Episode192/神の弾丸
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翌日。
廊下に出て洗面所で顔を洗っていると、風月荘の玄関がガラガラと開いた。
「クソッタレ! あのコンビニの店員、わたしに煙草が売れないだと! ムカついたから胸元掴んだら出禁になった! あームシャクシャする!」
それは仕方ない。瑠奈の外見は私以上に幼い。そんな女の子が煙草を買いに来ても普通の神経をした人なら売らないだろう。
瑠奈はソワソワしたまま廊下を右往左往する。
見ているとイライラしてくるが、だからといって私が代わりに買いに行くこともできない。
瑠奈は雪の間の前に立つと、勢いよくドンドンドンとノックをはじめた。
「はい。なんでしょうか?」
「ちょっとさ、雪? わたしの代わりに煙草買ってきてくれない? ロンピね」
「お断りします。いっそ禁煙なさってはどうでしょうか?」
「はぁ!? 大家の命令が聞けないの!?」
喧嘩になりそう……。
「ま、まあまあ……雪さんも面倒なんでしょ?」
「いえ……私は煙草という害ばかりしか脳のない毒物が大嫌いなんです」
「あ……そう」
雪は無情にも扉を閉めた。
「どいつもこいつもわかってない! ああぁああああ!!」
瑠奈は狂ったように頭をかきむしりはじめた。
おいおい、煙草ってどんだけひとを狂わせるんだ?
そのとき玄関が開いた。
「失礼します。宮田健斗ですが……朱音さんにここで住んでもらうと言われたので伺いました」
そこには茶髪のワイルドな髪型をした二十歳前くらいの青年がいた。
「はぁ? 宮田……宮田……ああ。朱音が言っていた神に対抗するための異能力者のひとりか。わたしは大家の微風瑠奈ね。よろしこ」
「は、はぁ。大家さんお若いんですね」
「風の間をつかっていいよ。あと」瑠奈は手を広げた。「ここを通りたけりゃ通行料としてロングピースワンカートン買ってこい」
「ええ……メビウスじゃダメですか?」
宮田は胸ポケットから煙草を取り出し、一本瑠奈に差し出した。
それを引ったくるように奪うと、瑠奈は『舐めてんのか!?』とフィルターをちぎってしまった。
「ちょっ!?」
「こんな軽い煙草吸ったうちに入らねーからフィルターちぎって調節したんだよ! いいから買ってこい! 今すぐ! いいから行けパシリ! おまえきょうから煙草調達係な?」
「なっ! ……わかりましたよ買ってくればいいんですよね? お金くださいよスロット負けて金なくて買えませんから」
「かー! スロカスにヤニカスかよ! これでいいだろ買ってこい!」
瑠奈はポケットからくしゃくしゃになった一万円札を宮田に投げ当てた。
宮田は若干不快な顔をしながらも来た道を引き返した。
瑠奈はライターを取り出し点火しようとライターをカチカチするが、なんと、オイル切れで火が点かない。
「ああぁああああイライラするぅううう!」
「落ち着いてって! ほら煙草咥えて! 私が火を点けるから」
人差し指を伸ばし、そこにマナが集まるイメージをする。そこからマナを噴出させ火の精霊を付与させた。
弱々しい火が指先から出る。
瑠奈はようやく煙草を吸うと落ち着きを取り戻した。
「ねぇ、そんなにイライラするならもう煙草吸わないほうがいいんじゃない? 肺がんや肺気腫になるかもよ?」
「うっるさないなー。これだけはやめられないんだよ、いいからほっといて」
「はぁ」
いくら言っても耳を貸さない。
だいたい、元々異世界にいた瑠奈がどうして煙草なんて好んでいるんだ。異世界にも煙草なんてあるのだろうか?
「あのさ、異世界にも煙草ってあるの?」
「あるよ。シガレットが。まあこっちみたいに肺喫煙じゃなくて口腔喫煙が主流だけど」
「だからか……」
少し待つと、ガラガラと扉が開き煙草をワンカートン手にした宮田が帰ってきた。
「買ってきましたよ」
「ああ。ん? んん? これピースライトじゃねーか! かー使えねー! お使いもまともにできないのか? はじめてのお使いってか? ああ?」
瑠奈は受け取りながらも文句をたらたら溢す。
「いいじゃないですか。銘柄までは。きちんとピースはピースでしょう?」
「クソ。次は間違えるなよ。あとライターくれ」
「……」
宮田は苛立ちを隠そうとせず、乱暴にライターを手渡した。
「風の間でいいんですね?」
「うん。男とおんなじ空気吸いたくないから用事があるとき以外は引きこもっててね。煙草キレたら呼び出すから」
「くそ。なんなんだこいつ」
宮田は風の間に入っていった。
初対面のイメージは最悪だ。私まで仲間だと思われていないよね?
「あのひとが神に対抗できる異能力者なの?」
「ん。刀子たちに協力した異能力者。銃弾を手のひらで握ることで、神すら穿つ最強の弾丸ーー神殺しの銃弾をつくる異能力者らしいよ。あとは産まれ持った特技で、人外が付近にいると察知できるみたい」
「ふーん……神殺しの弾丸か」
ここまで来ると疑問を抱いてくる。
神は私に神殺しの剣を与えた。また、宮田は神殺しの弾丸の異能力を保持している。神は本当に私たちを本気で滅ぼす気だろうか?
もしも本気で滅亡させる気があるなら、わざわざ敵である人類にそのような力を与えるだろうか?
神の思考が次第にわからなくなってくる。
そのとき、またもや誰か訪ねてきた。
「豊花、おはよう」
「こんなチンケなアジトなのね?」
そこには、瑠衣、柊、碧、三島が佇んでいた。
「あんたの仲間の嵐山沙鳥ってやつから、豊かな生活のアジトはここだって教えてもらったから顔出しに来たわよ」
「瑠奈様~!」
碧は瑠奈にひしりと抱き着く。
「おーよしよしかわいいね~。そろそろやらせてくれないかな?」
「すみません、私、きょう生理なので……でも、いつでもいいですよ!」
「やっぱりわたしの見込んだ女の子だ! 生理が終わったらまた来てよ。てか処女だよね? ね? 野郎の汚いものぶちこまれたりしてないよね」
「はい!」
「えらいえらい!」
うーむ、二人の会話を聞いていると頭が痛くなってくる。
だいたい処女かどうかなんてわからないだろう。女同士で血が出るかわからないし、そもそも初めてでも出血しない女性だっているらしいじゃないか。自己申告制じゃ嘘吐かれたらそんなことわからなくなる。
「はえー。蒼井さんレズだったんですか」
三島は興味深そうに話に割り込む。
「その略し方嫌い。レズビアンかビアンにして」
「え? あ……はい」
瑠奈の謎な拘りに対し、三島は頷いた。
「あ、そうそう。豊花にもこれ、渡しとく」
瑠奈は急にポケットから『愛』と一文字書かれた小さな銀色のバッジを取り出すと渡してきた。
「なにこれ?」
「これから無用な争いが起きないようにそれを胸に付けとくんだって。愛のある我が家を知っている奴に対して、『わたしは愛のある我が家の正式な構成員です』ってアピールしておくことで、無闇に手出しできないように牽制する効果があるって言ってた」よく見ると既に瑠奈は右の胸元にバッジを着けていた。「わたしたちは正式には暴力団じゃないし、警察にも許可を得たから脅迫には当たらないんだってさ」
「へー」
たしかに、暴力団関係者は相手に威圧感を与えないため、組のバッジを着けていると脅迫でお縄になると聞いたことがある。でも愛のある我が家はそれを逆手に利用して、脅迫することで無用な争いを減らすのに使うと。
「いいなぁ。私も瑠奈様とおんなじのを着けたいです」
「ごめんね? これは愛のある我が家の正式なメンバー以外は装備しちゃダメだってきつく言われてるんだよね」
碧は心底残念そうに俯く。
だが、すぐに顔をあげると、今度は瑠奈の吸っている煙草に目をやった。
「じゃ、じゃあ瑠奈様と同じような煙草、吸ってみたいです!」
「お! 話がわかる女の子だねー。これに目を付けるとはセンスがいい! はい、一箱あげる」
瑠奈はカートンから一箱取り出し碧に手渡した。
「ちょっと瑠奈! 碧はまだ17歳、未成年だから喫煙はダメだって!」
「そんなのこの国が勝手につくった法律ーわたしには関係ないー」
「だいたい瑠奈は覚醒剤を使った碧をめちゃくちゃ責めたよね? 薬物に手を出すなって言ったよね? なのにどうして煙草だけいいの? おかしくない? 煙草の依存性は覚醒剤以上だって説もあるんだよ?」
その話の真偽のほどが気になっていたけど、先ほどの瑠奈の態度を見ているとあながち間違いでもないんじゃないかと思えた。
「豊花は黙ってて。瑠奈様、どうやって吸うんですか?」
「こう口にフィルターを咥えて、火を点しながら吸い込み肺に空気を入れるの。で、吐き出す。これだけ、簡単だよ」
瑠奈はライターを碧に手渡した。
私が瑠奈に吸わされた光景がフラッシュバックする。
まずい。
「すー……!? ケホッケホッ! ケホッ! はぁはぁ、ケホッ! な、なんなんですかこれ? 頭がくらくらしますよ瑠奈様ー」
碧は怠そうにその場に座り込んでしまった。
「誰でも最初は咳き込むもんだよ。それを繰り返すうちに喉が煙草に慣れて咳き込まなくなる。最初は耐えるんだ。煙草の世界へゴー!」
「は、はい。鍛えます! 私、喉、鍛える」
瑠衣みたいなしゃべり方になってしまった。
あーあ。未成年に煙草奨める瑠奈には、覚醒剤を乱用した碧になにも言えないじゃないか。
碧はしばらくキツそうに煙草を吸っては吐きそうな咳をし、それを繰り返した。
「ところで、碧たちはなんでここに来たの?」
「わ、私は瑠奈様に会いたくて、ついでに覚醒剤の売上を豊花に報告しに来ました」
「愛のある我が家産の覚醒剤、仲間に大好評っすよ! 俺も試しましたが効きがクリアでガツンとスマートに脳に来ます」
三島……やっちゃったのか。でも口振りからして前々から覚醒剤はやったことがあるんだろうな。
「ちょっといいですか?」
三島は煙草を取り出すと火を点け……くっさ!
「なにその煙草!? めちゃくそ臭いんだけど」
「ちっちっち、煙草じゃありません。ウィードっす。大麻っす」
「ごらぁ! そんなうんこ臭いもの家で吸ってんじゃねーぞ! てめーのしてることは他人の家にクソ擦り付ける最低の行いだ! わたしは覚醒剤より大麻のほうがさらに嫌いなんだよああ!?」
「ひどいっすよ! 大麻は覚醒剤と違って癌を改善するし鬱病とかにも有効なんすよリラックス効果もありますし」
「んなことどうでもいい! とにかくくせーんだよ! てめーは野郎だし廃人になってもどうでもいいけどよ、周りを巻き込むなようんこ野郎!」
うーむ、さすがは裕希姉が脳内大麻畑と言い捨てたひとだ。ノーモーションで大麻を吸うとは。
「大麻にはいろいろな銘柄もあって、一部の国では合法ですし」
「言い訳なんかどーでもいい! いいから早く家から出ろ!」
「わかりましたよ。じゃあこっちならいいでしょ?」
三島は大麻を携帯灰皿に捨てると、ガラスパイプを取り出し、中に覚醒剤の綺麗な結晶を入れた。そしてその場で炙り始める。やがて気体になった煙を三島は気持ちよさそうに吸い込んだ。
碧がギラギラな瞳で隣からそれを見つめる。私も、といまにも言い出しそうな勢いだ。
「こんのクソ薬中が!」
「ぷはー。さすが愛のある我が家産、回りが早い! ちんこがすぐに縮まりますよ。だって臭いが嫌なんですよね? だったら無臭の覚醒剤ならいいじゃないですか」
「あのさ、三島? それ売り物だよね? 売る側はやらない、が私たち豊かな生活のルールなんだけど」
まだ明確な規則はつくっていなかったけど、碧が自己使用しないためにもこのルールは必要だろう。
「豊花さん違いますよ。これは俺が自分から購入した覚醒剤っす。きちんと料金支払ってますよ? それに注射じゃないから危険性もまだマシっす」
「いや、これルールにするから。せめてやるなら人前はやめてコソコソして。碧に悪影響だからさ」
「わかりましたよ……豊花さんに頼まれちゃ断れません」
三島はしぶしぶガラスパイプをしまった。
碧は未だにソワソワしてしまっている。舞香を窘める沙鳥って、こんな気持ちなのだろうか?
「かー。薬物なんて本当に下らない。覚醒剤にしろ大麻にしろ煙草にしろ、自分の体痛め付けてるだけじゃない」
柊は呆れた口調で呟く。
今回ばかりはもっと言ってほしい。
「仕方ない。ちょうどいいし、きょう豊かな生活の正規の規則をつくろうか」
私は、瑠衣、碧、柊、三島の四人を部屋に連れていくことにした。




