お手紙とお姫さま
昔々から始まる童話のお姫さま達は様々な困難をくぐり抜け、王子様に出会いプロポーズをされ、めでたくハッピーエンドです。
しかしながら物語とは違い、現実は思いを通わせた後も続いていくのが人生というもの。平民から一国の王子に嫁いだシンデレラなんかはきっと貴族と平民の違いにさぞや苦労したでしょう。
今回の物語の主人公は大して美しくもないちょっと捻くれたお姫さま。文字を愛し、書物を愛する少し変わったアイリスという少女です。彼女は引きこもってばかりいるためついたあだ名がモグラ姫。
つい先日、彼女は今まで天敵と評していたサイラスという青年に恋をしました。そしてめでたいことに彼もまたモグラ姫を好きでいることが判明し、彼の尽力を持って漸く思いを通わせたのでした。
しかしながら、以前はさながら敵同士。長年猿と犬という関係を続けていたことでモグラ姫はサイラスにどう向き合えばいいのか解らなくなっていました。
頻繁に顔を合わせることもないので彼女の生活は以前と同じまま。変わったことと言えば手紙を贈り合うようになった位でしょうか。それだって、熱烈なラブレターのわけではなく大好きな本のことや、お花のこと。恋をしている同士の甘さの欠片もないものでした。
少なくともモグラ姫にとっては熱烈な始まりだったわけですが、現実はそう甘くありません。むしろ、少ししょっぱくて苦いような気分です。
彼女は今、報告書をまとめ終え部屋の中で一息付いているところでした。アンが入れてくれたフレッシュミントのお茶をすすりながら、昨日来たばかりの手紙を少し読み進んでは溜め息ばかりをこぼします。
見かねたアンが呆れたようにモグラ姫に声をかけました。
「アイリス様、いくら読んでも手紙の文字は変わりませんよ。昨日から何をそんなに落ち込んでいらっしゃるのですか。サイラス様が悪口でも書いてきたのですか」
「違うわ。いつもと同じよ。この前は隣国に行って治水の技術を学んできたとか、街に新しく美味しいお菓子屋さんがオープンしたとか」
「それでは何故そんな気落ちしているのですか。いつものように返事をすればよろしいのでは」
幼い頃から仕えているアンは、何故主人が浮かない表情をしているのか甚だ疑問でした。
二月ほど前、彼女はサイラスとモグラ姫が抱き合い笑い合っている姿を目撃していたものですから、手紙のやりとりが続いているのを見てほっと胸を撫で下ろしておりました。
劣等感や自らが戒めた鎖でがんじがらめになっていたモグラ姫はサイラスを好きになって少し変わったようにアンの目には映りました。今までは美しい姉妹の狭間で卑屈になり、何もかもを諦めたような表情をしていましたが最近は雰囲気が柔らかくなり、自分を卑下する言葉を使わなくなっていました。アンはサイラスに感謝の念を抱き、以前の卑屈さを捨てた主人に安心感を覚えていたのでした。
「返事、書かなきゃ駄目かしら。だって私もう話題にするものがないわ。サイラスのように外に出られないし、日々の生活のことだって部屋と書庫の行き来ばかり。本だって今読んでるのは歴史書よ。しかも辺境伯の領地のね。そんなの書いたって詰まらないだけじゃない。手紙を読んで退屈そうなあの人の顔を想像しただけで、ムカムカしてくるわ。次に会った時になんて嫌味言われるか解らないもの」
「アイリス様。なんだか色々間違えてらっしゃいますわ。サイラス様は手紙を読む時に退屈だなんて思わないでしょうよ。あなた様の日々の様子が窺い知れることが嬉しいに決まっています」
「アンはあの人の底意地の悪さを知らないだけよ。そりゃああの一件があって以来、私が怒ったりするようなことを言ったり書いたりするのはないけれど。何たってサイラスよ。いつ気が変わるかわからないもの」
「それではお二人は恋人なのですから、思った気持ちを素直にしたためたらいかがですか」
「そんな、恋人なんかではないわ。だって了承した覚えがないもの。それに恋人なんていたらいざ婚約者ができた時に大変なことになるじゃない」
アンは主人の言葉にぱちくりと目をしばたかせました。てっきりサイラスとモグラ姫は思いを通わせ、恋人になったと思っていたのに予想外です。
「では、アイリス様はサイラス様と婚約を結びたいと思っているわけではないのですか」
「王族の結婚は恋愛感情でするものではないでしょう。お姉様だって仲睦まじいけれど、元々は国同士を深く繋げるために婚約を結んだのですもの。私だって例外じゃないでしょう」
「けれども、サイラス様は公爵家の方ではございませんか。アイリス様が嫁ぐにはうってつけ。でなければ、王様も王妃様もエスコートを頼んだりしないでしょう」
「そんなのわからないじゃない。確かに可能性はあるだろうけれど、期待したくないわ」
モグラ姫の言い分もわからないではありませんでした。卑屈さを捨てたとはいえ、長年培われた後ろ向き思考はなかなか治るものではありません。相手はサイラスであることも相まって彼女はますます解らなくなるのでした。
「アイリス様、アンがいいことを思いつきましたわ。7日後にある夜会をご存知ですね。王妃様は既にサイラス様へアイリス様のエスコートを打診し了承を得たと仰っておりましたわ」
「私、聞いていないのだけれど」
「普段はそんなことに頓着しないではありませんか。でも分かりました。今度からはしっかりご報告するように致します。まあそんな些事は横に置きまして。サイラス様にお会いできるのを楽しみだという主旨の手紙を書くのです。それだけでも充分驚かれるでしょうが、優美にアイリス様らしくなく書いてみたらいかがですか。どちらに転んでも退屈はしないと思いますよ」
「アン、私が得意じゃないことを知っていて馬鹿なことを言っているの。嫌よ。羞恥で死んでしまいそうだわ」
「だからこそですよ。サイラス様だってそんなことはご存知でしょうから色気の欠片もないお手紙で満足しているのでしょうし。それにアイリス様は日々文字と向き合っている謂わばスペシャリストでございましょう。一時の恥よりも実を取りましょう」
モグラ姫は長年仕えている使用人の熱心ぶりの押し切られるようにして、曖昧に頷きました。彼女はアンの『よい思いつき』とやらに全く乗り気ではありませんでしたがすぐ様可愛らしい小花の散った便箋を用意され、押し切られてしまいました。
ペンを握りうんうんと唸りながら、モグラ姫にとって仕事よりも難しい文章を書き始めるのでした。
その一通の手紙を巡ってこれから起こる騒動を知らないまま。