Episode170/神殺しの剣
(245.)
近場の整形外科で治療をしてもらったのち、私は悔しさを噛みしめながら帰宅した。
自室に入ると同時に、沙鳥から電話がかかってきた。
「沙鳥……三河って奴が向こうから殺しに来たんだけど?」
私は通話に出るなり、今しがた起きた出来事を沙鳥に伝えた。
『ええ。鏡子さんのちからで見させていただきました。よくやりましたね』
「え?」
なにがよくやったのか理解が及ばない。
私はただ、無様に戦いで負けただけだというのに……。
『豊花さんは自覚がないようですが、相手に手でかする程度に触れております』
「え!? ってことは、つまり」
『ええ。鏡子さんのちからで相手が今どこでなにをしているのか把握できるようになりました。これは大きなアドバンテージです』
「……よかった」
ただ無様に負けただけではなかったのだ。
自分では焦りと困惑で認識していなかったが、どうやら相手にちょっとだけでも触れられていたらしい。
ひとつ、気になることがあった。
それを沙鳥がわかるかわからないが、一応訊いてみよう。
「沙鳥、三河って殺人鬼は異能力者なの? 不可思議な動作でナイフが全然当たらなかったんだけど」
『いえ、異能力者ではありません。単なる人間……そう、強力な人間です』
沙鳥は判明した相手の情報を手短に説明してくれた。
まず、三河は異能力者ではない。
単なる殺し屋兼殺人鬼らしい。
しかし、三河は独自の歩術と体術を体得しているらしく、不可思議な動作で相手に認識できない特殊な歩法で接近したり待避したり、ナイフで切られると相手に錯覚させ他の部位にナイフで切りかかったりと、独特な技術を扱うという。
過去にありすと対峙したことがあるらしいが、両者共実力が拮抗しており、なかなか決着がつかなかった。しかしありすのほうは満身創痍になりかけていたらしく、師匠である刀子さんが現れなかったら危なかったかもしれないーーとありすが話していたと。
要するに、やはりありす以上、刀子さん以下の実力が最低でもあるということに他ならない。
私ひとりで相手が務まるほど柔な相手ではなかったのだ。
『どうします? ほかに協力者を呼びますか?』
「いやーー瑠奈は今、豊かな生活のメンバーでもあるんでしょ?」
『仮ですが、はい。そうなりますね』
「だったらーー」
瑠奈だったら相手がいくら不可思議な動作をしようと問題ないはずだ。
それならほかに協力者を呼ぶ必要はない。
ただ、気になることがもうひとつ、浮上してきた。
「あのさ、三河が言っていたんだけどーーターゲットは私だって言って襲いかかってきたんだよね」
『ターゲット……まずいですね。偶然なのか必然なのかはわかりかねますが、三河が決めた次なるターゲットは、どうやら豊花さんみたいです』
「そんな! ……明日も学校があるっていうのに、常時警戒していないとダメじゃないか」
『大変でしょうが、そうなりますね』
ん?
待て待て、待てよ!?
柊や瑠衣の名前までアイツは挙げていたぞ?
「ちょっと沙鳥! 三河のターゲットは私だけじゃない! 柊ミミや葉月瑠衣もターゲットだって言ってた!」
『そんな……もしかしたら豊かな生活自体に恨みがある人間が三河に依頼したのかもしれませんね』
「恨みって……」
思い当たる節はいろいろあるが、なにも殺しの依頼までするだなんて……。
例えば先日殺害した薬物密売グループの外国人たちに仲間がいて、そいつが私たちを殺すように依頼したのか。
はたまた逃げ出した郷田の仲間たちから恨みを買ったのか。
それとも覚醒剤で溺れた自業自得の奴が怨みを抱いたのか。
まさか異能力者保護団体に依頼されたなんてことはあるまい。
そういえば、私たちを殺害したら次は愛のある我が家をターゲットにするなどとも言っていた。
つまり、愛のある我が家を邪魔だと考えている犯罪組織や、愛のある我が家に怨恨を覚えている人間が、まずは下部組織の豊かな生活を潰そうと考えたのかもしれない。
可能性を考えたらキリがない。
『とにかく、柊さんや瑠衣さんにも伝えて、注意喚起をしておいてください。下手すると狙いがそちらに移るかもしれません』
「言われなくても伝えておくよ」
『では、相手を倒す準備が整ったら連絡をください。鏡子さんのちからで居場所を特定次第お伝えしますので』
「うん、わかった。じゃあまた」
私は通話を切り、まずはまだ帰宅していない可能性もある瑠衣に電話した。
『もしも豊花?』
「もしもボックスみたいに言わないでよ……」
『どうしたの?』
「いや、いま家?」
『うん。いまさっき、家に着いた』
ふう。これでひとまず一安心だ。
「あのさ、真剣に聞いてほしい」
『うん、わかった。仕事の、話?』
「そう。実はーー」
私は沙鳥から得た相手の特徴と、自分で確認した相手の容姿、豊かな生活をターゲットにしているから瑠衣もいきなり襲われる可能性がある。そして、ありすと同格、またはそれ以上に凶悪な強さを誇ることを一から説明した。
「だから瑠衣も気をつけてほしい」
『わかった、気をつける。豊花も、だよ?』
「私は大丈夫」
既に相手の見た目はバッチリ印象に残っているし、私の異能力の特性上不意討ちは不可能に近い。狙われたら最悪逃げ切る自信もある。
「相手の居場所は特定できるようになったから、近々倒しにいくよ。柊や瑠奈も一緒にね」
『ん、了解』
私は通話を切り、つづけて柊にも電話した。
瑠衣に伝えた内容をそのまま一から柊にも説明し、私は通話を切った。
(246.)
予想以上に疲弊していたのか、私はベッドに横たわることにした。
どう対抗するか、いつ討伐しに行くか……。
早いほうがいいかもしれない。
ーーん? なにかがおかしい……ーー
え?
いきなりどうしたの、ユタカ……。
と、次の瞬間、私のからだからスルリとユタカが抜け出してきた。
な、なんで!?
過去に見たまんまの容姿、ふわふわしたロリータ服を身に纏い、なにかを企んでいるような小悪魔的な綺麗な碧眼をした、美しい少女ーーユタカがからだから抜け出してきたのだ。
『待て待て。いったいどうなっている? 私は豊花と同一化したはずなのに、なぜ幽体が離脱できるのだ?』
「わ、私に言われてもわからないよ」
たしかに、ユタカの言うとおり同一化したなら、ユタカはもう分離できなくなっているはずだ。
なのに、いま私の目前にはユタカがいる。
「ボクからのサービスだよ」
「!?」
室内に私の姿をした少女がーー件の神が、突如として出現したのだ。
「ボクは君たちの仲間のひとりを奪ってしまった。まあ、元々神であるボクのつくった存在なんだけど……だけど、アンフェアだと思ってさ」神はユタカを指差した。「杉井豊花の異能力をそのまま保持した状態で、ユタカだったかな? きみも好きなタイミングで活動できる幽体を再度与えてあげようと思ったのさ」
「勝手に澄を操っておいて、なにがアンフェアだ!」
『豊花の言うとおりだな。私が幽体で豊花から好きなタイミングで抜け出せるようになったからといって、私にはなんの利益もないし力にもなれない!』
ユタカの言うとおり、いくら前みたくユタカが好きに私から抜け出せるようになったからといって、それでなにができるというのだ。
「幽体だけじゃないさ。きみには好きなときに物質界に影響を与えられるように、肉体として顕現する力を与えてあげた」
『なんだとーーまさか』ユタカが一瞬、薄くなったかと思えば、まるで現実に存在しているかのようにハッキリと姿が現れた。「なんだと……? これは、肉体……」
「そうさ。さらにきみには豊花の切り札としての機能を付与した。セカイで唯一澄に対抗できる、神をも貫く剣になれるようにした。それを豊花が扱えば、澄に瑕疵を与えることができる。どうだい? これでフェアだ」
ユタカがなにかに意識を集中すると、いきなり姿が消えて剣が現れた。
「これを私が使えば……澄を倒せるだって……?」
「当てることができればだけどね。切り札は隠しておくものさ。普段、ユタカは剣の姿にならず幽体に戻り、杉井豊花の内部に隠れていればいい」さあ、と神はつづけた。「世界を滅ぼすボクと、世界で唯一神に対抗できる力を得られたきみ、どちらが勝つかな? ボクは久しぶりに楽しい気分だ」
「待てよ! 澄は仲間だ! 私は澄に剣を向けることなんてできない!」
剣の姿からユタカは肉体状態に戻った。
「豊花の言うとおり、澄とやらは愛のある我が家の一員だ。貴様は仲間を斬れと言いたいのか!?」
「そうだよ? 制限時間はまだ与えるつもりだ。剣の扱い方をその期間に覚えるといい。まあ、やりたくなかったらやらなければいいけどね。ただ、そうしたなら」
ーー世界が滅ぶだけだけどね。
神はそれだけ言い残して煙のように姿を消した。
「澄を倒さなくちゃ世界が終わるだって? 世界を唯一救えるのが私たちだけだって? なんだよ、なんなんだよそれは!」
殺人鬼のことや、澄が操られたこと、神から宣戦布告されたことーーいろいろな事態に意識が耐えきれず感情がぐちゃぐちゃになってしまう。
私は耐えきれず布団を何発も殴る。
「落ち着け豊花!」
「ユタカ……」
ユタカに羽交い締めにされ、どうにか感情を抑えることができた。
って、あれ?
ユタカに触れているような気がするーーではなく実際に触れている!?
「さっき神とかいう存在が言っていたであろう。私はこれから好きなタイミングで、豊花のなかで幽体として待機していることも、幽体として分離することも、肉体になり現実に干渉することも……唯一澄に傷を与える剣になれることもできると」だから、とユタカはつづけた。「いまは肉体状態だから豊花を抑えることができたのだ」
「肉体として……な、なんだか緊張するな……」
ユタカ、私に勝らずとも劣らないかわいい容姿をしているし、肉体的に触れられるし外部にも認識できるだなんて、人間と変わらないじゃないか。
「……」ユタカはなにかを考えるしぐさをすると、いきなり私の股に触れてきた。「やり方を教えることができるが、どうしたい?」
「ちょ、やり方ってなにの!?」
「なにといえばナニに決まっているだろう。まえに言っていたではないか。オナニーをした「わー! ストップストップ! いまは性欲薄いし大丈夫だよ!」」
なにを言い出すかと思えば、シリアスな雰囲気がぶち壊しだ。
「まあ、普段は幽体になって豊花に重なっていることにしよう。それとも、生身の私と寝たいか? 抱いてもいいぞ? 私は豊花を愛しているからな。なに、一度私のテクニックを味わえば葉月瑠璃などより私のほうが大好きになるだろう」
「待ってよ! 抱いてもいいぞって、抱いたくらいじゃ私の恋心は変わらない!」
「おや? 抱くと言ったが、意味はセックーー」
「うわー! もういいから! ほら、幽体に戻って。好きなときに現れていいからさ」
「ふむ、そうするとしよう」
豊花が少しだけ薄くなる。幽体に戻ったのだろう。
『ただ、やりたくなったらいつでも言いたまえ。豊花が相手ならいくらでも慰みものになる覚悟はあるぞ?』
「わかったから! もう、いまはいろいろ混乱してるから少しは静かにして」
『わかったよ。せっかく神とやらに肉体を与えてもらえたのに、豊花は欲が薄いのだな』
いや、性欲がなくなったわけではない。
いまだって生身のユタカにドキドキしてしまっているし。
第一、女の子からそんなに積極的にいろいろ誘惑された経験など一度もないのだ。興奮しないほうがどうかしている。
ただ、私はいまだに瑠璃が好きなのだ。それはいくらユタカに誘惑されようが変わらない。この気持ちは、嘘ではないからだ。
さまざまな出来事が起きて混乱した頭を静めるため、私はベッドに横になりまぶたを閉じた。
……愛のある我が家のメンバーに、ユタカの剣のことを報告しておいたほうがいいかもしれない。
こうして、神のちからにより、私は澄に対抗するだけのちからを得たのであった。




