裏切り
俺の素性を知っている人間は少ない。組織の中でも幹部数人だけだ。俺の属している『JUKU』は、正義の名の下に世界から集められた強者どもの集団だ。どの国にも属さない秘密結社なのだ。いずれも己の私利私欲などには興味はなく、正義を信じ、正義を貫く者ばかりだ。しかし、組織の中に裏切り者がいる。なぜなら、俺の情報が国の情報機関『AGU』に流れている。末端の人間ではない。幹部の中に裏切り者がいる。
かすみがAGUより派遣されていることは、Mr.Tから聞かされていた。彼の情報網は世界一である。俺の唯一信頼できる男だ。Mr.Tによれば、かすみは、特殊能力を武器にして、一瞬で敵を抹殺することができるらしい。以前、沙織に拐われた事件があったが、かすみほどの力があれば、おめおめと拐われることなどありえない。あえて拐われて、俺の実力を試したのだろう。『ますます気に入ったぜ。』と呟いた。『お前に殺されるのなら本望だ。なぜなら、世界一の女だからだ。』
Mr.Tから命令が下った。裏切り者を特定せよ。俺は幹部の行動を見張り続けた。そして、怪しい行動をとる者を見つけた。組織の金庫番の木村だ。俺らの仕事には大金が動く。その管理を任されているのが木村だ。人が裏切る時、それは決まっている。自分の命、家族の命、愛する女の為、ここまでは許せる。許せないのは金の為に、裏切り行為をする者だ。俺は組織の口座の流れをMr.Tに調べさせた。Mr.Tの仕事は早い。木村は裏金を作り私服を肥やしていると、報告が来た。裏切りの証拠を掴むため、俺は行動に出た。
コードネイム『angel』こと、かすみと同じく、俺にも特殊能力が備わっている。俺には特殊能力が3つある。一つは、体を速く動かせるということ。銃弾を避けることも可能だ。そして、人の心の中を見抜く力もある。ターゲットに触れることで、その者の心が読み取れるのだ。3つ目は、ここでは秘密にしておこう。いずれ分かる時が来る。俺たち『JUKU』の猛者には、いかなる要塞もボディーガードも無駄である。人知れず忍び寄り、人知れず抹殺をする。これが俺たちの仕事だ。俺は木村の事務所に向かった。
木村の事務所は台場の高層ビルの30階にある。おそらく、この時間には部下とともに仕事をしているだろう。俺は奴が出てくるのを待つことにした。夜11時過ぎ、木村は部下とともに事務所から出てきた。俺は人ごみの中、後をつけた。奴の隙を見計らい、背中に手を触れた。一瞬にして、俺は木村の心の中を読み取った。やはり、裏切り者は木村であった。
木村の考えはこうだ。いずれ裏金工作の件はバレる。失脚どころか、自分の命を失いかねない。自分の身を守るため、より大きな組織に鞍替えをしようと考えたようだ。思いついたのが『AGU』だ。もちろん、簡単に入れる組織ではない。手土産として、俺の情報を渡したのだ。『AGU』は事実を確かめるべく、かすみを俺のもとに向かわせていたのだ。
俺はMr.Tに全てを報告した。当然、木村の抹殺を依頼されると思ったが、Mr.Tからの命令は『様子を見ろ』であった。泳がせ、AGUとの接触を待つのが狙いのようだ。俺はかすみの待つ新宿に戻った。
かすみは悲しそうな顔をしていた。俺はその目を見て悟った。AGUが俺の抹殺命令を出したのだ。木村の情報から、俺を危険人物と判断したようだ。かすみの指に『気』が込められているのが分かった。俺は気がつかないふりをした。かすみは思った。『この指が、あなたの眉間に触れれば、お別れ。さようなら。』かすみの目から涙が溢れている。俺は自ら近づき、涙で歪んでいる目を見つめ、そして微笑んだ。
『かすみ、愛してる』
かすみの指から『気』が消えていく。
『できない。私には、、、できない。』
俺は、かすみを抱きしめた。
かすみは、AGUを裏切った。
かすみは、全てを打ち明けてくれた。AGUの内部事情も教えたくれた。俺の掴んでいる情報とほぼ同じである。しかし、一つ問題がある。かすみはAGUを裏切ったのだ。この世界、裏切り者には死あるのみ。かすみを始末するため、刺客が送られてくるだろう。当然ながら、かすみと互角、いや、かすみ以上の力を持った者が来るはずだ。逃げ切れる組織ではない。俺はある考えを思いついた。
木村は窮地に立たされていた。ヒロ抹殺が失敗に終わったことを知らされたのだ。AGUの総帥である北村は、黙っている。angelが裏切るとは思いもしなかった。そして、木村に向かい、静かな口調で命令をした。
『おまえに、やってもらいたいことがある。angelとヒロを殺ってこい。手段は任せる。AGUの最終試験だと思え。無事、任務を果たせば幹部として採用しようではないか。失敗したときは、分かるよな。木村。』
木村は全身が震えていた。
木村は『JUKU』の金庫番として、働いていたが、もともとは彼も暗殺者であった。このことを知っている者は少ない。彼の特技は拳銃である。正確さ、スピード、いずれも高い技術を持っている。しかし、angelとヒロの2人を抹殺するのは、かなり難しい。angelひとりならともかく、ヒロはかなり手強い。普通にやっても勝ち目はない。木村は考えた。ヒロの性格、ヒロの特殊能力を逆に利用することを思いついた。
『見てろよ』
木村は小さく囁いた。木村はヒロの能力を高く評価している。近づくだけでも、困難だ。しかし、木村には策略がある。白昼、堂々とヒロのアジト、新宿に向かった。勝負は一瞬で決まる。ミスは許されない。ミスはイコール、自分の死を意味する。狙うのはangel、つまり、かすみだ。angelは攻撃力はあるが、防御に弱点がある。
木村は、拳銃の安全装置を解除し、拳銃を構えながらドアの鍵を開けた。ドアを蹴破り、標的を見つけると躊躇なく引き金を引き、銃弾を打ち続けた。確かな手応えがあり、ドスンという音とともに男が倒れた。
ヒロは、木村の銃弾に反応した。弾より速く移動をし、かすみの前に立ち塞がった。木村の銃弾がヒロの体を何発も貫いた。
『やはりな。』
木村は勝ち誇ったように笑みを浮かべた。angelを狙えば、ヒロが本能的に守りに動くと考えた。あとは、ゆっくりとangelを仕留めれば良い。angelは『気』を操れるが、近づかなければ問題ない。
泣き叫びながら、ヒロの胸に崩れ落ちるかすみ。木村は拳銃に弾を込め、ゆっくりと照準をかすみに合わせた。かすみは覚悟を決めていた。
『さよなら、天使さん。』
木村は引き金に力を入れようとした。その瞬間、何かが動いた。そして、強い殺気。顔が熱くなるのを感じた。強烈なパンチが、木村の顎を捉えていた。
『な、な、なんなんだ!』
木村の前には男が立っている。
『俺を見くびるな。』
再び一撃を加える。木村も、かすみも、驚きを隠せないでいた。銃弾に倒れたヒロが、そびえ立っている。
『お前は、俺の本当の恐ろしさを知らない。お前ごときに、俺を倒せると思ったのか。冥土の土産に聞かせてやる。何ゆえ、負け知らず、傷知らずと言われているのか。俺は不死身なのだ。お前の知っている俺の能力は、全てではないということだ。俺の最大の特殊能力、それは人体再生能力だ。俺は拳銃では殺せない。そして、この秘密を知った人間は生かしておかない。これが、俺のルールだ。』
『た、た、助けてくれ。何でもする。金ならある。』
木村は泣きながら後ずさりする。逃げるつもりだ。スパバパ、かすみが駆け寄り、木村の眉間に指を当てた。木村は息絶えた。
かすみは、ヒロの優しさと恐ろしさの両方を感じていた。
『さっきの話、ほんと?』
『ああ』
『私も貴方の秘密を知ってしまったわ』
ヒロは何も答えずにいる。二人、無言が続く。換気扇の音だけが響いている。しばらくして、ヒロは呟いた。
『悪く思わないでくれ。俺は、俺のルールを守る。』
そう言うと、かすみのこめかみに掌を当てた。かすみは体の力が抜けていくのが分かった。意識が遠のき、崩れ落ちた。
ヒロは、携帯を取り出し、Mr.Tにメールした。
『任務終了。木村とangelは始末した。』
そして、ヒロは、ある決意をし、新宿から出て行った。
それから、数週間後、ヒロは沖縄のビーチにいた。何もせず、ただぼんやりと海を眺めていた。傍には、美しい女性が寄り添っている。それは紛れもなく、angelこと、かすみであった。あのとき、ヒロは、かすみの心に入り、記憶を操作したのだ。ここにいるのは、AGUのangelではなく、ただの美しい女、優しい女、かすみであった。
ヒロは、初めて、己に課したルールを破ったのであった。かすみは、ヒロによって、命も、心も救われたのであった。