Episode01/異能力者(前)
(01.)
「豊花ってば、どうしたの? いきなり……顔色悪いよ?」
隣に並んで歩く幼馴染みーー赤羽裕璃は、突拍子もなく衝撃的な言葉を口から放った。
そのせいで、僕はしばらく呆然としてしまう。
現実を受け入れまいと脳が頑張っているのか、どういう意味の言葉なのか、認識するまで時間がかかってしまった。
「もう、豊花ってば、聞いてなかったんでしょ? 実は私、彼氏出来ちゃいました! わー、パチパチ!」
秋だというのに、いや、9月の上旬はまだ夏だろうか。
そのせいか、やたらと汗をかいてしまうのは……。
そんな残暑の暑さを気にも留めず、裕璃は喜びをアピールしたいのか、わざとらしく拍手までし始める。
「あ、そ、そうなんだ? へ~……」
「なんだか元気ないね? 大丈夫、豊花にもいつか彼女できるって! 頑張れ!」
強く背中を叩かれる。
……違うよ、裕璃。
僕はずっと、きみのことが好きだったんだ。
昔、僕を苛めから助けてくれたときから、ずっとーー。
それなのに、きみからすると、僕は単なる幼馴染みというだけの存在だった。
その事実が、酷く、僕を苛む。
いつか彼女と付き合いたい。
そう考えていた。
仲の良さから、そうなるものだとさえ考えたこともある。
僕はずっと、思い違いをしていた。
「早く歩かないと遅刻しちゃうよ? ささ、歩いた歩いた!」
「う、うん……」
ずんと悲しい気持ちが溜まり暗くなってきた感情を、無理やり押し退けて考えないようにする。
いくら嘆いたって、裕璃にはもう、恋人ができた。
そして、僕以外と付き合うことを僕に対して喜ばしく報告してきた。
ということは、そもそも裕璃は、最初から僕を異性として見ていなかったのかもしれない。
今さら告白しようにも意味はない。
時既に遅し。
それ以前に告白したとしても、おそらく振られていただろう。
そうに決まっている。と頑なに信じ、裕璃に関してなるべく考えないよう努力した。
なるべく恋愛に関係ないくだらない雑談を交わしながら、僕達は通っている高校ーー風守高校へと向かった。
(02.)
黒板をチョークで叩く音が鳴る教室で、社会の授業というのに珍しい題材を学んでいた。
黒板に『異能力者とは』と書き終えると、教師は振り返り口を開いた。
「異能力者というものを端的に説明すると、今からおよそ20年程前から突如として現れ始めた、異能力を扱う者のことを指す。異能力というのは、手のひらから火の玉を出したり、空を飛んだりと、普通は道具を使わなければ不可能な事をーー起こせない現象をーー生身で可能にする不可思議な力だ。異能力者は、これら異能力を使えるように“なってしまった人々”の総称だ」
五限目の授業は、最近学校でも教えるようになってきた異能力者についての基本事項。
異能力者という存在について学生に学ばせるよう国が指導したらしい。
異能力者の歴史や異能力に関する法律、基本知識など、社会科の枠をなるべく潰さずに、端的に教えようとする意欲が先生から伝わってくる。
異能力者について初めて学ぶことになるのに、授業の初っぱなから既に飛ばし気味だ。
肝心な部分以外はだいぶ省略されているように感じられた。
そもそも、異能力者なんて生で見たことがない。
それほど数が少ないということなんだろうか。
学ぶ必要なんて果たしてあるのか?
「異能力者一人に異能力はひとつだけ。だったのだが、どうやら近年、どう考えても二つ以上の能力を持つ異能力者が現れているようだ。今年の初め辺り、区分が五つだった系統を六つに変更することになった。物質干渉、身体干渉、精神干渉、概念干渉、存在干渉に加え、特殊系統を足して六つに変更された。一応、頭に入れておけ」
異能力者……か。
ふと思ってしまう。
もし僕が女の子だったら、裕璃に恋人ができたことを、素直に祝ってあげられたんじゃないか。
もしも僕が女の子なら、裕璃に固執しないで、他のクラスメートにも話しかけられ、裕璃以外の女友達もできたんじゃないか。
もしも女になれたら、こんな思考ーー。
裕璃と付き合うヤツが酷い人間だったらどうしようとか。
あの裕璃が知らないヤツとヤることヤるのか、だとか。
裕璃が処女じゃなくなってしまうだとか。
あれやこれや醜い妄想なんてせずに済んだのかもしれない。
横目で裕璃を窺う。
膝より高めにした制服のスカートから、健康的な足が地面へと伸びている。
ノートに授業の内容を執筆するその顔は、いつもと同じ明るい裕璃の表情。肌が少し焼けていて、それさえも魅力的に感じてしまう。
胸にはやや大きな双丘がある。
ダメだダメだ。
裕璃の体を嘗めるように見ていると、思わずムラムラしてしまった。
性欲で好きになったんじゃない。
いじめっ子から助けてくれた幼い頃から、ずっと会話してきたなかで自然と好意を寄せるようになったんだ。
……あの身体を合法的に味わえる男がいるんだと考えると、ついイライラしてしまう。
僕は裕璃の事が好きなのであって、そういう性欲のみの好意ではないのに。
悔しくなんてない。
羨ましいわけがない。
自己暗示のように、頭のなかでそう繰り返した。
「異能力者は無から現れるわけじゃないからな? おまえたちの誰かが明日、急に異能力者になってしまう可能性もあるんだ。異能力者は異能力霊体という存在に憑依されるだけで、人間から変化してしまうものーーまあ、言うなれば急性の疾患、病みたいなものだ。異能力霊体に憑依されると、大抵の者は異能力の使い方や知識が一瞬で学べると云われている。つまり、憑依された瞬間に異能力者になるものだと考えらている。異能力者になったらどうすればいいのかだがーー」
教師は黒板に文字を書いていく。
『異能力から市民を守る為の法律』と『異能力犯罪特別法』
「これら二種類の法律に従いーー」
もうふたつ、今度は赤のチョークで黒板に文字を書いた。
『異能力者保護団体』
『教育部併設異能力者研究所』
「都道府県ごとにひとつ設立されている異能力者保護団体に、身分証明書と住民票を持って検査、確認しに行き申請しなければ犯罪になるからな? これは異能力から市民を守る為の法律、第三章の4条で定められている。教科書71pを開け」
教科書の言われたページを開くと、法律の一部が書かれていた。
異能力から市民を守る為の法律には、以下の事柄が記されていた。
第三章第3条には、許可を得ず異能力を使うことが違法な事。ただし、異能力者保護団体従事証明書・教育部併設異能力者研究所従事証明書を持つ者を除く。
第4条には、異能力者になった場合に守らなければならない事が記載してある。
異能力者になった場合は速やかに必要書類を用意したうえ、現住所の県内にある異能力者保護団体に提出し、その場で検査・確認・登録すること。
もしも連絡するまえに異能力捜査員及び異能力特殊捜査官に見つかり強制連行すると判断された場合、連絡しなかったとして罰則まで規定されていた。
これらすべては守らないと即犯罪者となり、特に極悪だと判断されたときには教育部併設異能力者研究所に監禁、強制的に特別な労役が課されると為されている。
また、他にも異能力者と認定する条件が記されている。
ひとつは、幽体に異能力霊体が重なって見える、または、本人とは異なる幽体が見えること。
二つ目は、教科書からは細かい規定が省略されていたが、要するに通常では身一つで起こせない能力が扱えること。
この二つに該当する人物を異能力者として定められていた。
幽体?
幽体ってなんだ?
幽体離脱のことを言っているのか?
細かい部分は本来の法律から省かれていて、詳しい説明は書かれていなかった。
「法律ではこう定められている。おまえらも、もし仮に異能力者になったら、真っ先に異能力者保護団体に連絡しろよ? あとは必要書類を用意して直ぐに保護団体まで足を運ぶように。学校への連絡はその間でいい。異能力者になったのを申請せずに普段どおり学校に来られるとこっちまで困るんだ。問題を解決してから学校に来い。それまでは休んで構わない」
先生は面倒くさそうに手順を説明した後に補足した。
「とはいえ、異能力者なんてほとんど存在しないから安心しろ。この学校の一年にもひとり異能力者が在学しているが、普通は2000人、いや3000人に一人いるかいないかだ。わざわざ時間を削ってまで異能力について調べる価値なんてそんなにないだろうなぁ。ああ、テストにも出ないからな」
と言ってのけた。
テストにも出ないんか~い。
でも、異能力者……か。
もしも異能力を使えるようになれるんだったら、女の子になってみたい。
こんな、こんな性欲なんかがあるから、裕璃を友達ではなく異性として意識してしまうんだ。
僕が女なら、こんな辛い思い……しなくて済むのに……。
授業の終わりを知らせるチャイムを聴きながら、僕は未だに裕璃のことばかり考えてしまっていた。
(03.)
自宅はなんの代わり映えもしない、ごく普通のマンションの一室だ。
両親二人と姉一人の四人家族、平々凡々といえる。
はー、なんか、やる気が出ない。
無気力感に苛まれながら自室のベッドで寝ていると、隣の部屋から何か物音が聴こえ、煩く感じて仕方がなくなってきた。
こちらの壁にぶつかるなにかの音がしたかと思うと、雄叫びのような叫び声まで小さく耳に聴こえてきた。
騒がしい。
なにかのゲームでも大音量でやっているのか?
まあいいや。
そんなことよりも裕璃のことだ。
そうだ。
もし、もしも僕が女なら、下心なく裕璃と接することができる筈だし、裕璃以外の女友達だってつくれたのに。
ーーやめろ!
という声が壁の向こう、隣室から微かに聴こえてきた。
「え……?」
今度は明らかにガタンというような物音が聴こえた。
しかも、『やめてくれ』と懇願するかのような声までしたかと思えば、今度は誰かが倒れるような音が小さく響く。
かと思えば、煩かった音が途端に静まる。
不自然なくらい、音は聞こえなくなった。
さすがに、なにかあったんじゃないかと気になってしまう。
でも、お隣さんだしなぁ……。
「だ、大丈夫ですか~?」
静かに壁をノックする。
壁の向こうの住人には届かないだろうけど、なんとなく声をかけてしまう。
そのとき、目の前にある壁の中から、目には見えない謎の存在が抜け出してきた“気がした”。
「ーーえ?」
そう、気がしただけ。
しかし、それが僕の身体を覆い尽くしてくるのが、奇妙な感覚でわかってしまう。
そして、次の瞬間、脳裏にさまざまな異能力の知識が濁流のように入り込んできた。
ーー。
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ーーーーーー。
(?.)
ーーそして、僕は少女になった。
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