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素直と意地張りお姫さま

サイラスに手を引かれ、バルコニーへと向かったモグラ姫はダンスもせいなのか恥ずかしさなのか身体中が火照り、暑くて仕方がありませんでした。おまけに周囲から好奇な視線があちこちから感じられて居心地の悪い思いをしました。

先程まではサイラスに嫌われたく無い気持ちが先行して、周りが見えておりませんでしたが一旦冷静になってみると何て大胆なことをしでかしたのでしょう。モグラ姫は頭を抱え、うずくまりたくなりましたが慧眼なサイラスはそんな葛藤もお見通しでした。


「夜風に当たってください。今日のあなたの行動はきっと許容を超えていたのでしょう。喉は渇いていませんか。飲み物を取ってきましょうか」


「随分と甲斐甲斐しいじゃない。それなら持ってきて頂戴」


「仰せのままにお姫さま。直ぐに戻ってきますから他に男がやってきたら、必ず部屋にお戻り下さい」


「解ったわ」


モグラ姫は内心、過保護だと感じでおりましたが、サイラスに心配されることは悪い気分では無いので素直に返事をしました。すると彼は、モグラ姫の髪をくしゃりと一撫でし、去って行きました。

彼の背を一瞥し、バルコニーの手すりへと肘をつき息を大きく吸い込みます。夏間近の空気。湿り気を帯びたそれは存外にひいやりと心地良く、火照った身体に染み入るようでした。

目線を空の方に向けると、半分になった月が薄雲に覆われぼんやりと光っておりました。ベールに包まれているおかげなのかいつもよりも繊細な輝きに、何だか心が洗われるような気分です。

ぼんやりとした月と同じように、物思いに耽っていたモグラ姫ですが入り口あたりから靴音が聞こえ浮上しました。てっきりサイラスかと思い、口の端に笑みを浮かべて振り返ります。


「遅かったのね。あなたの熱狂的信者にでも捕まっていたのかしら」


グラスを二つ抱えて戻ってきた彼の姿を思い、軽口を叩きましたが目に映る男は全く別の人物でした。


「ごきげんよう。ごめんなさい、人違いだったわ」


「アイリス様。お初にお目にかかります。私はヒールスロー子爵の息子、シアンです。申し訳ございません。お邪魔でしたでしょうか」


「いいえ。ここは別に階級で区切られているところでは無いわ。お好きに使って下さいな。私は部屋の中で待ちますから」


モグラ姫はサイラスの言いつけ通り、バルコニーから去ろうとしますが何故を企んでいるのかシアンという男が引き止めるような台詞を口にします。


「ここでお会いしたのも何かの縁。少しお話しさせて頂いてもよろしいでしょうか。アイリス様は歴史に興味があるとか。是非ともご意見頂戴したいことがありますので」


さて困った。モグラ姫は長年書庫に篭り、社交をないがしろにしてきたことで角の立たない断り文句を思いつけませんでした。けれども忠告を無視したと思われてサイラスの機嫌がまた下降線を辿るのは本意ではありません。


「ええ、是非とも。ですが、夜風が冷たいバルコニーで語るよりも明るい部屋の方がいいんじゃ無いかしら。身冷えして風邪でも引いたら、私の優秀な使用人に何て嫌味を言われるやら。彼女の怒り程恐ろしいものはありませんから」


モグラ姫にしては非常に努力した答え方でした。頭をフル回転にして考えついた台詞は我ながら悪く無いと、内心得意になっていました。


「そうですか。では、ご一緒にワインでも如何ですか。私の領地はブドウが名産でして、今日の夜会にも幾つかの銘柄を提供しているのです」


何てこった、モグラ姫は妙に食い下がって来る男に対してやや不信感を覚えました。今までだって夜会やパーティには参加して来ましたが、こんなにもぐいぐい来られるのは初めてです。姉のサラや妹のアリスであればこんな状況は慣れっこでしょう。

けれども、モグラ姫は違います。だってサイラス以外の男性となど殆ど会話したことが無いのです。加えて彼女は自身の容姿が他人を惹きつけるものでは無いと知っていました。


「あの、私人を待っているとお伝えしたと思うのですが」


「ですがその男は、一向に帰ってこないではありませんか。大方、他の令嬢に目移りして忘れられているのでは無いですか」


男の言葉は非常に失礼なものでした。サイラスのことを貶めているように見えて、実際はモグラ姫をもけなし、忘れられる程度の姫だと暗に言っているようでした。


「彼はそんな人では無いわ。人に捕まっているというのはさもありなんと言うところですが。鼻持ちならない相手で、何を考えているか解らないところはあるけれども、決して不義理なことはしないもの。申し訳ないけれど、あなたとは一緒に行きません。どうぞお好きなところへ、お一人で向かったらいかがでしょう」


モグラ姫は自分が思っても無いほどの、強い語調で男を追い払います。流石の彼もこれ程激昂するとは思わなかったのでしょう。ではまた書庫にお詫びに向かいますと言って引き下がりました。

男の姿が彼女の視界から消え、漸く彼女は息を零しました。


「何だっていうのかしら」


未だ興奮冷めやらないモグラ姫の背後から苦笑を浮かべながら近づいて来た影がありました。


「全く勇ましいお姿で。遅くなって申し訳ございません」


今度こそサイラスです。モグラ姫は不機嫌を隠しもしないで彼に文句を連ねます。


「遅いわよ。大方一部始終聞いていたのでしょう。あなたがさっさと登場してくれればもっと早く退散出来てたはずだわ」


「ごもっともです。僕も助けに入ろうとしたんですけどね。けれどもあなたが私のために怒っているのを見ると何だか少し嬉しくなってしまいまして。危ない状況でも無いので影に徹しました」


「嫌な男ね。私怒っているのよ」


「ご機嫌直してください、お姫様。あなたの好きなシャンパンをお持ちしましたよ」


「そういう顔しないで。一人で怒っているのが馬鹿馬鹿しくなって来るから」


モグラ姫はサイラスの態度に拍子抜けしてしまって、思わず笑みを零していました。つい三月前までは顔も見るのも嫌だった筈なのに、自分の変わりように笑ってしまいます。彼を見ていると自分の後ろ向き思考も、意地になって決めた決意も簡単に揺らいでしまうのです。

イスカ王子に恋をしていた時は、それこそ叶わぬ思い。自身を悲劇のヒロインに仕立て上げれば思う存分、自分を可哀想だと嘆くことが出来ました。コンプレックスも妬みや嫉みを全てまとめて、結局選ばれなかったのは美しさが足りないからだと都合の良い言い訳を手の入れていたのです。

けれども次に、と言ってもモグラ姫は未だ認めたくはありませんが、好きになったサイラスは甘えが許されませんでした。彼といると確かにコンプレックスを感じられるのですが、その容姿よりも一筋縄でいかない性格が、嫌味ばかりを言う癖モグラ姫を心底愛しいという新緑の瞳が、彼女に言い訳をさせないのです。

サイラスといるとモグラ姫は、ひどく居心地が良い反面全てを見透かすような彼の態度にまた、非常に居心地の悪い思いもするのです。箱庭の穴倉で育ってきた彼女にとってサイラスは外の空気を纏う異端です。

彼女はどうしても認めたがりませんが、彼女が心底嫌っている時から彼女の中で彼は特別だったのです。気になるから気に入らない、しかし切っ掛けさえ与えられれば嫌いから好きに変化していくことは自然なように思えました。


「さて、あなたの喉が潤ったところでお互いの齟齬について申し開きをしましょうか」


夜風がサイラスの髪をなびかせ、ぼんやりとした光が彼の蜂蜜色をいっそ美しく輝かせています。


「今回の手紙のことね。私は先ほど話した通りよ。いつもより少し直接的に私の思いを書いただけ。あなたが引っかかるとすれば恋人じゃないと書いたことくらいだと思う。だからびっくりしたの。あなたが怒るなんて思わなかったから」


「僕が受け取ったのは、アイリス様が僕との時間が苦痛であること。もうこんな擬似的恋愛は辞めてしまいたいと。全ては勘違いだったのだと書かれていました。どうも全く内容が異なりますね。でも確かにあなたの筆跡でしたから大して疑いもせずの鵜呑みにしてしまったのですが。思えば、今のあなたが僕を嫌うことなど無いですからね。疑ったこと、辛辣な態度をとったこと申し訳なかったです」


「随分と自信過剰ね。でもそうよ、そうなの。あなたを私が嫌うことは出来ない。きっとあなたは私の心の隙間に入り込んでしまったんだわ。あなたと軽口を言い合うのが楽しい。あなたからの手紙は、少し憂鬱な時もあるけれど、それでも嬉しい。私はきっともうおかしいのよ。だってそうでしょう。少し前だったら考えられないことだもの」


シャンパンのせいでしょうか。モグラ姫いつになく饒舌にサイラスへの思いを語りました。恐らく酔いに任せ、心のうちを明け渡したかったのかもしれません。彼女はやっぱりどう屁理屈をこねても彼が好きなのです。


「あなたはいつも僕の予想を超えて、狡い程に可愛くなる。僕は有耶無耶にしたってあなたを許してしまうんだ。何故だか解りますか。解らないと言ったならその口、僕が塞いでしまうでしょう」


「あなたなら。決して誰でもいいわけでは無いのよ。勘違いしないで頂戴。それから手紙のことだって、考えなければならないわ。でも、今は。そうね、素直になって差し上げるわ。あなたにされて嫌なことは無い。そういえば満足かしら」


モグラ姫はただ、心をありのままに曝け出しました。サイラスは少しだけ迷い彼女を引き寄せます。腕の中のモグラ姫はうっとりと身体をサイラスに預け、その先に起こることを享受しようとしていました。

幸いにもバルコニーにいるのは二人だけ。煩わしい観衆はおりません。サイラスは、丁度月の明かりのように柔らかいそれを、モグラ姫に落としました。

彼女は少しだけ身を硬くした後、泣き出す一歩手前のように眼を潤わせます。


「ねえ、僕のお姫さま。あなたはきっと知らないんだ。僕はずっと前からあなたを思って生きている。あなたが居ないと調子が狂うのは、紛れも無い僕の方なんだ」


「私、きっと忘れないわ。ねえサイラス、私はきっと今幸福なんだわ」


モグラ姫は嬉しさに一つ涙を零しました。それは今までの悲しさや寂しさとは違い、幸福をはらんだものでした。

ぼうやりと浮かんだ月と、二人だけ。彼女は幸せでした。確かに幸せだったのです。

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