Episode153/蒼井 碧
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瑠奈の部屋に入ると、意気消沈した様子でベッドに座り込んでいた。
片手にはスマホを握りしめ、翠さんからの連絡を待っているのだろう。
「もう……碧には売っちゃだめだよ……」
瑠奈は呟くように言う。
「わかっているよ……まさか、こんな事態に陥るとは思っていなかったんだ」
覚醒剤をつかっても、離脱症状は、しょせん精神が落ち着き過ぎるくらいだと思っていた。
ーーしかし現実は違う。
耐え難い不安や絶望に襲われるのだ。だから覚醒剤依存症の人は、その不安に耐えきれずに再使用してしまう。
そんな恐ろしい薬物を、私は売り捌いていたのだ。
しばらく無言の間が過ぎる。
何分、いや何時間かはわからない。
そのとき、瑠奈のスマホが鳴った。
相手を確認した直後、すぐに電話に出た。
「翠さん! 碧!? ……よかった……これから向かっても大丈夫? うん、うん。わかった。急いで行くよ!」
瑠奈は窓を開け放つと、空を飛ぼうとする。
「待って、私にもなにかできるかもしれない。謝罪もしなくちゃいけないし」
「わかった。邪魔だけはしないでよ?」
瑠奈のちからにより、数度目の空中飛行。やはり慣れとは恐ろしいもので、昔みたく恐怖は感じられない。
すぐに碧が入院しているらしき病室までやってきた。
あらかじめ翠さんが伝えておいてくれたのか、窓は開け放たれていた。
「あう……瑠奈様……」
まだ意識がハッキリしていないのか、しゃべり方がたどたどしい。
「二人がいれば安心ね。私は少し席を外すから」
と、翠さんは病室から出ていった。
個室だからか、今のこの部屋には三人の人間しかいない。
すると、瑠奈はおもむろに碧に近寄ったかと思うと、軽くビンタをかました。
「瑠奈様……?」
「わたし言ったよね! 覚醒剤には絶対にてを出すなって! 私に言ったよね! 睡眠導入剤は処方された分しかつかっていないって。どうして嘘ばかりつくの!?」
碧はしばらく沈黙を貫いたかと思うと、ようやく口を開いた。
「素面の世界は辛いんです。薬でどうにかして、やっと明るい自分が取り戻せる……」
「それは病院の領分! 碧は精神科医も騙してるんだよ!? きちんと処方された薬を飲んで、地道に治していくしかないんだよ!
「……」
碧は再び口を閉じてしまった。
かと思えば、今度は私のほうに顔を向けた。
「か、覚醒剤を……覚醒剤をやっているときだけ本当の私に戻れた。おねがい、また覚醒剤を」
「ーー!」
瑠奈は碧の胸ぐらを掴んだ。
「そのお金は何処から出ているの? 親でしょ!? 親に覚醒剤をやっているって知られたい? 捕まりたいの? 今ここで決めて。翠さんに報告するか、覚醒剤をやめるか」
「そんなの……どっちにしろ捕まるじゃないですか」
話は平行線を辿っている。
どうしても覚醒剤をやめさせたい瑠奈。
もう一度覚醒剤をやりたいと願う碧。
「碧……言っておくけど私はもう二度と碧に覚醒剤は売らないよ」
「え……どうして!?」
「自分のやったこと、よく考えてみなよ」
覚醒剤にはまり、切れ際にバルビツール酸系の睡眠薬をODして昏睡し救急車に運ばれ、多大な人物に迷惑をかけた。
覚醒剤を完全に悪とは断定しきれてはいない。現に毎回来る顧客は安定してつかっている。
でも、碧には覚醒剤が向いていない。
今回の件でそれが判明した。
「睡眠薬に関しては親に報告させてもらったよ。どこで購入したのかは知らないけど、あんな量、処方じゃ絶対にあり得ないじゃん」
「……そんな……これから私はどうやって生きていけばいいの?」
碧はガッカリした様相を呈している。
「私も悪魔じゃない。エチゾラムや抗うつ剤なんかの処方されたらしき薬は残してるから、それで頑張って生き抜いて」
「……はい」
碧は直観で嘘を吐いていることがわかる。
どうせまた、薬物を裏で購入するのだろう。
でも、瑠奈の心配も少しは伝わったはずだ。
「話は終わったかしら」
ちょうどいいタイミングで翠さんが室内に入ってきた。
「翠さんも、碧が変な薬物を買わないように、お小遣いの管理とかもしっかりしてください」
「わかったわ。碧、二度とこんな真似しちゃいけないからね」
碧は無言で返答を示す。
「じゃあわたしたちは帰りますから、碧のこと、くれぐれもよろしく」
「はいはい。瑠奈ちゃんと……えっと」
「豊花です。杉井豊花」
「豊花ちゃんも遊びにいらしてくださいね」
瑠奈と私は病室から出た。
通路をゆっくり歩く。
「思ったよりも重症じゃなくてよかったよ」
「……これからは売る相手をきちんと選ぶよ」
「本当にそうしてね」
これで碧の薬物依存は治ったのだろうか?
いいや、そうは思えない。
でも、多少は痛い目に遇ったんだ。
あとは碧次第。きちんと薬物と向き合うことを祈っている。




