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夜会とお姫さま

今日は王族主催での夜会の日。あまり眠れなかったモグラ姫とは対照的にアンは、主人を着飾ることが嬉しくって、午前中のうちからカーテンを閉め切った部屋へと足取り軽やかに向かいます。

モグラ姫と言えど、一国のお姫さま。今までだって事ある毎にドレスは新調して来ましたが、アンにとって今回は特別でした。いつも地味な色合いならば何でもいいと張り合いのない返事ばかりをしていた彼女の主人が、今回は淡い黄色と注文をつけていたためでした。

通常ドレスとは恋人や婚約者がいた場合、相手の目の色や縁のある色を選ぶのが常識です。モグラ姫もその程度のことは理解しているでしょう。けれども彼女が選んだのは黄色でした。アンは聞いた当初こそ訝しみましたが、すぐに合点がいきました。

サイラスの瞳の色を選ぶのは恥ずかしい、ならばせめてと髪色を選択したのだろうと。当のモグラ姫はそんなこと、思いも及ばなかったのですが、アンはそうに違いないと主人の解りづらい愛情の示し方が可愛らしく微笑ましく思っていたのでした。

幼い頃から仕えている使用人の矜持として今夜はサイラスが驚く程にモグラ姫を美しくして見せようとアンは心中で密やかな使命感に燃えていました。

勢いよくドアを開け、まだ布団に縮こまったままのモグラ姫に声をかけます。


「アイリス様、今宵は特別な夜会でございます。今日は逃げ出そうとしても首根っこを掴んででもお支度していただきますよ。ご令嬢の方々は皆さんやっていらっしゃることなのですから、一国の姫とあろうものがまさか嫌がったりしませんよね」


部屋に入ってから数秒でこの気合の入れよう。モグラ姫は寝不足で晴れた瞼を擦り擦りアンの方を見ると満面の笑顔でこちらを見ていました。


「アン、まだ朝食も済んでいない時間よ」


「それはアイリス様がねぼすけだからです。もう立派な午前中ですよ。湯浴みから始めますので身体をあげてください。選りすぐりの者を選んできましたわ」


そう言うとアンはモグラ姫を叩き出すようにしてベッドから布団を巻き上げ、浴室へと追い立てました。モグラ姫は、これから行われるだろう準備の時間にぞっとしながら、この行動は不敬じゃないかしらと普段気にもしないことを言いました。

彼女は独り言のように呟いただけだったのですが、耳ざといアンのこと。すぐさま10倍返しを食らいました。

それからモグラ姫は湯浴みをした後、香油を塗りたくられ思わず絶叫したくなる程のマッサージを受けながら、もう二度とこんな仕打ちは受けたくないとごちるのでした。


アンをはじめとして様々な使用人の努力の甲斐あって、モグラ姫のドレス姿はいつもと見違えたようでした。モグラ姫自身も姿見を見て驚きを隠せませんでした。

レモンイエローのふわりとしたドレスは至極シンプルな作りでした。主流のクリノリンではなくマーメイド型で、補正を必要としないものでした。モグラ姫は豊満な体つきとは言い難いものでしたので寂しい胸元には真珠が散りばめられています。過度な露出を抑えたそれは彼女を清楚に演出しました。

普段は最小限に抑えられている化粧も、派手でない程度に施されています。コンプレックスだった目元は昨今西方より取り入れられた動物の毛で作られたまつげを装着し、薄い唇には薄桃のルージュが引かれていました。


「まるで、魔法をかけられたシンデレラの気分ね。お見事だわ」


「アイリス様は癖のない顔をしているので、やり易かったですわ。とても可愛らしいですよ。きっとこれならばサイラス様も驚かれるに違いありません」


「そうね、そうだと良いわ」


アンは手紙の返事が来ていないことを大した問題とは考えませんでした。公爵家の跡継ぎであるサイラスは、忙しい人間なのですから。寧ろ今までの方が異常だったのです。方々へ視察しに行く彼が間を置かずに返事をするなんて大変なことです。

モグラ姫は気づいていませんが、サイラスは確かに彼女のことを思っているとアンは確信していました。なのでお互いの齟齬を今夜の会で無くすことが出来ればと強く願ったのでした。


貴族階級の様々な人間が集まる夜会。サラ姫の婚約パーティとは趣が異なり、あちらこちらで恋の駆け引きが行われていました。モグラ姫は、居心地の悪い思いをしながら赤ワインをゆっくりと嚥下します。

珍しくおめかしをした彼女は使用人はもちろん両親、姉妹に渡ってひどく驚かれ、賞賛の言葉を貰いました。その後サイラスがモグラ姫の元へとやってきたのですが、彼は少しだけ目を見張っただけでいつもと同じ常套句を口のするのみでした。

しかしおしゃべりが代名詞と呼ばれるほど回る彼の口は、妙に重たくモグラ姫と二人きりになっても口を閉ざしたままでした。にこやかに笑顔を振りまくのがサイラスの常である筈が口真一文字でモグラ姫とは目も合わせません。

彼女はかなり気詰まりな思いをしながら横に立っています。夜会に行く前のお褒めの言葉の数々で少しだけ気分が浮上していたのですが、すぐに逆戻りとなってしまいました。


「サイラス、あなた今日はやけに大人しいわね。どうしたの」


完全に不機嫌面の彼に話しかけるのはとても勇気がいりましたが、モグラ姫は意を決して口を開きました。けれども彼はちらりと一瞥しただけで口を開こうともしません。

あたりの空気はピリつきサイラスが怒っているのだとモグラ姫は悟ります。


「ねえ、久しぶりに会ったのだから少し位話しても良いんじゃないかしら」


内心モグラ姫も取り付く島もない態度を取られて、少しムッとしていたのですがここで嫌味などを言ってしまったら完全に冷戦状態。良い方向に進む筈がないと思い、ぐっとこらえました。すると彼女の葛藤を知ってかしらずかサイラスが漸く口を開きました。


「今宵のアイリス様は、天女のようにお美しいので言葉を無くしてしまいました。無礼を働き申し訳ございません」


慇懃無礼に頭を下げる彼にモグラ姫は戸惑いを覚えました。褒められている筈なのに、とても馬鹿にしたよう聞こえます。言葉だって、まるで大根役者の台詞回しのように棒読みでモグラ姫には興味がないといった様な態でした。

モグラ姫は怒りよりも先に悲しみが溢れ出てきました。衆人環視の中、泣くことはしませんでしたが鉛を飲んだように心が重たく感じます。彼に驚いて欲しくて、褒めて欲しくて。ドレスアップは本意ではありませんでしたが、それでも。サイラスに見せるために着飾ったというのに全くの無駄でした。

モグラ姫は突然自分がとても滑稽のよう思えました。頼まれていもしないのに、勝手に期待して舞い上がって、現実との差に酷く落胆しているさまは、さながら道化師でした。


「サイラス、ごめんなさい。私やっぱり勘違いをしていたようだわ。ダンスは一回だけにしましょう。それまでに戻ってくるから少し風に当たって来るわ」


そう言って、バルコニーの方へ向かおうとするとサイラスは機嫌を悪いのも隠しもしないでモグラ姫へと言葉を投げかけました。


「あなたは姫という身分なのですから、妄りに外に出ない方が身のためですよ。今日は多少着飾っているようですから、馬鹿な男が近寄って間違いが起こるかもしれない」


「馬鹿にしているの。私だって多少の分別は付いているわ。何に腹を立てているのか分からないけれどここで二人で会話をしないよりもマシでしょう。私も血が上りやすい性質だから頭を冷やしたいの。折角会ったのに喧嘩するのは嫌なのよ」


「僕が苛ついているとしたら十割あなたのせいだ。折角会った、だなんて心にもないことを。良いでしょう。僕があなたを引き止める権利など端から無いのですから」


「何を言っているの。私、手紙にだって書いた筈だわ。あなたそれも読んでいないの。ねえ私気に障ることをしたのかしら。見当もつかないのよ。だって会ってもいないのに。手紙だって今回の以外はすべてお返事をくれたじゃない」


「届きましたよ。お忙しいのに僕に付き合わせて申し訳なく思いました」


「それだけ、それだけなの」


「他に何と言いようがあるというのでしょう。僕はあなたの天敵から脱却したと思っていたのですが、それはあなたの優しさだと気付きもしませんでした。けれどもそれならば期待などさせて欲しくなかった。あなたのどんな表情でも良いから見ていたいと言ったのは本当ですが、それでも。あなたが心底嫌がることをしたくなくなってしまったのですよ」


「何だか食い違ってるように思うわ。今日のあなたはまるで別人よ。もうわけがわからない」


モグラ姫は会話を打ち切って、その場を去り、バルコニー近くの壁に身体をもたれ掛けさせました。これ以上彼と一緒にいなくて良かったと心底彼女は感じていました。だってみっともない真似をするに決まっていますもの。

モグラ姫は「私を信じて」と言おうとしましたが、言葉は喉に引っ掛かって出てこないのでした。モグラ姫は自分で気づいてしまいました。何ら関係性の無い女からそんなことを言われても、サイラスはきっと戸惑うでしょう。そしてもっと呆れさせてしまうに違いありません。

どうして、他人に説明が出来る関係を築けなかったのでしょう。思いを通じ合わせて時間はたっぷりありました。

サイラスはそう、手紙という形で歩み寄りを示し、けれどもモグラ姫は彼の好意に胡座をかくばかりで何も行動を起こそうとはしていませんでした。

後ろ向き思考のせいにして消極的であることを当然として、サイラスからただ受け取るばかりで何も返せていませんでした。

いくら外見を飾ったって意味は無く、佗しい張りぼてのようなものです。


夜会の熱気から離れたモグラ姫は、遠くにいるサイラスをじっと見つめていました。幾ばくもしない内、令嬢がやって来て彼に話しかけていました。おそらくダンスの申し込みでしょう。

今日の様子では、誘いを受けるに違いないと思っていたモグラ姫でしたがサイラスは首を振り断っている様子が見受けられました。

こんな状況であるのに嬉しいと彼女は、心底思いました。彼の頭にはまだ私がいるのだ、そう思うと僅かばかりに勇気が湧いてきました。

その後です。モグラ姫は人生で初めて自分から行動を起こしました。頭で思うより先に足が勝手に彼の元へと向かっていたのです。兎に角彼と話をしたい、彼女はそう思いました。

どんな結果になっても、と悲壮な決意を裡に秘め、サイラスの名を呼ぶのでした。


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