Episode137/終わる日常
(193.)
学校の一時間目の授業中、ありすからスマホに連絡が来ていた。
『ごめん、犯人取り逃がした。これからそっちに向かう』
結局、あれを引き起こした犯人は捕まえられなかったらしい。
「なにしゅんって顔してんだよ?」
表情に出ていたらしく、宮下に小声で突っ込まれた。
と、いきなり教室のドアが開かれた。
そこには……。
「え、雪見せんせーー!?」
「やあ、久しぶり。もうこちらもなりふりかまってはいられないんだよ。許してくれ」
そこには、神無月、緑、赤、栗落花の四名。そして、額から血を流して衰弱した表情をしている雪見先生がひとりいた。
雪見先生は神無月に捕まえられ、神無月が首筋へ鎌を押し当てている。
「え、なにあれ?」
「おいなんだよ、まずくね?」
クラスメートがガヤガヤする。
雪見先生の流す血量が多く、目に留まり皆が動かなくなる。
数学の田中先生も一瞬押し黙ったが、すぐに口を開いた。
「なにをやっているんだ! きみたちは誰だねぐっ?!」
赤がピストルの形をした手を田中先生の片足に向けると、そこから銃弾が放たれ片足を貫いた。血液が宙を舞い、痛みに顔を歪ませながら地面に横たわる。
「みんな、お静かに。私はそこの杉井豊花に用事があるだけなんだ」
「なんのつもりだよ……無関係の人間にまで手を出して!」
思わず激昂する。
瑠璃が狙われたりするのは異能力者保護団体の人間だから仕方のない節もあったが、完全に無関係である雪見先生をどうして連れてきたのかがわからない。
しかもとっくに怪我をさせている。
「きみが大切だと思う範囲はね、なかなか傷つけられないとわかった。だから範囲外を人質にさせてもらう。なに、きみは避けなければいいだけだ。避けたらきみの担任には犠牲になってもらおう」私は動こうとする。「おっと、動けば死体がひとつできあがり、我々は栗落花によって逃がさせてもらうよ」
「くっ……!」
冗談じゃない!
どうして関係者以外まで狙えるんだ!?
「まずいだろ……あいつらあのときの」
宮下は思い出したらしい。そう、宮下も無関係なのに襲われたことがある。
「これが最後ではないとも忠告しておくとしよう。もしこの命でダメなら、ひとりずつクラスメートを殺害していくとする。寝返るのが嫌なら死ぬだけでいいと言っているんだよ」
まずいまずいまずいまずい!
このままだと雪見先生は無駄死にする。
そして助けは期待できない!
クラスの廊下は誰か近づかないか緑が見張っている。緑だけは教室の外を見ていた。
クラスの中は誰かが動き出さないように赤がピストルの形をした手を向けながら様子を見ている。
雪見先生は神無月が捕らえ首に鎌を掛けている。いつでも殺せるだろう。
栗落花は三人の中心にいて、いつでも逃げられるように待機している。
そして私は、教室の真ん中辺りに座っている。一気に接近することは、ありすの技術があっても机が邪魔して不可能だろう。
クラスメートの目線が私と神無月に分散する。注目されている。私のせいでこうなったのか、私は誰となにをしているのか、訝しげな目線が集まる。
ーーまずいことになったな。だが、雪見桜子の命は諦めるしかないであろう。こうなっては。ーー
そんなことない!
自分のせいで誰かが傷付くことすら嫌なんだ!
なのに、命まで奪うだと!?
こんなことまでしてくる相手だとは思わなかった。
どうする、どうする、どうする!?
「わかったーーおまえらの仲間になるから」一度裏切るフリをして雪見先生を解放させればいいだけだ!「雪見先生を」
「それは遠慮しよう。きみはもはや危険因子なだけだ。今から赤に撃たせるから、それを避けないでくれたら良い」
赤がこちらに手を向ける。
ふと、脳が囁く。
その方法はつかえるかもしれないーー。
でも、死ぬ可能性もある。
ーーまて、危険を犯すな! そのまま死ぬ恐れもある! それに、それが例え成功しても、きみはもう二度とーー
黙ってて、もうこれしか手段はないんだ!
「わかったよ……ただしーー男体化」
意識が一瞬失われ、姿が私から僕に変わった。
「ほう?」
「女の姿のままだと、僕は咄嗟に避けてしまう。だから、男の姿で殺してくれ」
「いいだろう。しかし、ずいぶん平凡な見た目だな、きみは」
神無月はクックッと嗤い、赤の肩を叩く。
赤がこちらに狙いをつけ、ピストルの弾丸を数発放った。
それが僕のからだのあちらこちらを貫き、椅子から崩れ落ち地面に倒れ落ちた。
意識が……なくなりそうだ……。
「大丈夫だとは思うが、皆は動かないように」
「豊花!」
神無月は雪見先生を手放し、四人で教室の中に入る。
呆然とした表情で驚きを隠せない宮下が、椅子から立ち上がり僕に寄ろうとする。
「だから動くな。死んでいるのがわかれば我々は立ち去ろう」
宮下は怒りの表情と焦りを顔に浮かべたまま立ち止まる。
痛みは思ったより感じない。ただただ熱い。
そのまま致死量だろう血液を流すのが自分でわかった。
ーーああーー意識がーー暗い暗い海にーー沈んでゆく。
四人が僕の周りに近寄り、神無月が僕の体に手を差し伸ばす。
「……ょ……ぁ……」
声にならない声を無理やり出した。
「まだか。赤、とどめだ」
「はい」
一瞬意識が消えーー僕は私に姿を戻した。
「ーー!?」
そのまま超近距離まで近づいていた赤に、ナイフを一気に取り出し起き上がり様に切りつけた。
「カハッ!?」
瑠衣に鍛えられたナイフだ。意図も容易に骨ごと心臓を貫いた。
そのまま神無月にナイフを振るうが、神無月は背後に下がり避けられる。
クソーーこれでもダメか!
だが無駄に近寄り過ぎたな。
私はナイフを振り切り緑にまで当てる。
構えは順手、殺す構えではないけどーーこの瑠衣のナイフでは力は要らずに貫通する。
緑の胴体に深い切り傷を刻み、私は返り血を浴びながら次手を振ろうとする。
しかし、栗落花のちからにより神無月と栗落花だけが姿を消してしまった。
緑が血を吐きながら地面に倒れ、姉である赤に重なる。
「……死んだ僕の仇だ」
ポタポタとナイフから地面に血が流れ落ちる。そのナイフを倒れた緑に突き立てた。
日常の教室の様相が、一気に一変した。
皆は恐怖で目を見開いている。
ーー終わった。
私はゆっくり歩き、雪見先生に近付く。
雪見先生は唖然としたまま私を見る。
「きょうで、私は退学します。今までありがとうございました。そして、迷惑かけてしまってすみませんでした」
血塗れの教室、鉄の臭いと朱殷で満たされた。
クラスメートの反応が遅れながらやってくる。悲鳴をあげたり、小さく隣と会話したり……どうとでも見ればいい。
「みんな、今までありがとう。じゃあねーーさよなら」
「おい、待てよ豊花!」
宮下の声を無視し、私は狂ってしまった教室から抜け、校庭までがむしゃらに走った。
すべてが壊された。
もう日常に還る場所などなくなった。
男の自分も死した。
もうどうでもいい。
二度と還れない日常。
クラスメートには恐怖され、殺人犯となった自分ーー。
今までの殺人とは違う。
全員に見られた。
宮下にも見られた。
きっと、家族にも知らされるだろう。
非日常にしか帰れなくなったことを校庭で噛み締めた。
でも、学校をやめればクラスメートも安全だろう。
家族に近寄らなければ家族もきっと安心だ。
身近なひとであれば危機察知も働く。
「ちょっとちょっと? なにがあったのさ?」
ちょうどありすが校門まできていた。
制服にびっちょり付着した血液を訝しげに見ながら、ありすは訊いてくる。
説明するのも面倒くさい。
もう、どうすればいいんだ。
ここまで日常がぐちゃぐちゃにされるだなんて、思いもしなかった。
あ……れ……?
「ぅ……ぐ……」
「ちょっとちょっと! 血塗れで泣き出して、どうしたの? 話聞くよ? 言ってみ」
自然と目から涙が零れ落ちる。
なんのために戦ってきたのかが、わからなくなってきた。
いつか日常に帰るために戦ってきたのに、たった一度の相手の考えなしの暴走で、ぶち壊されてしまったのだ。
ーー豊花……。ーー
なにも考えられなくなり、ありすに見守られながらしばらく泣き続けるのであったーー。




