Episode152/薬物恐怖
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「瑠奈……無関係のひとに怪我負わせてなにを考えているんだ? え?」
愛のある我が家に帰宅そうそう、沙鳥は私と瑠奈の心中を読んで、あのあとなにがあったのか理解されてしまった。
普段は丁寧語を多用する沙鳥の口調は、怒りのあまりか丁寧な言葉を忘れてしまい、激しい叱責を瑠奈に吐き捨てた。
「でも、でも碧が……!」
「豊花は顧客に売っただけだろうが! それに対してお前の態度はなんなんだ? 過剰摂取した自業自得の小娘に肩入れした挙げ句、無関係の一般市民に暴行を働いた。愛のある我が家の掟に一番したがってないのはおまえだよ? ああ!?」
沙鳥はガツンッ! と机を全力で蹴り飛ばす。
「ふぅ……未成年だろうと欲しがった相手に売るのは、豊花さんの裁量に任せました。その決定権は豊花さんにあります。結局、碧さんも自分で欲しがった、それに応えた豊花さんのほうが正しいんですよ」
「そんな……! 碧は豊花の同級生なんだよ!? わたしの恋人候補なんだよ!? そんな、友達に売るなんて間違ってる!」
沙鳥は眉間にシワを寄せながら、瑠奈を睨みつける。
「未成年だろうと、豊花さんや瑠奈さんの知人だろうと、売るかどうかの裁量は揺らぎません」
「この悪魔! どうしてわたしが責められなきゃいけないのさ!」
「あなたは愛のある我が家の理念に反した、逆に豊花さんは期待どおりの仕事を遂行した。取引自体も対等です。未成年だから? 高校生にもなって分別がつかないバカ相手に、現実を売り付けただけの豊花さんに、なんの落ち度でも?」
「……間違ってるよ」
沙鳥の圧力に屈し、瑠奈はなかなか反論できない。
「友達には売らない、他人には売るーーその時点で差別であり、あなたは無意識に友達と他人でランクを決めてしまっています。よく考えてください」
「わからないよ……沙鳥の意見が理解できない!」
「それはあなたが、未だに愛のある我が家の方針を理解できていないお子さまだということです」
沙鳥は瑠奈を諭すように言って聞かせる。
「……間違ってる」
「間違っているのは貴女です。愛のある我が家に入ってから幾数年、未だに本質を理解できていないのは、まさしく無知な貴女なんですよ。未成年だろうと高校生だろうと、既に自己判断ができる年齢。その自己判断で碧さんは自ら覚醒剤に手を出したーーそれだけの話ではないですか」
「うぐ……違うよ……」
瑠奈は反論が思い付かないのか、しばらく口を閉ざした。
……私が碧に覚醒剤を売り付けたのも、原因だと自覚はしている。友達に売りさばいたのだ。たしかに間違ったことをしてしまった。
だからこそ、瑠奈ばかり責められるのにも違和感が生じてしまう。
「一番問題なのが、あなたが無関係な一般市民に感情の高ぶりで攻撃したことですーーその件について、なにか弁明はありますか?」
「……」
瑠奈は無言になってしまう。
いくら苛立っていたとはいえ、たまたま見掛けた見知らぬ男性に理不尽な暴行を加えたのだ。これにはさすがに、私には擁護はできない。
あのときの瑠奈は暴走気味で、私も直ぐに止めに入れなかった。
「いい加減にしてください! 貴女はもう一般人を巻き込むようなことをしないと、以前誓いましたよね?」
「……でも」
「でももなにもありません! 豊花さん、相手を殺害するまえに止めてくれてありがとうございます」
どうやら沙鳥は、私のした行為については特に問題視していないようだ。
室内には沙鳥と瑠奈、私。そして我関せずといいたいのか、無言で話を聞いている鏡子以外誰もいない。
「どうしても覚醒剤を購入してほしくないならば、説得する相手は豊花さんでも私でもありません。碧さん本人を、これから薬に頼らないよう説得するのが筋ではないでしょうか?」
「ーーわかってるよ。でもそれに限界を感じたから、元締めの愛のある我が家に疑問を呈してるんじゃん!」
沙鳥は、『豊花さんはなにも悪くありません。これまでどおり欲しがる顧客には、普段どおり毅然とした態度で販売してください』と私に告げた。
室内が静寂に包まれ、しばらく両者共に居心地の悪い無言の時間が過ぎていく。
実際には数秒な間だが、私にはそれが数分にすら感じられた。
「私たちのポリシーは変えられません。無差別に覚醒剤を買いたいと申し出た相手に売り捌いているに過ぎません。例え相手が高校生だろうと未成年者だろうと、そこに差別は介入しません」
「沙鳥も、豊花も、碧だっておかしい! おかしいんだよ! 覚醒剤に自業自得だと言えるのは、成人以上の人のみだよ!」
「それは、いつ、どこで、誰が発言した言葉ですか? 所詮は貴女のなかで勝手にルールを作り上げただけではないですか」
うう……私が碧に売り付けたせいで、室内の雰囲気は最悪だ。
とうとう鏡子はイヤホンを耳に入れて、関わりたくないといった姿勢になってしまった。
「とにかく、この件で豊花さんや無関係の人に当たるのはお門違いです。文句をいうべきは、さまざまなリーガルドラッグを試しに試した末、現金を獲得して自らの責任で、リスクを承知の上で、イリーガルドラッグに手を出した碧さんにするべきでしょう? 私の主張になにか間違いでもありますか?」
「……ちが」
「違いません。もしも貴女にこれからできることがあるとしたら、碧さんの容態が回復した際に、碧さんに近寄り、如何に薬物が危険であるかを教え納得させることくらいです」
「……」
沙鳥の主張も詭弁な気もしないでもない。
しかし、瑠奈はそれ以上反論できず、再び沈黙が流れ、一時室内が静寂に包まれる。
覚醒剤の密売でここまで話が拗れるものかと正直驚いてしまう。
どちらの言い分にも一理ある。
友達に覚醒剤をばら蒔くのはたしかに誤りに相違ない。しかし同時に、友達だからと言って売らないのは、愛のある我が家の理念にはほど遠いし、なにより対等の取引からかけ離れてしまう。
「私は断薬しようとしている人に、無理に売り付けてくださいとは言っていません。しかし、自らの意志で買いたいという客に対しては自業自得でしょう。私たちは欲すひとに売り、渡してあげているだけなのですから」
「だからって……どうしてよりにもよって、わざわざ友達である碧に売ったのさ!? 覚醒剤のせいでクラッシュがきつくなり、それによってバルビツール酸の睡眠薬を過剰摂取して現実逃避したんだ……それでも自業自得と言いたいの?」
沙鳥は表情を変えずに平然と頷いた。
そうだと言いたいのだろう。
「未成年からこの商売に手を染めた私からすれば、高校生ともなれば大人扱いです。興味本意でシャブに手を出した人間の面倒までは見切れません」
「これが対等の商売……? やっぱり沙鳥は間違ってる! どうして豊花の肩を持つのさ!?」
「そういう気は微塵もありませんよ? ですが豊花さんと瑠奈さん、どちらが過誤なのかと訊かれたら、私は瑠奈さんが誤りであると言うほかありません」
「ーー! このっ!」
瑠奈は沙鳥に接近し、襟首を掴み上げる。
「今度は暴力に訴えかけるのですか? それも別にいいでしょう。ですが」沙鳥は瑠奈の手を掴み振り払った。「私怨で動くような低俗な仲間なんて、落ちるところまで落ちましたね? 昔から貴女はそうでした。気に入らないことがあるたんびに暴力で訴えかける。最底辺」
「……くそっ!」
瑠奈は乱暴に手を振り払い、沙鳥から一歩下がる。
瑠奈も瑠奈だが、沙鳥も沙鳥だ。詭弁のぶつかり合いにすら思えてしまう。
相も変わらず、二人は睨み合いをつづけている。
再三の沈黙のあと、沙鳥は自身の前髪を払い、口を開いた。
「どうしても碧に覚醒剤を渡したくなければ、いくらでも方法はあるでしょうに、なぜ実行に移せないのですか? 嫌われたくないだけではありませんか? 覚醒剤を購入できるだけの金銭を持たせないように、碧さんの親に密告するーー薬を発見次第破棄するーー覚醒剤は毒物だと根気よく説得するーーきちんと断薬させるのに繋げるため、相応の機関に相談するーー両親に報告し、窘めるようお願いするーー方法なんてパッと考えただけでも、これほど手段があります。なぜそれを考えずに、豊花さんや私ばかりに文句を言うのでしょうか?」沙鳥は瞳を鋭くさせた。「貴女が悪役になりたくないだけでしょう。違いますか? いえ、違わないでしょう」
「売らなきゃいいだけじゃん!」
瑠奈は今にも泣き出しそうになりながら、話を最初に巻き戻す。
「自ら愛のある我が家産の覚醒剤を取り扱う売人ーー豊花さんに辿り着き、自らの意志で購入してきた時点で、相手にも相応の覚悟があったと推測できます。シノギで莫大な利益を出している覚醒剤の密造・密売をそう簡単にやめられると思っているのでしょうか? 売らなきゃいいだけーーなら、買わなきゃいいだけです。そうでしょう?」
「ーーくそくそくっそぉおお!」
「癇癪を起こそうが泣かれようが、我々は我々のポリシーに従い行動するのはこれからも変化しません」もしそれが腑に落ちないと言うならば……と沙鳥はつづける。「べつに愛のある我が家を出ていってくれても構いませんよ? どうなのですか?」
瑠奈は瞼を見開いたかと思うと体を揺らす。
以前聞いたように、瑠奈の自宅はこの愛のある我が家のアジトの一室。やめたら出ていかなければならない。
もしも出ていってしまったら、瑠奈は路頭にさ迷うことになるだろう。
ゆえに、いまの瑠奈には拒否権はないも同然だ。
「いい加減、愛のある我が家の規則をきちんと理解してください。あとから入ってきた豊花さんのほうが、ルールの本質をまだ理解なさっていますよ? 後輩ができていることを、貴女は何年も勤めているのに未だにできない、と甘言をほざくつもりですか? いい加減成長してください」
「……なにが愛のある我が家だよ。愛なんて全然、微塵も感じられない組織じゃないか!」
この口論、いったい、いつまでつづくのだろうか……。
両者共の言い分は理解できる。
しかし、瑠奈の場合は感情論で暴走しているようにしか感じられない。そんな私がおかしいのだろうか?
リーダーである沙鳥の言うことのほうが正しいと、バイアスがかかってしまっているのじゃなかろうか?
「瑠奈……次からはいくら欲しがられても売らないようにするよ。断薬にも可能なかぎり協力する。だから、もう不毛な争いはそろそろやめにしない?」
私は、なんとかこの場を収めようと話に割り込む。
「覚醒剤は依存する人間と、一回でやめる人間の両極端に分かれている。もしも碧が前者だったら、しつこく依頼をしてくるに決まっているじゃん……碧の室内で見た注射器を踏まえるに、一回ではやめていない。パケが空だったじゃん? なら最低でも三回は使っちゃってる。覚醒剤の依存はひとによるけど、3~5回の使用で依存症になるって報告もされている!」瑠奈は頭を掻きむしる。「一回でやめられなかった時点で、碧は依存症になっている可能性だって十分あり得るじゃん!」
意外だ。覚醒剤なんて危ないもの、普通は一回つかったら依存症確定で、乱用した皆が皆、やめられなくなると思っていた。
でも、実際には回数をこなすことにより依存に繋がっていくという。
医学論文を偶然見つけたとき、依存性自体は煙草やアルコールのほうが上だと書かれていた。
しかし毒性に関しては、覚醒剤はヘロインに次いでぶっちぎりだと云われている。
「さあ、瑠奈さんはどうなさるのでしょうか? 豊花さんはどうするのでしょうか? 諦めて次回も売り付けるのか、断薬させる仲間として、結弦さんみたく絶対に触らせないようにするのか。まあ、最終的に決めるのは碧さん本人ですけどね?」
瑠奈は沙鳥を再三睨む。
ここまで沙鳥に楯突く瑠奈は、初めて見たかもしれない。
「……決まってンだろ!? 言わなきゃ通じねーのかよ!? 読心術がつかえるならわかるだろーが! ……碧には二度と覚醒剤は使わせない。無理矢理にでも断薬させる。これしかないだろ!」
瑠奈は悲痛な叫びのような言の葉を紡ぐ。
「気持ちは瑠奈と同じだよ。金輪際碧には覚醒剤を渡さない。なにを言われようと断薬を手伝うつもりだよ……あと、これからは売る相手を選別するよう気を付ける」
罪悪感もあるし、覚醒剤に関して無意識にそんな危ない物じゃないかもしれない。といった間違いを心のなかでも正すために、これからは成人相手にしか、知人以外にしか売らないことにしよう。
まさか、まさかここまで大変な騒動に発展するとは思いもしなかったのだ。
最悪、碧は死ぬ。
最悪でなくても、これからの人生を曲げてしまう。それをようやく知識で理解した。なら、間違いを認め、これからは誤らないように心がけようと思った。
「それと決めたならわざわざ口出しはいたしません。ですが忘れないように。再三になりますが、我々は欲する人々に与えているに過ぎません。碧さんの自業自得だということも、また、忘れないようにしてくださいね?」
「自業……自得? まだ薬物の正常な知識を持ち得ていない未成年者に、説明なしに売り付けておいて自業自得……?」
「碧さんは高校生。物事の是非は習得していないとおかしな年齢です。薬物乱用防止啓蒙のビデオだって、学校でとっくに習っているでしょう。それなのに欲してきた。これが自業自得以外のなにものだと仰るのでしょうか?」
言い返せないのか、瑠奈は反論しようにも口が動かない。
「……ひとまず、碧にはしばらくここで生活してもらって、わたしがいるあいだは、私が薬物に手を出さないように監視する。覚醒剤だけじゃない。裏で購入したと思わしきベンゾ系の睡眠薬。あれにも手を出さないようにさせることにする。これが、わたしに最大限できること。部屋はわたしとルームシェア。結弦だって結愛がそうさせているんだ。文句はないよね?」
「構いませんが、相手の親御さんにはなんて説明するのでしょうか?」
「適当な理由をつけて引っ張ってくるよ。幸い、翠さんには信頼されてるもん」
瑠奈は少しずつ落ち着きを取り戻すと、さっそく受け入れる準備をすると室内から出ていった。
覚醒剤の件を伏せて、翠さんに説明し納得させる。
碧の退院日を調べる。
病院に行き、碧を説得する。
それらを早速手回ししに行ったのだと推測できる。
「豊花さんも理不尽な目に遭って苦労したでしょう? 本日は依頼も少ないですし、きょうは休んで構いませんよ」
「はい……」
定期的にこういう仲間割れは起きるのだろうか?
少なくとも、私が愛のある我が家に入ってから、冗談ではない喧嘩を目撃したのは初めてだ。
……どうして碧は、薬物なんかに執着しているのだろうか?
抗不安薬であるエチゾラムをバリバリ食べて、睡眠導入剤は裏から大量に購入。市販のせき止め薬を麻薬代替品として乱用したり、覚醒剤にまで手を伸ばしたり……合法薬物から違法薬物まで無差別に、薬、くすり、クスリ。と、自棄になり薬に頼りきっている気がする。
これらすべてを断薬させるには、相当な根気が必要だし、長期間必要になるかもしれない。
それでも、碧が一線を越えた切っ掛けをつくった一端は、私が担ってしまったのだ。
懺悔の意味でも、可能なかぎり断薬を手伝おう。
そうしなければ、なぜか自分で自分が許せない気がした。
「暗い顔をしているのう。なにかあったのか? 豊花」
玄関から外に出た私の前にはーーようやく帰宅したのかーー澄の姿があった。
「ちょっとね……」
私は答えをはぐらかし、澄と入れ替わるように外に出るなり、瑠奈の部屋に向かうのであった。




