Episode13/友達(後)
(33.)
騒がしく生徒に溢れている昼休みの廊下。
ありす(仮)に向かって歩みを進める瑠璃に僕も並ぶ。
「……さんに似ている? いや、そんなはず……」
瑠璃はなにかぶつぶつと呟いている。
なにかを考えている?
「瑠璃?」
「……なんでもないわ。ほら、ありすだっけ? そのひともこっちが気になっているみたいじゃない」
ありす(仮)は目線を逸らさずこちらを向いたまま、腰に片手を当て佇んでいる。
そして、そのまま目の前に到着した。
「なにか用?」
ありす(仮)は眉ひとつ動かさずに訊いてきた。
「悪いんだけど、訊いてもいい? あなたここの生徒?」
瑠璃は負けじと尋ねる。
僕は緊張して固まってしまっているのに、これが異能力を扱う犯罪者と対峙してきた経験の差なのだろうか?
「そうに決まってるじゃん。見てわからない? ていうかさー、上級生に対して敬語ひとつもないってあんまりじゃない?」
赤色のリボンタイをひらひらさせながら、ありすは言い返した。
「じゃ、じゃあなんで朝来るとき、制服じゃなかったんですか?」
きちんとは見ていなかったけど、たしかに着ていなかったはずだ。
少しだけ間が空く。周囲の生徒たちの駄弁りがいつもよりひどく耳に響く。
「お姉ちゃんと見間違えたんじゃない?」
「お姉ちゃん……?」
間違えるだろうか。
いや、いやいや、間違えるか?
たしかに瑠衣と瑠璃並みに似ていたらと考えれば、完全に否定することはできない。
けど……だけど、そんなに似ている姉妹が、偶然身近に二組もいるか?
「じゃ、じゃあ、昨夜、あのマンションに行った理由はなんですか? あれも姉だと言うわけですか?」
「ーーそれは私だよ? 友達がいるから遊びに行った、悪いこと?」
「……」
悪くは……ない。
僕だって、瑠衣に誘われて遊びに行っていたんだ。
だからといって、不信感は募っていくばかり。
「私、実は風紀委員なんです。ですから全校生徒の顔は覚えているんですけど、あなたはちょっと見覚えがなかったんですよ。生徒手帳を見せてもらってもいいですか?」
ハッタリだ。
瑠璃が風紀委員だったなんて話、一度も聞いたことがない。
それに週一とはいえフルに学校外にいる日があるのに、そんな委員会なんてする暇ないはずだ。
「ごめんね、持ってきてないや。でもさ、普通、いちいち持ち歩かなくない? そっちこそ、持ち歩いてるか見せてみてよ?」
「いまから職員室まで同行してくれませんか? それくらいなら構いませんよね、先輩?」
瑠璃はありすの返しを無視して無理やり提案する。
「どーしてそんなに面倒なことしなきゃならないのー?」
「なら、ここにいる理由はなに? 誰かを待っているなら私、呼んできますよ? 誰を待っているんですか?」
「余計なことはしなくていいから。ありがた迷惑、って言葉くらい、学校に通っているなら知ってるよね? 想いを抱くあの御方にー悪い虫がついていないかーこれからつかないかー影からそぉっと見守っているだけだから。本人には知られたくないの。さあさ、あっち行ったあっち行った」
ありすはおちょくるように言うと、手を払って暗に「あっちに早く行け」とアピールする。
「……話は変わるけど、ちょっと質問いいかしら、河川先輩」
へ?
河川先輩って?
「次はなん……なの!?」
何故かありすは、それに返事をした。返事をしてしまった。
返事をしたことに対して、しくじった、とばかりに舌打ちまでしたのである。
「へぇ、河川先輩ねぇ? 風守学校には現在、異能力者は瑠衣と豊花の二人しか在籍していないはずなんだけど、おかしい話ね。異能力者の河川先輩なら、とっくに卒業して異能力者保護団体に所属しているのに……最初から嘘ばっかり」
「あのバカ姉……はぁ、まあいいや、バカは私か。バカしたなぁ、これ。どうしようかな~? 契約内容反故は要らんトラブル招くし……」
ありすはつまらなそうに唸りながら、ぶつぶつとわけのわからないことを呟く。
「認めるのね」
「嘘は最初だけだよ、それは本当。まあ、遊びに行ったイコール会ったではないんだけど。ねえ? 第二級異能力特殊捜査官神奈川県支部異能力者保護団体準構成員“葉月瑠璃”、新規異能力者“杉井豊花”」
「え!? な、なんであんたが!?」
僕も瑠璃も息を飲み驚愕する。
ありすは瑠衣以外についての情報も知っているのか!?
おかしい、おかしいおかしいおかしい!
瑠璃はともかく、僕はターゲットである瑠衣と最近知り合ったばかりの存在だ!
なのに、なぜ!?
「このままうだうだしていても無意味だし、状況は変わらないわこっちだけ不利になるわ……なのに契約だから口に出したら契約違反になるわ……無駄無駄。もう私は行くことにするよ。せいぜい学校の中では気を付けてよ。妹の命が惜しいならさ?」
「ちょっと、待ちなさい!」
ありすは人垣に上手く隠れるように立ち去り、結局それには追い付けなかった。
瑠璃は悔しそうに地面を蹴ると、拳を握りしめる。
「ふん、三流の捨て台詞ね。言われずとも、あんなヤツに瑠衣は殺させない」
「三流の捨て台詞?」
金沢の捨て台詞とは、どこかニュアンスが違うような気がした。
契約違反になる?
嘘は最初だけ?
新規異能力者?
それに、学校内では気を付けなさいという言い方も引っ掛かる。
まるで学外では狙われないか、狙われても大丈夫かのような、不思議な言い方……。
「あいつ、まさかと思ったけど、どうやら河川さんの妹みたいね。幼い頃に亡くしたと聞いていたけど、生きていたわけ? 今度会ったら問い詰めないといけないわね」
「河川さんってだれ?」
「知らないの? 風守学校の卒業生だし、豊花が一年のときの三年生よ?」
あいにく同級生すら、というかクラスメートの名前すらほとんど覚えていない。
そんな僕は、もちろん上級生の顔だって誰も知らないし、下級生も瑠衣以外顔馴染みはいない。
「顔つきが似ているし、もしかしたらって思って引っかけてみたんだけど……まさか本当に河川さんの妹だったなんて思わなかったわ。河川さんも嘘つきだったとは……」
その河川さんという人物の妹はかなり昔に亡くなっている、と瑠璃は河川さんとやらから聞いていたらしい。しかし、河川に反応したし、認めるような言動もしていた。
つまり、その河川さんとやらの発言は真っ赤な嘘。
それ以前に、ありすに関する問題ーー瑠衣の危険は、ありすを捕まえなければ一生解決してはくれない。
早く、早くどうにかしないと……。
警察に通報しても、そんなことを信じてくれるひとーー殺し屋に狙われているだなんて話を信じてくれる警察官ーーはいないだろう。
そして瑠璃いわく、異能力問題に関しても、それ以外の問題全般に関しても、警察とやらは、事が起きてからしか腰を上げないという。
問題が起きそうな段階ではなかなか動かないだけではなく、対策を練ろうとすらしない場合もある。
それが、今現在の警察だと、瑠璃はやたらと強調してきた。
やがて、あわただしくても、危険が迫っていても、普段と変わらず、放課後というものはやってきたーー。
(34.)
下校時、僕と瑠璃は、ありすが周囲にいないかどうか確かめながら帰っていた。
今回は僕だけではなく瑠璃も警戒している。それだけで、二倍以上も心強く感じる。
瑠璃も、瑠衣に対してありすのことを言うのは避けたいらしい。
僕みたいに単純な理由ではないらしいけど……。どうやら、ありすの問題以前に、瑠衣が誰かに対して常時警戒するという事態に陥るのは、可能な限り避けたいみたいだ。
そもそも僕が警戒しつづける立場に陥るのも問題らしく、その原因を取り除き緊張状態を解除しなければならないと説明してくれた。
なぜなら、異能力霊体の侵食を早める一因は、“マイナス感情の昂り”だからーー。
「姉さん? 豊花? なんだかきょう、変だよ」
「瑠衣、あんたはべつに気にしなくていいのよ。ちょっと気になる用事があってね」
人気の薄い、例の細い道に入る。
今朝、ありすが追跡してきていた道だ。同時に、瑠衣が強制性交未遂に遭った公園の横を通る道でもあり、瑠衣がありすと出会った場所でもある。
ここは、もっとも警戒すべき場所のひとつだと思う。
ーーはてさてどうしたものかね。ここできみが死ぬのは私からしても害悪でしかない。こんなふうに思考に干渉ができ対話が可能な肉体、もしかしたら世界初かもしれないしね? ふむ……その体に内包された力を使ってみせれば、きみもその力と真の価値に気づけるかもしれない。だから、特別にサービスしようか。ーー
僕は頭を振って、強制的な意志ではない意識、偽りの思考を端に追いやろうとする。
おまえには関係ないだろう!?
そんなことより瑠衣を守るんだ!
邪魔するなよ!
「豊花?」
「どうしたのよ、急に」
「いや……早く行こうか」
訝しげな表情を向ける二人に対し、気にしないでくれと伝え、帰路を歩く。
やがて、瑠衣が犯されそうになったーー話にも出てきた例の草がぼうぼうの空き地にしか見えない公園が視界に入った。
あそこに隠れている可能性は?
高いんじゃないだろうか。
草原からジッとこちらを見られていたら……。
ん? 草原が少し動いた気がーー。
ーーいいや、気にすべきは前方だぞ?ーー
思考に遮られ別の方向に目線が向いてしまう。
向こうから二十歳ほどの男性が、ガラケーを耳に当てながら歩いてくる。
公園の前で、男性と横切る体勢になろうとする直前、目前の男に対して、脳が警告を発してきたのだ。
直感が働いたのだ。それに……。
ーーこのままではそいつに殺されるぞ。ーー
脳裏に響く声を聞き終える前に、僕は直感的に動いてしまった。
腕を真横に伸ばし、瑠衣と瑠璃を背後に下げて男性から離れさせたのだ。
「ゆ、豊花? いきなりなにをーー」
瑠璃が疑問を呈するまえに男は口を開いた。
「おかしい。殺意も、敵意も、害意も、なにも向けてはいないはずだ。なのになぜ、気づけた?」
男はガラケーを閉じるとポケットにしまい、真顔で、平然と、僕の行動理由を理解して尋ねてきたのである。
「ゆ、豊花? なんなの? このひとがなにーーはあ!?」
瑠璃の視線の先には、小さな7cmていどのアイスピックのような鋭い針があった。
それをポケットから出したばかりの男の手を見て、直感が確信へと変わる。僕の単なる勘違いじゃない!
こいつは間違いなく瑠衣を狙っている!
「下がってなさい。豊花、瑠衣」
瑠璃は鞄から棒らしき物を素早く取り出し、真横に振るう。
するとそれは二倍以上の長さに伸びたのである。
特殊警棒、というやつだろうか?
「あんたもありすの仲間ってわけ? なら伝えておきなさい。あなたもよ? もう瑠衣をつけ狙うのはやめにしなさい! 従わないなら、容赦しないわよ」
瑠璃のやつ、あんな物騒なもの携帯しているのか……。
だが、勇ましい言動とは裏腹に、瑠璃のからだは小刻みに震えていた。
そりゃそうだ。相手は殺し屋。怖いに決まっている。
「あいつの仲間? あいつは誰か知らないが、まあいい。容赦はしないーーか。それなら予定どおり事を済ませるとしよう。気づかなければ、仲良く三人、苦しむことなく逝けたものを」
どこにでもいそうな平凡な容姿をしている人畜無害そうな男は、真顔のまま、三人の殺害を宣言したのだ。
「豊花! 瑠衣を連れて逃げて!」
「いやだよ! いやに決まっているだろ! 瑠璃はどうするんだよ!?」
瑠璃は特殊警棒を振りかぶる。
だが、男はガラケーをしまったままの片手をポケットから取り出し、小型のなにかを瑠璃に向けて放った。
「っ!?」
鋭い光が、瑠璃の目に向かって放たれた。
男の手にあるのはーー小型の、懐中電灯?
いや、でも、あんな強さの光、直視したら失明しそうなレベルじゃないか!
それほど強力なライトを間近で見てしまった瑠璃は、小さな悲鳴をあげて反射的に身動きを止めてしまう。
その隙に、男は瑠璃の腹を思い切り蹴り飛ばした。
瑠璃はあっけなく真後ろに倒されてしまう。
「な、なにこれ? なんなの!? 姉さんっ!? 豊花!?」
瑠衣は状況に理解が追い付かないまま姉の心配をする。
そこへ、男は容赦なくアイスピックを突き立てようとする。
瑠衣は、わけもわからず死を待つしかない!?
「やめろぉおおおおっ!!」
止めなくちゃ大変なことになる!
僕はがむしゃらに走りながら瑠衣を突き飛ばし、瑠衣の元居た場所に代わりに立つ体勢となる。
ーーそのときだった。
「っ!?」
男の顔が一瞬歪み手を引いた。
隣からーー公園の草原から、回転しながら何かが飛んでくるなり、男の腕にぶつかったのだ。
辺りに血が飛び散る。
飛んできた物は、アイスピックと共に地面に転がり落ちた。
しばらくして止まった物は、そこにあった物はーー血に染まったひとつのナイフ。
男は背後に跳び、空き地に目をやる。
僕もなにがあったのか理解できずに、自然とそちらに目を向けた。
「年下の女の子相手にプロが、しかも不意討ちとか……」彼女は瑠衣に目を向けた。「助ける?」
空き地の草原から現れたのはーーありすの姿。
瑠衣の命を狙っているはずの殺し屋。
なのに、ありすは瑠衣を守るかのように男の前に立ち塞がったのだ。
これは、いったい?
「どういう、つもり? いつっ!」
瑠璃はふらふらと立ち上がるなりありすへ問う。
しかし、ありすは瑠璃には目もくれず、ただひとりだけーー瑠衣だけを見つめ返事を待っていた。
瑠衣はしばらく唖然としていたが、わけはわからないが、とにかく、ありすが助けてくれた……そうと気づいたらしく、からだを小さく振るわせながら、小声でその名を口にした。
「あり……す……?」
「うん。別人に見えるかな? で、助けはいるかな?」
瑠衣は瞳に涙を浮かべる。
「ありす……ありす! うん、助けて、ありす!」
やがて、涙を飛ばしながら、ちから強く頷き、何度もその名を口にした。
「おっけー、助ける。はてさて、さすがは静夜兄ぃだね? こんなわかりやすい誘いには乗ってこないか」
ありすは男ーー静夜という名前らしいーーに振り返りながら、スカートのなかに手を入れると、そこからナイフを取り出した。
そして、漫画やアニメのような、格好よくもあり、恥ずかしくもある、あの握り方ーー逆手持ちという構え方をしてみせた。
あんな握り方、本当に現実にあるんだ……。
「なんのつもりだ? もし俺が対象だというのなら、全力で逃げさせてもらう。が、それなら仕事のあとにしてくれないか?」
静夜はライトをチカチカ光らせると、ベルトに手を引っかけ、そこから銀色をした横長の薄っぺらい四角形の謎の物を取り外す。それに爪をひっ掛けると真横に開いた。
薄い薄い折り畳み式のナイフ!?
あんな薄いものがあるのか?
「いつから静夜兄ぃは、暗殺者から暗殺者(笑)になっちゃったのかなー? いまの静夜兄ぃはぜーんぜんイケてないよ。うん、イケてないよ。静夜」
旧知の仲なのか、いまから殺し合いをはじめる顔つきにはとても見えない。
ありすは静夜をおちょくるように嗤っており、静夜は表情ひとつ変えず真顔のまま微動だにしない。
「元から俺は、ありすや刀子さんみたく仕事を選り好む真似はしない。報酬さえ貰えれば依頼は遂行するたちだ。わかったなら、そこを退いてろ」
「私の対象も静夜と同じなんだけど?」
「なに?」
静夜はぴくりと眉を動かす。
対象が、静夜と同じ?
え? つまりありすも瑠衣の命を狙っているってこと?
いやいやいや、じゃあなんでわざわざ守ったのかわからなくなる。
「静夜にはわからないかー。そのときにはいなかったしね」
「どういう意味だ? なにが言いたいのか、俺にはなにもわからないぞ。さあ、いいからそこを退いていろ」
「私と刀子さんはもう、殺し屋は廃業済み。国から報酬を貰える仕事にも就いた。就きましたー。裏方だけどね? ーーじゃあ、教えてあげるよバカ静夜」
成り行きを見守ることしかできない僕は、ありすの言葉により、ようやく自身の大きな間違いに気づくこととなる。
そして……その言葉は、間違いなく瑠衣にも聴こえただろう。
「私の護衛対象は葉月瑠衣ーー私の大切な、お友達を守ること」
静夜は瑠衣を暗殺対象として見ている。
しかしありすは、瑠衣は護衛対象なのだ。
同じターゲットでも意味合いは正反対だ。
どうしてその事実を瑠璃や僕に隠そうとしていたのかが未だにわからないけど……味方と考えてよさそうだ。
「護衛対象……だと? おまえ、いったい……?」
静夜が戸惑いを僅かに見せる傍ら、瑠衣は涙をぽろぽろと流し始めていた。
「ありす、ありす……本当に、本当によかった……よぅ……」
瑠衣は涙を流しながら笑顔で呟く。
そういえば、瑠衣はありすから友達だと明言されたことがないんだったっけ。
ーーありすからは友達だと思われていなかったんじゃないだろうか?
……その疑問を抱いたまま、瑠衣は今まで生きてきた。
だけど、たったいま、その不安は綺麗に解消したのだ。
ありすは、はっきりと口にした。
『瑠衣は私の友達だ』と……。
命に関わる恐怖よりも、混乱して状況を理解できない不安よりも、ありすが自身を友達だと思ってくれていて良かったという気持ちのほうが強いらしい。
瑠衣の涙は、誰から見ても喜び由来のものだとわかるくらいなのだから……。
「護衛対象? ちょっと、さっきからなんの話をしてるのよ?」
瑠衣に寄り添いながらも、瑠璃はありすに問い質す。
「はてさて? それよりも瑠衣? これ、お願いしてもいい?」
ありすは、落ちている血の付着したナイフを瑠衣に向かって軽く蹴り、目の前まで滑らせた。
「ちょっと、あんた瑠衣になにをさせるつもりよ? 瑠衣、ダメだから「うん、わかった!」」
瑠璃は止めようとするが、瑠衣の大きな返事によって掻き消されてしまった。
あれ?
そういえばナイフを目の前にしているのに、瑠衣が狂っていない?
「殺し屋は、殺すから、殺し屋だ。違うか? 殺し屋をやめたというのなら、もうおまえにはなにも関係ないはずだ。退け、それとも……死にたいのか」
静夜は、たしかな鋭さを誇る薄いナイフをありすに向けて忠告する。
それに対して、ありすはおちゃらけた笑みを顔に浮かべた。
「おっかしいなー? 覚悟を決めるのは静夜じゃない? 死にたくなければ全力で来なよ。じゃなきゃ、マジで死ぬよ? これは昔やっていたような勝ち負けのごっこ遊びじゃない。生き死にの殺し合い。昔馴染みだし、瑠衣から手を引くなら見逃してあげてもいいけど。まっ、知人のチェックは必要だけどねっ!」
ついにありすは静夜に切りかかる。
静夜に向かうナイフの刃。
静夜はそれを避けると、ライトの光をありすに放射する。
だが、ありすの目線はそこにはない。
目を逸らしたまま、ありすは懐中電灯にナイフを強く当てて弾き飛ばした。
あれ、逆手じゃなく順手持ちに持ち変えている?
いつの間に?
目に見えない速度で握りかたを変えられるのだろう。やはり本職は恐ろしい。
僕が無駄な思考をしているあいだも、争いは止まらずにつづく。
静夜はナイフを数回振って牽制するが、ナイフ同士でぶつけ合いはしないみたいだ。
当然かもしれない。
ナイフ同士がぶつかれば、明らかにありすのナイフのほうが丈夫だろうし、容易に打ち負けるだろう。
しばらく空を切り合い、互いに間合いを詰めないまま数十秒が経過した。
「ありす!」
瑠衣はーーわざわざ刃が当たらないように折り畳んだらしいーーナイフをありすに向けて投げ渡した。
「ありがと! さてと!」
それを華麗にキャッチしたありすは、バックステップしたのち、独特な構え、なのかすらわからない姿勢をした。
背を屈めたまま片足だけ半足ほど後ろに伸ばし、片手は地を掴むように伏せている。ナイフを握っている側の手も器用に地に着けている。
そして視線はまっすぐ静夜を向いていた。
短距離走の構えにどことなく似ている。
「さあさ、ご覧ください皆さま方! いまから始まるのは一方的な虐殺ショー! ここにあるのはなんでも切り裂く最強の矛! 訓練とはいえ、百戦百敗残念野郎が、百勝する相手に勝てると思ってしまった! そんな身の程知らずにこれから躾をいたします! さあさ特とご覧あれ!」
ありすが昂り発言した直後ーー。
「待った」静夜はナイフを捨てた。「降参だ。勘弁してくれ」
意外すぎるほど、静夜はアッサリ敗北を認めたのであった。
「瑠衣から手を引く、そう思ってもいい?」
「ああ。第一、勝てるだなんて思い違い、最初からしてはいない。それに、まさかおまえのキチガイ突撃を向けられるだなんて思ってもいなかった。旧知の仲に全力を出すなんてな……」
ありすを見下ろしながら、静夜は淡々と述べる。
「カルフェンタニルは? あれがあれば同士討ちにはできるんじゃない? まあ、持っているのを予想して動いていたから避けられただろうけど」
は?
カルフェンタニル?
「死のオピオイドのことか? あるなら最初から使っている。もう行ってもいいか?」
「いいわけないでしょ? はぁ……静夜ってさ、真顔のまま罪なき乙女に刃を向けるから怖いんだよ。いまから知りあいを呼んで、それが本心かどうかたしかめさせてもらうから。いいよね、静夜兄ぃ?」
ありすは立ち上がると表情を柔らげた。
そのままスマホを取り出すと、誰かに繋げようとする。
「そうしてもらってかまわない。とはいえ、そいつは今、それどころじゃないだろうけどな」
「は? あっ、もしもし、沙鳥? ちょっとお願いしたい用事があるんだけど、いいかな? えっ? ちょっ、なにやってんの?」
スマホから聴こえてくるのは、ここまで届くくらい大きな男の叫声。
「え? ーーぱ、パパ!? ちょっと、パパの声が聴こえたんだけど、まさか? ちょっと貸しなさい!」
瑠璃はありすからスマホを引ったくると、すぐさま音量を最大にした。
辺りに響くほど、向こうの音が聴こえるように変わる。
『ですからあなた方とは敵対することになりました。それでは、刀子さんとそちらの長に伝えておいてくださいね。このような不躾な行い、二度とするな、と。次はありませんよ? 言い付けの守れない悪い子が出たら連帯責任です。そうですね、次に私の怒りに触れれば、異能力者保護団体に属する者を施設もろとも全て更地にします』
ぎゃああああッーーと、再び、男性の雄叫びが聴こえた。
「あんた昨日の屁理屈女!? どうしてあんたがパパといるのよ、はあ!? 異能力者って!? 関係ないでしょ! パパは関係ないっ!!」
『ーーへぇ……あなたはもしかして、昨日突っかかってきた娘さんですか? なら、ちょうどいい。ええ、そうみたいですよ。言っていないんですか。どちらでも構いませんがーー早く言うとおりにしてください、黙っていたら、次は誰が消えるかわかりますよね、葉月大輝さん?』
『どちらにしても、死体になってたら皆殺し確定でいいんじゃない?』
冷静で物静かな声色をした女性と、元気溌剌で活発そうな声質で物騒なことを口にする少女ーー二人の女性の声がした直後、通話は途切れた。
瑠璃は、焦り、困惑、不安、驚愕、さまざまな感情が入り交じった、次々に変わる表情をしながら、通話が途切れたスマホをアスファルトに滑り落としたーー。
瑠衣に関する問題はほとんど解決した。
なのに、さらに危うい何かが忍び寄ってきている。
僕は、そんな気がしてならなかった。




