Episode193/豊かな生活の規則
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「で? 今さら豊かな生活のルールを決めてるって、どういうことなの?」
柊は面倒くさそうに問うてくる。
それはそうだ。今まで各個なルールなど無いにも等しかったのだから。
手狭な室内には、碧、柊、瑠衣、三島、そして私の五人が密集している。
このぼろアパートの更に手狭な一室。文句が出るのは当然っちゃ当然だろう。
しかし、いくら愛のある我が家の下部組織だからといって、正式なルールをつくることは必要不可欠だと考えたのだ。
「今まではなあなあでルールは厳密には決めていなかった。一応は豊かな生活のリーダーとして、いい加減に豊かな生活内の規則を決めようと思ったんだ」
築うん十年のぼろアパートの更に手狭な室内に、皆を無理やり集めて説明をはじめていくことにしたのである。
今まではルールを厳密に決めてはいなかったからごくまれに発生した不祥事の数々を抑制するためには、愛のある我が家のような規則を決めることが必要ではないだろうかと前々から考えていたのだ。
とはいっても、思い付きで突発的に思い付いたこと。パッと新規ルールが頭におい描かれていない状況。
それでも、三島の先程の行動や柊の起こした数々の不祥事、瑠衣のいまいち理解していない現状、いまにも自己使用しそうになる現状を等々、さまざまな問題を発生しようとするメンバーに対しては、ここらできちんとルールを明確にしなければならないという考えに至ったのだ。
「各メンバーにルールというか、なんというか……たしかに私たちは愛のある我が家の下部団体だけど、上部組織の大海組、その上の総白会、ましてや愛のある我が家に迷惑をかけないように、豊かな生活でもーー厳格なルールとまではいかないにしてもーーきちんとしたルールを明確にしておきたいんだよ」
皆一様に怠い、面倒くさいといいたいというのが表情で伝わってくるが、愛のある我が家という看板を背負っている身として、不祥事を減らすためにはこれしかないと考えに至ったのだ。
だから、いくら面倒くさいにしても、きちん学んでもらわなきゃこちも困るし、万が一、億が一にでも愛のある我が家に迷惑をかけないためにも必要なことだろう。そうやって自分自身を納得させる。
「特に必要だと思った条件は、密売班の二人に対してだよ」
「えー!? 今さら私たちに命令があるの?」
「言われなくてもルールは守っていますよ豊花さん」
碧と三島は自分では品行方正ーーとはいえないが、ルールを守っている自意識がとっくにあるらしい。
しかし、先程の大麻吸引事案と覚醒剤炙り吸引の前科を持っている三島は言える立場ではないだろう。
「規則その一、違法薬物の密売担当は、自分使用をしてはならない」
「そりゃ無理っすよ! 大麻は幸せになるし害も少ない。ナチュラルなライトドラッグですよ? いきなり自己使用を止められてもやめたくありませんよー」
「厚生労働省が大麻は危険ドラッグだって云われているのを知らないの?」
それを聞いて、三島が珍しく、人生であまり見たことのない不快な顔を晒す。
「厚生労働省は嘘ばっかりついているので信用できませんよ。オランダやアメリカの一部州ではとっくに嗜好用大麻を解禁しているんですよ?」
「少なくとも厚生労働省? とやらが嘘ばかりついているのは知っていなくもない。でもね、日本では違法なんだよ。わかる? 現代になり大麻使用罪も違法にしようとする試みは現在進行形で話しあわれているんだよ……」
じゃあ、いったい俺はどうすればいいんですか?ーーと三島は不満そうな表情をする。
「いくつか選択肢はあるよ。海外に渡来して大麻を自由に吸引するか、こっちは可能ならしたくはない選択だけど、とにかく吸うなら人目につかない場所で吸引してほしい。碧は色んな薬物に興味津々なんだ。目の前で吸われたら碧にめちゃくちゃ悪影響なんだ。約束してくれるよね?」
「……わかりました。わかりましたよ。部屋の隅でこそこそ吸っていればいいんでしょ?」
「本当はどこにいようと吸わないでほしいんだけど、豊かな生活の面々、会う機会があるかはわからないけど、愛のある我が家の正規メンバーの前で吸ったりなんかした日には即日破門、いや、絶縁だからね?」
念のために釘を刺しておいた。
大麻がいくら健康や病気にいいと言われようと、その考え方は変わらない。
瑠奈の大麻嫌いにも慮って、特に風月荘内で吸うのは固く禁じさせてもらった。
「でも覚醒剤なら無臭ですし、ここで吸引してもよくないですか?」
「それも禁止。三島がどこまで薬物を扱っているのかは知らないけど、この規則は大麻のみならず、覚醒剤やコカイン、ヘロインやLSD、MDMA、果てや脱法ドラッグ等々、それらすべて豊かな生活の面々では乱用は御法度だよ」
私はやや強めの口調でそう言った。
と、碧が話に割り込んできた。
「つまり、私も隠れて使う分にはいいわけ?」
「よくないよ……碧は病院に緊急搬送された前科があるし、こそこそだろうと堂々だろうと自己使用は禁止にするからね? 沙鳥いわく睡眠薬の類いはいいんじゃないですかーーとは言っていたけど、碧は周りに迷惑かけた張本人なんだから、覚醒剤に限らず睡眠薬や抗不安薬も使っちゃダメね」
そう言われた碧は、妙に視線をキョロキョロさせる。
これはやっているな……と内心思ってしまったが、気にしないように決めた。
覚醒剤を妄りに乱用すること以外だったら致し方ないだろう。
「で、次は碧。三島もだけど三島は既に大学を除籍しているから心配は少ないし、私も既に学生の身分じゃないけど、迂闊にクラスメートに向かって『覚醒剤を密売しているんだー』なんて発言、足がつく可能性があるからこのメンバー間以外で覚醒剤売買しているいう話は口が裂けても言わないように」
「わかってるってー」
なんという軽い返答だ。
本当に理解できているのか怪しさ満点。
特に碧のようにアンダーグラウンドに誇りを持って活動している、いわば裏社会に片足突っ込んだ素人の人間は、無駄に他者にべらべらしゃべり自慢話にする恐れがあるから怖いのだ。
前回だって、学校で覚醒剤の話を振ってきた。宮下は上手く騙されてくれたがーーいや、気にしないでいてくれたが、皆が皆、やさしい人間とは限らないのだ。
「最後に私がつくったルールね。相手が未成年だと判断したら、無視して売買を交わさないこと」
「えー。私だって学生なのに、どうしてダメなの?」
これに関しては瑠奈や沙鳥に言われたことをアレンジして解説することにした。
「未成年者は総じて薬物に対する正しい知識を調べようともしない。だから過去の碧みたく生死の境をさ迷うはめになる確率が大きい。金銭だって親のお金やアルバイトで貯めた金銭を使ったりする。何より、未成年はきちんとした知識を持ち得ていないから、依存症になる可能性も高いんだよ」
「……」碧は数秒無言でなにかを思慮した結果、しぶしぶ「わかった」と頷いてくれた。
「三島も同様ね。相手が未成年だったら迂闊に取引しないように」
「了解しましたっす!」
返答が軽いな~……本当に理解できているのだろうか?
まあ、気にしていても仕方ない。むしろ、豊かな生活に加入以前も大麻を栽培・密売・乱用していた身だから、ここにいる誰よりも売買の暗黙なルールは熟知しているだろう。
「あとは、押し売り禁止。営業電話はいいけど、相手が不要だと言ったら諦めること」
「大丈夫っすよ~。うちが前々から取引していた大麻常連者も、自ら覚醒剤もほしいって求めてくるくらいなんすから」
三島の薬物ネットワークはどれだけ広いのか気になってしまう。
「あのさ、三島の顧客はどれだけいるの? よく今まで逮捕されなかったね?」
頭に降って湧いた疑念を三島に問う。
「ほとんど身内ですし、身内の友達が買いたいっていう場合は仲良い顧客に任せて運搬させているからじゃないですかね?」
なるほど。てっきり大麻も覚醒剤と同様、無差別にばらまいていると思い違いをしていたが、知人あるいは知人経由にしか売買しなかったから、今まで白羽が立つことはなかったのだろう。
「とりあえず密売班のルールを纏めてみると……」
・豊かな生活の面々は売るのは仕事だが自己使用は厳禁。
・未成年者への覚醒剤・大麻の密売は禁止(捕捉 未成年者は素直に購入ルートを自白しがちだから)
・豊かな生活、愛のある我が家正規員の前で薬物の話題は御法度。
・押し売りは厳禁(営業電話もこちらから掛けてはいけない)。
「まだまだルールが増える可能性もあるけど、いまのところ薬物班が守るべき最初の規則ね。一応メモしておいてほしい」
三島は持参のメモ帳に記し、碧は脳内にインプットしたから大丈夫だと宣う。本当に大丈夫なのか……一番心配なのは、覚醒剤経験者・いまにも自己使用しそう等の心配事が頭を過る碧がメモしていないのを見ると、実際にルールを守る気があるのか不安にもなってしまう。
「次は討伐班ーー瑠衣と柊と私に課すルールね」
「討伐班にルールなんて決める必要あるの? いまのところこれといったルールなんてなかったよね?」
「まあ、薬物班の規則制定が一番の重要だから、話し半分に聞いていてくれれば大丈夫だよ」
「ふーん……ま、私はこれまでどおり信条を変えるつもりは微塵もないけど、話し半分に聞いてやってもいいわ」
仮にも豊かな生活リーダーの私に対して、なんてなげやりな返事なのだろうか。
瑠衣を見習ってほしい。女の子座りながらも表情は真剣に聴いていると言わんばかりにこちらに目線を送ってきている。
「こほん……ええと、これまで幾つかの体験を重ねてきたから皆も自然と理解していると思うけど、これは澄が担当していた極悪犯罪者・強い異能力を扱うものと対峙する機会が今まで以上に増えると予測されるんだ。柊には酷かもしれないけど、勝てそうにない相手に対しては不意をつくことにするようにした」
「はぁ!? 不意討ちなんて卑怯ものじゃない! 私は正面衝突したいの!」
「気持ちはわからなくないけど、例えば相手が銃を所持していたり、驚異度A相当の敵が現れた際、真っ正面から突撃していったら即あの世行きだ。以前の外国薬物組織と対峙したときに少しは理解できたんじゃない?」
柊は前例を想起したのか、自分自身の歯がゆさを噛み締めていた。
「死んだら負け、どんなに悲惨でも殺したり拘束したりした勝ち。これは喧嘩とは全くもって違う戦いだから、どんなに無様でも、どれだけ卑怯でも、勝ちは勝ちなんだ。だからこういうルールを制定させてもらったんだよ」
「……」柊は件の戦いを思い返していたのか、何も反論できないまま数秒が過ぎた。「わかったわよ……守ればいいんでしょ、守れば」
さて、討伐班と密売班それぞれの新生ルールを、まだ仮の段階だが制定された。
「で、班別のルールは決まったから、これから豊かな生活に所属するメンバー全体でのルールーーといきたいところなんだけど、まだそれは決めあぐねているんだよ。だから今回の話はここまで。次回はきちんとルールを明確にしておくから」
「はーい」「わかりました!」「面倒くさいわね」「わかった」と皆一様にバラバラの返事をする。
「じゃあ区切りもいいし、きょうは解散ね。川崎から離れているけど、玄関には鍵がかかっていないし、自由に出入りしていいよ。なにせ、私たちのアジトだからね」
それを筆頭に、みんなはそれぞれ立ち上がり、『それじゃ、また』と言葉を残し退散していくのであった。




