Episode151/薬物連鎖
(216.)
蒼井 碧の家が何処にあるかを知らずに愛のある我が家から飛び出した私だったが、途方には暮れず、無事に碧の住むと思われる二階建ての一軒家の前まで辿り着いていた。
ネームプレートにはしっかりと『蒼井』と銘記してある。
私には力がある。
全力で碧の自宅を探すために久しぶりに能動的にちからをつかった。
まずは思考と唱え、碧が普段学校から帰宅していく方向から自宅の位置を方向を推測。
次に直感とたびたび口に出して唱え、勘で自宅の位置を割り出した。
これで直感と口にしたのは二回かそこらだ。
だけど、どうやら直感だけは思考、感覚、感情よりも、直接唱えると莫大なちからを発揮するらしい。
口から出した瞬間、私は無意識で走っていても自然と向かうべき場所を理解していた。
気がつくと『蒼井』とネームプレートが掲げられた家の前に辿り着いたのだ。
チャイムを鳴らす。
しかし、しばらく待ってみても誰も出てこない。
二階を見上げると窓ガラスが割れて空いていた。
なにがあったのだろうか?
ドアノブを捻ってもやはり鍵が掛かっており入れない。
ーー嫌な予感がする。
二階に上がれるような木などもないし、そもそも脆弱なこの身体では登れるかどうかわからないからあまり意味はないだろう。
仕方ない。なにかあってからでは遅い。
私は庭に回り、縁側にある窓の前に立つ。
鍵のある位置でナイフを逆さまに向け、窓ガラスにナイフの底を強打した。
ヒビが入り、数度打ち付けてガラスを割ることに成功した。
手のひらにガラスの破片が刺さって、少量ながら出血したが今はどうでもいい。
空いたガラスの中に手を入れ内側から解錠した。
窓を開け放ち中に家に侵入。
どうやら、家族はひとりもいないらしい。
「碧! 碧ッ!」
瑠奈の悲鳴に似た叫び声が二階から聴こえてきた。
私は急いで階段を駆け登り、声のしたーー窓ガラスが割れていた部屋のドアを勢いよく開けた。
「碧……?」
そこには、口から泡を噴いてベッドに踞っている倒れている碧の姿があった。
近場にはなにかの薬のシートが数個、全て中身が空だ。
ペントバルビタール、フェノバルビタール、レボメプロマジンとシートには名前が記載されている。
瑠奈は倒れた碧の身体を揺さぶっている。
「豊花!? 碧が! 碧は多分、そこにあるバルビツール酸系の睡眠薬と抗精神病薬をオーバードーズして気を失ってる!」
「バルビツール酸系の睡眠薬……抗精神病薬? え、でも……」
たしか以前ネットで調べたときは、最近の睡眠薬は何錠飲もうが死ぬことはないよう安全性が考慮されているって情報を読んだ気がする。
なのに、今の碧はどうだ?
まるで死んだかのように青白い顔で昏睡している。
「今すぐ救急車呼んで! 手遅れになってからじゃ遅い! 私は携帯を忘れたからしばらく呼べなかった! おねがい!」
「わ、わかった!」
私は言われたとおり、119番に連絡した。
『はい。119番消防です。火事ですか? 救急ですか?』
「きゅ、救急です! 救急車を至急おねがいします!」
『救急車が向かう住所、もしくは目印になるような建物を教えてください』
「目印目印……住所は……?」
私は部屋の机の上に置いてある碧の財布らしき物を開き、保険証を取り出して住所を読み上げた。
『わかりました。具合の悪い方はおいくつですか? 男性ですか、女性ですか?』
「ええと……17歳の女性です!」
『その方は怪我ですか、病気ですか? 意識はありますか?』
くそっ、やり取りが煩わしい!
怪我でも病気でもない!
ええと!
「たしか……バルビツール酸系の睡眠薬と抗精神病薬を過剰摂取したらしく、昏睡して意識がありません! 口から泡を噴いて意識不明です! 早くしてください!」
『落ち着いてください。その方の持病やかかりつけの病院はありますか?』
「わかりません!」
『あなたのお名前とお使いの番号を教えてください』
「杉井豊花、0X0-XXXX-XXXXです! 急いでください! 早くしないと手遅れになるかもしれないんです!」
『はい。救急車を出動させますので、電話を切ってお待ちください』
通話を切り、碧に声をかけている瑠奈に駆け寄る。
「どうしてこんなことを碧はしたの? 覚醒剤に手を出したのはたしかに僕が悪いよ。でも睡眠薬までは売っていない!」
「予想になるけど、碧はうつ病もしくはうつ病に近い状態だった。あるいは双極性障害なのか……鬱状態のひとが覚醒剤を使うと、クラッシューー覚醒剤が切れたときの気分の落ち込みは健常者のそれより酷い!」瑠奈は額の汗を拭った。「その不安定さは最悪の気分で、それからの逃れ方を知らない人間は死にたくなる! 普通のクラッシュなら睡眠導入剤を飲んで寝て起きればだいぶ回復はするんだけど、碧はクラッシュしたタイミングで絶望に駆られ、衝動的に危ない薬を過剰摂取したんだと思う」
危ない薬……さっきから気になっていたが、そんな危ない薬を普通処方するだろうか?
「あのさ、睡眠薬って普通は死ねないんじゃ……」
「それはベンゾジアゼピン系の睡眠薬の話! バルビツール酸系の睡眠薬っていうのは、最悪規定の10倍ほど飲んだだけでも死ぬ恐れのある強力な時代遅れの睡眠薬! どうしても眠れないひとにしか出されないし、今は大抵入院患者にしか普通の医師なら自殺の恐れがあるから出さないんだよ。精神病の人には、普通は出すのを躊躇うんだ……特に未成年者には」
「強力な睡眠薬……舞香が言っていたフルニトラゼパムよりも?」
「そうだよ! なんでそんな危険な薬にまで頼ってるんだよ碧! 誰だよ! 未成年にバルビツール酸系を出したヤブ医者は!」瑠奈はこちらを振り向く。「未成年の女の子に危険な薬を平然と渡しやがった奴は誰なんだよ!? 言ってみろよ!」
「……ごめん」
まさか、まさかこんなことになるとは思わなかった。
覚醒剤が自殺に繋がるなんて、これっぽっちも予想していなかったのだ。
「覚醒剤はね……売る相手を見極めなきゃいけないんだ……。わたしたちは相手が成人してれば例え死のうが自業自得だと考えて処理できる。だけど、未成年者は限度を知らない。知識がないんだよ。興味本意だけの人に売っちゃダメだよ……」
「ーーだって、沙鳥は知り合いでも、私が判断して売るかどうか決めていいって言ってたんだ! 知らなかったんだよ! ここまで危ない物だったなんて!」
「言い訳するなッ! どうして友達にそんな酷いことができるのさ!?」
「碧が売ってくれって強く言ってきたからだよ! わからないよ……最近させられた仕事に、そこまで責任を取らされるなんて……」
わかっている。
私が悪いことは百も承知だ。
でも、私だけのせいなのか?
碧だって、沙鳥だって無責任じゃないか!
「覚醒剤の件については救急の隊員方に言うべきなの……? というか病院に覚醒剤についてバレれば通報されて、下手したら入手経路がバレて私も捕まるんじゃないの?」
「ここまで来て保身!? 自分の身のほうが大事だって言いたいの!?」
「違う! すぐに救急車を呼んだじゃないか! ただ気になるだけだ! 言うの? 言わないの!?」
瑠奈は顔を両手で覆うと深呼吸した。
激昂していた瑠奈は、少し落ち着きを取り戻した様子で口を開いた。
「べつに、言う必要はない……。碧が昏睡している理由はバルビツール酸系と鎮静作用が強い抗精神病薬の過剰摂取によるものだし、それがわかっているのにわざわざ病院で覚醒剤を検査する必要はない筈。麻薬と違って覚醒剤は病院側に通報の義務もない。この年齢、精神科に通っている点から考えると、希死念慮による衝動的な自殺未遂に捉えられると思う。なにより碧自身も捕まっちゃう……」
「……わかった、言わないようにする」
そのとき、下から誰かの足音が聴こえてきた。
まずい!
誰かが帰ってきた!
「あおー? 今日の昼食チャーハンでいいー? ほいほいチャーハンっと」ガチャッと部屋の扉が開かれた。
そこには、碧の母親らしきひとの姿。
「あら、瑠奈ちゃん遊びに来ていたの? いらっしゃ……え……碧……? 窓が割れ……て……?」
「翠さん! 碧が睡眠薬を過剰摂取して昏睡してる!」
瑠奈と碧の母親ーー翠さんというらしいーーはどうやら面識があるようだ。
「え!? ちょっと碧! 碧! 碧しっかりしなさい!」
翠さんは悲鳴を上げながら碧に近寄ると肩を揺らす。
「いまさっき救急車は呼んだから、すぐ来ると思う!」
「碧! どうしてそんなことしたの!? 第一あなた、睡眠薬なんて処方されていたの!?」
「……っ! まさか……!」
瑠奈は冷や汗を滴ながら机の引き出しを次々に開けていく。
なにかを発見したらしく動きが止まった。
「ゾルピデムにトリアゾラム、フルニトラゼパムにニトラゼパム、ロルメタゼパム、エスタゾラム! この睡眠薬の数は処方じゃ絶対に考えられない! だとしたら……碧……どうして睡眠薬まで裏で購入してたのさ? 言ってたのに……ちゃんと精神科に通って処方してもらってるって……嘘つき!」
「裏で購入……?」
「氷が裏で取引されてるように、睡眠薬を扱う売人もいるんだよ。大半は生活保護で病院代がかからない人たちの中で金稼ぎのために精神科にかかる人がいて、睡眠薬を処方してもらって売って小遣い稼ぎをする……そういうやつらもいるんだよ」
瑠奈は翠さんがいるからか、覚醒剤というワードを途端に裏での呼び名ーー氷ーーに変えて説明した。
「碧……ああ碧! どうしてそんなこと……! 最近お金を浪費してると思ったら、あなた睡眠薬なんて買っていたの!? バカッ……!」
そのときチャイムが鳴った。
翠さんは慌てて下に行き、救急隊の方を連れて上がってきた。
「わたしたちはもう出るから、翠さんは付き添ってあげて」
「え、ええ……ありがとう瑠奈ちゃん」
「……」
瑠奈は無言で立ち上がり、ふらふらとした足取りで走り歩きで家から出た。
私も追うように外へと出る。
瑠奈は俯きながら相も変わらずふらふらと歩く。
しばらく歩くと、塀を思い切り拳で殴り付けた。
風のちからを使っていないのか、拳がもろにコンクリート塀に激突し、手から血が滴り落ちる。
「私が……もっとちゃんと止めるべきだった……早く気づいてあげて、薬を没収してでも止めるべきだった……!」
「瑠奈……」
と、前からチャラチャラした不良みたいな人間が二人歩いてきた。
瑠奈と私をじろじろ見たかと思えば立ち止まる。
「なになに? 君らなにしてはるの? 二人とも手から血ぃ流しているじゃーん」
「おいおい相棒、ロリっ子にナンパですかー? たしかに二人ともきれいだけどよ、あはは!」
「いやいや心配してるんだよ。だって二人揃って血流してるってヤバすぎ案件じゃん」
二人組は見た目と違い、本当に心配そうな顔をしている。
と、瑠奈が腕を上方に突き出し、男の顔面を鷲掴みにした。
「ちょっ! 瑠奈ッ!」
「へ……?」
「ーーぁぁああああアアアアアアアッッッ!」
瑠奈は男の頭を掴んだまま、思い切り振り回し後頭部を地面に叩きつけた。
ガンッーーと周囲に鳴り響くと、地面に少しヒビが入った。コンクリートに亀裂が走る。血が辺りに散らばった。風が辺りに吹き荒れる。
精霊操術の力をつかったのだとわかる。
「だっ!? がぁあああ!!」
「お、おい相棒!? なにしやがんだ!?」
瑠奈は倒れた男を再度蹴り飛ばし、再び顔面に手のひらを叩きつける。
「なあ? 知ってるか? わたしはひとがどれくらいやれば死ぬかを熟知しているんだよ。今のわたしは機嫌が最悪なんだ、よかったな? 瑠奈様に拷問される機会が与えられたぞ、本当にやったなクソどもがぁぁああ!」
「瑠奈! 待って! そのひとは無関係だ! 本気で心配してくれてたじゃないか!」
「うるせェ黙ってろ! 今すぐなにも言わずに立ち去れば許してやる! だけど」瑠奈は男の人差し指を掴むと、意図も容易く骨を折った。「やるッてんなら死ぬまで24時間拷問コースだ! 総入れ歯決定だ! やったなオイ!?」
「ひ、ひぃ!」
まずい。瑠奈は見たことがないくらい暴走している!
瑠奈を背後から羽交い締めにし、なんとか倒れた男性から引き離す。
「今のうちに逃げてください!」
「ひぃ!」
「あ、つっ、おい相棒!」
頭からどくどくと血を流し後頭部を抑え朦朧としている男も一緒に、男たちは全速力でこの場を立ち去った。
「瑠奈! 無関係のひとに八つ当たりしちゃダメだ! どうしても気が晴れないなら……私をぶてばいい! 気が済むまで殴り付けるといい! だけど他人はダメだ!」
「……豊花に裏切られて……碧にも裏切られて……なんなんだよ……クソ、クソクソ!」
瑠奈は数度地面を殴り付ける。
さらに拳からの出血が酷くなる。
下手したら折れているかもしれない。
やがて、少し落ち着いたのか、無言で歩き始めた。
私はなにも言えずに、瑠奈の後を追いかけた。
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