Episode209╱過去の怨嗟、絶望の襲来
(314.)
「愛のある我が家に行く準備できたけどーーって、瑠奈はなにをしてるの?」
自室で着替えが終わったあと瑠奈の部屋に行くと、瑠奈はテーブルの上に『メチルフェニデート徐放剤』と書かれた薬のシートを並べていた。
瑠奈が薬なんかを持っているとは珍しい。鎮痛剤かなにかだろうか?
「覚醒剤に依存するよりはマシ……覚醒剤に依存するよりはマシ……」
「ちょ、ちょっと瑠奈? それどうしたのさ?」
瑠奈はハッとこちらに顔を向けると、出していた薬をいそいそとポケットにしまった。
「べつに……ただ、碧はああ言っていたけど、わたしの知る限り覚醒剤を自力でやめられたひとは舞香以外に見たことがない。それに、舞香だって昨年までたびたびスリップしていたし」
「それと今の薬に何の関係が?」
「……わたしは覚醒剤をやめさせる手筈なんて知らない。だから、もうさ、どうしたらいいんだろうって……最初に碧が覚醒剤を使っちゃった日からずっと考えていたんだよ」
瑠奈はポケットにしまったメチルフェニデートを取り出し私に手渡してきた。
「こんな方法しか思いつかなかったんだよ」
「え? なにこれ、覚醒剤依存症の治療薬?」
「違う。覚醒剤」
ブッと噴き出してしまった。
覚醒剤……はぁ!?
「ちょっとちょっと! 覚醒剤を渡してなにがしたいのさ!?」
「覚醒剤は覚醒剤だけど違法薬物とは違う、病院で処方される覚醒剤に酷似した作用を持つ治療薬だよ。その徐放剤。本来はADHDの患者やナルコレプシーの患者に使われる薬なんだ」
「どうしてこんな物を……」
「豊花が碧に渡しておいてくれない? これをあげるから覚醒剤はもう二度と使わないでって伝えて」
メチルフェニデートのカプセルを見つめる。
つまり、合法の覚醒剤ーー。
でも、瑠奈は碧に睡眠薬さえやめてほしいと言っていたはず……。
「瑠奈が渡せばいいじゃないか。さっきだって渡す暇はあった。どうして私に頼るの?」
「わたしはまえに乞われたときに断っちゃったし、怒った手前、渡しづらいよ」
「だいたい覚醒剤の依存を覚醒剤で防ぐなんて間違ってる!」
「そんなことわたしにもわかってる! わかってるんだよ!」瑠奈は涙目で叫ぶ。「でも……でも、次から覚醒剤を使ったときに碧は絶対に隠す。なら、せめて違法じゃない薬で我慢してほしいんだよ……」
瑠奈の考えは理解できる。
でも、私はーー。
瑠奈にメチルフェニデートを返した。
「……豊花?」
「私にはわかる。わかるんだよ。直観で。碧はもう二度とやらない」
「どうしてそんなことが豊花にわかるのさ!?」
怒鳴る瑠奈に指先を向け黙らせる。
「私の異能力の説明、したことなかったっけ? 私は直観、思考、感情、感覚と唱えることでその精神を極端に鍛えられる。そのうち直観に関しては口にしなくても常に研ぎ澄まされている。波はあるけどね。そして私の直観は外れた試しがほとんどない。その直観が告げているんだ。だから、もう碧には別の薬物なんて要らない」
「……わかった。ひとまず豊花の言うことを信じておく」
「うん」
瑠奈の興奮が落ち着いて一安心する。
そんなことより、今は沙鳥の話を聞きに行くのだ。
「瑠奈、愛のある我が家まで行こう」
「ん。時間ないから飛んで行くよ」
瑠奈と風月荘から外に出て、瑠奈の近場に寄る。
ふわっとした浮遊感に次いで空に浮く。
何度目にもなる飛行にはもう慣れてきた。当初のような恐怖感がいまはない。
(315.)
「あれ? 窓が開いてる……」
瑠奈は愛のある我が家のある場所まで辿り着くと、いつも皆が集合する部屋が開いていることに気づく。
そこに目をやると、急に心臓がゾッとした。
なにか……なにかがヤバい気がする!
「瑠奈! このままベランダから部屋に突入して!」
「ん? まあいいけど」
勢いよく上空からベランダへと下り、中を確認する暇なく窓へと乗り込み着地する。
そこにはーー。
「舞香!? みんな!」
「豊花さんと瑠奈さんーー?」
床に倒れている舞香とゆきの姿。舞香に近寄って玄関側を睨む沙鳥。部屋の隅には鏡子と香織が震えて佇んでいた。
「おまえら誰だよ」
瑠奈が目の前にいる見慣れない三人と“見覚えのある一人”の計四人を睨み付ける。
「ーールーナエアウラ……じゃありませんわね? あなたこそ誰?」
瑠奈に対して口を開いたのは、澄が殺した筈の氷の精霊操術師ーー羽咲・辻・アリシュエール∴フェンリル。ルーナエアウラより上に位置する元魔女序列一位の姿。
「きゃは! こいつら二人とも愛のある我が家だよーん! まつり嫌いだからボコボコにしちゃうゾ!」
その右隣にいるのは、栗色の肩まで伸びた髪を左側に纏めたサイドテールの女性ーー自称まつりと口にした。つまり……沙鳥の言っていた敵!
「貴女のそのふざけたしゃべり方、耳に障るわ……」
背後には長い黒髪、長い睫毛の16歳ほどの少女。光が差さない深淵より暗い瞳でジッとこちらを見ている。
その隣には、どこかで見たことのあるーーいや、見たことはないが、舞香に酷く似ている女性の姿があった。
「!?」
私は咄嗟的に背を伸ばし背後に一歩下がった。
下から拳が来るーーそう直観が囁いたからだ。
目の前の空気が分散する。なにも見えないが、たしかにそこに拳は通過したのだ。
「へえ……まつりの拳を避けるなんてにゃー。やるにゃん!」
「だから……おまえらいったいなんだってんだよ!」
瑠奈が叫びまつりに一気に接近した。
しかし、左に佇む羽咲が腕を伸ばしまつりへの射線を妨害する。
「あのね、私はあなたのお仲間の澄とやらに復讐しに来ただけ。あなたみたいな雑魚」羽咲は手を払う。「とっとと消えなさい」
「なっ!?」
勢いよく駆けていった瑠奈に氷の空気が襲い掛かる。
急に動きを止めたかと思えば、ひっひっと苦しそうに呼吸する。
羽咲はそのまま流れるような動作で瑠奈の腹部に掌底を叩きつけた。
「かはっーー!?」
瑠奈は胃液を吐き出しながら、ベランダへと押し飛ばされ無様に倒れ伏した。
おかしい!
瑠奈の周囲には風の鎧が纏い付いているはず……!
なのに羽咲は、まるで意にも介さないように瑠奈の腹部に触れたのだ。いや、明確に殺意を持って叩きつけたのだ!
来るーー!
再びまつりの目視できない拳が幾多にも襲いかかってくることが直観でわかった。しかしーー。
避けるためにするべき行動が頭に思い浮かばない。
今まではこう避ければ大丈夫、こうすれば避けられる、こうやれば防げるーーその直観が働いたのに、今回はそれが働かない。
「さあ、全力で殴り付けるにゃよ~? まつりに逆らうのめっ! だぞ! あははははははっ! あはっあははっ! あひゃひゃひゃにゃにゃんにゃーん!!」
「なにをーーぶっ!?」
見えない拳がからだが反応できない速度で30発以上まとめて叩きつけられるのを察した。
左右からのフック、正面からのジャブ、ストレート、下からのアッパー、顔面狙いのパンチ、手足を狙った拳の叩きつけーーそれらが今まで対峙してきたどのような相手よりも素早い速度、なおかつ一撃一撃が重い威力で襲いかかってきた。
舞香の蹴り、陽山の蹴り、半グレの拳、ありすや静夜のナイフ攻撃ーーさまざまな攻撃を避けてきた私は察してしまった。これはその人らよりも圧倒的に早い!
しかも……目に見えない!
直観がまるで働かない!
つまり、これは避けるための手段がない!?
「ぶっ! あっ!? ぐぶっ! ぐふぅっ! げぇっ……ぶっ!?」
拳が全身の至るところに、まだ終わらないのかと言うほど殴り続けられ、意図も容易く弱った私は、普段なら避けられたかもしれない最後の一撃のアッパーに飛ばされ、瑠奈と同じ辺りまでだらしなく、廊下を跳ねるように滑りながら仰向きに倒されてしまった。
「仲間に引き入れた暗闇の言う通りだったにゃー。あんたと似た能力だから弱点を教えてもらったにゃよ」
「くら……やみ……?」
「あんたたちには神無月って言ったほうがとおりがいいかもしれにゃいねっ?」
神無月……神無月!?
え……あいつは教育部併設異能力者研究所にいるはずじゃ……!
「豊花さん! 瑠奈さん! ぐぅっ!?」
舞香に似た女性が声を上げた沙鳥を蹴り飛ばし、舞香から無理やり退かす。
そのまま舞香を何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度でも思い切り蹴り飛ばし始めた。
「死んだと思っていたでしょう? バカな妹には教育が必要ねぇ? 私をコケにしたこと忘れたと言わせないわよ?」
舞香は床に踞りながら、今にも死にそうなほどか細い声で「死んだはずじゃなかったの……風香……姉さん……!」とだけ言葉を捻り出すが、再び風香とやらに強く蹴り飛ばされ言葉すら発しなくなってしまう。
風香……姉さん?
そういえば、昔、少しだけそんな話を聞いたことがあるような……かはっ!
とにかく、現状を打開する方法はなにかないのか?
なにかないのか!?
私が倒れている隣で倒れていた瑠奈が、苦しそうに咳込みながら、口を開く。
「わたしにーーつづいて……」瑠奈はそう伝えてくると、詠唱を始めた。「微風瑠奈の名に於いて 風の精霊を喚起する 契約に従がい 今 此処に現界せよ シルフィード!」
言い出した直後に、私も同時に口ずさみはじめていた。
「我と契りを結びし火の精霊よ 私にとっての光となる炎よ 我にちからを貸してくれ フレア!」
私の横にフレアが、瑠奈の隣にはシルフィードが現れた。
「フレア、いくよ? 同一化!」「同体化!」
私と瑠奈は力を振り絞り最後の言葉を吐き出した。
瞬間、私の体に火が纏いつき、髪の色が赤く染まるのを感じた。体内からの熱が常に周囲に振り撒きはじめる。
瑠奈はモミアゲしかなかった緑色が髪の毛全体に侵食し、髪の毛が腰辺りまで伸び浅緑色に一瞬で染まった。周囲にはきらきら輝く光の粒子が舞っている。姿だけならルーナエアウラと瓜二つだ。
「あなた達は下がってなさい。ハンデよ。あなた方二人、雑魚ごとき、同体化も切り札も使わずに相手をしてさしあげますわ」
羽咲は余裕綽々といった様子で笑みまで顔に浮かべる。
「豊花! 行くよ?」
「う、うん……つっ……!」
先ほど無数に身体中を殴られたダメージで、唇の中を切ったらしい。痛みを噛みしめ耐える。
ぶっつけ本番!
でもーー二人なら倒せる!
マナを一気に巡回させ、私は火の玉を壮絶な速度で羽咲に対して投擲した。
その火の玉の威力を上げるように瑠奈は暴風を相手に向かって放つ。
火が羽咲を包み込むと同時に、瑠奈は痛みに耐えているのか腹部を片手で抑えながら、空いた手で風の剣を俊足で創造し、羽咲に向かって飛ぶように跳び込む。
そのまま剣を薙いだ。
「甘い。甘い甘い甘い。甘過ぎますわよ?」
「なあ!?」
燃え盛る火が辺りに四散する。
羽咲の姿が目視できると、片手の人差し指一本で瑠奈の風の剣を止めていた。
「切り裂け! 炸裂しろ!」
人差し指にあてがわれている風剣が霧散し、無数の見えない空気の刃が羽咲目掛けて炸裂する。
しかしーー。
「ははは、あーっはっはっはっ! あなた、ルーナエアウラより弱いのではなくて?」
風の刃は無の空間から無数に現れた氷の結晶によって、すべてがすべて防がれる。
いつ取り出したのか?
氷の剣を手に持ち、それを風の盾を貫通して瑠奈の腹部に突き刺した。
「へっーー? あ……がはっ!」
瑠奈は血を口から噴出させると、そのままよろよろとした足取りで背後に数歩下がる。
その瑠奈の肩を、羽咲は撫でるように、やさしく触れた。
たったその衝撃だけで、口から血を垂れ流しながら瑠奈は仰向けに倒れた。
「っ! ああああっ!!」
ゆきが瞼を見開くと、一気に立ち上がりまつりに駆け寄る。
今まで背後で傍観していた暗い暗い瞳をした少女が前に躍り出る。
「私の目をみなさい……みすぼらしい子どもだこと」
「ーー!?」
ゆきの動作が唐突に止まる。
まるで、金縛りにかかったかのように。
「私の精神毒性は汚染する。あなたはもう、動けない」
「うっ、くっ、はっはっ、ああーーっーー? ーーーー」
ゆきは息ができなくなったかのように、喉を抑えその場に踞る。
「このっ!」
私はマナを一気に噴出し、闇のような少女に向かって火を放つ。
「私を無視するなってば~だめたゾ?」
右から見えない拳が襲い来る。
背丈を低くし避けたと思いきや、同時に下から見えないアッパーが襲ってくる。
それをギリギリ避けた瞬間、左右前方上下から、あり得ない速度の拳の嵐が襲い掛かる。
避けられーーない!
いくら直観どおりに動いても、肉体の動作が追い付かない。
舞香の蹴りより、半ぐれの拳より、ありすのナイフ捌きより、刀子さんの刀の切り裂きより、圧倒的に越えた速度の見えない拳!
さらに、拳が来る位置を予測しナイフを配置しても、すり抜けて肉体を殴打してくるっ……!
「オラオラオラララララララッ! ひゃっはー! 私ってやっぱりつよいにゃー! にゃーんつって! てへっ!」
ボコボコに再度全身が殴打されまくる。
防ぎようがない。一撃一撃が早すぎる!
全身の痛みで意識を失いそうになる。
最後に掌底が叩き込まれ、私はだらしなく壁まで吹き飛ばされた。
壁に背骨を強打し、痺れから足がしばらく動かなくなる。
「さて、舞香? ダメでしょう? 姉を殺そうだなんて考えちゃ……あのときの恨み、いま返してあげるわ?」
「ーーっ!」沙鳥は最後の力を振り絞るため口内を噛み血を流し立ち上がる。「いや、やめて、やめて!」
「うるさい」
愛のある我が家一戦闘能力の皆無な沙鳥は、風香に簡単に蹴飛ばされ、地面に倒れ伏す。もはや力が残されていないのか、瞳を大きく見開き舞香をただただ見ているだけしかできていない。
風香は舞香の首を掴み苦しそうに踞る舞香を無理やり立ち上がらせる。
「夜鳥ーー力を貸しなさい」
「妹への嫉妬からの怨嗟、醜いこと……まあいいわ。精神毒性ーーあなたに貸してあげる」
長い黒髪の真っ黒な瞳をした少女ーー夜鳥と呼ばれた人物は、振り向いた風香の瞳に視線を合わせる。
すると、風香が舞香の首を締める力が強まった。
「やめ、やめて、やめてーっ!!」
沙鳥の悲痛な叫び声が部屋に響き渡る。
舞香は首を絞められ身動きが取れない。
私は全力を使い果たし殴られ続けたことにより気絶寸前。
瑠奈は腹部に氷の剣を刺され血を吐いたままピクリとも動いていない。
ゆきは夜鳥に不可思議なことをされたあと、喉を抑えたまま地面で苦しそうに唸っている。
沙鳥は何度も蹴り飛ばされ、満身創痍ーー。
鏡子と香織は戦力にはならない上、恐怖で固まっている。
それだけならまだしも、敵は無傷のまま四人が平然と行動している。
風香は夜鳥の不可思議な異能力により力をつけたまま舞香の首を締め。
まつりは見えない超速の拳を無限に撃ち続けられる。私の異能力では相性が悪く対処できない!
夜鳥はよくわからない不気味な力でゆきを無力化する実力者。
なにより、私と瑠奈の本気を手を抜いたまま簡単にあしらった、ある意味澄と同格の最強の精霊操術師ーー羽咲までいる。
絶望的だ。絶望的だ!
この状況を打開する方法はなにか?
直観が囁く。窓から一階に精霊操術で飛び降りて逃走しろと。
直観でわかる。そうしたら私だけは確実に助かるだろう。
でも……でも!
仲間を置いて逃げるなんて……私には無理だ!
はじめて直観を裏切ることになったーー。
「あら?」
風香が無造作に舞香を地面に放り投げる。
「舞香……さん……?」
沙鳥は死にそうになりながら舞香ににじり寄る。
「気づいたら息してなかったわ。もうーー死んじゃったかもしれないわ。はは」
「舞香さん、舞香……さん? ぁぁああああっ!」
「うるさい!」
風香が沙鳥を蹴り飛ばす。
「ざまぁないわね舞香! 確実に! 殺して! あげるから! 感謝しなさい!!」
何度も、何度も何度も何度も何度も風香は舞香を全力で蹴り続ける。
息もしていない真っ青な顔で倒れる舞香に向かって……。
……なんなんだよ?
ーーなんなんだよこれ!?




