Episode149/日常の再開③
(213.)
「デートは楽しかったですか?」
と沙鳥にいじられながらも、私は朝過ぎ辺りの時間帯に愛のある我が家にやってきていた。
どうやら愛のある我が家には労働基準法というものは存在しないらしく、一般的な会社からすれば超絶ブラック会社に当てはまるんだとか。
イリーガルな仕事内容に加えて労働形態は超真っ黒って、なんだか闇より深い深淵のような会社じゃないか……などとバカみたいなことを考えてしまう。
「だれと……いってきた……んですか……?」
室内には沙鳥と私、あとは鏡子と香織の四人が集まっている。
そのうちのひとり、鏡子がやたらと過剰に反応してきた。
べつにだれとデートしようが、鏡子にはなにも支障はないはずなのに……。
「その鈍感さは、ときたま私もイラッときますね……」
「? いや」沙鳥にまで言われ腑に落ちないが。「普通に瑠璃……葉月って二人の姉妹がいたじゃん? 本当は瑠璃と二人で行く予定だったんだけど、なぜか瑠衣までついてきちゃってさ」
「……そうですか……楽しそうで……なによりでしたね………………」
「なんでむくれてるの?」
「むくれてなんか……いません……」
いや、明らかに怒りを露にしているだろう。
物事はハッキリ言って然るべきだ。
察してちゃんは、私は好きか嫌いかでいえば嫌いなほうなのに。鏡子は察してちゃんタイプなのだろうか?
「まあ、人の恋路を弄るのはこの程度にしておきましょう。豊花さんには前以て伝えたとおり、やはり覚醒剤の密売のほうがやりたいとのことでしたが、間違いありませんか?」
「いや……売春の幇助よりかはマシってだけで……」
「でしたら、本日より覚醒剤の小売りをしていただきます。川崎駅、溝の口駅、登戸駅、立川駅の南武線沿いにある各四つの駅に顧客が現れますので、指定した時間になったら顧客と売買を交わしてください」
沙鳥はテーブルの上に鞄を置く。おそらく覚醒剤入りだと思われる縦長のお菓子が一箱一箱ビニル袋に入れられた物が四つ、鞄の中から顔を覗かせていた。
ビニル袋の端には小さく『川』『溝』『登』『立』と書かれてある。
「時間は10時に川崎、11時に溝の口、12時半に登戸、14時に立川が取引時間です。到着したら向こうから連絡が来ると思いますので、取引場所は人目を避けてお願いします」
沙鳥は今やもう古いガラケーーーフューチャーフォンーーをやさしく投げ渡してくれた。
「それが顧客と繋がっているトバシケータイです。すべて回り終えたら帰宅してください。慣れてきたら商品をお菓子ではなく封筒に別けるようにして、現地で小分けし注射器も数十本持ち歩いてもらうようになりますよ」
「ちょちょちょ、待ってよ! 職務質問されたら一発アウトじゃん!」
「大丈夫ですよ。休日のこの時間帯に中学生が、あなたの見た目で売人だと疑るひとはそうそういませんから」
「でも……」
「とりあえず、今はその仕事をこなしてください。帰宅後は、依頼が入っていたら続行しますよ」
本日は被らない程度の客足でよかったですね~などと言われてしまった。
第一、この鞄に入れるならお菓子に偽装せずともビニル袋を被せなくてもよかったんじゃないか?
と考えると同時に至った。
ーーそうか。買う側のことを考えてなかった。
向こうが手持ちぶさただったとき、どうやって運搬するというのだ。
だから念のためにビニル袋と菓子箱を用意してあげているのか。
「取引時だけ注意してくださいね。まずは近郊の駅、川崎へ10時前に到着しておき、目立たない場所で人混みに紛れて連絡を待っていてくだされば大丈夫です。緊張する必要はほとんどありませんから気にしないように頑張ってください」
「わかった。行ってくるよ……」
「豊花さん……行ってらっしゃい……ませ……」
「ゆゆゆゆ豊花さんさん、いいいいってらっしゃい」
「二人ともありがとう。別の仕事、そっちこそ頑張ってね」
みんなから“エール?” を送られ、私は鞄を手に持ち愛のある我が家を後にした。
(214.)
沙鳥に言われたとおり、川崎駅の改札口前に9時50分に辿り着く。
こっちで合っているのかもわからないが、念のため改札から出てくるなかで怪しげな見た目のひとがいないか探してみる。
既に季節は冬。雪が降ってきてもおかしくない寒さのなか、着てくる服装に失敗したかなと少し後悔した。
まさか、だいたいが外で待機をしている仕事だとは思っていなかったんだもの……。
「ん!?」
ーーピリピリピリ。
ああ。
トバシケータイの着信音が耳に慣れず、すぐにこれだと気がつかなかった。
トバシケータイを手に取り、ええと、これを押せばいいのか?
すぐに通話を繋げケータイを耳に押し当てた。
「もしもし」
『到着した。約束通りのネタを頼む。場所は改札出た右の方でスマホを今耳に当てている』
言われた方向をキョロキョロ向くと、たしかにそれらしき黒一色の衣服を着用して、スマホに耳を当てている男性が視線を右往左往していた。
「見つけました。こちらから近寄ります」
『頼む』
通話を切り、鞄から『川』と書かれた菓子入りの袋を手に取り出す。
向こう側もこちらに気づいたようで歩み寄ってくるが、妙に驚いた表情を顔に浮かばせた。
「こんなガキが売人してんのか? 日本も終わりなのかねぇ」
「……あははは。まあまあ」あははは、まあまあーーってなんやねん。「これになります、お菓子に入っています」
「知ってるよ、君らのやり方は。ありがとう」数万円を空いた鞄の中に男性は自然な流れで入れると、「また頼むよ」と立ち去っていった。
鞄の中の金額を念のために確認したら、きちんと七万円入っていた。
……きちんと……七万円……。
私は急いで沙鳥に連絡した。
「あの!」
『なんでしょう?』
「誰にいくら貰えばいいのか聞き忘れているんですけど。これじゃ詐欺られてもわかりませんって!」
『ああ、忘れていました忘れていました。まあ、きょうはひとり以外常連客ですから詐欺に来る可能性は低いと思いますし、基本的に詐欺したひとには後々に報復する方向で働きかける商売なんですが……あったあった。えっとですねーー川崎駅ではネタ2gと道具4本で七万円』
「それは今終わりました」
と、往来の真ん中で札を覗かせた鞄を放置している現状を自覚して、鞄を改札外の端に寄せた。
『溝の口がネタ1gと道具2本で4万円。登戸が初心者らしく詐欺かどうかの味見価格として、ネタ0.2g道具1本の1万円です。立川はよく利用してくれる顧客なので安価です。ネタ5g道具10本の13万円です。騙すひとはいないと思いますが、念のため注意してくださいね』
「ふぅ……なんとかわかりました。もう切りますね。あのーー」
『どうしました?』
「もしも、もしも例えば客の中に知り合いがいた場合、売らないほうがいいんですか?」
『……例えば現在断薬している結弦さんならば、売らないべきでしょう。ただ、あなたの単なる学友ーー宮下さんでしたっけ? みたく単なる知り合いなら、あなたの判断で売ってもいい気になったら、気にせず売ってください。売ってもいいと、自分で判断した結果が伴うだけです。向こうはお客様です。お客様を優先してくださいね』
「うん? なんだかいまいちよくわからないけど……」
とりあえず、頭がモヤモヤした状態のまま通話は切られた。
もしも宮下が覚醒剤を購入しに来たらどうしよう?
こちらは売る側だ。売らない権利もある。
しかし、それは正しいのだろうか?
他人にはバンバン気にせず毒を売り撒いて、知人だけには毒を渡さない。
それは少し、不平等な気がした。
愛のある我が家の理念である、対等な商売から逸脱し過ぎているのではないだろうか?
ーー余計なことを考えている暇があるなら、次の目的地に向かったらどうだ?ーー
それもそうか……。
ユタカに言われ鞄を背負い、改札口に入り南武線のホームに降りた。
でも、嫌な予感がする。
嫌な、予感がしてしまう。
こういう嫌な予感って、最近の私だと十中八九当たってしまうのだ。
百発百中というレベルではないが、なにかしら自分にとってマイナスな事態が発生するのである。
何事もなく終わってくれればいいのだけど……。
次の目的地は11時に溝の口。無駄に立ち往生してしまったせいで、時間はわりとギリギリだ。
到着すると、早速向こうから連絡がかかってきた。
まだ予定時刻から10分早いんじゃないか?
一応、その電話に出てみることにした。
『あ、あの着いたんですけど、どっちですか!?』
「へ? 落ち着いてください。どっちってなんでしょうか? 私も到着していますよ」
『あ、あの、改札口。南武線と東急とどっちですか?』
ああ~!
なるほど。
ここは南武線と東急田園都市線はひとつのホーム内にはなく、別れているのだ。当然、改札口も二つあり、近場とはいえ溝の口駅と溝ノ口駅の二駅がある。
「だったら南武線の改札口まで来てくれませんか? で、改札側から見て左側の通路が人気がまだ少ないので、移動しながら渡しましょう」
「わ、わかりました~」
さっきのひとと違ってだいぶ緊張している様子が窺えた。
売人が十人十色なら客も十人十色、いろいろな客がいるってことだ。
私はただ淡々と欲しがる相手に金銭を貰いネタを渡すだけ。
私は悪いことはしていない。
私は……私は……。
ーー自分に言い訳して苦しみから逃れるぐらいなら、この仕事もさっさとやめるべきだろうな。ーー
違う!
これは犠牲者が出ない仕事だ。
覚醒剤を欲しがるやつに覚醒剤を売っているだけのこと。
舞香さんが言うとおりなら、覚醒剤が原因で暴れるといった事例は飲酒運転より圧倒的に少ない! 微量なんだ!
自分ひとりで覚醒剤を楽しむ人間に与えているだけだ。
暴れて人殺すやつは薬なんかなくても殺人を犯すような人間だっただけの話だ。
だから……私は悪くない……。
ーー……。やっぱりつらいーー言いたくなったら、素直に言うんだぞ?ーー
『溝の口の改札口に来ました。左側通路って、こっちですかね。あれ、こっちですかね?』
目の前にふらふらした足取りでガラケーを耳に当てている痩せこけた男性が立ち往生していた。
問わずともわかる。あれだ。
「今出しますからお金の用意をお願いします」
「へ? ああ、君が!? あ、ははい、わかりました」
『溝』と書かれてあるビニル袋を取り出しつつ、中身に菓子箱が封入されているのもチェックする。
男に歩くように促し、歩かせる。
改札口前で棒立ちでこそこそやっていたら、怪しいったらありゃしない。
まずは男に対して、そのビニル袋を渡した。
「菓子の中に入っていますので」
「ありがとう。じゃ、じゃあ四万円……」
「!?」
ちょ、ちょまてーい!
この男、往来のど真ん中で財布をピッチリ取り出して、札を四枚取り出したかと思うと、一、二、三、四万円と、コンビニの店員ばりにピッチリ数え直して渡してきた。
渡してきやがった。
今まで取引する際、金銭は皆、隠しながら渡してきてくれた。
こんなお天道様に照らされ人目に曝されるど真ん中で、万札を丁寧に数えることまでして渡してきた客は、これが人生ではじめてだ。
いや、いないのではなかろうか。
「そ、それでは失礼します」
金銭を受けとるや否や、私は早々と現場を後にした。
援助交際に見られなくもない金額だから尚更嫌すぎる!
裏で薬物をやり取りするなら、暗黙のルールくらい身につけてもらいたい。
薬物に思慮深くない私でさえ、あれはアウトだとわかるぞ?
時計を見ると、まだ11時30分にもなっていない。
12時30分に登戸……登戸までここから10分ちょいで到着してしまう。
時間が無駄に空いてしまったな。
沙鳥的には昼飯の時間を宛がってくれたのかもしれない。
そう思うようにして、私は近場のおいしそうなランチが食べられる店を探し、昼休憩を嗜むことにした。
(215.)
登戸駅に着いて階段を昇る。今までの駅とは違い、少々こじんまりとしている気がした。
時計を見ると、12時25分。
もう相手側も到着していておかしくない時間だ。
私は改札口から出ると、南武線と小田急線の行き来できる通路の端で脱力し、少しだけ待つことにした。
……ここにいるひとも、私が覚醒剤を売り歩いているなんて予想できるひとなんていないだろうな。
ーーチリリリリリ。
ガラケーの着信音が鳴る。
おそらく相手からだろう。もう29分になっている。
「もしもし、どちらの改札口前にいます?」
『えーーあ、えっと……南武線の方に』
珍しく、相手は女性の声だった。
向こうは初心者らしいから緊張しているのもあるだろう。
ここはなるべくエスコートしてあげなくてはならない。
ーーでも、なんだろう?
あの声、聴いたことがあるような……。
南武線の改札口前が見えてくる。
やがて全貌が見える。
左右に首を振ると、私たちと同じくらいの歳の少女がーー瑠奈に会いたいと騒いでいたクラスメートがーー薬物がやりたいとほざいていた女の子がーーそこには佇んでいた。
「な、なんで杉井がここにいるわけ? どうして……電話に出たわけ?」
「それはこっちの台詞だよ……私は愛のある我が家の仕事として、これ」菓子を軽く見せた。「を売り歩いているだけなんだ。なのに、どうして碧が?」
碧はばつが悪いといった顔をしながら、舌打ちする。
「瑠奈様にメチルフェニデートっていう合法覚醒剤ともいえる向精神薬、売ってもらうかないかお願いしたの。でも……」
ーーあれは覚醒剤以上に入手が難しいし、大切なひとに覚醒剤なんてやらせたくないよ。ごめん、あきらめて。
「って言われちゃった」
「って言われちゃったじゃないよ! なら、どうして注文したの? どういうルートでうちらの販売ルートに辿り着いたの?」
覚醒剤の売人は大量の人数がいる。
しかし、まずその大半が岩塩を砕いたり塩を見せたりするだけの詐欺師であり、基本的に数万で塩を買うハメになるだけで事は済む。
次に粗悪品を売買している売人。他者、例えば愛のある我が家から購入した覚醒剤に異物(カルキ抜き等)を混入して嵩ましし、さらに値段を上げて販売し利益を得ている売人もいる。
そんな中、ここらで一番純度が高い覚醒剤を扱っていると噂されている愛のある我が家産を購入するには、なにかしらのツテや紹介がないと辿り着けない。
それを、ピンポイントで当てたって言うの?
「お金はちゃんと用意してある。大学生の薬中から紹介してもらって詐欺師じゃない場所を教えてもらったーーそれがあんたたちだとは思わなかったけどーーでも、ようやく本物に巡り会えた」
「ちょっと、ちょっと待ってよ……」
どうすればいいんだ、私は……。
嫌な予感は、別の角度から襲ってきた。
これを普通に売買するだけで話は終わる。
だけど、これを販売したら、瑠奈の大切なひとに瑠奈の大嫌いな薬物を渡した犯人に私はなってしまう。
手が震えてきた。どうすればいいんだ。どうすればいい……。
「ッ!? もしも売ってくれないなら、今からおまえが覚醒剤を売りばら蒔いていることを警察にチクるから! さあ、どうするの!?」
「そんな! そんなことされたらーー」
芋づる式に本日販売した顧客にも迷惑をかける。親にもまた失望される。愛のある我が家全体の利益を損ねる。学校にまで迷惑は及ぶ。
ーー仕方ないじゃないか。
「わかったよ……このビニル袋の中の菓子箱に02と道具が入っているから。一万円ぴったしね」
「やった! ありがとう。やっぱり話がわかるひとでよかった! きっと瑠奈さまもわかってくれるはずよ!」
「量には気を付けてよ」
一応初心者相手にトラブルを犯さないように沙鳥に説明してくれと言われていた内容を思い出した。
「それには02、0.2g入ってるけど、まとめて使わないで。初めてなら、注射の場合は0.03gくらいに抑えること。どんなに多く入れても耐性がまだなんだから0.1g以上は使わないこと。わかった?」
「わかったわかった、わかってるって! だって、以前から興味あったんだもん!」
碧はただただ喜び、覚醒剤を自らの鞄にしまった。
0.2gーー初心者の5回分ほどの量である。
碧がその五回でやめてくれるのを、あとは願うのみとなってしまったーー。
この日、このあとの出来事は記憶が曖昧であまりよく覚えていない。
たしかに常連に届けに行った記憶や、愛のある我が家に帰宅した記憶はあるのだが、どこかボンヤリとしてしまっている。
私は、大切な仲間を裏切ってしまったのではないかと、自問自答に苦しめられた。
そのたんびに、そんなわけがない。他の客と同列に扱い商売しただけの話だ。と自分で自分に言い訳をした。
初心者が誰だったのか、私はまだ誰にも言ってはいない。
碧に覚醒剤を渡したことを、まだ瑠奈に言ってはいない。
※真中を殺害したことを忘れて真中が活躍した話を書いてしまっていたことを自覚し判明しました。死ななかったことにするため、真中殺害シーンはカットすることにしましたことを、深くお詫び申し上げます。何卒ご了承くださると助かります。
※ブクマ・評価・感想をくださる方、ありがとうございます!おかげでモチベーションに繋がっております。これからも本作品をよろしくお願いします。




