Episode19/新規異能力者が多発する日(前)
(41.)
天気模様は雨。
まるで、僕の憂鬱な気持ちを空が代弁してくれているみたいだ。
9月18日、水曜日の朝。
午前10時半ーー。
最寄り駅から降りてしばらく歩いたところにある大通りを進み、僕と瑠璃は異能力者保護団体の施設前にやってきていた。
あれから瑠璃はすぐ眠ってしまったのか、僕の返事がないから寝てしまったのかはわからないけど、なんにせよ、あのまま複雑な気分のまんま朝を迎えることになった。
朝、起床してから何と言葉を交わせばいいのか迷っていた僕をよそに、瑠璃は昨夜のことは夢だったのかと言いたくなるほど何気ない会話を振ってきて、昨夜の話題は一切出してこないまま今に至る。
もやもやした感情が頭を支配して離れない。
しかし、率先して訊く気にもなれない。
「本当は自宅でもできるんだけど、法律がややこしいのよ」
瑠璃はそう説明してくれた。
たしかに、以前もわざわざ診断室だか診察室だかで検査をしたけれど、あそこでやる必要性は僕から見ても感じられなかった。
建物前の左右に広がる車が疎らに停めてある駐車場の真ん中の道を歩いて通り過ぎると、正面入口らしき自動ドアが開き、そのまま僕と瑠璃は二人で中に入った。
目の前奥にあるのは、総合窓口の受付らしきカウンター。
その周辺には、今は誰一人座っていないソファーが相変わらず置かれている。
「ねえ、どうしてこんな、総合病院や大学病院みたいにソファーや椅子が並んでいるの?」
いまは、瑠璃が愛を知らないとか、恋をしたことが一度もないとか、そんなことを考えないようにしたい。
気を紛らわせるために、僕はどうでもいい質問を瑠璃に投げ掛けてしまう。
瑠璃への恋が終わったからといって、男に戻れるわけでもないし、一ヶ月後にはまた生理が来ることも変わらない。
いまは、異能力について気にすればいいだけだ。
なあ、僕?
「え? ああ、それはーー」
瑠璃が答えようとする上から被せるように、受付のカウンター内から声が聴こえた。
「それはですね。異能力者がこれから増え続けると国が早とちりをした名残です」
「え?」
カウンターから答えが返ってきた。
そこにいる声の主は、たしか初めてここに来たときにお会いしたーーそうだ。未来さんだ。
「班長。相変わらず受付でサボっているんですか? いいご身分ですね?」
え?
班長?
「葉月ちゃん? この見た目のときは、色彩ちゃんと呼んでね?」
「この見た目のとき……というか、班長って?」
いまいち二人の会話に付いていけず、反射的に訊いてしまう。
「このひと、私が所属している調査課第2班のリーダー。こう見えてとっくにおばさんなのよ」
「え。おば、おばさん!?」
どこからどう見ても10代半ばにしか思えない容姿や顔立ちをしている、未来さんがおばさん!?
「だから、いまのわたしはピチピチの」
「いいから。異能力検査室借りるからね。あと、誰かひとり貸してちょうだい。昨日連絡したとおり、監視対象の“杉井豊花”の変化に、気になる点が多々見受けられるから」
「はいはい。ああ、ならちょうど、ガミョちゃんが帰ってきているんだけど、呼ぶ?」
「来てるの!? なら私が来る意味ないじゃない」
瑠璃は怒り呆れが混ざったかのような表情を浮かべる
ガミョちゃんて誰なんだろう?
外国人にしても、突飛な、聞き覚えのない馴染みない名前をしてるような……。
「さっき帰ってきたばかりだから仕方ないじゃない。総谷くんと加治木さんも帰ってきてるけど、どうする?」
未来さんの問いに、瑠璃はため息を溢し口を開いた。
「いるなら美夜さん以外に選択肢はないわよ。そもそも私が検査する必要もなくなったけど」
「そんなこと言わないの。異能力特殊捜査官ひとりの独断より二人の判断のほうが確実性は上がるし、ケアレスミスが減るのは海外の異能力者に関する論文でも提示されているの。ガミョちゃんの瞳を使う診断を見学すれば、葉月ちゃんにだって得はあるでしょう?」
んん?
美夜さんとやらと、ガミョちゃんとやらは同一人物なんだろうか?
「……わかりました。美夜さん、今はどこにいるんですか?」
「班の部屋に戻ってるんじゃない? 私が呼ぼうか?」
「なら、そうしてください」
瑠璃はそれだけ言うと、一番近場にあったソファーにドサッと音をたてて座った。
なにやら少しばかり不機嫌なご様子。
恋や愛や情を知らないと言いつつも、怒りの感情はしっかりあるということに、少しだけ疑問を抱く。
「そういえば、未来さん。いまの見た目ってどういう意味……どういう意味なんですか?」
容姿が容姿だから、つい年上だと忘れてしまい丁寧語を崩しそうになってしまった。
未来さんは人差し指を自身の唇に当てる。
「こういうーー」
え?
一瞬、未来さんの姿が二重にブレたかのようにぼやけて見えた。
「ーー意味だ。わかったか?」
視界が朧気になりブレて未来さんが二重に見えた。
一瞬、視力が極端に落ちたのかと勘違いをして目頭を抑え目を瞑った。
まぶたを開くと、十代半ばであった未来さんの姿は、少女からいきなり三十代半ばーーアラサーの女性の姿に成長していた。
「え、ええ? 未来……さん? ですよね?」
つい唖然としてしまい、反射的に疑問が口から飛び出していた。
そこに居るのは、間違いなく、さっきまでの少女姿の未来さんが成長したような姿ーー30代半ばの見た目に変貌した女性だった。
未来さんの面影を残した顔立ちをしているが、三十路過ぎのそこら辺にいそうな小綺麗なおばさんーーと言うのは失礼かもしれない。
けれど、いや、たしかに、うん。
やっぱり普通のおばさんとしか表現できない。
失礼ながら、実年齢より若く見える瑠璃の母親ーー瑠美さんと同年代。いや、瑠美さんよりも歳上に見えなくもない見た目をしている。
「私の名前は未来色彩。異能力者保護団体横浜支部調査課第2班の指揮を担当している」
これは……僕の女体化の異能力に類似する同系統の異能力者なのか?
「異能力がきみと少し被っていると思うか? だが」未来さんは付け足した。「きみとは違って、若い姿と年老いた姿の変身は自分の意思で行使できる」
「なら、僕の上位互換の異能力なんじゃ……」
未来さんは頭を左右に振り、暗にそれは違うと伝えてきた。
未来さんは説明をつづけた。
「だが私は君みたいに、元の容姿の面影が一切ない完全に別人のーーそれも異性の少女にーー元の自分とは完全に無関係な別人の姿になれることはない。あくまで若かった頃の自分の姿に変身できるだけだ」未来さんは言葉をつづけた。「異能力発現時のつかの間だけ、若い頃の自分の姿になれるだけさ」
ーーつまり、きみが思っているよりも異能力の質は大きく異なる。
未来さんは、そういうふうに言葉の末尾に付け足した。
最後に持論を締めくくるように言葉を発した。
「同じ“身体干渉”に分類される異能力者という点以外は、全く別物の性質を持つ異能力だと言っても過言ではないだろうな」
会話に割って入るように、瑠璃は未来さんに顔を向けて口を開いた。
「未来さん、異能力の不必要な使用は控えたほうがいいんじゃないですか? 不適切な乱用とも判断されかねませんよ?」
「べつにいいじゃないか。異能力者保護団体従事者証明書のカードもきちんと持ち歩いている。規則違反にも法律違反にも当てはまらない」
驚きつつも、なんだか希望が湧いてきたと思った。
ひょっとたしら僕も将来、未来さんみたいに自由に、例えば僕なら、男女を選んで変身できるようになる可能性もあるかもしれない。
未来さんが説明してくれた異能力の内容。
ありすが解説してくれた異能力の変容。
少しだけだけど、僅かには違いないけれど、二人の会話内容で要望が叶う可能性もなくはないと思えてきた。
と、そのときーー。
「まったく、非常識極まりないぞ」
施設のエレベーターがある側の通路の奥から、知らない女声が聴こえてきた。
そちらに目を向けると、怪しげな格好をした女性がひとり、こちらに向かって歩いてきていた。
なんだろ?
え、なに?
あの格好……。
魔女っ娘?
なぜか黒いローブで全身を包むように羽織っている女性、いや、女の子か?
身長が僕と同じくらいの女の子。いや、僕より若干高い。
150cmほどの背丈だろうか?
でも、僕より少しだけ背丈が高い程度の小柄な女の子には変わらない。
なぜ、頭まで黒いローブのフードの様な物で包まれ隠されているのに女性だとわかったのか。
単純に声だけではなく、胸のサイズが僕と正反対だからだ。
ローブを介しても目立つくらい、いやむしろ、ローブのせいで自己主張が激しくなっている胸に目が行ってしまうのだ。
つまりはそういうこと。
おっぱいが大きい。
目のやり場に困るくらい。
巨乳に分類されるだろう。
Fカップくらいはあるんじゃないだろうか?
以前、それとなく瑠璃に訊ねたことを思い出した。
あのときは単なる雑談で軽く聞いただけであり、重要だとは思わなかったから記憶の奥底で眠っていた。
漫画やアニメではDカップで過剰に巨乳に描写されているが、実際の巨乳はFカップやGカップ、或いはそれ以上なのだと。
黒いローブが巨乳のせいで、胸から下に流れる布の範囲が広がり、一瞬太っているのかと勘違いしてしまった。
だけど、動くたびに揺れるローブの靡き方を観察するに、巨乳の下、つまりお腹が出ていたりすることはないのだとわかり、標準体型な上での巨乳ということが、視線で追っていたら把握できた。
「美夜さん、またそんな変な格好して……魔女みたいですよ? 久しぶりに会えたかと思えば、まだそんな変な儀式とかやっているんですか? 私、美夜さんのその服装以外見たことがないんですけど」
瑠璃が苦言を呈した。
どうやら、この魔女っ娘こそ、話題に挙がっていたガミョちゃんもとい美夜さんらしい。
美夜さんはフードを捲り上げた。
「変な儀式じゃない。ローブの中身は普段着だ。第一きみだっていつでも制服姿じゃないか。そもそも私は魔女ではなく魔術師だ」
「美夜さんはもう学生じゃありませんよね? うちの学校では、アルバイトなど労働する際には、制服の着用が義務づけられているからってだけです」
アルバイト先で制服から店舗の正装に着替えるのは許可されていますけどーーと瑠璃は反論を終えた。
へ?
なにそれ、初耳なんだけど?
そういえばうちの学校って、無駄な校則がやたらと多かった気がする。
一度生徒手帳を見たときは校則の多さに目眩がしたことがあるのを思い出す。
ただ……先生ですら全ては把握していないほど風化している校則だから、今や誰も守っていない。
けれど、瑠璃はきちんと守っているのか。
「これはボクの正装だぞ? きみと何ら変わらない。第一、小追儺儀礼の最中に呼び出すなんて非常識極まりないぞ、まったく」
「え、しょうついな?」
しょうついなぎれいのさなかに?
言っている用語が理解できない。
というか、まさかのボクっ娘。
自分をボクと称す女の子なんて、現実では初めて邂逅した。
濡羽鴉の様に艶やかでサラサラしている長い黒髪。低い身長に大きな胸。長くて綺麗な睫毛ーーこれでもかってくらい女だと主張しているのに、『ボク』という一人称なのだから、さらに違和感を覚えてしまうのかもしれない。
これがボーイッシュな女の子ならまだ違和感は少ないだろうけど。
「ボクは今、五芒星の小追儺儀礼をして、儀式を行うために場の祓いをしている真っ只中だったんだぞーーと言っているんだ。これがもしも悪魔の喚起や天使の召喚なんかの儀式魔術の最中なら完全に無視していたからな?」
「あの、言ってる意味がよくわからないんだけど……」
わけのわからない専門用語の連続で、思わず疑問を呟いてしまった。
なんだか当たり前みたいに専門用語を言っているけど、僕の異能力に関する知識は初心者同然。
まったくもって理解できな……あれ?
美夜さんという女の子から瑠璃や未来さんに視線を移し、困っているのをアピールした。
しかし、未来さんは深いため息を溢し、瑠璃に至っては『まーた始まった』と呟いていた。
え?
みんな知らないみたいなんだけど?
じゃあ、もしかして、この美夜って人がしている話は、まさか異能力とは一切関係のない話?
「知らないのか? 高等実践魔術の基礎の基礎だぞ。この程度のこと、ボクがきみくらいの年齢には既に学んでいた。少しは勉強したまえ」
いや、いやいや、いやいやいやいや!
今まで生きてきたなかで、一度も聞いたことないから!
いきなり説教されても……だいたい、やたらと偉そうな態度は何なんだ。
第一、きみくらいの年齢ってなんだよ。
美夜さんには僕が中学生、下手したら小学生に見えるかもしれないけど、実際には高校二年生なんだぞ?
瑠璃は、永遠と謎の講釈を垂れつづけている美夜さんに近寄り肩を叩いた。
「美夜さん、それって何の用語? 初耳ですけど」
「ガミョ? カルトにハマるのは個人の自由だから否定はしない。だが今は勤務中だ。おまえのカルト信仰の時間じゃないんだよ。愚痴や文句は勤務時間外に虚空に向かって好きなだけ吐け。今は仕事しろ」
未来さんは若干呆れながらも美夜さんを叱責した。
それに対して、美夜さんは未来さんの表現が気に食わなかったのか小さな唇を大きく開いた。
「カルトじゃなくて陰秘学だ! あとガミョはやめろと何度も何度も言っているじゃないか! ここにいる訪ねし者が勘違いしたらどうするつもりだ? きみたちは異能力のことは認知し実在を疑わないのに、魔術に対しての差別は即刻やめるべきだ!」
「あの……僕のイメージする魔術って、箒に乗って空を飛んだりする存在なんだけど……えっと、美夜ちゃん? いや、美夜さん? が言っているのは、そういうものなの?」
なかなか濃い女の子が登場したなぁと思ってしまった。
アニメや漫画でいくらでも出てくるから“魔術”という言葉自体は何度も見聞きしたことがある。
けれど、もしも本当に空を飛べたりするなら、異能力者と同じくらい魔術師も社会問題になっている筈だ。
「どちらかといえば、それは魔術師ではなく魔女術のイメージだ。だけど不可能でもない」
「えっ!」
マジで!?
「箒なども不要だぞ? ただ星幽体投射をするなりして星幽界に赴けば、自由に、それこそ空を飛ぶことだって可能だ」
「ええ?」
マジで?
頭大丈夫?
と言いそうになり、慌てて思いとどまる。
なんなんだろこの子……。
「そもそも訪ねし者よ。きみは歳上に礼儀がなっていないんじゃないか?」
「いや僕、こう見えても16歳だからさ」
今の容姿から判断したら間違えるのも無理ないけど。
すると、途端に美夜さんは身体をワナワナと震わせ始めた。
「……こ、このボクが、未成年者に見える……だと? ボクが18歳未満だとでも言いたいのか? きみは? ここに来るまえに、きみは先に眼科にでも行くべきだぞ?」
何やら怒らせてしまった様だ。
「えっと……あの?」
「ちょっと。ちょっと豊花?」瑠璃が肩を叩くなり耳元に口を近づけ小声で囁く。「気持ちはわかるけど、あんな見た目でも美夜さん24歳だから」
瑠璃が小声で教えてくれた。
へ?
はい?
24歳?
そんなバカな話……。
「ああ、異能力!」
そうだ、それがあった!
そもそも僕だって14歳以下の少女に見られてしまうけど、異能力なだけであって本来は男子高校生。
自分や未来さんみたく姿を変える異能力者だっ「ボクは異能力者じゃない! 歴とした大人だ!」て……え?
「は?」
「さっきから失礼だぞ!? ボクは正真正銘24だ! 異能力者みたく努力もなしに奇跡を手にしただけの癖して、物質界に直接影響を及ぼせるようなズルい力は持ち得ていないんだからな!?」
ええ?
こんな巨乳ロリみたいな見た目なのに?
「……わかったな?」
「……はい」
ヤバい。なんだか初邂逅から逆鱗に触れてしまったらしい。
そもそも美夜さんだって、僕より口悪いじゃないか。
歳上の未来さんにため口じゃないか。
とは口には出せないけど、さっき、未来さんも含めてきみたちとか言っていたよね?
たしかによくよく見れば、18歳くらいになら……ギリ見えなくもないかも。
……いやいや、実際にはどうだろ?
いま僕が、誰か見知らぬひとに『同級生の美夜ちゃんです!』って紹介しても、年齢が疑われることはないんじゃないだろうか?
高校生ならまだしも、24歳は無理がある。
むしろ、そっちのほうが嘘っぽく感じてしまう。
「ボクの名前は何美夜。現代に生きる魔術師だ」
「いいや? 第1級異能力特殊捜査官のガミョだ。昨日、一人東京に帰ってしまった。つまり、出張も正規も含めて、神奈川県に居る唯一無二の第1級異能力特殊捜査官ともいえる存在だ。頭が少し弾けてるのは勘弁してやってくれ」
未来さんは美夜さんの発言を否定して、おそらく真実だろう紹介をしてくれた。
なんだろう?
凄い肩書きなのかもしれないけど、凄いひとなのかもしれないけど……今のところ格好良いとは微塵も思えない。
威厳だって感じられない。
「未来、きみは耳が腐っているのか? いい加減にしなければ呪術をかけるからな。甘く見るなよ? ボクはなにも魔術にだけ傾倒しているわけじゃない。呪術や呪詛といった類いも、魔女術も占星術も、密教や宗教、心理学だって網羅している。きみひとり呪うくらい容易いんだからな?」
「やめてくれ。カルト教団のメンバーをうちに寄越して私を勧誘する気だろう? やめろやめろ、私は無宗教なんだ。ほかを当たれ」
「そこのヤツが眼科なら、貴様は耳鼻科か脳外科にでも行くべきだ! 耳か脳が腐っているに違いない! なにをどう聞き間違えたら、呪術を宗教勧誘と聞き間違えるんだ!?」
なんだか賑やかな人だ。
『きみ』から『そこのヤツ』『貴様』に変わっていくのが気になる。
でも、なんだか怒っていても、あんまり威圧や威厳を感じられないのはなんでだろ?
と思い美夜さんの怒鳴っている姿を注視してみた。
……ああ、多分あれのせいかな?
「いいから、早く葉月を連れて杉井の状態を見てやれ」
「なんだと!?」
体を動かしているから、顔の下にある大きな性の象徴も仲良く怒ってしまっている。
激しいリズムを刻むように、ばいんばいんと空耳が聴こえてきそうな揺れ方をしている、大きな二つの膨らみ。
でも、なんでか見ていても気まずいと感じない。
ただただ凄いな~という感想のほうが勝る。
見ていて恥ずかしくはならない。
そのときーー。
「ーーおい、色彩」
っ!?
「いやぁぁっ! あ、いや……」
背後から突拍子もなく、低くて凛々しい声質の女声が聞こえ、恥ずかしながら女の子みたいな悲鳴を上げてしまった。
しばらく美夜さんの双丘を観察して目を逸らさないでいたから、このひとの足音に気づけなかったのかもしれない。
……いや。
瑠璃や未来さん、美夜さんも声は上げなかったけど、驚きで目を見開いている。
未来さんと同輩くらいの、長髪を後ろで一本に纏め、眼鏡を掛けている女性が、僕の背後にいつの間にか現れたのだ。
近寄ってくる姿も足音も、まるで察知できなかった。
目の前には確かに“居る”のに、存在感が希薄で気配をまるで感じない。
眼鏡の奥に鋭い瞳が窺える。
最初から居たのか。いつの間にか現れたのか。
それさえも、僕にはわからなかった。
見ているのに『居る』という気配がまるで感じられない。
その女性は、やたらと大きなケースを片手に持っていた。
いや、それよりもおかしなところがある。
腰に刀を差しているのだ。
そんな危険人物が、未来さんに声をかけたのだ。
数秒の間をおいて、未来さんは口を開いた。
「脅かすなよ……なにか用事か?」
「一言断っておいたほうがいいと思ってな。今日から明日にかけて、しばらくのあいだ神奈川県を中心に新規異能力者が多発する。当然、近辺の調査も必要になるだろう。人手を集めておいたほうがいい」
え、異能力者が多発する?
どうして、この女性はそんなことがわかるんだろう?
「刀子……いったいなにを始めるつもりだ?」
「例の契約に従うだけだ。不服だが仕方ない。それに、奴らには個人的な借りもあるからな。借りは返すのが信条だ。ーーそこの子らには伝わらないだろうが、おまえには言っている意味がわかるだろう?」
刀子と呼ばれた女性は、僕と瑠璃を見ながら言う。
なんだろう?
何処かで名前を耳にしたような気がする。
未来さんだけでなく美夜さんも理解できたのか、なにやら渋い顔をしていた。
「新規異能力者が頻出する理由に繋がる……? まさか、決裂したのか? ここらにある規模がデカイ異能力犯罪組織は二つしかない」
大規模な異能力犯罪組織が二つ?
記憶を手繰り寄せる。
ああ。そういえばありすから“愛のある我が家”という異能力者の犯罪集団と、“リベリオンズ”という異能力者の反国集団の話を聞いた覚えがある。
「ああ、そういうことだ。敵の敵は味方、とはよく言ったものだ。まさしく今の状況を指す言葉だろう。今回に限って言えば、例の契約は損ではない。むしろ得だとさえ言える。今日から“ここ”に仇なす連中は、偶然、揃いも揃って皆行方不明となる。一生、行方不明のままさ」
ああ、そういえば、ありすが言っていたじゃないか。
今さらながら思い出した。
静夜とかいう殺し屋も言っていた気がする。
ありすは『刀子師匠』とたびたび言っていたし、静夜も『刀子さん』と口にしていた。
ヤクザやマフィアよりも恐ろしい存在だとありすが言っていた“刀子師匠”なる人物が、いま僕の目の前にいるのだ。
「引き受ける以上は尽力する。おそらく失敗はないだろう」
「失敗=死に繋がる仕事だからミスは許されないーーとおまえの弟子は言ってなかったか? というより、刀子からしくじったなんて話聞いた覚えないから確定か。こりゃ忙しくなるな……」
未来さんはため息を溢す。
美夜さんがそれに対して心底面倒だと言いたげな表情を浮かべた。
「きみはまだいいじゃないか。高杉が東京に帰っているから、ボクはひとりで川崎に行き横浜に戻って、三浦半島ぐるりと回り湘南海岸を横目に茅ヶ崎や相模原、すべての市区町村を旅するんだぞ? 高杉はしばらく休むって言っていたんだろ? 高杉のヤツを呼び戻してくれたまえ。リハビリとでも言って連れてくるんだ」
「何のリハビリだよ……高杉が可哀想だろ……。それに聞いたか? あいつ、教育部併設異能力者研究所と異能力者保護団体に対する疑心から来る心の病も負ったんだとさ」
美夜さんと未来さんはなにか察しているのか、愚痴を言い合う。
「多分、明日からボク、しばらくのあいだお腹痛くて動けなくなる。有給使う」
「いきなり子どもみたいになるな。無理だ。私も必死に働くからおまえも必ず来い。異能力者保護団体従事者の有給は世間の有給とイコールじゃない。法律は建前だ。実際には使っていいと言われた日じゃなきゃ使えない。暗黙のルールがあるんだよ、知ってるだろ?」
美夜さんは深くため息を吐く。
未来さんと美夜さんは、ゲンナリした表情を浮かべたまま心底かったるいとでも言いたげな雰囲気を醸し出している。
なにかが引っ掛かる。
異能力者の現れる理由を、未来さんと美夜さんはわかっているような気がした。
いまの会話のなかに、異能力者が現れる理由なんて一見なさそうに感じるけど……自身の聞いてきた話と経験から、なにかが繋がるような気がしてならない。
「必ず成功すると断言できる事なんてありはしない。それに、どうにもならないことは私にだって幾つもある。しくじりそうな依頼は最初から受けない。ただそれだけだ」
刀子さんはそれだけ言うと身を翻し、外へと立ち去っていった。
立ち去るのを見送った瑠璃は、すぐに未来さんへ顔を向けた。
「あの、私には言っている意味がわからないんですど、さっきのひとと未来さんは知り合いなんですか? いったいなにが?」
「ああ、うん、まあ……昔馴染みの腐れ縁。古い友人だ。それより二人とも、早く杉井の検査をしてやれ。いつまでも待たせたら申し訳ないだろう?」
腑に落ちないが、今の僕にはなにも言えない。
瑠璃はちょっと訊いただけで、それ以上追及することを早々に諦めた。
あまり興味がないのかもしれない。
美夜さんはなにかを知っているからなのか、さっきまでごちゃごちゃ言い合いをしていたのに、未来さんから命じられたとおり素直に僕と瑠璃の手を掴み『行くぞ』と引っ張る。積極的に検査を終わらせようという意欲が見てとれた。
まるで、面倒事はさっさと済ませて、ほかの何かの準備をしようとしているように思えた。
そのまま僕たち三人は、前回と同じ『検査室』に向かうのだった。
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