Episode182/精霊操術師③
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「豊花、そろそろ次の訓練に行くので起きて」
「んん……もう朝か……」
昨日、あまり緊張していて寝付けなかったから、明け方にようやく眠りにつけたのだ。
だから異様に眠い。
「本日は豊花と契約を交わしてくれる精霊を探しに行くわよ」
「精霊探し……こんなようやくマナを操れるようになったばかりの素人と契約を交わす精霊なんて、果たしているんですか?」
ルーナエアウラさんは少し迷った表情をしながらつづけた。
「そうね……せめて肉体を循環させるマナの上位の技術、肉体からマナを飛ばして遠距離まで届く訓練からしたほうがいいかもしれないわね」
「遠距離にマナを飛ばす?」
よくよく考えてみれば、瑠奈もルーナエアウラさんもメアリーさんも、遠距離から精霊操術を発現させていた。
つまり、マナに属性を付与して、それを相手に飛ばしたりしているのだろうことが想像に難くない。
「でも……まだ肉体にマナを循環させる方法は理解できたし、身に付いてきましたけど、そのマナを遠くの的に当てることなんてできるんですか?」
「じゃあ、試しに私が軽めの風を周囲に吹かせて実践してみせるわ」
ルーナエアウラさんは片手を伸ばした以降、なにもせずに佇んでいるだけだ。
だというのに、その寸刻ーー。
室内だというのに、辺りにそよ風が巻き起こった。
「これの原理もマナが発端なの。まずは周囲のマナを手のひらに固定して、大精霊のちからを借りてマナを風に変容させたの」例えば、とルーナエアウラさんはつづける。「微風瑠奈って辺りに風の障壁を使うじゃない? 私にも使えるけど、あれは肉体全身にマナを循環させたら、マナを強化してから体内から少し離して、風の大精霊シルフィードのちからを借りて、風壁を戦闘中常に張り巡らせているのよ」
「む、難しいんだけど……要するに精霊操術を扱うにはマナを飛ばしたり、離れた位置から操ることが必要ってことですか?」
「マナを離さない精霊操術もいるけど、大半は遠距離武器を持ち得ているわね」
ようやくやっとマナの循環ができたうえ、独特なマナの感覚を掴めたうえ、心臓にマナを貯蓄できるようになったばかりなのに、まだまだ精霊操術は奥が深そうだ。
「精霊を探すまえに、溜めていたマナを壁に向かって放ってみて。大丈夫、マナ自体には殺傷性はないし、安心して何度もチャレンジしていいわ」
「……やってみます」
まずは心臓に溜め込んでいたマナを右手の先に集中して集める。
くっ、ルーナエアウラさんと違い溜まるのに時間がかかってしまう!
ようやく手のひらにマナが集まったのを実感した。
それを壁に向かって手のひらを向けた。
ーーしかし。
「全然肉体からマナが放れないんですけど!?」
「こればかりはコツを掴むしかないわね。自身のマナを体外に放出するには技術が必要だからね。一日二日で習得は難しいのよ」
とりあえずーーとルーナエアウラさんは呟いた。
「最初はあなたと契約を交わしてくれる精霊を探しましょう。大精霊と契約するのはいまの技量じゃ不可能だと思うけど、下級の精霊なら契約を結んでくれる精霊もきっと見つかるはずよ」
精霊も精霊で、精霊操術師に選ばれるのをひたすら待っている場合も多々あるという。
「さあ、外に出掛けましょうか」
「は、はい……」
緊張しながらルーナエアウラさんの部屋を出る。
以前にも覚醒剤密造現場を見学しに行ったときに通ったときにも、やたらと豪勢な廊下や建物にはついつい見惚れてしまう。
そのまま造形に感動しながらもルーナエアウラさんに着いていき、お城から外に出た。
朱音が創造した異世界だから、もっとビルとかマンションが建ち並ぶ姿を想起していたが、意外や意外。外観はきちんと西洋風な一軒家などが立ち並んでいる。
町並みに驚いていると、ルーナエアウラさんは郊外から離れた草原まで足を運んだ。
「精霊は契約した相手以外には滅多に姿を現さないのよ。シルフィードみたいなバカの大精霊は例外としてね。だけど、私には精霊の姿を見ようと思えば見えるから、いろんな精霊に少し声をかけてくるわね」
ルーナエアウラさんはそう言い残すと、誰と話しているのかはわからないせいで、ひたすらに独り言を喋っているように見えてしまう。
ーーそこから何時間経っただろうか?
ルーナエアウラさんが私の下に帰ってきた。
「この子、異世界から来た人間なんだけど、さっき言ったとおり両親の仇を打ちたくて私たちに協力を申し込んだの。あなたも精霊として契約を結ばれず路頭に迷っていたんでしょ? この子ーー豊花も同じで、マナを操るのが少々苦手で精霊の貰い手が見つからないの。だからおねがい。この子の精霊になってくれないかしら?」
相も変わらず精霊と会話しているのを見ていると、激しい独り言をぶつくさ喋っているようにしか見えない。
「火の精霊であるフレアは契約してもいいって言っているわ。豊花ももちろんOKよね?」
「私は契約してくれるならうれしい限りなんですが、まだマナを自在に操れないんですが……。遠距離にマナを飛ばすのも難しくて、そんな私でも協力してくれますか?」
事実そうだ。
素直に現状を伝えなければ、あとあと嘘つき呼ばわれされてしまうかもしれない。
「なら契約成立ね。まずはフレアが豊花に手を触れて。それでフレアの容姿が目視できるはずだから」
ルーナエアウラさんがそう言った瞬間、何者かが肩に手を触れた気がした。
寸刻ーー目の前には齢16歳程度の炎を身に纏った長い髪の少女が、突如として現れたのだ。
『あ、あ、あたしでいいのでしょうか? あたしは精霊としては貧弱で、なにも役に立てないかもしれません。それでも契約を交わしていただけますか?』
なにやら、やたらと低姿勢な火の精霊ーーフレアであった。
こっちも初心者以下の初心者だからか、こちらこそ申し訳ない気持ちになってくる。
「大丈夫よ。豊花も初心者だけど、才能はあるほうだから気にしないで付き合ってあげてくれない?」
『も、もちろんです! うれしいです……あたしなんかと契約を交わしてくださる方がいるだなんて……なんだか涙が出てしまいそうです』
「こっちこそ、まさか私みたいな初心者と契約を交わしてくれる精霊が存在していたなんて、とてもうれしいかぎりです」
フレアと握手を交わし、これにてけいやーー熱い!熱いぃぃ!
「火の精霊が霊体していない状態で触ったらそれは熱いわよ」さて、とルーナエアウラさんはつづけた。「これでマナの操作の一部を習得、マナの貯蔵も習得、精霊との契約も完了。そしたら、これから精霊と行う技術を説明するわね」
「はい、わかりました」
『おねがいします……あたしも精霊操術師の扱える技術に疎く、なにをすればいいのかわからなくて……すみません』
「謝る必要はないわよ。まずは基礎の基礎、火の精霊のちからを借りて、10メートル離れた位置まで火の玉を飛ばしてみて」
え?
ええ!?
「昨日、マナを飛ばすのに失敗したのに、いきなりまたやるの?」
「時間がないんでしょ? 一ヶ月と言わず一週間で習得させてあげるわ」
ルーナエアウラさんは説明をはじめた。
まずは貯蓄したマナを手のひらに集め、そこに火の精霊の力で火の玉を宿す。
注意点は、火の玉は手のひらではなくマナのほうに付与させること。そうしないと手が火傷してしまうと言うのであった。
「き、緊張するけど、このままじゃ時間がかかる! フレアさん、協力おねがいします!」
『は、はい! あたし、頑張ります!』
マナを集めていた体内から手のひらに集中する。
手のひらにマナが集まってくるのを直観で理解できた私は、目の前に広がる草原に向かって掌を向けた。
「フレアさん! おねがいします!」
『わ、わかりました。マナに火の玉を集めます!』
このような訓練をいつまでもしているわけにはいかない!
拳、掌に溜めたマナが一瞬で火に変換した。
しかし、熱さは感じられない。
フレアがマナに火の属性を付与してくれたおかげだろう。
失敗は許されない。
全力を尽くした結果、手のひらから発射された火の玉が目の前の草原に飛んでいった。
……やった!
ついに本格的な精霊操術を扱えるようになったんだ!
「フレア、フレア! ありがとう!」
『そんな……お礼を言われたの、生まれてきてからはじめてで……泣きそうです』
そこに割って入るようにルーナエアウラさんが手を鳴らしながら近寄ってくる。
「まだまだ初級にも満たない初心者の技だけど、たった二日でこうまで成長するだなんて……豊花には精霊操術師になる才能があるんじゃないかしら?」
「でもまだ初心者なんですよね……」
「それは否定しないけど、伸びしろを見ているかぎり、いずれ大物になれるわよ?」
なんだか素直に褒められると気恥ずかしくなってしまう。
「いまの技を100回ほど繰り返して。大丈夫、この草原はマナがたくさん溢れているから、マナの枯渇はないから。そしたら一旦攻撃の技術はストップ。次は守りに関しての精霊操術を教えてあげるから。失敗したらカウントはしないけど、0回にはリセットしないから、なるべく百回やって百回とも成功する気概で頑張ってね?」
「ひゃ?」『百回!?』
「そう? 無理なら諦めて異世界に帰還する?」
「……わ、わかりましたよ。フレア、大変だけど手伝ってくれないかな?」
『もちろんです!』
やがて、途中ミスをしながらも永遠とつづけ、ついに百回火の玉を放出することに成功した。
ルーナエアウラさんは拍手しながら歩み寄ってくる。
「やればできるじゃない」
「はぁはぁ……つ、疲れました」
『あたしもですぅ』
「ところがどっこい。これは初歩の初歩、火の精霊操術師なら誰でも可能な簡単な技よ」
「そ、そんな……」
たしかに、火の玉を飛ばすだけでは、そこら辺りの異能力者にすら勝てないかもしれない。
いままでの私は異能力に頼りきっていたけど、それは大切な人物を守るためにしか発生しない直観の能力だ。
一般市民を守るためにも、別の技術を身に付けたいのだ。
両親の仇がもしも情報と違い多人数、さらには異能力者だった場合、いまの実力ではひとりで対処できるとは思えない。
「次は守りの精霊操術ね。まずは皮膚にギリギリ触れない位置でからだ全身にマナを展開するの」
「……こうですか?」
やはり、まだまだ時間はかかってしまう。
ルーナエアウラさんや瑠奈みたく一瞬で精霊操術を扱えるようになりたい。
そうしたら、もっと大勢の人間を守れるかもしれない。
「全身からギリギリ少しマナを離して、からだ中にマナを循環させるの」
「うぐっ! 手のひらから少し離れた位置にマナを集めるだけでも苦労したのに、今度は全身隈無くマナを集めるんですか?」
「そうそう。無論、体から数ミリでいいから離れた位置に溜めてね。じゃないと火傷じゃ済まないから」
「ふ、フレア……お願いだから頼むね」
『わ、わかりましたぁ』
フレアも緊張して声が上擦っている。
まずは昨日どおりにゆっくり全身にマナを循環させる。
それを体表から少しだけの距離を空けて、マナを自身から離れさせる。
「あの、ルーナエアウラさん。少し空けただけじゃ結局火傷してしまうのでは?」
「大丈夫大丈夫。術者のマナによって生み出された精霊操術は、少しでも距離を置くと火傷は負わないようになっているから。まあ、少しは熱いけど」
最後の一言で、無駄に不安になってきてしまう。
でも、いままで見てきた瑠奈やルーナエアウラさんも体表に切り裂くような風圧を纏っていても、本人は無傷だった。
ここはルーナエアウラさんとフレアに期待することにしよう。
頼むぞ!
「フレア、早速だけど体表に火を纏わせてくれ」
『わ、わかりました』
フレアはそう言うと、右足、左足、腰、胴体、右腕、左腕、掌、首、頭と順番に、私のからだにゆっくりと火が纏っていく。
たしかに熱を感じるが、火傷をするていどではない。真夏日の暑さほどしか感じなかった。
「まだ素早さが足りないなぁ。これくらい早く展開しなくちゃ戦闘したら、その隙にやられちゃうよ?」
まばたきした瞬間。
一寸の隙に、強烈な暴風が辺りに吹き荒れる。
ルーナエアウラさんは一瞬で精霊操術を駆使して、体表に空気の壁を構築したのだ。
「試しに石を投げてみてよ」
「石を?」
少し迷いながらも、手近にあった小石をルーナエアウラさんに投擲した。
瞬間、小石はバラバラに砕けて、砕けた小石もどこかへ霧散して消えてしまった。
もしも誰かが拳をぶつけたとしても、殴りかかったほうがバラバラに変貌してしまうような、恐怖すら感じられるような精霊操術を目の当たりにしたのだ。
それもそうか……ルーナエアウラさんは、今や魔女序列一位の最強を欲しいがままにしているアリシュエール王国一の精霊操術師なのだ。
レベルが異なりすぎる。
『レベルが違います……』
「うん……さすがにルーナエアウラさんを目指すのは無理がありすぎるよ」
フレアの呟きに私も同意した。
「最後に、まだ使えないと思うけど、精霊操術師の最強奥義のやり方を伝授してあげるわね。奥の手の奥の手だけど、これさえ使えれば百人単位の人間でも相手にはならないわ」
「奥義……ですか?」
「そう、奥義。今から実演するからよく見ておいて」
ルーナエアウラさんはそう宣言すると、以前にもどこかで耳にした詠唱を開始しだした。
「風の大精霊を地に招く 夜明けに吹いて 浄化の大気 風が全てを統べる刻 世界に満 やさしい風 シルフ」
すると突然、フレアみたく姿を見せていなかったルーナエアウラさんが契約を結んだ、大精霊のシルフが姿を現した。
「本来なら秘術は隠匿するべきだから、フレアもなるべく人前では姿を消しといてね?」
『は、はい』
「さてと、奥の手を使わせていただきますね。シルフ様」
『はいはい、ご自由にどうぞ』
シルフが現れた途端、雰囲気が一変したのに、まだ奥の手があるのだろうか?
いや、でも以前もたびたび精霊操術師の姿を見てきたら、これから口にする言葉が想定できた。
「シルフ様、いくよ? ーー同体化!」
その瞬間、辺りに暴風が吹き荒れる。
さきほどまでルーナエアウラさんの居た位置には、過去に目にした、まるでファンタジー世界から飛び出してきたかのような美少女に変貌していた。
マナがいまいちわからない私でもわかる。
私とフレアのちからを協力しても、このひとりには勝ち目はないだろうことが。いや、むしろ何百人の市民が立ち向かっても、物の数秒で片がつくだろうことが想像に難くない。
「これが精霊操術師の奥義。通常なら精霊のちからを借りて精霊操術を行使する必要があるんだけど、同体化した場合は数ミリ秒すら誤差もなく、好きに精霊のちからを行使できるようになるんだよ」
『あ、あたしには絶対にできそうにありません……』
フレアはガックリしたかのように肩を落とした。
私も気持ちは一緒だ。
こんな物凄い技術を目の当たりにして、本当に我々にできるのか疑問符が浮かんでしまう。
「まだまだ初心者なんだし、ガッカリする必要はないわよ? それに、遠距離攻撃として火の玉も放てるし、防御面も全身に火の鎧を展開できるし、これなら異世界では十分に対応できると思うわ」
「……」
相手の素性がわからないから、もっと強くなりたかった。
しかし、凡人には届かない天才の精霊操術を見て、私にはなるのは無理だと悟ってしまった。
「まだ三日経っていないけど、少し現実の様子が気になるので、一旦帰らせてもらえませんか? で、可能なら裕希姉ーー私のお姉さんも厄介になってもらえないでしょうか?」
「二人か~」
「私はちょくちょく現状を確認しにいきたいんです。おねがいします!」
「最初は一ヶ月居候させてくれって頼まれたから承諾したんだけど……まあいいや。ひとりも二人も変わらないし、頼ってくれてもいいよ」
「あ、ありがとうございます!」
これで裕希姉の命の心配はなくなった。
沙鳥と舞香、香織とゆきはホテル暮らしを点々としているから比較的大丈夫だろう。鏡子は一番危ないが、別の意味で危ない瑠奈と共にいるから安全だといえるだろう。裕璃も言わずもがな。異世界に来ているから無事だろう。
朱音だって舞香たちと同行しているはずだ。危険性は低いだろう。
そういえば、まだ裕璃に会えていない。
このまま異世界に滞在していたら、会う機会もあるかもしれない。
『あ、あたしも強くなります。だから見捨てないでください!』
「いや、見捨てるつもりなんてないから……もう少し自信持ちなよ……」
『す、すみません……』
こうして、ひとまずは帰還した末、裕希姉を異世界に連れていくことを決意した。
ーーこうして、私は、もっともっと強くなり、誰でも守れるようになると誓ったのであった。




