表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/18

太陽を欲するお姫さま

婚約パーティから三日経った後、モグラ姫は書庫でひとり頭を抱えておりました。依りにも寄って天敵であるサイラスと二曲続けて踊ってしまうとはいまだかつてないことでした。

彼とのダンスはいつだって嫌味と皮肉の応酬で楽しかったことなど一度もなかったのですから。

けれどもあの日は。抑圧されていた少女のアイリスがモグラ姫の戸惑いなんて気にもしないで表れてしまい、サイラスに恋をしているが如くの態度を取ってしまったのでした。

通常であれば、一曲踊れば義務を果たしたと言わんばかりに離れる二人でしたが、あの時はダンスを終えた後もサイラスはモグラ姫を気遣うよう側から離れませんでした。

思い出せば出す程妙なことばかりです。モグラ姫はこの三日間というものサイラスを思い出しては恥ずかしくなり声にならない声を上げてばかりいました。うんうんと唸ったり、呻いたりして何から何まで手がつかず、本を開いたは良いものの頭に一節も入ってきませんでした。

馬鹿馬鹿しいかもしれませんが、モグラ姫にとったら一大事です。自分は一体全体どうして熱に浮かされてしまった気分になったのか。心の奥底に隠していた少女らしいアイリスが何故、サイラス相手に出てきてしまったのか。考えど考えど見当もつきません。

いえ、本当は薄々感付いているのですが、彼女は自分自身に嘘を吐きました。だってモグラ姫は臆病なのです。認めてしまったら、今まで捻くれてとんがった心の柔らかい部分が剥き出しになってしまいそうで怖くて怖くて仕様がありませんでした。

加えて彼女は自分が美しくないことに、また姉や妹と比べられモグラだなんだと噂されることに本当はとても傷付いていました。けれども気にしないふりをして、周りの者はもちろん自分さえ騙していました。

わざと捻くれた態度を取っていた筈なのに、もう演技なんだか真実なんだかてんでわからなくなっていたのです。


アンが心配する程、挙動不審になったモグラ姫でしたが悩み抜いた上、全て忘れてしまうことにしました。

彼女は忘れることがとても得意でした。嫌なことや悪口、噂など忘れたふりをして頭の隅っこに追いやり、書物や報告書に没頭するのは彼女なりの処世術でもありました。

忘れたと思い込む作戦はある一定の効果を表しました。パーティから五日も経てば彼女は以前となんら変わらない、モグラ姫に逆戻りしたのでした。

そしてもうもう一人の彼女、少女のアイリスが出て来ぬように厳重に鍵をかけて記憶の海の底に放ってしまいました。これでもう、彼女を脅かすものはない。

モグラ姫はすっかり安心しきっておりました。一度出てしまった感情はどんなに注意深くなったとしても、溢れ出てしまうことを知らないで。


それから一週間が経ち、モグラ姫は今日も今日とて報告書を読み込み、ペンを走らせていました。もう三日も篭っており、寝る時以外の時間は全て書庫内で過ごしておりました。

長袖のワンピースの袖をインクで汚し、鼻の頭にも飛んでいる始末。そんな彼女の様子を見かねたアンが、語調を強めて注意しました。


「アイリス様、ご自分のお顔がどの様になっているか、ご存知ですか。飽きもせずに紙とインクばかりに囲まれて。あなた様はいつもそうです。夢中になると食事すらそっちのけで暗い部屋に閉じこもり切り。いい加減にして下さいませ。アンは知っているのですよ。王妃様から聞いたので確かです。今、急ぎの仕事はないとそう仰っておりました。今日はもうお終いです。良いですか、もしも私の注意を無視して続けるおつもりなら、私は暇を出させて頂きます」


モグラ姫はアンの大きな声に驚き、顔を上げました。すると怒りの形相の彼女がモグラ姫を睨みつける様に見ているではありませんか。

ここで続ければ、彼女は本当に暇を出してしまうことでしょう。モグラ姫は幼い頃から御付きであるアンをとても信頼していたので、渋々とペンを置きました。


「ごめんなさい。心配をかけていたのね」


「そうですとも。アンだけではございません。王様も王妃様もサラ様やアリス様だって、アイリス様をご心配なさっているのですよ。一体何があなた様をそうさせているのでしょう。数日前までは気もそぞろな様でしたのに、終わったかと思えば一心不乱に文字ばかりを追いかけて。程々というものを良い加減に覚えて下さいませ」


「わかったわ。本当にごめんなさい。アン。今日はもう止めにするから。部屋に戻ったら湯浴みがしたいわ」


「既に手配済みでございます。着替えの用意もしましたし、軽食も厨房に頼んで参りました。お昼食も全く手を付けておられないようでしたから」


そう言うとアンは急かすようにモグラ姫を書庫から出し、部屋へと追い立て湯浴みをさせました。モグラ姫は無駄口を叩かず、素直に彼女に従います。アンを怒らせると後が怖いのです。

新しい紺色のワンピースに着替え、サンドイッチを頬張っていると厚手のカーテンの隙間から、午後の陽の光が差し込んでいるのが見えました。一筋の光はなんだかとても柔らかそうで、モグラ姫は無性にあの庭へ行きたくなりました。食べている卵サンドを詰め込みように飲み込むと、外履き用の靴を持ってくるように言付けました。


「アン、少しだけ庭に行ってくるわ。本当よ、間違っても書庫には行かないから」


「では私もお供します」


「いいえ、悪いんだけど少し一人にしてくれないかしら。入り口から遠くへは行かないから。少しだけ一人にして頂戴」


「わかりました。それでは入り口でお待ちしております。くれぐれも着替えたばかりの服を泥だらけにしないようにして下さいね」


「もう子供じゃないわ。昔のことは止してよ」


モグラ姫が眉根を寄せて抗議すると、アンはくすりと笑いました。モグラ姫はなんだか妙な気分になりました。そして自身が周りを全く省みていなかったことに気付きます。

アンの穏やかな笑顔を見るのは数年ぶりのような気がしました。それは恐らく主人であるモグラ姫が笑っていないということと同じでした。彼女は申し訳ない気分になって、一歩後ろに下がり歩くアンに話しかけます。


「私、もうずっと空を見ていないような気がするわ」


「アイリス様は書庫にいらっしゃるときはもちろん、お部屋にいらっしゃるときでさえ厚いカーテンを閉めていたではないですか」


「でも、夕方近くになれば窓を開けて、外の街並みを見ていたわ」


「それはまた同じ空でも少し違うのではないでしょうか。暮れゆく橙の空も美しいものですが、私は真っ青な空に雲が浮かんでいる方が好きです」


「そうかしら」


「人それぞれ美しさを感じるものは異なりますから。アイリス様はどの顔の空が好きですか」


モグラ姫は暫く考えましたが、結局答えを見つけられませんでした。


「わからないわ。青い空は何故だかとても遠くにあるような気がして」


「ではこれから外に出られるのですから。戻りましたらアンに教えて下さい」


「そうね、約束するわ」


庭への入り口はもうすぐでした。アンは幼い頃から変わらない笑みを浮かべ行ってらっしゃいまし、と深くお辞儀をしました。モグラ姫も彼女の嬉しそうな声音につられ唇を三日月にし、薄ら笑みを浮かべました。そして数年ぶりとなる庭に足を踏み入れたのです。


入り口の木製のドアを開くと、一面の芝生が目に映りました。冬の間に短く刈り込まれた古い葉の間から、新しい緑がにょきにょきと顔を出していました。

石畳にそってなおも歩いて行くと、かつてイスカ王子と出会った花壇があります。子供の頃は庭の奥へと随分歩いたような気がしましたが、大人の足で行けば何て事もない距離でした。

久しぶりに来た庭は広いと言えども、あの頃に感じたときよりもずっと小さく狭いように思えます。

モグラ姫はぐんと手を頭上に伸ばし、空を仰ぎ見ました。木々の間から水色よりも少し濃い青が見えます。ところどころに千切れた雲が散らばっていてまるで羊が遊んでいるようでした。

太陽は穏やかに照っていて、もう冬の気配は欠片もありません。春の土の匂い、草木の香り。花壇には小さく可愛らしい白い花が咲いています。

幼い頃、モグラ姫ではなくアイリスが好きだった風景。大きくなった彼女もまた、やっぱり同じ風景が好きでした。


人の気配はさっぱりしませんでした。まだ花の盛りには少し遠いこの時期は、花を愛でる者が少ないのでしょう。モグラ姫は独り占めしている気分になって、足取り軽やかにあちこち歩き回ります。鼻歌を口ずさむ程に愉快な心地です。

そんな時でした。コツコツとモグラ姫ものものではない足音が聞こえ、庭師だろうかと大して考えもせず振り向いたところ、予想だにしない人が立っていたのです。

モグラ姫は、金色の髪を認め思わず身を硬直させました。何て間が悪いのだろうと、自分の運の無さに落ち込みました。サイラス、彼女の天敵である男がそこにいたのです。

モグラ姫は声を掛けるべきか一瞬の間迷いましたが、幸いにして彼は花壇の向こうにある大きなポプラの樹を見ているようでした。

彼女は視線がこちらに向いていないことに気付くと直ぐに踵を返し、道の奥へと進みます。少し歩けば曲がり角があるので、サイラスが気づかぬうちに移動してしまえば顔を合わせずに済むでしょう。

足を忙しなく動かし、何とか見えぬ位置まで行こうとしましたがやはり彼女は運がないのでしょう。途中石畳の小さな隙間に靴のヒールの部分が噛んでしまい、盛大な音を立て転びました。

幸か不幸か、石畳は乾いていたのでワンピースが汚れることはありませんでしたが、打ちつけた膝がじんじんと痛みました。そんな様子に気づかぬサイラスではある筈が無く、彼は靴音を鳴らしながらモグラ姫の元へと駆け寄りました。


「お怪我はありませんか」


モグラ姫は恥ずかしさでいっぱいになり、こくりと一つ頷いた切り口を動かしませんでした。暫くの沈黙のうち、サイラスが呆れたようにため息を零しました。


「アイリス様、あなたは全体何がやりたいのですか。僕を見つけたと思ったら鬼ごっこのように走り出して、おまけに盛大に転げるなんて。穴倉に長く引きこもっていたから目が利かないんですか。心配して声をかければだんまり。地面ばかりを見て、こちらを見ようともしない」


彼の声音には非難の色がありありと浮かんでおりましたが、モグラ姫はそれどころではありません。どうしたってサイラスの表情を見たくありませんでした。

けれどもそんなことで引き下がるような彼では無く、とうとう強引に彼女の肩を掴み、無理やり顔を上げさせました。まさかそんな手段を使って来るとは思わず、彼女は驚きに身を硬くします。


「またそうやって泣きそうな顔ばかり。怪我人を苛めることなんてしやしませんよ」


憎まれ口とは裏腹に、モグラ姫の目に飛び込んだ新緑の瞳は心配気に揺らめいていました。


「あなたと顔を合わすと碌なことがないから、会わずに済めばいいと思ったまでよ。ご安心下さいな。入り口には人が控えているし、膝だって大して痛まないわ。あなたの世話にはならないから」


彼女は出来る限り精一杯の虚勢を張り、サイラスをどうにか追い返そうとしますが挑発に乗るような彼ではありませんでした。


「あなたはいつもそうやって、我慢するんです。あなた曰く大嫌いな僕に触れられるのも嫌なのなら、どうしてあの時、僕に寄り添ってくれたのですか。痛い時くらいはその無駄な鎧を取ったらどうです」


そう言うとサイラスは、モグラ姫の頬を指先でなぞりました。まるで壊れ物を扱うような仕草に、彼女は怖気づきました。忘却の中に沈み込ませたと思っていた彼女の柔らかい部分がどんどんと表面に現れているような気すらします。哀願するようにモグラ姫はサイラスに零します。


「お願いだから、一人にして頂戴。あなたといると調子が狂うの。嫌なのよ、だから嫌いなの。どうせからかっているだけでしょう」


「お願いは聞けませんね。僕はあなたを一人にしない。だってそうしないと勝手に捩じくれて、明後日な方向の解釈をするじゃないですか。あなたは自分勝手に決め込んで認めやしないんですから」


サイラスはそう言うと、彼の胸に彼女を押し付け、焦げ茶の髪をゆっくりと梳いていきそれから、背中を撫ぜました。

モグラ姫は彼の太陽の匂いがするシャツと、それ越しから伝わる鼓動や体温になんだか訳がわからなくなってしゃくり上げるように泣き出しました。それは今まで溜まっていた何年か分の涙でした。

どうして彼の前でこんな風になってしまうのか、答えはとても簡単でとても認めがたいものでした。けれどももう認めざるを得ません。モグラ姫は天敵とも言えるサイラスを好きになっていたのでした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ