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見える  作者: 日笠京太郎
3/4

悪夢が見える

❤︎


"恐ろしい形相をした真っ黒い悪魔のような生命体が内臓を次々えぐり出し、次々と食べては次々と吐き出し、黄土色の嘔吐物を私の腹部にかけ、当然不快になって抵抗するが無駄で、結局五臓六腑全部食われ、死んでしまった。"

そんな夢を、わたしの隣に座る香澄さんは昨晩から今朝にかけて、見たらしい。全くもって気持ち悪い夢である。一体何をすればそんな夢を見るのだろうか、とわたしは不思議に思った。


❤︎


「もう何日も悪夢を見ているの」

麺を啜ってから、香澄さんは言って

ため息をついた。彼女は何日も連続で、違う内容悪夢を見続けているらしい。悪夢を見るというのは決して気持ちの良いことではないから、さぞ辛いだろう。不憫でならない。

内容も多彩だ。

一昨日は中年の男に踝を舐め続けられる夢、昨日は膝関節から二十日大根が萌芽する夢、そして今日は、謎の生命体に内臓を食われる、前述の夢を見たそうだ。

「悪夢なんて、本当は見たくないんだけど」

「それも連日だなんて、つらいでしょうね」

「正直しんどい。私、毎朝自分の叫び声で起きてるもん」

香澄さんは肩を落とし、どんぶりに向かってうなだれた。その拍子に彼女の鼻先がスープに着きそうになり、香澄さんの鼻が豚骨風味になってしまうのではないかと戦慄したが、彼女が寸前で顔を上げたのでそうはならなかった。

わたしはふうと息を吐く。

「だって、恐ろしい形相をした真っ黒い悪魔のような生命体だよ? すごい怖くない?」

香澄さんは語調を強める。

「すいません、"恐ろしい形相をした真っ黒い悪魔のような生命体"がまずわからないので、共感できないです」

香澄さんは夢に出てきたという怪物をそう表現したが、いくらなんでも抽象的すぎる。

「いや、とても言葉では言い難いのだけれど、うーん、なんて言うか」

香澄さんは顎に手を当て、うんうん唸る。そうして彼女は、『どんな感じだろう』と心の声を漏らした。

「うーん、イメージとしてはきくらげみたいな感じかな。黒くて、光沢がある感じ」

「きくらげ、ですか?」

香澄さんは、ラーメンにトッピングされているきくらげを指差した。確かにきくらげ黒くて光沢はあるが、ヒトの内臓を食べない。香澄さんも言ってからおかしいと思ったのか、『きくらげも違うな』と心の声が漏れていた。

「じゃあ香澄さんは、きくらげに内臓を食べられたということですか?」

「まあ、そうかもしれない。私にもよくわかんないや」

香澄さんはそんなことを口走り、またもやため息をついた。そうしてゆっくりと麺を持ち上げてから、ちゅるちゅると中太麺を吸う。よくわからないのはこっちなのだが、どうしてくれるというのだ。

「ラーメン、おいしいね」

「おいしいですね」

香澄さんの他愛ない言葉に、わたしも他愛ない言葉を返す。とはいえ、ラーメンは本当に美味しかった。豚骨醤油のスープに、ほうれん草、海苔、焼豚がトッピングされている。いわゆる家系ラーメンという類いものらしい。

今日は、大学の先輩にあたる香澄さんが相談を受けてほしいということだったので大学近辺に来たのだが、どういうわけかラーメン屋に来ている。本来の目的とはずれている気はするが、そこはおいしいのでよしとする。花より団子、細かいことより家系、というわけだ。

「相談は腹ごしらえしてから、部室でね」

香澄さんは言う。


❤︎


腹ごしらえを済ませ、大学へ着き、部室棟の階段を上がって行く。わたしたちの部は三階の奥に部室を構えていて、そこへ行くためには少し急な階段を上る必要があった。

そういうわけでわたしは、降りてくる大柄な運動部員たちに気を遣いながら、部室棟の階段を一段ずつ上がっていった。二段飛ばしをしながら上がって行く香澄さんの少し後ろを、わたしはノソノソとついて行く。

部室の前に着くと、香澄さんがドアノブのキーレックスに手をつけていた。『バクヤク』と心の声を唱えながら、ロックを解いている。わたしたちの部室の暗証番号は"B989"なのだ。

ロックが解けたところで、わたしたちは部室のドアを開けた。そして床に敷かれたカーペットの手前で靴を脱ぎ、揃えて並べる。ついで、それぞれ適当なところにかばんを置き、互いに目を合わせる。

「銀乃ちゃんは、人の心の声が聞こえるんだよね?」

香澄さんは言いながら、神妙な面持ちだった。

「聞こえますよ。聞こうとしないと聞こえないですけど」

「だよね。この間、一緒に遊んだ時に言ってくれたよね」

香澄さんは口ではそう言い、心では『あのときはびっくりしたな』を漏らした。わたしはこのふうに、人の心の声を聴くことができるのだ。

「それで、そんな銀乃ちゃんに頼みたいことがあるんだよね。わたしがこれから言うことは、内密にして欲しいんだけど」

香澄さんは人差し指を唇にあてがい、口を結んだ。

「いいですけど、なんですか?」

「西沢君のことなんだけど...」

香澄さんは顔を紅潮させる。

「ああ、西沢先輩ですか」

「この間言ったでしょ。私、西沢君のことが好きだって」

香澄さんは視線を逸らし、顔をさらに紅潮させる。彼女は恋する乙女なのだ。

「それでさ、銀乃ちゃんには、西沢君がわたしのことをどう思ってるか聞いてほしいんだよね。好きか嫌いか半分か」

「好きか嫌いか半分か」

わたしは呪文のように呟く。

「聞くのはいいですけど、西沢先輩が嫌いって言ったらどうするんですか? 香澄先輩の恋、終わっちゃいますけど?」

「そんなこと言われたら泣いちゃうよ」

香澄さんは声を震わせ、目元にじわりと涙を浮かべた。

「香澄さんが泣いたら慰めますか?」

「いや、慰めるだけじゃだめ。銀乃ちゃんも一緒に泣いて」

香澄さんは涙目をこすりながら、そんなことを口走る。人に泣くことを強要するなんて、香澄さんは無茶を言う。

西沢先輩は部内一の色男だから、ガールフレンドがいないとも限らないというのに。

「じゃあ銀乃ちゃん、よろしく頼むね」

「まあ、やってはみますけど」

わたしが返事をすると、香澄さんは口角を上げ、やや赤みがかった目を細めた。


❤︎


帰宅ののち、わたしは西沢先輩にこんなメールを送った。

「明日暇ですか?」


❤︎


「いやあ、待たせたね」

カウンター席に座っていると、パーマヘアを爆発させた西沢先輩が入店してきた。集合場所としてラーメン屋を提案した彼は、わたしの正面に座って顔を見るなり、『本当に銀髪が似合っているな』と漏らした。わたしはとある理由で銀髪にしているのだが、西沢先輩にはそれが好評のようだった。

「お褒めの言葉、どうも」

「あ、僕の心の声が聞こえたのか」

「ええ、はっきりと」

「そうか、君は心の声が聞けるんだったね。忘れていたよ」

西沢先輩は鼻を掻いた。目鼻立ちのはっきりした顔立ちの彼だが、似合わぬ爆発アフロ・ヘアがそれを台無しにしていた。茶色い大きな毬藻が、頭の上で踊っている。

「そういう西沢先輩も、なかなか格好良い髪型ですね。似合ってますよ」

わたしは西沢先輩の爆発アフロ・ヘアを見つめ、お世辞を言う。この間までのおしゃれな長髪を変えた彼の髪型は、お世辞にも似合っているとは言えないものだったが、先輩を立てるべきだと思ったので、褒めてみる。

「ああ、そう。言ってもらえて良かったよ」

言葉とは裏腹に、西沢先輩は浮かない顔をした。心では、『自分には似合わないと思ってこの髪型にしたのにな』と漏らしている。

「なんかすみません。髪型、あんまり気に入ってないんですね」

「いやいや、別に良いよ。だって君は、この髪型が僕に似合ってると思ったんだろ?」

西沢先輩は作ったような笑みを浮かべ、こちらを見つめる。わたしのたいして大きくもない胸は、そんな表情にちくりと痛んだ。

「まあいいや。雑談はこの辺にして、そろそろラーメンを注文しようか。僕たちはラーメン家に来ているわけだからね」

西沢先輩は一つ息を吐いて、ゆっくりと立ち上がった。そうして券売機へ向かい、無愛想な英世を投入した。


❤︎


「そう言えば西沢先輩、今は彼女とかいないんですか?」

ラーメンの到着を待っている間、暇つぶしに探りを入れてみることにした。ここで西沢先輩に彼女がいるとわかれば、わたしの役目はもう終わる。そうなることを期待した。

「いないよ。正確に言えば、作らないようにしている、ということになるだろうけどね」

西沢先輩はどこか物憂げに言い、コップの水を含んだ。その拍子に頭の毬藻がもさりと揺れ、それが哀愁を誘った。

「作らないようにしてるって、どういうことですか?」

「そのままの意味さ。僕は、恋をしてはいけない人間なんだよ」

西沢先輩は口を結ぶ。わたしは彼の発言の意図が読めず、眉を下げた。

「いや、すまない。変なことを言った。ここ最近、ちょっと思いつめていたもので、つい口をついてしまった」

西沢先輩は大きく息をつき、額のあたりに手を当てた。その表情には思いつめたような雰囲気があり、心でも『何を言ってるんだ僕は』と自責していた。

「西沢先輩、一体何があったんですか?」

「最近あることに気がついてしまってね。それに関して悩んでいるんだ」

西沢先輩は頭を抱える。

「もしよければ、わたしに話してもらえますか?」

わたしは尋ね、西沢先輩に目を向けた。彼もそれに気がつき、落とした視線を再度こちらに向ける。

そうして、わたしと西沢先輩の目が合った。

「じゃあ、話そうか」

ふうと息を吐き、西沢先輩はまた一口、水を含む。

「驚かないで聞いてほしい」

西沢先輩はワンテンポ間を置く。その隙にわたしは彼に注目し、そこでまた目が合った。

「僕に恋した女性は、毎晩悪夢に苦しむことになるんだ」

勿体ぶり、西沢先輩はそんなことを言った。そこで、一瞬の静寂が訪れる。

カウンター席に座るわたしたちの目の前では、テッペン・ハゲの店員による豪快な湯切りが披露されてもいた。


❤︎


「あの、悪夢ってどういうことですか?」

西沢先輩の発言を受けてわたしは、某恋する乙女のことを思い出す。彼女は連日の悪夢に悩まされていた。西沢先輩の言うことが本当ならば、彼女が連日見続けている悪夢の原因は、西沢先輩への恋と考えることもできるだろう。

「僕と交際していた女性全員が、同じ内容の悪夢に悩まされていた。そして、彼女たちが僕と別れる寸前、その悪夢はぴたりと止まったんだ」

西沢先輩は言い、爆発アフロ・ヘアを毟る。すると茶色がかった毛は数本抜け、先輩は顔をしかめた。心で、『痛!』と声をあげる。

「悪夢は、僕の意志に関係なく女性たちを蝕む。女性たちが悪夢によって苦しめられていたんだと思うと、僕は胸が張り裂けそうなんだ」

西沢先輩は腹を抑え、下痢でも我慢するような顔をした。

「もし今誰かに告白されたとしたら、

西沢先輩はどうしますか?」

「断るよ。苦めてしまうとわかっていながら交際を承諾するほど、僕の心は廃れちゃいない」

西沢先輩は口でそう言い、『告白されないように、わざわざ似合わない髪型にもしたし』と心の声を漏らした。

「西沢先輩、優しいんですね」

「いや、そんなことはないよ。今まで苦しめてきた女性への贖罪さ」

西沢先輩は自分に言い聞かせるように呟く。そうしてゆっくりと目を閉じ、『愛梨、蘭子、凛、周子、ごめんよ』と女性の名前を連呼した。

「銀乃さんは今夜、良い夢を見れそうかい?」

「どうですかね。先輩の髪型がもう少し格好良ければ、少しは苦しい夜が来るかもしれません」

「君はさっき、髪型が似合っていると言ったね。あれはお世辞かい?」

「すいません。先輩のその髪型、お世辞にも似合ってるとは言えないです」

「ひどいなあ。でも、それでいいんだよ」

西沢先輩が間延びした声で言い、少しだけ口角を上げる。そうして一口水を含むと、ちょうどラーメンが運ばれてきた。先ほど湯切りをしていたテッペン・ハゲの店員が、青みがかったどんぶりを持っている。

「ラーメン一丁!」

威勢の良い声とともに、テッペン・ハゲがどんぶりを置いた。

西沢先輩はテッペン・ハゲに会釈し、ラーメンを自分の方に寄せる。

「いただきます」

西沢先輩が手を合わせると、豚骨と醤油の濃厚な香りが立ち込め、わたしたちを包み込んだ。この間も香澄さんと一緒に食べたが、やはり良い匂いだ。まろやかで、濃厚だ。

「じゃあ僕は、お先にいただくよ」

「どうぞ」

西沢先輩はわたしに断りを入れ、勢い良く、ずずっと麺を啜った。


❤︎


帰宅ののち、わたしは香澄さんにこんなメールを送った。

「今度部室に来れますか?」


❤︎


「西沢先輩は、女性と付き合う気はないらしいですよ」

西沢先輩と会ってから数日後、部室にて香澄さんを前に、そう告げた。わたしは口を結び、彼女が泣き出すのを覚悟する。香澄さんはわたしに泣くことを強要していたから、彼女が泣けばわたしも泣かなければならない。それなりに対策は考えた。

わたしポケットに触れながら、嘘泣き用にと入れておいた玉ねぎとタバスコのことを思う。

「ふーん、そうなんだ。で、それがどうかしたの?」

香澄さんはけろっとしている。わたしは瞬時に拍子抜けした。

「え、泣かないんですか?」

「うん、もう冷めたから」

香澄さんはさっぱりと言い切り、ポケットからスマートフォンを取り出した。

「なんで冷めちゃったんですか?」

「あの人、焼き鳥はタレ派らしいのよ。でもわたしは塩派だから、気が合わないなと思って」

「そんな理由ですか? 塩もタレもおいしいと思いますけど」

「うん、まあ、そんなもんでしょ。塩の方があっさりしてておいしいしね」

香澄さんはスマートフォンを見つめたまま、指を高速で走らせる。

「あとわたしって、飽きっぽい性格なのよ」

香澄さんは薄ら笑いを浮かべながら、そんなことを言った。彼女の恋は、焼きたての焼き鳥のように、あっさり冷めてしまったようだ。

こっちの苦労も知らず、彼女はなおもスマートフォンをいじる。心では『あー、家系食いてー』と呟いてもいる。わたしはそれに、なんだか少々腹が立ってきた。

「あの、香澄先輩。玉ねぎのタバスコ和え食べます?」

ポケットの中にある食材を思い浮かべ、唐突にそんなことを口走る。

「なにそれ辛そう」

「生玉ねぎをたっぷりのタバスコで和えたものです。おいしいですよ?」

「え? いらない」

香澄さんは表情を変えないまま言い、カバンからイヤホンを取り出した。ジャックを取り、スマートフォンに差し込む。そして画面を操作し、じゃかじゃかと音漏れをさせる。そうして『トルコ民謡いいわー』そう心の声を漏らし、目をつぶってリズムに乗り始めた。

「良い夢見ろよ」

イヤホンをはめた香澄さんに向けて、わたしはそんなことを呟いてみた。

しかし、彼女からの格別の反応はなく、わたしの小さな呟き声だけがただただ部室に響く結果となった。

香澄さんとわたしだけの部室には、トルコ民謡の音漏れだけが充満している。

開いていた窓の隙間から風が吹き込む。それが、卓上の書類を散乱させ、そして、香澄さんの真っ黒い髪をふわりと揺らす。その拍子に香澄さんは、こんな心の声を漏らしたのであった。

『昨日見たけど、なんだよあの髪型』


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