜーな、舐めてんのか!? てめーもわたしとおんなじ実力だろうが!」
相手は知らないーー。
瑠奈は苦笑する。
「たしかに、昔の自分はキレたらこんな口調だったなぁ……あ、今も変わらないか」
「なに笑ってんだああ!? 舐めてんのかよ? ああ殺すわ殺すわ、地面に潰れたザクロ決定だやったなオイ!」
向こうの瑠奈は知らない。こちらの瑠奈をーー。
相手の瑠奈は詠唱する。
「微風瑠奈の名に於いて 風の精霊を喚起する 契約に従がい 今 此処に現界せよ シルフィード!」
瑠奈は詠唱する。
「微風瑠奈の名に於いて 風の精霊を喚起する 契約に従がい 今 此処に現界せよ シルフィード シルフ」
違和感を覚えたのか、相手の瑠奈はピクリと眉が上がる。
二人の傍に精霊が現れる。
瑠奈の左右には、シルフとシルフィードが。
相手の瑠奈の隣には、シルフィードが。
「な……? なんで、シルフまで使役してるんだよ? シルフはルーナエアウラに奪われたはず……」
「ルーナエアウラ? ああ、雑魚のことじゃん」
「はい?」
相手の瑠奈は知らない。こちらの世界で瑠奈がどのような経緯で仲間になり、どうやって強くなり、どんな努力をしてきたのかーー。
「ーー! シルフィード、同体化!」
相手の瑠奈の姿が、長い緑髪の綺麗かつ幻想的な姿に変わる。
しかし、瑠奈は同体化しない。そう、同体化しようともしない。
「舐めてんのか! ああッ!?」
「いや、べっつに~。でもさ、同体化までしなくても、廉価版のわたしなんて10秒かからず倒せるよ」
「は……? や、やってみやがれクソッタレがぁああ!」
相手の瑠奈は激昂する。
瑠奈は一言、たった一言だけ……唱えた。
「風界」と……。
「は? ふ、風界?」
相手の瑠奈の動きが止まる。
いや、違う。
止まったのではない。止まるしかなかったのだ。
相手はぐらりと体勢を崩し床に座り込み、過呼吸のような状態になり、くらくらとからだを揺らし、そのまま冷たい地面にぐらりと倒れた。
「はっはっはっはっ……な、なに、しや、がっ、たっ……!?」
「単純な話じゃん。この世界の風ーーまあ大気は、すべてわたしの物なんだよ。だから、情けない瑠奈モドキ周辺の空気の窒素濃度や酸素濃度を有毒になるように調整しただけだよ」
「なんで……おまえが……それを……」
単純に、格上の瑠奈に、格下の瑠奈が勝てる通りはない。
「わたしは仲間云々言うつもりはないけどさ、勝てない相手に勝つには鍛えるしかないじゃん。守りたい姫様を守りきるには強くなるしかないじゃん? だからだよ。じゃねー」
瑠奈は風刃で一閃。相手の瑠奈の胴体と頭を切断した。
「自分を殺すって、なんかな~。ってか、キレた自分ってああなのか……少し反省かな?」さてと、と瑠奈は私に目を向ける。「最後だよ?」
わかっている。今も、交戦中だ!
(351.)
杉井豊花が私に向かってくる。私もナイフで応戦しようとするが、当然当たらない。
私のナイフと相手のナイフが交錯する。
「殺す……殺す……! 瑠璃がまだ生きているこの世界を呪いたい!」
「瑠璃とはーーもう恋人同士だけどね!」
「ッ!?」
ナイフを弾き返し、距離を取る。
互いに直感同士なのに、相手のほうがナイフの実力は上だとわかる。
それほど執念を燃やしてきたのだろう。
「おまえに、おまえに……私の気持ちがわかるか! 瑠璃を不意の事故で亡くし、リベリオンズのみんなも、沙鳥の粛清で殺された! 瑠衣や裕璃、家族も仲間もみんな沙鳥に殺された! どうして! どうして沙鳥みたいな悪魔と一緒にいるんだよ!?」
「リベリオンズ? 沙鳥がみんなを殺した? そんなこと、沙鳥がするわけない」
「ふざけるなっ!!」
と、ふと思い返す。
沙鳥は過去にリベリオンズに裏切られた際、リベリオンズのメンバーを皆殺しにしたらしい。なんて残酷なんだとしか思わなかったけど……この豊花は、きっとリベリオンズと先に仲間になったのだ。
そして憎悪が芽生えた。
「愛のある我が家を殺戮するためだけに刀子さんに弟子入りした! その愛のある我が家にはおまえ、この世界のおまえも含まれている! 死ね……死ね!!」
「なるほど、ね……」
憎悪や怒りの根幹がわかった。
たしかに、もしも私が同じ立場だったら同じように恨みだけで行動していただろう。
でもーー。
でも違うんだ。
この世界の私は、愛のある我が家を選んだ。
それが正解だったから、今の私は怒りに囚われないでいられるんだ。
強く、強く、それを実感した。
と、頭痛がはじまる。
このままだとナイフの技術差で敗北する。
ーーその未来が見えた。
隙を見つけて攻撃、カウンターで殺される。
ーーその未来が見えた。
そして、こうする方法で勝てる。
ーーその未来も、見えた。
頭痛が収まるなり、目の前にはこちらをナイフで穿つ直前の杉井豊花がいた。
でも、きみは知らない。
「なっ!?」
私の周囲に炎が逆巻き、刺そうとしたナイフが溶け、そのまま火の渦に杉井豊花が半身まで突っ込んできた。
きみは知らないーー。
ーーフレアのことを!
「ぎゃああああっ!?」
熱さで動作が止まる豊花に対して、私はユタカを呼び目には見えない速度で、どんなに熱い火でも溶けない神殺しの剣を顕現させる。
それを構え、豊花の、絶望している杉井豊花の心臓を、穿ったーー。
「ぁぁ……」
豊花は最後に悔しく泣きながら倒れた。
「私には愛のある我が家という仲間がいる。私には瑠璃という恋人がいる。私には瑠衣やありすみたいな友達がいる。私にはフレアという精霊がいる。私には、切り札となるユタカがある。それらはきっと、そっちの世界ではなかったんだよね? ごめん」
亡骸となった杉井豊花に対して、最後にそう語り終えた。
(352.)
「おみごと!」
と、神が拍手する。
戦いが終わり、沙鳥たちもこちらに近寄る。
「せっかくだし、ボクの本当の姿をお見せしよう」
刹那、神は今まで見たこともないほど美しい白髪をした、美少女とも美女とも呼べる不思議な神々しさを纏った姿に変貌した。
「きみたちは試験に見事合格した。人は成長するということを教えてくれた。これで心置きなく澄と戦えるね?」
「わたしが今まで見たことないくらい神々しい女性ってだけに、心底ムカつく。謝罪として一発やらせろ!」
瑠奈が吠えるが、神は笑うばかりで返事をしない。
「きみたちが選んでいいよ。澄はいつでも戦える。呼び出す方法を教えよう」神はバサッと綺麗な髪を手で払う。「愛のある我が家に所属するメンバー全員が同時に『澄』と唱えたらスタートだ」
「やけにやさしいわね? もしも、永遠に呼ばなかったら?」
「あ、そうか。なら期限は一週間。場所は何処でもいい。何人連れてきても構わない。きみたち全員を亡き者にするまでは他の人間には手を出さない」神はニヤリと笑う。嗤う。「それじゃ、待っているよ?」
神は姿を陽炎のように消した。
『君たちが人間を救う英雄になるか、地球を救うための最初の犠牲になるか。ボクは楽しみにしているよーー』
最後、おそらく、皆の脳裏に神の言葉が反芻されただろう。
ーーなんとなく、なんとなくだが、私にはそれがわかったのであった。




