Episode141/日常の再開①
(198.)
その後、もうこちらにいる意味がなくなったルーナエアウラとメアリーが帰還することになった。
帰るには、魔法円を移した愛のある我が家の四階の一室に行けばいいだけとのことだ。
一応、異能力者保護団体から『家族には問題事が終わった旨を連絡したから、杉井は帰っていいぞ』と言われたが、沙鳥からまだやることがあると言われたため、アジトまでルーナエアウラのちからをつかって飛行することになった。
メンバーは、私を含む現在ここにいる愛のある我が家の一員ーー私、沙鳥、舞香、ゆき、鏡子、香織、瑠奈、朱音の八人と、なぜか裕璃に会いたいらしい瑠璃、そしてルーナエアウラとメアリー、そして転移場所の守護神アリーシャの計12名の大所帯だ。
さすがにこんな人数で低空飛行したら目立つため、普段より高い位置を翔んで行く。
異能力者保護団体の面々は、事後の仕事や、異能力の世界に壊された施設の片付けなどをしないといけないらしく、多くのメンバーは異能力者保護団体に残った。瑠衣はありすと一緒に居たいらしく、ありすの用事が済んだら、きょうは葉月家に共に帰るらしい。
愛のある我が家の四階の割れた窓から内部に侵入する。そういえば、この部屋は壊れたままだったな……。
「こ、ここ、ここから入らせてもらいました……」
香織が吃りながら驚愕の発言をした。
まさかの不法侵入。そういえば様子を見に来た沙鳥が会ったと話していたが、どういう経緯で愛のある我が家のアジトに入れたのかは知らされていなかった。
考えてみれば、外に出入り口はないもんなぁ……。
朱音が急いで部屋に備え付けられてある箒を使い、散らばっているガラスを部屋の角に掃いていく。
やることが思い付かなかった私もそれを手伝おうと二本目の箒を手にした。
「では、朱音さん。あとの事後処理はお任せしますよ」
「うん、わかったよ」
「あと、瑠璃さん。行くのは許可しますが、くれぐれも気を付けてくださいね」
「わかってるわよ。大丈夫、豊花がついているもの」
私がついているから安心という理屈があまりよくわからないが……まあ危機察知能力もあるし……。
「以前、文月のちからで事故に遭いかけた瑠璃さんも、豊花さんが助けたんですものね。たしかに、豊花さんが居れば安心です」
そういえばそうだった……。
あの記憶が、瑠璃のなかでは思ったより強く根付いているのかもしれない。
沙鳥、舞香、香織、舞香に連れられた鏡子、ゆきが部屋から出ていった。
私と朱音は部屋を片付けていく。瑠璃も自然と塵取りを手に取る。
アリーシャはふらふらと部屋の角にあるベッドの上を叩いたかと思えば、思い切りジャンプして布団に飛び込んだ。
「アリーシャは相変わらずだな」
メアリーが呆れた口調で呟く。
そんなアリーシャの隣に、静かに忍び寄る影。
油断も隙もない。瑠奈だ。
「瑠奈。あなたは本当に戻らなくていいの? もう私に吸収されろとか言うつもりはないんだけど?」
ルーナエアウラが瑠奈に一応誘いかける。
「いやだ。あっちは同性愛が違法だし」
「あはは……こっちのおまえは凄いな」
メアリーは反応しづらそうな表情をする。
「それにーー」瑠奈は私や朱音、舞香たちが去った玄関を見渡した。「私の仲間は、みんなこっちの世界にいる。骨を埋めるなら、こっちの世界のほうがいい」
「ーーわかった。あなたがそうしたいなら、そうすればいい」
ルーナエアウラは最初から答えがわかっていたかのような口調で返事した。
「豊花……」
「ん、なに?」
二人の会話が終わった直後、瑠璃は私に話しかけてきた。
「私の妹を孤独から救ってくれて、ありがとう。私と瑠衣を殺し屋から守ってくれてありがとう。私が拐われたとき、いの一番に助けに来てくれてありがとう。嬉しかった。私が事故に遇いそうになったとき、咄嗟に助けてくれてありがとう。本当に助かったわ」
い、いきなり礼を言われた!?
「い、いや~、あはは。なんだか、そう改まって言われると照れるな……」
たしかにいろいろあったんだよな。
異能力者になってから、瑠璃と会ってから、いろいろと……。
いきなり瑠衣と友達になれと言われた矢先、裕璃が金沢たちに集団レイプされそうになる事件に遭遇して助けて、その逆恨みで瑠衣が殺し屋ーー静夜に狙われる羽目になって、でもそのおかげでありすと再会を果たせて……瑠衣とありすがもう別れなくてもいいように瑠璃の父親を説得したこともあったっけな。
勘違いから異能力者保護団体に入ると言い出したせいで、月影さんを発見して連れていかなければならなくなって、翌日にまさかの瑠奈に襲われる羽目になって、でもそれで愛のある我が家と繋がりができて、裕璃が金沢たちを殺めてしまって、捕まって、救出して裕璃を異世界に逃がしたんだ。
そのせいで愛のある我が家に入団することになったけど、今となってはそれは仕方ないことだと思うし、悪人だけだとは思えない組織でよかったとすら思える。愛のある我が家の仕事をつづけていた最中、真実の愛などという金沢の姉の復讐の対象にされたこともあった。
そのあとだ。異能力の世界というわけのわからない組織に付け狙われはじめたのは……。早月を始めに、さまざまな旧暦に対応した異能力の世界のメンバーと死闘を繰り広げ、異能力者保護団体と協力しながら打倒していった。
神は言った。
完璧以上を目指すために0から1になったと。あれはいったいなんの意味だったのだろう。今となってはわからない。
でも、あの神なのか謎の人物のせいで、やたらと執着されたんだよな……少し恨む気持ちもある。
それにーー神無月が最後に言い残した台詞も、気にならないでもない。
ーーこの世界は失敗作でしかなく、未来はもうない。
頭を振って思考をやめる。
とにかく、今は無事に抗争が終結したことを喜ぶべきだ。
「これくらいで大丈夫だ。豊花、瑠璃、礼を言うよ」
考え事をしているうちに、魔法円の上のガラス片はあらかた片付いた。
「それじゃ、みんな魔法円に入って」
「え、ええ」
瑠璃は多少緊張しながら円の中に入る。
そういや、私もはじめてのときは地味に緊張していたっけな~。
「こっちでは瑠奈だっけか? じゃあな。二度と会わないだろうが達者でな」
「瑠奈。微風瑠奈。あなたはもうわたしの一部じゃない。けど、どうか恥のない振る舞いをしながら生きていってね」
ルーナエアウラとメアリーが瑠奈に別れを告げる。
「バイバイ。ま、適当にやるよ。あと、アリーシャはわたしのもん~でへへ」
「……」「……」
最後まで相変わらずな瑠奈に、二人は無言を返礼した。
暗闇に包まれ数秒経過した。
すると、靄が晴れていき次第に白い壁が目前に現れる。
辺りを見渡す。
やはりまえにも来たことのあるルーナエアウラの部屋に間違いない。
「ちょっと裕璃に覚醒剤を持ってこさせるから待っててね。メアリー、あなたはもう自室に帰っていいわよ。第一皇姫に挨拶でもしておいたら?」
「へいへい。しばらく帰ってこなかったからな」
メアリーとルーナエアウラは部屋から外の通路へ出ていった。
「さて、ボクたちは待つとしよう。覚醒剤の受け取りは誰でもいいんだけど、豊花にやらせるって約束しちゃったからね」
朱音は大きなベッドに腰を掛けると寛ぎはじめた。
「ねえ」
「ん?」
「どうして、瑠璃はついてきたの? 特についてくる理由はないよね? 異世界に興味があったの?」
異世界といっても、ここは朱音が幼い頃に創造した世界だから、綻びが至るところにあるんだよなぁ。ある種のバグ、いや、恥か。
朱音どころか、違和感を指摘されたら私まで羞恥心にかられてしまう。
ほら、いまだって日本語の本がある棚を眺めているじゃん。
「異世界にはべつに興味ないわよ」
「じゃあ、どうしてここへ?」
理由が浮かばないんだけど……。
「……お礼だけでも、言っておきたくてね」
「へ?」
意味がわからない。
お礼?
ルーナエアウラへの?
「お待たせ~、豊花! でも案外早かったでしょ? 急いできたんだ」
扉が開くと、以前より明るさを取り戻しつつある裕璃がそこにはいた。
「裕璃……久しぶり」
「久しぶりーーあれ、どうして瑠璃ちゃんもここにいるの?」
「それがついてきたいって言い出してね」
裕璃の後ろからルーナエアウラが歩いてきた。
「裕璃さんーーありがとう」
「へ?」
裕璃は私に覚醒剤の結晶が詰まったビニル袋を渡してきながら首をかしげる。
私でさえ意味がわからないんだ。裕璃にはもっと理解不能だろう。
「あのね、まえにあなたが言ったじゃない。愛に理由は要らないんだって。好きなものは好きなんだーーって」
「ま、まあ……たしかに、そんなこと言ったきがするけど……ごめん。あまり思い出したくない場面かな?」
裕璃の顔に影が差し込む。
そりゃそうだろう。
二人の死体をつくったときの発言なのだから。
「でもね、あなたのその言葉のおかげで、私はようやく、恋とはなんなのか、愛とはなんなのか、好きってどういう感情なのかーー理解できるようになった。だから、ありがとう」
「……よくわからない。けど、気にしないでよ。私は考えなしに言っただけだろうし。あとごめんね。まえは異能力向けちゃって。自慢じゃないけど、あれから異能力は一度もつかってないよ」そう言うと、私に顔を向けた。「それにしてもーー豊花、まえより更に女の子になったね?」
「いやぁ……あはは。私は特に意識してないんだけど」
「ほら! 自称も僕じゃなくて私にしてるし! しぐさも女の子っぽいや。誰もが煌めく美少女じゃん! やったね!」
やった! ーーなのかどうかは未だに疑問だなぁ。
「ここで驚きの発表がありまーす」裕璃はわざとらしく拍手をする。「じゃーん! こっちの世界でも友達ができましたー!」
「ど、どもです……」
部屋の外から私より背の低い、長い黒髪をした赤い瞳の少女が、ひょいっ、と顔を出した。
「はじめまして……キリタスです。キリタス・アカーシャ。強壮剤の品質チェック役を担っています……」
強壮剤ーー覚醒剤のことか。それの品質チェックとは如何に……。
よくよく見ると、額に汗が少し滲んでいる。
「あ、豊花。悪いんだけどちょっとだけキリタスに覚醒剤分けてあげて。少しくらい大丈夫だよ。今回は期間が空いたぶん多くつくれたし」
「う、うん。はい、どうぞ」
ビニル袋の入り口をキリタスに向けて覚醒剤を取れと指し示す。
キリタスは恐る恐る中身に手を入れたかと思うと、100mgくらいの覚醒剤の結晶を摘まんだ。
口を開き舌を上げ、その覚醒剤の結晶をベロの下へと投下したのである。
「~~~~~~っ!!」
物凄い量の汗を噴出しながら、歯を食い縛り、握りこぶしをつくってなにかに耐えている。
「これって苦いよね。よくもまああっちの世界の住人は好んで使うよ。わたしは妙に目が冴えて苦手だったな。戦争には有用だけ」
「キタキタキター! くぅ~! 最ッ高ダネ!」
「……」
ルーナエアウラは途中で話をやめた。
キリタスが目を充血させて騒ぎ始めたからだ。
「こっちの世界では注射器が主流なんだ。だから味はしないんだよ。摂取方法にはいろいろあってさ」
朱音が無駄知識を喋り出した。
嚥下ーー口からジュース等に混ぜて飲み込む方法。効果が発現するまで時間がかかり、一番吸収率も悪いらしい。
舌下ーー舌の下に入れて溶かし、口内の粘膜から吸収する方法。
炙りーーガラスパイプやアルミホイルに覚醒剤を乗せて下からライターなどで炙り、煙にしてから吸引する方法。二番目に多い方法らしい。
吸引ーー粉々にした覚醒剤を札などを筒状にしたものを使い、鼻の穴に吸い込みキーゼルバッハとやらの位置で吸収する方法。
注射ーー一番多い方法。静脈内に注射するため、注射直後に100%吸収される。一番効果を強く感じられるうえ、吸収率も最大であるから量が少なくても感じられるらしい。
ちなみに過去に私がしてしまった方法は、注射は注射でも多分筋肉注射らしい。痛みが伴い吸収率も静脈内注射より悪いため不人気なんだとか。ただし、医療で使う場合は、この筋肉注射か嚥下摂取になるという。
「裕璃ちゃん裕璃ちゃん! 今なら~なんでも~できる気がスルー! ひゃっはー!」
「……この子大丈夫なの?」
瑠璃がドン引きしながら裕璃とルーナエアウラに問う。
「大丈夫じゃないけど、そっちの世界では通常このくらい使うんでしょ? だったら品質チェック役もそうしないといけないじゃん。だからこの子はある意味可哀想な実験役ね」
「大丈夫大丈夫。キリタスはいっつもきょどってるかハイテンションだから」
ルーナエアウラと裕璃がそれぞれ別の答えを出す。
「……こんなに依存しちゃったら、もう二度とやめられないと思うよ」
朱音が残酷なことを呟く。
「まあいいんじゃないかな……こっちでは違法じゃないんだし」
とはいえ、依存性だけが問題じゃない。
こんな量をこれからも永久に使い続けたら、いずれ沙鳥が言っていた覚醒剤精神病になってしまうだろう。
「ま、まあ、裕璃が思ったより元気そうでよかったよ」
「そう? まあね」
「あ、そうだったそうだった」朱音が裕璃の言葉を抑えてあることを伝える。「今度どこかに慰安旅行に行く際は、結愛や結弦も連れていくし、裕璃も連れていくってさ」
「ーーえ?」
裕璃が一瞬、なにを言われたかわからない顔をする。
「えっと……つまり?」
「まだ先だけど、一時こっちの世界に来てもらって愛のある我が家メンバーみんなで旅行できるって話だよ。覚えておいてね」
「……本当に? 本当に行ってもいいの? 私が? 人を殺して……罰されてもいないのに……本当にいいの?」
裕璃は困惑した表情を顔に浮かべる。
でも……殺人で罪に問われていないのは私も同じだ。
さらに言えば、私のほうが倍は殺している。
いくらこちらを害する敵対組織だからといって、その事実は変わらない。
「いいんだよ。裕璃はこの世界にある意味島流しにされた。それで罪の罰は与えられたんだ。あとは背負うだけでいい。とにかく、そのときがきたらよろしくね」
「ーーうん!」
裕璃は少し涙目になりながらも、力強く頷いた。
そうまで嬉しいことだというのが、表情からこちらにまで伝わってくる。
二度と帰れないと思っていた世界に、一時とはいえ遊ぶために帰れる。
その喜びは、想像に難くない。
「それじゃ、ボクたちは帰るから。あとはよろしくね、裕璃、ルーナエアウラ」
「うん!」
「おっけい」
「ほら、豊花、瑠璃、円に入って」
瑠璃と共に円に入る。
結局、瑠璃は何に感謝していたのだろう。
愛を知れた?
恋を知れた?
もしかして、それってやっぱり……。
返答すべきなんだろうか?
でも……いつ? どのタイミングで?
タイミングを大きく逃してしまった気がする。
それに……僕はもう死んだ。私しかいない。
そんなんでも、いいのだろうか。
(199.)
愛のある我が家に帰還を果たすと、瑠璃は朱音に礼を述べると異能力者保護団体に帰っていった。
なにやら、異能力の世界にかまけていた期間疎かになっていた仕事を片付けなくてはならないらしい。
明日は休日だ。だが、仕事はもう明日からはじめるらしい。
沙鳥たちは忙しそうに部屋を片付けたり書類を整理したりしていた。
「豊花さんにも伝えておきますが、異能力の世界との争いが終わった今、表では異能力者保護団体とは敵同士に戻ることになります」
「まあ……うん……」
表ではーーということは、裏では繋がりを持ち続けるのだろう。
沙鳥、舞香、瑠奈、朱音、ゆき、澄、鏡子、香織、裕璃、結愛、おまけで結弦は、言われなくても私たち愛のある我が家の味方だと判断できる。そもそもが愛のある我が家のメンバーだし。
アリーシャも愛のある我が家に所属しているということでいいだろう。
問題は、異能力者保護団体や教育部併設異能力者研究所、異能力犯罪死刑執行代理人の者たちだ。
表向きは敵対関係にある。つまり、色彩さんや美夜さん、森山や煌季さん、月影さんや瑠璃に至るまで敵ということだ。もちろん、実際にかち合わないように調節されるだろうけど。
ありすや刀子さん、真中さんは微妙なところだ。そもそも異能力犯罪死刑執行代理人は特別の機関なため、表向きには存在しない集団だとされている。
殺し屋の大空静夜や陽山月光はどうなるのだろう?
言ってみれば、愛のある我が家と手を組むことはあっても仲間じゃない。異能力者保護団体とも同様だ。さらには警察からしてみれば犯罪者、そのまんま敵になる。
「ずいぶん長く争ったものね……愛のある我が家の正規の仕事を香織に与えなきゃならないし」
「あ、は、は、はい……」
香織は何に緊張しているのやら……。
「結愛さんが、やっぱり今の仕事はやだとおっしゃられていますので、香織さんには結愛さんがしていた少女苺倶楽部の雑事を任せようと思います。明日、一さんという方に教えてもらってください」
「しょ、少女苺、倶楽部?」
少女苺倶楽部って……なんだか以前にも聴いたことがあるような……。
たしか仕事の内容はーー。
「未成年少女の売春斡旋よ」
沙鳥の代わりに舞香が答えた。
やっぱりー!
「さて、掃除も終わったことですし、鏡子さんの異能力は強化されたため足で回る必要もなくなりましたので、仕事の役職を一新しましょう」
沙鳥はソファーに座り、皆に目をやる。
「私は金貸しのままでいいのよね?」
「ええ。ただし結愛さんも同行させます。これからは金融は結愛さんと舞香さんのツーマンセルで遂行してください」
「わかったわ」
結愛がいないところで勝手に結愛の新たな仕事が決まってしまった。
なにこの組織怖い。
だいたい金融ってなんだ。金貸しってなんだ。
暴利な金貸しつまりは闇金だろうに……。自らは闇金とは言わないのか?
「そして現在不在ですが、澄さんとゆきさんはまえと同じく問題事の解決役を担当してください」
ゆきは無言でうなずく。
これも、問題事の(暴力で)解決、と括弧が付くんだろうなぁ……。
今更ながらに再認識する。自分の所属している組織が犯罪者グループだと。
「瑠奈さんも前々からしていただいている覚醒剤の営利目的の方への運搬ですね」
「しょうがないなぁ……薬物は嫌いなんだけど」
「とか言いながらタバコを取り出さない。吸うなら外で吸ってください」
「へいへい」
瑠奈は渋々といった顔をしながらベランダへと出た。
「鏡子さんは、闇金で逃げた客の居場所の特定を担当してください。写真を渡しますので、異能力で細々探してください。焦らなくて構いませんので」
「……わかり……ました……」
鏡子は相変わらず歯切れの悪い言い方をしながら頷く。なるほど、たしかに鏡子の異能力にはうってつけの仕事だ。
「で、私はすべての仕事の書類を纏めたり指揮したりします」
「簡単そうで一番怠い仕事なのよね……いつもありがとう」
舞香は過去にリーダーを務めていたからわかるのか、辛さが理解できるといった表現をあえてする。
言われなくても、沙鳥の性格上、自分が楽するとは考えられない。
「で、香織さんは先ほど言ったとおり、未成年少女の売春斡旋、その雑務をこなしてもらいます」
「は、はあ……」
いまいち理解していなさそうな顔をする。
「最後に豊花さん。とりあえず香織さんと同じく明日は一さんに着いていってください。ひとまず売春斡旋の問題客の対応を任せますから」
「ーーへ?」
ーーへ
…………え?
………………まさかのまさか。
一番やりたくない仕事が回ってきたー!
「か、身体は売らないよ!?」
焦ってついつい声量が出てしまう。
「ご心配なさらずに。言ったとおり、あなたの仕事は問題客の対応ですから。身体は売りませんしさせませんよ」
よ、よかった~。
ついつい売春という単語を聴いただけで、自分が援交させられるのかと勘ぐってしまった。
「裕璃さんはあちらの世界で覚醒剤の密造監督と情勢チェック。朱音さんは覚醒剤の仕分けとさまざまな物の在庫チェック」沙鳥は一息つく。「以上が皆さんの仕事です。とりあえずおつかれさま。本日は帰っていいですよ」
沙鳥が言うと、皆は各々動き出す。
瑠奈は煙草を捨てるとベランダからアリーシャの部屋まで飛んでいき、ゆきはソファーに横たわり、舞香はビールを冷蔵庫から二本取り出し沙鳥の横に座る。片方のビールを沙鳥に差し出した。
朱音は自室に行くのか部屋から出ていった。
鏡子と香織はおろおろしている。なにをすればいいのかわからないのだろう。
「自宅に帰りたいなら帰ってもいいですし、空き部屋がありますのでここに住みたいならそうしてもいいですよ?」
「な……なら……私はここに……住みたいです……どうせ……帰っても……」
暗いなぁ……。しゃべり方のせいでなおさら暗くみえる。
「わかりました。近いほうが便利ですよね。ここの隣室をお使いください」
「わ、わた、わたわた、私は一度帰ります! ま、まあまた来ます!」
「はい、わかりました」
香織は元気よくのつもりなのか、声を張り上げ外へと出ていった。
「悪いのですが、豊花さん。隣室まで鏡子さんを運んでください。これは鍵になります」部屋の鍵を手渡してきた。「隣は私と舞香さんの部屋なのですが、鏡子さんに独り暮らしは無理そうなので……クローゼットに敷き布団が入っていますから、それを出して誘導したら、豊花さんはそのままご帰宅なさってください」
「わかりました。ほら、行こうか、鏡子」
「ありがとう……ございます……」
鏡子の手を握り、玄関から外に出た。
隣の部屋の鍵をあけドアノブを捻り開く。
中に入り、鏡子から一端離れる。
クローゼットに手をかけると、中から無理やり詰め込まれた敷き布団が飛び出してきた。
「なんちゅーしまい方だ……」
意外と沙鳥って、ずぼらなんだなぁ……。
「ここに布団があるから。じゃあ私はこれで」
「あの……!」
鏡子は慣れない大声をあげた。
びっくりして振り返ると、両手を握りしめ真剣な顔をした鏡子がそこにはいた。
「な、なにかな?」
「豊花さんって……その……瑠璃さんのことが……」鏡子はしばらく間を空けると。「……なんでもありません……また明日……」
黙って布団に寝転がるのであった。
……?
なんだったんだろう?
(200.)
愛のある我が家からコンビニを通じて外に出ると、路肩に停めてある車がランプを二度点灯した。
中を覗き見ると、そこには運転席に陽山月光。助手席に月影日氷子さんが乗っているのがわかった。
「どう? よかったら自宅まで送ろうか」
「え? ……えっと」
なんだろう、突然……。
怪しくないと言えば嘘になる。というか怪しさ満点だ。
だけど、月影さんが同乗しているということは、心配することは少なくてもなさそうだ。
そう判断した私は、それに対して頷いてみせた。
後部座席に入り込むと、車はすぐに走り出した。
「愛のある我が家にぞろぞろ帰っているみたいだけど、きみたち、問題はもう解決したのかな?」
これが訊きたかったのか、陽山は興味深そうに質問してくる。
「一応、すべて解決しましたよ。あの、今度は私から訊いてもいいですか? 陽山……さんと、月影さんに」
「なんだい」「……なに?」
二人が返事する。
「たしか月影さんは陽山さんを殺したいくらい憎んでいるんですよね? どうして一緒に行動してるんですか?」
二人がいるのを見つけて、真っ先に頭に浮かんだ疑問だった。
「僕も早く月影日氷子が自害する瞬間を目にしたいんだけどね~。しつこくて困ってしまうよ。いや、しつこいではなくしぶといだったかな?」
「あんたねぇ!」
月影さんは明らかに怒りを含んだ声を張り上げる。
「まあまあ。車内は口喧嘩する場所ではないだろう?」
「口喧嘩専門の場所なんて存在しないわよ!」
月影さんは怒りながら舌打ちする。
本当に仲が悪いーーいや、一方的に陽山を嫌っているのが月影さんの態度から伝わってくる。
「ーー私にもわからないわよ。私にも……」
「え?」
いったい、どういうことだろう?
「自分でもどうしてそうしてるのかわからないんだけど、近頃の私は、誘われるがままにコイツと行動を共にしてるのよ」
「ーーは?」
なにを言っているんだこのひとは?
嫌いなのに、憎々しい相手なのに、誘われるがまま同行しているだって?
自分にはサッパリ理解できない。
「僕はきみが好きだからね。いろいろ共に行動したいんだよ。好きだから」
ーー死に様を特等席で見物したい。
これまた意味不明なことを口から漏らす。
なんなんだこの二人は?
「私は死なない。絶対に死なない! あんたが死ぬまではね! いまだって殺してやりたいくらいよ!」
「殺せばいいじゃないか。きみにはできないのかな?」
「いま殺せば助手席にいる私や後部座席の杉井まで死ぬかもしれないってわからないの? 本当に頭が悪いのね」
「ごめんね。バカなのは生まれつきなんだ」
いやいや、陽山が言っていることがもっともだ。
たしか、陽山を殺せたら死んでもいいくらいだと過去に言っていた気がする。
そして私を慮るなら、私を待ちに来るとき、車を走らせているときに殺せば、運転中だし油断しきっている陽山を殺せたかもしれない。
だというのに、いまの月影さんは、たとえ隙だらけだろうとそれをやらない気がする。
殺してやりたいーーという気概は感じる。
だが、殺してやるーーという殺意がまるでないのだ。
(201.)
と、うだうだ口喧嘩のようなものに巻き込まれながらしばらく経ち、車は自宅のすぐそばに停車した。
……まえまえから疑問だったけど、どうして私の家の場所をこの人は知っているんだ。地味に怖いじゃないか……。
「それじゃあ、またいつか会おう」
「杉井、またね」
二人に声をかけられ、車は発進した。
それを見送った私は振り返り、自宅のマンションの中に入る。
歩いて進み、やがて、自宅の前に辿り着いた。
ーー久しぶりの我が家だ。
なんだか感慨深い。
どのような顔で帰ればいいのだろう?
なにを伝えればいいのだろう?
これまでに体験してきた苦労話?
さまざまな迷惑をかけてしまった謝罪の言葉?
いろいろサポートしてくれた家族への感謝?
ーーなにを迷っているんだ、私は。
ただ単純に自宅へ帰るだけだ。
我が家に入るだけだ。緊張する必要なんてなにひとつない。
いつもどおり、ごくごく自然と入ればいいだけだ。
鍵を差し込み扉を開ける。
「ーーただいま」
「ゆ……豊花? ……豊花! おかえりなさい! 辛かったでしょう? 大変だったでしょう!? もう大丈夫だからね!」
母さんは涙目になりながら玄関まで走ってくると、私のことを強く抱き締めた。
涙声で心配してくるその姿を見て、私はなんとも言えない気持ちに苛まれる。
「ゆったー」裕希姉が部屋から出てきた。「おかえり」
「ーーただいま、裕希姉」
裕希姉はいつもどおり私を迎えてくれた。
いまの私にとってはありがたいことだ。
どうやら家族の反応を見るかぎり、私が殺人を犯したことは知らされていないらしい。
学校か、異能力者保護団体か、愛のある我が家か、教育部併設異能力者研究所か、どこかしらが隠蔽してくれたのだろう。今は素直にありがたい。
「ちょっと休みたいから、部屋に戻って寝ていい」
「もちろんよ! ゆっくり休みなさい! あとでいろいろ聞かせてね? 悩み事があったらなんでも言うのよ?」
母さんはそう言いながらリビングへと戻っていった。
自室に入ると、なぜか裕希姉まで着いてきた。
「なにか用?」
「ゆったー……生理には慣れた?」
ガクッと言いそうになることを訊いてきた。
「あはは……まだまだ辛いよ。生理前の不快感も。ただ多少は慣れたかな?」そう。多少は慣れた。痛みはまだまだ辛いが。「生理が来るタイミングがなんとなく掴めてきたし。なんだか生理前の数日って感情が不安定なんだよね」
「そそ。生理前の憂鬱期だねー」
裕希姉は軽く言いながら部屋に座った。
「お姉ちゃんに同級生でいいから男紹介してよー。顔は中くらいでいいから、やさしい子がいい」
「はぁ~……アルバイト先で探せばいいじゃん」
「無理! ファストフード店のアルバイトやめちゃったもん」
「じゃあ大学で探せばいいじゃん」
「好みのタイプは~みんな彼女持ち~。平気で三股か~ける~、く~ず~や~ろ~う~。大麻自慢をしてくる~く~そ~や~ろ~う~」
なにかを歌いはじめてしまった。
なんだその彼氏が欲しくて欲しくて堪らないといった歌詞。ってか三股はクズだな、たしかに。
「まあ、そのうちね。誰かに彼氏欲しがってる女の子いない? って言われるか、兄弟の話になったとき、姉貴に会わせて! って言われたら紹介しとくよ」
「ありがとー! でさ? ゆったは彼氏できた?」
「……だからなんで彼氏なのさ……」
彼氏なんて、どれだけイケメンでもつくりたくない。要らない。私には不要だ。
「じゃあ、まさかのまさか、彼女は?」
「彼女ーー」
なぜか自然と瑠璃の笑顔が脳裏に浮かんだ。
……返事はしていないけど、あれは告白と捉えていいのだろうか?
悩みに悩む。
いつの間にか部屋から姉は出ていき、一人布団に横たわるのであった。
明日は学校は休みだ。
でも愛のある我が家の仕事はある。
初の仕事となる売春の手伝い。
いったい、なにをやらされるのだろう?




