5 別れ
待ち合わせした灯台の下に着くと、そこには仁王立ちした母が立っていた。港の明かりから少し離れた場所にあるためか、周囲に人はいない。
「お、お待たせ、母さん」
「随分長いトイレだったわね」
「ははは、やだな母さんってば。そういうデリケートな話を深追いするのはマナー違反だよ」
笑って誤魔化そうとするが、母は逃がしてくれない。
「で、今までどこに行っていたのかしら?」
まっすぐとこちらに向けられる視線。
「……人を探していたの。大切な人」
「大切な人? そんな人あなたに……」
母が何か言いかけたとき、後ろの方からファナを呼ぶ声が聞こえた。
「ファナ、戻ったのか!」
「父さん……」
背が高くがたいのいい父は、他の人より頭一つ飛び出ていて、暗がりでもよく目立つ。
「ったく今までどこに行ってたんだ。あんまり心配かけるんじゃない」
そう言うと、父はファナの頭を撫でる。
ごめんなさい、と呟くと父は無事ならそれでいいと一層強く頭を撫でまわして笑った。
「……」
「どうした?」
くしゃくしゃになった髪をそのままに、俯いたまま顔を上げないファナに、心配そうに声をかけた。
「父さん、母さん。お願いがあるの。一生に一度のお願いよ」
「……なに? 言ってみなさい」
ファナの真剣な表情を目に、母は少し緊張したように言う。父は黙って続きの言葉を待っていた。
「私、海賊になるわ。明日の早朝、港の外れに泊まっている海賊と一緒にこの町を出る。許してほしいとは言わない。でも……、父さんと母さんのことは大好きだから、私のこと忘れないでほしい……!」
言葉を止めてしまうとそれ以上何も言えなくなってしまう気がして、ファナは一気に喋りきる。
父と母が驚いていることは分かるが、何を言われるのか怖くて、目を向けることができない。
「……」
「じゃあ、私はもう行くね」
この気まずい空気に耐えきれず、返事も待たずに立ち去ろうとする。
「待ちなさい」
が、母親の鋭い一言に背を向けたまま立ち止まる。
「きちんと海賊になりたい訳を言いなさい」
「それは……」
本当のことを言っても信じて貰えない。笑われるのではないかと不安に思うも、最後の最後に嘘を吐くことはできなかった。
「海賊の中にずっと探して来た人がいたの。私のとても大切な人。理解できないかもしれないけど、私にとっては生まれる前からずっと探し続けた運命の人だから……。だから、海賊として彼に付いていくわ」
「……」
「……」
「はぁ……」
長い沈黙のあと、後ろから聞こえた母の呆れたよなため息に目に涙がにじむ。
「いつかこうなるんじゃないかって思ってたのよ」
「……え?」
母の思いがけない言葉に、ファナは振りかえった。
「あなた父親に似て女の子なのに野を駆けまわったり剣を振り回すんだもの。本当に、父親そっくりに育っちゃって……」
「流石は俺の娘だな。何も言わずともその道を選んでくれるなんてな」
困ったように言う母と、誇らしげに語る父。
ファナは二人の会話についていけずに戸惑い何も言うことができない。
「どうしたの? そんな呆けた顔して?」
「いや、どうしたのって言うか、どういうこと? 流石は俺の娘って??」
「なんだ知らなかったのか? 俺は昔海賊だったんだぞ」
「は?」
これぞまさに『寝耳に水』だろう。
確かに父は厳つく剣の腕は立つが、普段はとても優しい人だ。海賊だなんて思ったこともなかった。
「昔ね、父さんがまだ海賊だったころに私と出会ったのよ。二人とも一目惚れでね、愛し合っていたんだけど……ほら、海賊って一所に留まらないじゃない。直ぐに航海に出て行っちゃったの。だから、その時父さんに言ってやったのよ。『男なら、ちゃんと責任取りなさい。子供と二人でずっと待ってるから』って。まあ、父さんが私の所にいたのは一ヶ月くらいだったから本当に子供が生まれるかどうかなんて分からなかったんだけどね」
先ほどの重たい空気はどこへ行ったのか。娘の決意そっちのけで、母は聞いてもいない父との馴れ初めを長々と語りだす。
「そんなこともあったなぁ。その後、『早く帰ってこないと別の男と結婚しちゃうから』って言う脅しつきだったがな」
「ふふふ、それで幸いあなたが生まれてくれて、父さんも度々私のもとに戻ってきてくれて……。結局海賊を止めて大工として私達と一緒に暮らしてくれることを選んでくれたの」
確かに小さい頃、父さんは一年に数回帰ってくる程度だったが、ただ出稼ぎに出ていただけかと思っていた。
「じゃあ、私が海賊になるの許してくれるの?」
「そう、ね……」
話の流れから、てっきり海賊になる許可が下りるのかと思ったが、そうではないらしい。母の歯切れの悪い様子に再び不安になる。
「海賊なんてろくなものじゃないわ。それはこの町の現状を見ればあなたも分かるでしょう?」
未だに黒い煙を出し続ける町を見ながら母が言う。
「だから、海賊の中に大切な人がいるって言うなら、母さんのようにその大切な人を海賊から引きずり降ろしてみなさい。それまでは、一緒にその人と旅をすればいいわ」
「母さん……」
海賊になることを許してくれたわけではないかもしれない。母の言葉をどこまで実現することができるは分からない。それでも、海賊と共に行くこと許してくれた母に胸が一杯になる。
「それに父さんが言うのもなんだが、海賊だってただ悪さばかりしている輩ばかりじゃない。さっきお前を探している間に小耳にはさんだんだが、町外れに山賊らしき
奴らが転がっていたらしい。火を放ったのも海賊じゃなくて、そいつらだって話だ」
そういえば、母の話だと町の人々が襲われた形跡はないと言っていたが、彼には返り血付いていた。もしかしたら、あの血は山賊のものだったのかもしれない。
「まあ、だからって海賊がいい奴らってわけじゃねぇ。だが、そこらへんの覚悟はできてるんだろ?」
まるでさっき出会った海賊のように、足がすくむほどの鋭い目つきを見せる。
「ええ、できてるわ」
ファナは父から目をそらさずにはっきりと告げる。
「なら、餞別だ。お前にこれをやろう」
そう言って、父はズボンのポケットから、木で出来た長方形の小さな箱を取り出す。
「これは、代々俺の家に伝わる家宝のペンダントだ。火事になったと聞いて急いで家から持ち出して来た。どこに置いたか忘れていて焦ったが、見つかってよかった」
もしかすると、家が荒らされていたのは父の仕業かもしれない。
ファナは不審な目を向けるが、父は気にすることなく木箱の蓋を開ける。そこには、銀色に輝くロケットペンダントがあった。
父はそれを取り出すと、ファナの首に付けた。。
「このロケットペンダントはな、強力な魔法が掛かっていて蓋を開けることができない。だが、蓋を開けることができたとき、一国を支配できるほどの富が得られる、と伝わっている」
正直嘘くさいと思ったが、夢を追い求める少年のような目をして語る父に口を噤む。
「失くすんじゃねーぞ」
「うん、ありがとう」
首にかけられたペンダントを見つめる。
その昔、魔法使いがこの世界に存在した時代のこと。魔法使いにより魔石、つまり魔法の宿った石が埋め込まれた道具が沢山作られた。それは魔具と呼ばれ、現代でも多くの魔具が残っており、どれも貴重で高値で取引されていた。このペンダントも、魔具のひとつだろう。
ファナはそれを失くさないようにと服の下に仕舞った。
「じゃあ、そろそろ私行くね」
これ以上、ここで二人と話していると、決心が揺るぎそうで怖かった。
「分かったわ。ファナ、行ってらっしゃい」
母はファナをきつく抱きしめる。もう二度と会うことができないかもしれない娘との別れを惜しむように。
抱き合う二人を覆うように父も抱きしめた。
「行ってきます。父さん、母さん」
そう言ってしばらくの間、3人は抱きしめ合ったまま動かなかった。