Episode211╱絶望の輪舞曲
(317.)
風月荘に辿り着いた私たち一行は玄関の扉をガラガラと開けた。
今この狭いアパートには、私をはじめ、沙鳥、舞香、瑠奈、ゆき、朱音、香織、鏡子、みこ、そして本来なら異能力者保護団体に所属しているはずの煌季さんと三日月さん。計11名もの人間がぞろぞろと入り込む
しかし、私は廊下から漂う鉄錆びの臭いですぐさま異変を察知した。
それぞれの部屋の入り口に繋がる廊下に仰向けで倒れたまま、血を流しておりピクリとも動かない雪が、視界に飛び込んできたのだ。
部屋が荒らされた様子はない。
思考なんて唱えずとも察しがつく。
つまりこれは、相手の仲間のひとりが雪をターゲットにした結果だろう。
急いで慌てながら雪に駆け寄る。
からだを触れても人体の体温より極端に低い。
しかも、揺らしてみてもピクリとすら反応しない。
状況が状況だ。今は恥ずかしがっている場合じゃない。
和服の内側に手のひらを入れて胸にあてる。それと同時に脈拍を測る。
しかし、しかし……これではもう……。
「雪さんの、呼吸も、心臓の音も……もう止まっている……」
まるで、もう人生の生きる意味を、役目を、終えたかのようにーー安らかに目を閉じてしまっていた。
せっかく仲間になれたのに、まだ一ヶ月も経っていないのに。ようやく打ち解けられそうな気がしてきたのにーー完全に打ち解けるまえに、ひとりの仲間を失ってしまったのだ。
「三日月さん! 煌季さん! 雪さんを!」
沙鳥は叫ぶような声で、二人へ振り向いて懇願する。
だがしかし、三日月さんと煌季さんは、もう手遅れだと、助からないと言わんばかりに頭を左右に弱々しく振った。
「私たちが助けられるのは、魂がまだ定着している肉体を回帰することができるだけ。残念だけど、その子にはもう……」
「……」
「そう。三日月の異能力が予め施されていたのなら、心臓を穿たれていないかぎり魂を定着し続けられる。でも、何度でも言うわ。この子の魂は既に消えてしまっているわ」
「なんだよそれ……どうしてだれも雪を助けてくれなかったんだ……!」
そう吐き出しながらも、薄々と事情はわかる。
宮田さんは私用で出掛けている。それに、もしもいたとしても、相手が強力な異能力者だった場合、犠牲者が二人に増えるだけだ。
そして、神造人型人外兵器ナンバー3ーーみこは、嫌々ながらも私たちの救援に来てくれた。私たちも瑠奈と共に愛のある我が家に颯爽と立ち去った。
つまり、留守番はすべて雪に託していたわけだ。
たったひとりで襲われて、怖い思いをしただろうな……。
絶望して、死して逝ったのだろう。そう考えると、胸がきゅうっと痛くなる。
ふと瑠奈を見ると、尋常じゃないほど怒りを込めた表情を浮かべている。
瑠奈はここの大家だ。なおかつ雪は女性であり愛のある我が家の正式な構成員ーーつまりは仲間だ。怒るのも無理はない。
さらにいえば、瑠奈は今しがたアッサリと大敗してきたところだ。敵の手のひらの上で転がされていることは我慢ならないだろう。
ギリッと奥歯を噛み締めて悔しさを落ち着かせようとしているーー私にはそう見えたのだった。
「いくら死人とはいえ、舞香さんは救急車の手配をお願いします。おそらく警察からいろいろ訊かれると思いますので、今あったことを洗いざらい伝えてください」
舞香は沙鳥にそう言われて、舞香は亡き者になった雪から距離を置き、そのままスマホを取り出し耳にあてる。
沙鳥は話をつづける。これからの方針についてだろう。
「私たちは、今はまだ相手の組織のメンバーを正確には把握しておりません。一部を除き異能力も判明していません。ですから……」と、沙鳥は私の部屋に入るなりちゃぶ台に紙を乗せた。「現時点で把握できている敵対組織のメンバーの情報を書き出していき再確認しましょう」
「……今すぐぶちのめしたいけど、たしかに情報は必要だもんね……」
瑠奈の震えている口調で理解できてしまう。
本心では、今すぐ襲いかかってきた敵を皆殺しにしたいと考えているのだろうことがわかる。
だが、今回ばかりは瑠奈も情報収集に反対も反論もしない。
そりゃそうだ。
フレアの力を借りた私と、シルフィードの力を行使した瑠奈の二人がかりでも、詠唱も同体化も澄に見せた切り札も使わずに、意図も容易く二人ともやられてしまったのだ。
まるで赤子の手を捻るように……簡単に。
絶対的な暴力には策がなくては勝ち目がない。いや、策があろうと立ち向かえるビジョンも浮かばない。
瑠奈は羽咲の力を身を以て体験したばかりなのだ。
それに、煌季さんや三日月さんがあの場に来てくれなかったら、座して死を待つのみに陥っていたかもしれない。
「鏡子さんは異能力を以て見たことのある襲撃してきた奴らの位置を探索して動向を探ってください。この近辺に近づいてきたらすぐさま叫ぶように襲撃を皆に知らせてくださいね?」
「……は……はい……頑張ります……」
鏡子は床に体育座りの格好になり、目線を畳に向けた。
「次は香織さんの仕事です。内容は今回ぶつかった敵対組織のメンバー全員の顔写真と、相手の能力や名前などなるべく細かく情報収集を願います」
「わ、わわわわかりましたっ」
「サーフィイスウェブは勿論、ディープウェブやダークウェブといった特殊なブラウザでしか閲覧できないサイト群や掲示板などを隅々まで調べるのと同時に、ネットフレンドから目撃情報を集めてください」
「え……で、でも、顔がわからないと、ちょ、調査もできないのでは?」
「だからこそ、まずは相手の顔写真を探ってください。それらしき写真を見つけたら逐一私に見せてください。襲撃してきたメンバーの顔と合ったら、その集団は確実に黒ですので、そしたらさらに情報を追及してください。よろしくお願いします」
「はひ、いえ、はは、はい! わかりました!」
香織は言われるがままに、許可なく私の古いノートパソコンを弄り始めた。
と、救急車が到着したのがサイレンの音が木霊してわかった。
「舞香さんは雪さんに同行してください」
「わかったわ。それじゃ、きょうは遅くになりそうだけど仕事なんだから許してね」
救急隊員が中に入ってくる。
息をしていない! 等と慌ただしくしながら、雪を担架に乗せて玄関から出ていった。
同行者を求められ、予定どおり舞香が挙手し着いていったのであった。
「さて、煌季さんと三日月さんはしばらく仕事をお休みして、いざというときに私たちが死なないようにしつつ治療するために待機しておいてください。無論、ただでとは言いません。それなりの報酬をお渡し致します」
「お金がもらえるならいい話じゃないの。いいわよね、三日月?」
三日月は煌季さんに頷くという動作で肯定した。
「ただし、私たちにもやることがあるし、一旦は帰らせてもらうわよ」
煌季さんたちはそう言い残し帰っていった。
「さて、まだ役割のない残りのメンバーは、私含めて、瑠奈さん、豊花さん、ゆきさん、朱音さんの五人ですね」
「う、うん。私はなにをしたらいいの?」
私の役割がまだ特に決められておらず、手持ちぶさたになってしまっている。
瑠奈も気持ちは同じらしく、沙鳥の命令をただただ待つばかり。
「今の今まで忘れていたのですが、朱音さんには一度異世界に行ってもらい、すぐさまこちらの世界に戻ってきてください。座標は愛のある我が家の四階ーーアリーシャ・アリシュエールさんが普段寝ている部屋です」
「あっ!?」
瑠奈はハッとし瞼を見開く。
朱音がどこでも異世界に行けるようになったから、私も旧転移魔法円を守る門番として働いていたアリーシャのことを、すっかり忘れてしまっていた。
非常にまずい状況なのではないだろうか?
「相手が気づいていなければアリーシャさんの部屋には用事がないでしょう。逆にこちらのメンバー全員を知っていれば、アリーシャさんは命の危険に曝されるでしょう。ですから、これはアリーシャさんが生きているのを前提とした一か八かのミッションです。結愛さんと結弦さんは奇遇にも実家に帰っているので、後程帰ってこないよう危機が迫っていることを伝えておきます」
「でも、敵対組織がまだいたらどうするつもりなんだ? 言っちゃ悪いけど、ボクは沙鳥以下の非力な人間だ。かち合ったらすぐにやられてしまうよ」
沙鳥は冷静な様相のまま言の葉をつづける。
「アリーシャさんの存在に気づいているのであれば、最初に私たちではなく油断しているアリーシャさんから襲われるでしょうし、アリーシャさんの部屋はアリーシャさんの精霊操術により一見玄関が見当たらないように細工してあるので安心してください。そもそもアリーシャさんを知らなければ既にあの場をあとにしているでしょう」沙鳥は最後に、と注釈を入れる。「もし万が一、最悪のケースーーアリーシャさんが既に亡くなっていた場合は諦めて異能力で転移してください。そもそも、今の貴女の異能力なら、たとえ敵対メンバーがいたとしても、アリーシャさんの部屋まで転移し、撃たれる直前に転移すれば無傷で救出できるでしょう」
「で、でも……あんな化け物ばかりの集団がまだいるかもしれないところに行くのは……」
ウジウジ悩んでいる朱音の背中に、瑠奈は気力を入れるようにやや強めに叩いた。
「大丈夫! 朱音ならできるって!」
「……はぁ。わかったよ。アリーシャとは少なからず縁があるし礼もまだ伝えていない。じゃあ、行ってくるよ」
次の瞬間、寸刻で朱音の姿がパッと消え去った。
愛のある我が家に向かうのだろう。
「さて。ここに残ってもらった瑠奈さんと豊花さん、六花さん、そして私は、現在判明している敵対組織の人物との戦いの中で判明した異能力、可能なら名前を、わかるだけ挙げていきましょう」
「ん」「わかったよ」「はい……」
それぞれが返事をすると、各々が戦ったりして気づいた異能力と判明した名称を記入していく。
それらをまとめると、一から縦にズラッと綺麗な字で書き直した。
表を見てみるーー。
○まつり(恐らくリーダーを務めている)
無数の見えない拳をあり得ない速度で遠距離から飛ばしてくる。なおかつ拳が来る位置を推測してナイフを当てようとしたが見えない拳はナイフを通り抜け肉体のみに必ず殴り付ける異能力者。
○夜鳥
名前を呼ばれていたことから名前が把握できた。自身の瞳を見た相手に、精神汚染とやらを発現させる。様子を見ていると、仲間に対してはプラス効果のある精神汚染も利用できると思われる。
「夜鳥……目を見た瞬間窒息するかもしれないくらい……息ができなくなった……」
ゆきを端から見ていたから、それが真実だと理解できた。
○青海風香
こちらは舞香も沙鳥も会ったことがあるらしく、名字まで知っていた。異能力をつかった姿は見たことがない。そのため、必要以上に警戒する必要もないだろ……う?
「あの、沙鳥……風香ってひと、名字が舞香とおなじなんだけど……会ったことがあるって、つまりはそういうこと?」
「……」
沙鳥は急に押し黙る。
「い、いや。気になっただけだって。単なる偶然だよね?」
沙鳥はしばらく沈黙すると、重苦しく口を開いた。
「詳細は舞香さんにお聞きください。風香は舞香さんの実の姉です。ですが、あのとき死んだはず……。なにはともあれ生き延びたのでしょう。そして、舞香さんにとって風香さんはトラウマ的な存在です」
「それはいったい……」
「さあ、それよりもつづきを見ていきましょうか」
話を逸らされてしまった。
○羽咲・辻・アリシュエール∴フェンリル
名前は昨年朱音から聞いたから覚えている。瑠奈と私が全力で挑んでも意図も容易くあしらわれた、おそらくその組織で、いや、澄に次いで全世界で一番強い、最強と云われている氷の精霊操術師。
「豊花さんと瑠奈さんは手合わせしたんですよね? どうでしたか? いまのままでも勝算はどの程度あるのでしょうか?」
「え……どうだろう? 瑠奈はどう感じた?」
瑠奈は悔しそうに自身の唇を噛む。
「無理。勝算なんて一ミリ足りともありゃしないよ」
「……」
普段は格上の相手に対しても、根拠のない自信で勝てると宣う瑠奈が、まさかのまさかーー今回の相手は瑠奈の力では確実に勝てないと頭のなかで理解できてしまったのだろう。
「まあ、それは追々話しましょう。もしかしたらルーナエアウラさんが倒してくれているかもしれませんしね。さて、次は見覚えがあるでしょう?」
「!?」
これだけは教育部併設異能力者研究所で撮影したらしく、テーブルの上に差し出してきた。
間違いない。私を散々苦しめた諸悪の根源である。
○神無月
どう脱走したのかは今のところは判明していない。異能力は私の直観に特出した異能力を担っている。
「くそっ! どうしてあんな大事件を起こしたやつが相手の組織にいるんだよ!?」
「なにかがあったのかもしれませんね。次からは見覚えのある方かと」
○陽山月光
異能力者ではないが、優れた殺し屋のひとり。人が自ら死を選び絶望して自害する姿を見るのが大の好物。
「陽山……あんたはなにがしたいんだよ!?」
「あの方の信条はあの方にしかわかりません。考えれば考えるだけで沼に入りますよ。そして次の方も写真があります」
そこに映っていたのは、陽山月光と同じくして追跡してきた月影日氷子の姿だった。
○月影日氷子
異能力は自身の恐怖心を錯覚させ多量のドパミンを分泌し無謀だろうと猪突猛進で立ち向かう。正直、他のメンバーより見劣りするくらいだ。
「月影さんがどのような経緯で組織に入ったのかはわかりません。が、やはり異能力者保護団体の人物。情に流されず淡々と殺してくださいね?」
「う、うん……」
果たして、月影日氷子さんと対峙したとして、私は全力で戦い、挙げ句の果てには殺害するなんて行為……私にはできるのだろうか?
「できるできない。やれるやれない。なんて選択肢を与えたつもりはありません。見つけ次第、即行動に移し殺害してください」
「……」
未だに悩んでしまう。
でも……月影さんの仲間は、私の仲間である瑠奈の腹部を氷の刃で貫いたり、舞香さんや沙鳥をぼこぼこにしたり、ゆきの腹部に空洞を空けたりーー今の月影さんは月影さんとは言えなくなってしまっているかもしれない。
どちらにせよ、私に道はひとつしかないのだ。
「で、豊花さんが陽山月光や月影日氷子と対峙していた際にいた少女と女性はどのような使い手だったか観察してくれていますか?」
「……真の力を隠していればわからないけどーー」
○みき
名前を呼ばれていたことから名字までは不明だが名前は判明した。ゆきと等価、あるいはそれ以上の怪力を持つ、おそらく身体干渉系の異能力者だ。
ゆきはみきに負けた悔しさから顔を下へと向ける。
不甲斐ないのはゆきだけじゃない……悔しいのもゆきだけじゃない……。
私たち愛のある我が家の誰一人、敵対組織の一人にも被害を与えられなかったのだ。
悔しい。
悔しい!
やはり沙鳥や瑠奈も、険しい表情をしていた。負けただけとはいえない。大敗北とさえ言える争いの結果だったのだから……。
○高橋夏姫
織川香織の旧友らしかったため、パッとまずは名前だけを教えてくれた。仲間を連れて転移できる異能力者……だと思いたい。まだなにか隠し技を持っていたら、下手したら舞香よりも凶悪になるかもしれない。
○不明
今のところ把握しているのは9人だけ。
だがしかし、実際には雪を殺した単独行動で動いている異能力者が最低でもひとりはいる。もしかしたら、もっと沢山組織の構成員がいるのかもしれない。
「さて、現時点での情報は伝えました」
「そんじゃ、わたしたちはなにしていればいいの?」
「そうですね……相手を見つけ次第に駆逐していく予定ですが、それまでは」沙鳥は少し思考を巡らせるように天井を見上げ口を開いた。「私は大海組や異能力者保護団体、刀子さんやありすさんといった死刑執行代理人、殺し屋の静夜さんなどに連絡を入れて、協力を仰ぎます」
たしかに、既に私たちだけの手では負えなくなってしまっている。
少しでも戦力を集めていたほうが賢明だ。
「じゃあわたしと豊花っちとゆきはなにをすりゃいいのさ?」
豊花っちはやめてくれ……はじめてそんな名前で呼ばれたぞ?
「豊花さんと瑠奈さんは模擬戦をすぐ外に出て行ってください。また、瑠奈さんはそれに加えて、精霊操術師の最奥の最奥にある秘奥技ーー要するに瑠奈さんの隠し技を確実に成功できるようにしてください」間を置いて、今まで無言で傍観していたみこに対して顔を向けた。「あなたにはゆきを鍛えてもらいましょうか」
「どうしてですかぁ。非力な人間なんて下手したら潰しちゃいますよぅ」
「瑠奈さんたちから話は訊きました。あなたは澄さんを助けてあげたいんですよね? なら、協力をお願いします」
沙鳥は珍しく丁寧な所作で頭を下げる。
「わ、わかったですよぅ……ゆきでしたっけ? 早速表に出やがれですぅ……」
ゆきは澄に対してもそうだけど、力関係が上のひとの命令ならほとんど嫌とは言わないのだ。
つまり、ゆきは微妙ではあるが、みこを悪人だとも思っていないのだろう。
「それでは、各自行動開始です」




