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婚約パーティとお姫さま

陽の光がだんだんとオレンジ色になっていく頃、昼間は決して開くことのないモグラ姫の部屋のカーテンは夕方になってからようやく開かれます。

モグラ姫は寝そべっていたソファから重い腰を上げ、大きな窓を開け放ちました。

まだ冬の匂いがする風、びゅうと吹きつける冷たさに心地よさを覚えます。

眼下に広がる街並みは黄昏色に染まっていて、まるでおとぎ話に出てくる黄金の国のようでした。

城下はざわざわと人の気配があちらこちらに見受けられ、兵士たちが忙しなく動き回っておりました。

それもその筈、稀代の美女と呼ばれたサラ姫の婚約パーティなのですから。手落ちがあってはそれこそ国の威信が地に落ちてしまいます。

もうすぐモグラ姫の部屋にも使用人がせかせかとやってきて飾り立てても見栄えしない彼女にドレスを着させるのでしょう。

モグラ姫はこの後のこと思い、ひどく憂鬱な心地で窓のヘリに座りこんでおりました。

このまま、夜風と共に空の飛び立てたならどんなにか心が洗われるでしょう。

けれども土の中モグラと同じく姫には翼がありません。持っているものといえばインクが染み付いてしまった指先と、四六時中ペンを握っていたがため出来てしまったタコくらいのものでした。

城下の者は一日中引きこもっているモグラ姫のことを、怠け者だと陰口を叩いておりましたが

真実は少し違っておりました。兎角文字が大好きな彼女は地方からやってくる報告書を隅から隅まで読んでいました。

問題がなければそのまま判を押し、疑問に思え書庫に篭り納得いくまで調べ上げるのです。

お世辞にも効率がいいとは言えませんが、決して仕事を疎かにしているわけではありませんでした。

けれども一度広がった噂は尾ひれが付き、城下はもちろん街にまで届いてしまっていたのです。

元々外へ顔を出さないことも相まってモグラ姫の評判はどんどん良くない方向へと行ってしまうのでした。


「アイリス様、失礼いたします。お支度の時間です。ご要望の通りのドレスと靴を持って参りましたわ」


いささか乱暴にノックがされたかと思うと部屋のドアが開き、アンと腕こきの使用人が五人ほどずらりと並んでおりました。


「本来であれば湯浴みをし、お身体をピカピカに磨きとうございましたが、嫌がってお逃げになるのがアイリス様ですから。さあさ、時間がありません。その服を脱いで下さいまし」


矢継ぎ早に飛んでくるアンの台詞に逆らえば恐ろしいことになるとモグラ姫は身を持って知っておりました。いつになく素直に彼女の言葉に従っていると、いつもこうであればとため息混じりの台詞が降ってきました。

兎にも角にももう逃げられやしません。モグラ姫は戦場に赴くような心地でふっと息を吐きました。


驚異的なスピードで為された身支度の時間を経て、会場である広間に向かいます。既に人にとは集まっているようで陽気な笑い声が廊下まで響いておりました。

モグラ姫を今宵エスコートするのはバンサム公爵の息子、サイラス。お調子者で口が良く回る伊達男でした。モグラ姫はこの男が大嫌いでした。蜂蜜色の蕩けそうな髪も、形のいい唇やすっとした鼻筋も。

一緒にいるとまるでいっそ自分が醜くなったような気分になるからです。加えて、方々から決して感じの良いとは言えない視線を送られるのもまた憂鬱さを加速させました。


「アイリス姫。今夜もまた美しい装いで。夜に溶けて行ってしまいそうだ」


「世辞のように聞こえているけれど、相変わらずの皮肉っぷりね。お久しぶりサイラス様。でもそうね、エスコートを頼んだのは間違いね。あなたってば夜のランタンみたいに人を寄せ付けるものだから、パーティが始まる前に辟易してしまったわ」


「哀しいな、僕はなんだってそんなに嫌われなくちゃあいけないのかな。まるで毛虫を見るような表情でこちらを見るのはやめて頂けませんか」


「あら、人の何倍も神経の太いあなたが私の一挙一動で心動かされるとは思えないわ。それより早くアリスのところへ行きたいのでしょう。一曲踊ったならば直ぐに行って構わないから」


「僕は一度だってアリス様の方に行きたいなんて言ったことないよ。今日はアイリス様に嫌がられたって、一緒にいようと決めているのだから」


「殊勝な心がけね。でもそんな気遣いは結構よ」


モグラ姫はきっぱりとした口調でサイラスを拒絶すると、一際大きい人だかりに目を遣りました。

見たいような見たくないような、相反する心を抑えて今日の主役である姉のサラ姫とイスカ王子の方へと顔を向けるのでした。姉である彼女を見とめ、モグラ姫は思わず息を飲みました。

淡いブルーのドレスに、透けるような白い肌。アーモンドのような柔らかい茶色の瞳を持つ目は糸のように細くなって、幸せの笑みを浮かべておりました。

その隣には未だかつて見た事のないほど優しい表情をしたイスカ王子が姉に寄り添うよう、彼女と同じ笑みを浮かべて立っています。モグラ姫はすうっと心が冷えたような心地がしました。

幸福の絶頂の二人を見ていると自分がとても惨めでみすぼらしい存在に思えました。

美しい姉、美貌に加え心まで清らかな彼女はきっと、イスカ王子と明るい未来を作っていくに違いない、なんとも素晴らしいことなのに素直に喜べない自身に腹立たしさを覚えました。

モグラ姫が姉の半分でも美しい容姿があれば、素直におめでとうと言える心を持っていれば。

彼女はこんなに落ち込むことはなかったでしょう。或いは相手がイスカ王子で無ければ、素直に祝福できる度量は持っていた筈です。

モグラ姫はどうにもならないバラバラになってしまいそうな心地を必死に押し隠し、努めて平静を装っていました。一人でいれば溢れ返りそうな激情も奥歯を噛み締めて、我慢できたことでしょう。

しかし幸か不幸か彼女の隣にはいけ好かない男がおりました。天敵とも呼べる男です。モグラ姫がサイラスを嫌う最もな理由はその端正な顔立ちでも良く回るお喋りな口でもありませんでした。

彼はお調子者の顔を被りながらも、周囲を良く見る観察者でもありました。わずかな動揺もその大きな目で映しとり、モグラ姫にとって毒のような言葉を吐くのです。


「王子様の隣には女神に見紛う程美しいお姫様。サラ姫とイスカ王子はまるで童話から抜け出てきたようですね。二人が並んだ姿は煌びやかに彩られた絵画のようです」


「そうね」


「しかし童話の裏側にはいつだって悲しい恋物語が散らばっています」


モグラ姫がサイラスの方を睨みつけるよう見つめると、彼は嬉しそうに言葉を続けました。


「美しくもない姫は着飾るのも止め、ただただ憧れの王子を穴倉から見るばかり。僕には到底理解しがたいが、王子との出会いの瞬間を切り取って後生大事に時を止めている。その癖嫉妬だけは一人前。アイリス姫、滑稽だとは思いませんか。誰かの悲劇はその他の者にとって喜劇になり得る」


「何が言いたいのかしら。姉のサラに思いを寄せていた男ならばきっと、会場中にいる筈よ。イスカ王子も、容姿が整っているのはもちろん、とても優しい方ですもの。年頃の娘だったら憧れるに違いないわ」


「モグラ姫も、太陽みたいな王子の温かさに惹かれ、穴倉から鼻先を出してしまったというわけですか」


「その呼称、侮辱しているの」


「とんでもない、ただご忠告申し上げようと思いまして」


「とんだエスコート役ね。あなたは只、傷付けたいだけでしょう。もしくは引っ掻き回したいだけかしら。どちらにしろ性格が捻じ曲がっているとしか思えないわ。

他のご令嬢の方々にそのような態度をとらないことね。私にだって失礼だわ。だから嫌いなのよ。ダンスは結構だわ、とっととどこかへ行って頂戴」


「あなたがそんな声出すの、初めて聞きました。しかし姫、僕は王よりあなたのエスコート役を仰せつかっているのです。我が儘な命令には従えませんね」


モグラ姫は二の句を継げず立ち尽くしておりました。心に従えるのならば男も恥も外聞もそっちのけで書庫へと走って行ったでしょう。けれども今日は婚約パーティ。曲がりなりにも自身が一国の姫である自覚がありました。

「あなたなんか、大嫌いよ」


ぽつりと溢れた言葉は余りにも直情的で、情けないほどに掠れた声は喧騒の中ぽしゃりと空気の中に溶けていってしまいました。隣の天敵はそれ切り口を閉ざしモグラ姫はますますどうして良いのか解らなくなります。

ただただ、早く時間が過ぎればと祈るように願いますが、皮肉にもおめでたいパーティは始まったばかりなのでした。

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