Episode161/魔薬①
(231.)
一月七日、月曜日。
ついに登校日がやってきた。
室内だというのに肌寒さを感じつつも、久しぶりに女子用の制服に裾を通す。
スカートを履き、伸びてきた髪を少し鬱陶しく感じながらもリビングに向かう。
美容室とか、行ったことないけど行ったほうがいいのだろうか?
でも恥ずかしいしなぁ……。いやいや、この外見なら堂々と行っても誰も何とも思わないだろう。今度、近場の美容院に予約しよう。
「おはよう豊花」
母はテーブルに朝食を置きながら挨拶してくる。
「おはよう、母さん、父さん、裕希姉」
席には既に裕希姉と父親も座っており、それぞれ朝食を待っている。
母もテーブルに朝食を置き終えると椅子に座り、みんなで朝食を食べ始めた。
「ゆったー。マジで誰か彼氏候補紹介してくれない? 独り身時代が長くなると虚しいよ」
「それは男時代16年間彼女がひとりもいなかった私に対する嫌み?」
「今はモテモテだからいいじゃーん。ねー、誰かいないのー?」
「そう言われても……」
パンをかじりながら思慮する。
そもそも私が男だった頃から友達と呼べる人間は裕璃と宮下くらいだったのだ。そこから異能力者になり友達が増えたが、やはり女子は女子同士つるむため、瑠璃や瑠衣、碧など女子ばかりしかいない。
愛のある我が家だって女性の異能力者のみで成り立っている組織だし、そこ繋がりがあるヤクザの一さんや殺し屋の静夜を紹介したって意味ないだろう。第一静夜は刀子さん一筋らしいし。
だとすると宮下くらいだが、宮下も宮下で積極的に女子に告白したりしていない。見た目ではなく中身が好きにならないとダメだと言っていた気がするし。
というか……。
「なら三島でいいじゃないか。知り合いなんでしょ? ルックスもいいし」
「脳内大麻畑なんてこっちからお断りだっつーの」
「脳内大麻畑……」
酷い言われようだった。
三島、人懐こそうで女性に人気ありそうだけど、どこかしら性格に難があるのかもしれない。そもそも彼女が既にいるのかもしれないし。
「だとすると、悪いけど友達と呼べるような紹介できる男子はいないかなー」
「マジ? ゆったー元は男子生徒でしょ? 友達いないの?」
「いやいや……そもそも裕希姉の同期から彼氏を見つければいいじゃないか」
「好きになったひとは大半べつの女に取られましたー」
「はあ……まあ、一応宮下に訊いてみるよ。歳上に興味ないかって」
「ババアだとー!? とうっ!」
そんなこと発言していないのに頭上を叩かれた。
理不尽すぎる。
というか、宮下のことが好きな女子ーー三葉もいるんだし、あまり邪魔するのも悪いかな。あのふたり、あれから接点ないけどさ。
朝食を食べ終え、時計に目をやる。
そろそろ行かなくては。
私は席を立ち、鞄を持った。
「そろそろ行ってくるよ」
「あらそう? 行ってらっしゃい」
母に見送られながら、私は自宅をあとにした。
(232.)
「特殊指定異能力犯罪組織ーー愛のある我が家のメンバーにして、下部団体ーー豊かな生活の組長である杉井、久しぶり」
登校途中の道で、偶然ありすと遭遇するなり謎な挨拶をされたのであった。
灰色の空から雪がちらほら舞い落ち地面で溶ける。
風も結構強いため、きょうの寒さは普段以上にキツい。
冬特有の香りが鼻腔を擽り、真冬だということを考えなくても自覚させられた。
「おはよう、ありす。どうしたの? こんなところで」
「いや~、競合他社となった組織のリーダー様に挨拶しておこうかなと思ってね」
「競合他社?」
「そのとおりでしょ? 私は異能力犯罪死刑執行代理人なんだから依頼がくるんだけど、これからはそっちも異能力犯罪者相手に戦うって聞いたよ?」
考えてみればそうか。
異能力者でない相手なら競合相手ではないが、異能力犯罪者ならありすや刀子さんは同業者に近いことになる。
「まあ、依頼者ーーヤクザや一般人から依頼される杉井の組織と、警察や異能力者保護団体から依頼が入る私たちじゃ被ることも少ないだろうけどね」
「そういう経路で依頼が来るんだ?」
今までどのように依頼が入る仕組みなのか知らなかったが、異能力犯罪死刑執行代理人は考えてみれば国の特別の機関。国から依頼が来るのは当然といえるだろう。
「あ! ありす! 豊花!」
背後から名前を叫ばれる。
振り返らずとも、声質でそれが瑠衣の言葉だと理解した。
「おはよう! 豊花、ありす!」
「おはよう、豊花……とありす」
瑠衣と瑠璃の二人が隣に並ぶ。
瑠璃はありすのことがあまり好きではないのか、渋々といった様子で挨拶する。
「おはよう」
「おはよ、瑠衣と瑠衣のお姉さん」
私とありすは挨拶を返す。
四人で纏まって歩き、学校を目指す。
「ところで、ありすは、なんで、いるの? 私を待ってた?」
「そうだよー、瑠衣が好きすぎて待ってたんだよ」
「ありす!」
ありすの冗談を瑠衣は本気にしたのか、ありすに抱きつこうとする。
それをありすは片手を伸ばし手のひらで抑えた。
「瑠衣も豊かな生活の一員になったんだよね?」
「うん。豊花と、一緒」
「そっか。瑠衣もついに同業者かー。しくじらないようにね?」
「ん」
二人は仲良さげに会話する。
ありすは瑠衣が豊かな生活に入ったことに対して、特別否定はしないようだ。
しかし……。
「私はまだ反対だからね? いくら犯罪者を倒す側だからって、危険なことには変わらないのよ? 第一、異能力霊体侵食率が上がったらどうするのよ」
瑠璃は猛烈に反対しつづけているのである。
「瑠衣のお姉さん、落ち着いて。瑠衣の異能力はナイフを鍛えたらあとは使わないで済むんだから、しょっちゅう異能力を使うわけじゃないし、私が鍛えたんだから肝も座ってるから心配不要だよ」
「あんたは他人だからそんなことが言えるのよ……私は姉として心配してるの」
瑠璃は納得していないながらも、それ以上は文句を言わなかった。
たしかにありすの言うことも一理ある。
異能力霊体侵食率が最大になったとして意識が完全に入れ替わるわけではないーーそれはわかっているが、それ以前に瑠衣は基本的に異能力を一度使えば、工夫次第であとは使わずに済む能力なのだ。
私みたくしょっちゅう異能力を行使しているわけではない。
「姉さん、頭固い。大丈夫」
「まったく……」
しばらく沈黙が流れる。
あれ?
「ところでありすは挨拶だけしに来たの?」
「それもだけどさー……ま、本当は瑠衣を心配して様子を見に来たんだけど、最初に杉井に会ったってわけ。あとは」ありすは折り畳まれた紙を数枚私に手渡した。「沙鳥からついでに渡してくれってさ」
「え? なんだろう?」
紙を開くと、数人の個人情報が記載されていた。
これはつまり、以前みたいな依頼ということだろう。
しかし、相手の居場所等が書かれていない。三枚あり三人の顔写真は映っているが、名前が書かれているのは二人だけで、あとの一名は写真だけだ。
「相手の居場所はまだ不明。鏡子の異能力と香織の情報捜査で探している最中なんだってさ。とりあえず今判明している情報だけ」
名前が判明している一人の名前はオリヴィン、筋肉が身を包み片腕にタトゥーの入っているスキンヘッドの黒人男性だ。
もうひとりは金髪の白人の長身男性が写っている。こちらもオリヴィンと同じようなタトゥーを片腕に入れている。名前はラスティン。こちらも外国人だ。
最後のひとりは名前は記載されていないが、姿を見るに日系アメリカ人らしき姿に見える。
「この人たちはなにをしているの?」
「クロコダイルって知ってる?」
「え? ワニ?」
いきなり何の話がはじまるんだ。
「海外で流行している最悪の麻薬。ワニのような皮膚になる、ボロボロの体になり、一度使うと依存性が半端なく、薬効がキレたら痛みで再使用しないと収まらなくなる。繰り返していくとアッサリ死ぬ、麻薬ーーいや魔薬だよ」ありすはため息を溢す。「麻薬の王様と云われるヘロインが生温く思えるくらい凶悪な麻薬、しかも安価だから若者が手を出しやすいんだよ」
「まさか……それを日本で?」
「そう。麻薬密売組織といえるね。それをばら蒔いて社会問題になるまえに暗殺してほしいってさ」
クロコダイルーー聞くだけで異様さが伝わってくる。
「クロコダイルはさーー」
ありすが説明するには、コデインにガソリンなどを使い安価で密造できるため安価で売買できる。デソモルヒネの違法版。使った先には死あるのみの危険度マックスの麻薬だという。
沙鳥は覚醒剤や大麻、コカインやLSDなどの薬物は努力次第でやめられる可能性がまだあるうえ、薬物が直接の死因に繋がることはないから売買に異論はないという。しかし、クロコダイルやシーサ、フラッカなどといった薬物の乱用が直接の死因になる物の売買は看過できないと珍しく怒りを露にしているらしい。
同じく薬物を密売している私たちに意見する権利があるかと疑問もあるが、少なくともあれは対等な商売の範疇にない。
幸い、日本人はダウナー系の薬物ーーヘロインなどにハマる傾向は薄く、仕事が不眠で可能になったりするアッパー系の薬物のほうが需要があるため、まだ浸透はしていないという。
しかし放置した結果、国際問題に発展する危険性があることから、警察でも捜査しているが、愛のある我が家にも依頼が舞い込んだという話だった。
「危険ドラッグで一時期大騒ぎになった時期があるでしょ? その二の舞にならないためにも、何としてでも早期に決着をつけたいらしいんだよ」
「それは……ありすがやったりはしないの?」
「私は異能力犯罪死刑執行代理人ーー異能力者以外の犯罪者は基本的には専門外。だから、豊かな生活に任せるよ」
まあ、異能力者ではないなら郷田のときみたくなんとかなるとは思う。
まだまだ不安だけど、前回で自信が少し、だけど確実にリーダーとしての自信は着々とついている。大丈夫、今回も何とかして見せる。
「わかった。でも、居場所もなにもわからないとなると依頼の遂行をしようがないから、沙鳥からの連絡を待ってから動くよ」
「うん。わかり次第、追って沙鳥から連絡があると思う。異能力者ではないとはいえ、相手はマフィア同然。鉄砲も所持している危険性があるから注意して当たってね」
「鉄砲ーー? ええ!? 拳銃持ち!?」
それは想定していない!
三人とも武器を所持していたら一気に心配になってくる。
たしかに以前、拳銃を持つ相手と対峙したことはあるが、大抵は素人相手で狙いが外れてくれたから助かっただけだ。
「必要なら道具を売るルートを教えよっか? というか、私が中継してもいいし」
「道具?」
「チャカだよ。チャカ。100万あれば銃弾入りの拳銃を手に入れられるよ」
「こっちも飛び道具を持つ……か……」
しかしナイフとちがって、持ち運びが大変だろう。
重いだろうし、私みたいな素人が扱えば最悪暴発しかねない。
しかも警察に見つかったら、いくら警察からの依頼を遂行するためとはいえ厄介な話になってくるだろう。ナイフとは次元が違いすぎる。
「ま、考えておいてよ。それじゃそろそろ学校だね。瑠衣も杉井もしくじるなよ。私が悲しむ羽目になるから。じゃあね」
「ありす、またね」
「うん」
瑠衣に見送られながら、ありすは別道に逸れていった。
今まで数々の異能力者や半グレ、凶悪犯罪者と対峙してきた。そして私は、直観や感覚、思考の異能力と、瑠衣に鍛えてもらった刃物で毎度ギリギリながら対処してきた経験はある。
しかし、今回は今まで戦ったことのない外国人薬物密売グループ。高確率で飛び道具を所持しているうえ、三人とも肉体面でも精神面でもタフそうだ。
私ひとりなら最悪自分が犠牲になるだけだが、柊や瑠衣を連れてとなると、特に柊は即効飛び付いてバーン……なんてことになりかねない。
今回はいままで以上に気をつけて対応していかなければならなくなりそうだ。
……柊にはよーく言って聞かせよう。いくらナイフの技術があっても、遠方なら慣れた射撃をされたら一撃でおしまいだ。
「瑠衣……話は聴いていたでしょ? 今回の相手は前回よりも危険だ。邂逅した際、対処の仕方で一気に危なくなる。それを理解しておいてほしい」
「うん。大丈夫。豊花もいるし、なんとかなる」
信頼してくれているのはうれしいけど、自分自身でも身を守る術を身につけてほしい。まあ、柊とは違って瑠衣はありすから何度も指導を受けている。心配すべきは柊だ。
それにしても……。
「どうして愛のある我が家が出向かないんだ? 今回の件はまだまだ豊かな生活には荷が重い。澄が行けば解決するじゃないか」
もしかしたら沙鳥は、豊かな生活が早く一人前に成長してほしいと考えているのかもしれない。
いや、それ以外に理由が思い浮かばない。
きっと、そうなのだろう。
朝っぱらから不安を抱えながら、私たちは校門を通り抜けるのだった。




