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あなたの幸せを祈る

作者: 四季

あなたと出会わなければ、良かったの?

どの道が、正解なのか?

どうする事が、正解なのか?

いくら考えても、繰り返し繰り返し考えても、彼女には正解が分からなかった。

あるはずの幸福な終わりを求め、ただひたすら繰り返すことだけが、彼女に出来ることだった。




あぁ、また、始まる。

それが目を開けた私が、最初に思ったことだった。




目の前にいるのは、忌み子と呼ばれる彼。

赤黒い柘榴のような髪と瞳を持った、血に濡れた彼、アルカナ。

誰にも愛されず、ただ人を殺す術だけを教え込まれた麗しき殺戮人形。

誰も彼を心ある人間とは、扱わなかった。

その無機質な瞳には、愛に飢えた幼子のような光を宿してるというのに。

彼が唯一触れられる温もりは、殺した相手の血を被る時だけだったと私は知っている。

血に塗れ、涙さえ流さずただ泣いていた彼に思わず手を伸ばしたあの日から、運命は走り出したのかもしれない。

あの日をやり直せれば、全ては変わるのかもしれない。

けれど、私が繰り返す運命の始まりはいつだって、回避不可能なあの日からでしかない。

それが、神から私に下された罰なのだろうか?




真夜中、神殿の奥深く、何者も侵入を許さぬ筈の巫女の一室に在るはずのない青年の姿。

巡り会った時はお互い幼かったのに、時の流れは無慈悲で、私を巫女に、彼を青年にした。

寝台に腰掛ける私の足を掴み、アルカナは幾度も飽きることなく口付ける。

私の存在と温もりと忠誠を、己に刻み込むように。


「サヤ、サヤ、サヤ」

口付けの合間合間に壊れたかのようにひたすら繰り返し繰り返し私の名を呼ぶ彼をどうしても拒否できず、私はそっとアルカナに手を伸ばす。

いつもなら、くしゃりと手に心地好い感覚を残す彼の髪はごわつき、血臭が漂う。

それをあえて無視し、彼が落ち着くまで頭を撫で続ける。

本来なら、一刻でも早く血を洗い流して欲しいのだけれど。

アルカナが此処に来るのは、深夜遅く。

私以外いなくなった時を見計らって、彼は忍んでくる。

血臭を纏わせてくる事は、実は珍しくない。

私と会える事を最優先する彼は、血を流す間さえ惜しみ、此処に来るのだから。

いや、彼がその身に誰かの血と血臭を纏ったまま私の元に来るのは、それだけが理由ではない。

彼程の実力があれば、一滴の血も浴びずに殲滅させることすら可能なのだから。

それなのに、彼があえて血と血臭を纏い、私の元に来るのは、それが彼にとっての幸福に繋がるからだ。

あの出会いの日のように、私が血纏う彼を厭わないということを確かめたくて、彼はこうするのだ。

ふとした拍子にじわりじわりと湧き出る不安を打ち消す為に、彼は血を纏い、私の元を訪れる。




「アルカナ」

彼が落ち着いたのを感じ、彼の名を呼ぶ。

殺戮人形とだけ呼ばれる彼に、私が付けた私と彼だけの秘密の名前。

名前を呼ぶと、アルカナはようやく顔を上げ、私を見る。

名を呼ばれ嬉しさに溢れたその顔の中でただその瞳には、飢えた幼子の狂気に似た光が宿る。


「アルカナ」

私の呼びかけにじっと返事を待つ彼は、まるで忠犬のようだ。

私だけを絶対の主とし、私を傷付けるもの全てを許さない狂気を宿した忠犬。

私は、そんなもの望んでいなかったのに。


「アルカナ」

三度名を呼ぶ私に、彼は少しだけ不思議そうにする。

普段とは違う私の様子に、戸惑いと怒りを抱いているのがわかる。怒りの矛先は、私を傷付けたものに向かうのだろう。

だが、それを許す訳にはいかない。

一度、それを許してしまった時のあの後悔を繰り返す訳には行かないのだから。

だから、慎重に彼の様子を、その心を見落とさないようにしながら、崩壊へ繋がる可能性を秘めた言葉を告げる。

「アルカナ、私、正式に巫女姫になる事に決まったの」


この大陸には、いくつもの神殿と数え切れぬ程の神官と巫女がいる。

その頂点に立つのが、私がなると決められた巫女姫だ。

今までの私は、5人いる巫女姫候補の一人に過ぎなかった。

けれど、今代の巫女姫様から私が次代に選ばれたと告げられた。

アルカナと会う前の私なら、素直に喜べただろう。

私は、その為に修行を重ねて来たのだから。

だが、巫女姫はその生涯のほとんどを費やすまで辞められない。

歳を取り、巫女姫としての力と知識を次代に受け継がせて初めて辞められる。

巫女姫になれば、私は更に厳重な警備の元に置かれ、こうしてアルカナと会う事も困難になるだろう。

何より、巫女姫は神の伴侶とされる。

私が神だろうと誰かのものになるのを、彼以外のものになることに彼が耐えられる訳なかった。

だけど、あの時の私はそれが分からなかった。

巫女姫になれる事に浮かれていた、愚かな私には。

目に浮かぶのは、血に染まった神殿と倒れ伏す神官と巫女達、荒れ果てた罪なき民の血に染まった大地の二つ。

あれだけは、繰り返してはならない。


ひそやかに怒気を纏い始めたアルカナを宥め頼み事をする為に、口を開く。

「アルカナ、私の話を聞いて。お願い、私を殺して。あなたのもの以外になりたくないの」

本当は、死にたくなんてない。

だって、アルカナと触れ合えなくなるなんて耐えられない。

だけど、これ以外の道が見つからない。

なのに、アルカナはそれだけは出来ないと拒否する。

全てを呪い、破壊するアルカナなのに私だけは壊してくれない。

なんて、残酷なのだろう。


彼に殺される事がないなら、私はどうすればいいの?

過去を振り返り、模索する。


私が自殺すれば?

駄目。

彼は私の体を喰らい、大陸を滅ぼした。


彼と駆け落ちすれば?

駄目。

巫女姫を奪ったアルカナと私を狙い、大陸全てが敵となった。

そして、彼を庇って死んだ私を抱いて彼は大陸を滅ぼした。


私が彼をただ持て遊んだだけと告げ、裏切れば?

駄目。

絶望した彼は、私をさらい目の前で民を一人一人殺し続けた。

血に染まった大地と悲鳴に満ちた世界を、繰り返せない。


彼を私の側近へと引き上げれば?

駄目。

神官も巫女も彼を忌み嫌い、反対する。

そして、秘密裏に殺そうとし、神殿は血と死に満ちた。


巫女姫を辞退すれば?

駄目。

すでに私は、選ばれたのだから。

そう、唯一無二の神の次代の花嫁に。

私が辞退したがる理由を神殿の者は探り、やがて彼に行き着く。

そして、彼は処分されかけて、血に満ちる。

皮肉にも、彼を呪い子とした力と叩き込まれた術と経験の全てが彼の味方になり、彼を殺せるものなどないのだから。


私が、巫女姫の資格を失えば?

過去に一度だけ、前例があった。

純潔を失い、巫女姫の地位を剥奪された例が。

けれど、誰に?

彼以外に奪わせれば、彼は狂った。

でも、彼に奪わせようとしてもその元凶を滅ぼさんと、神殿に連なる全てを破壊した。


彼が私以外に執着する相手を作れば?

駄目。

それをするには、あまりにも手遅れで時間もなかった。

彼に、私以外の誰かを作ろうとした目論みは全て彼に破壊された。

私は、ただ手の平から砂がこぼれ落ちるように流れる時間に嘆き、そして血と死に満ちた大陸を目にした。




じゃあ、私が彼を殺せば?

彼が死んでしまえば、大陸は滅びない。

駄目。

彼を殺すなんて、出来ない。

きっと彼は、恍惚とそれを受け止めるだろうけど。


けれど、私の願いは彼の幸せとこの大陸に暮らすものの幸せ。

ただそれだけなのに、矛盾して両立させられない私の非力さが憎くてしかたがない。



だけど、非力さを盾に諦めることなんて出来なくて、私はただ足掻き続けた。


繰り返す時の中で様々な策を試行錯誤する中で、私はその合間合間を縫って何か手はないかと密かに禁書を探り続けた。



そして、今から何巡りか前にやっと禁書の中でも奥底に隠されていた物を見つけた。

「異界渡り」と呼ばれるその術が書かれた本は、中身を知れば、確かに禁書に相応しかった。

まず、渡る異界を選ぶことが出来ない。

渡ったそこが、人が生きていける世界なのかすら怪しい。

また、この術を行う為には、大量の血が必要となる。

それも只人ではなく、強い力を持った者や貴い者の血。

つまり、貴族や王族、巫女や神官である。

その中でも最上とされるのは、巫女姫や王の血。

必要とされる血の量は、まさに致死にいたるギリギリまでとされていた。

この世界で、異界というのはまだ明確に存在を確認された訳ではない。

そんな不確かな存在の為に、人の血をしかも生存ギリギリまで使用するとなると、そんなのを国も神殿も許す訳がない。

しかし、本来ならこの本が眉唾物として捨て置かれても可笑しくない。

それが禁書扱いになっているのは、著者のせいだと言える。

本に記された著者名は、ルイ・サコダ。

かつて、戦にて荒れ果てたこの世界に平和をもたらし、聖女と讃えられた初代巫女姫。

彼女は、平和を築く為に様々な革命的な知識を駆使したと伝えられている。


ふと、思う。

もしや、彼女は異界から来たのだろうか、と。

そして、元いた世界に戻る方法を探っていたのだろうか。

彼女の最期は、不明とされ、神に召されたのではとされている。

彼女は、無事に帰れたのならいいのだろうけど。



どこに行く着くかは分からないが、この方法は私にとって、希望に見えた。

最難関である血は、私の物を使えば問題ない。

これなら、もし私が死んでしまっても、彼が異界にいるなら、少なくともこの世界は無事だ。

いくら彼でも、何の関係もない異界の人間まで、殺すことはないだろう。

異界になら、きっと呪い子とされた彼を、愛し守ってくれる人もいる筈だ。

彼が幸せになれるなら、寂しいけれど同時に笑っていける。

そう決めると私は、何度か時間を繰り返す中で準備をし続けた。

もちろん、準備をしながら、彼を救う策も色々試したが全て失敗した。

そして、ようやく準備が整った今、術の最終仕上げに取り掛かる。


真夜中、いよいよ明日から、巫女姫になる為に禊ぎに入る晩、いつものように血塗れの彼を向かい入れる。

彼は、きっと今、ぎりぎりの所にいる。

私の態度次第で、誰も彼も皆殺しになるか、私を攫って逃げるだろう。

そんな事をさせる為に、私はこの時間を繰り返して来た訳ではない。


「アルカナ」

「サヤ。サヤは、俺を捨てるの?」

いつもより、揺れる瞳に小さな声。

どうして、私はあの時に気付いて上げられなかったのだろう。

巫女姫になることに浮かれ、彼の不安も恐怖も見逃してしまった自分に怒りが湧く。


「……サヤ?」

いけない、今は、後悔している暇はない。

「アルカナ、私の大切なアルカナ。あなたを、捨てたりなんてしないわ」

私、ただ貴方の幸せを願っているわ。

何よりの願いを秘めたまま、私とアルカナは、最後の夜を語り合いながら、過ごす。

彼の髪を撫で、温もりを分け与え、彼の望むままに名を呼び、彼に笑いかける。

時間は、あっという間に過ぎ、気づけば、窓の外は微かに明るくなり始め、鳥達の囀りが聞こえ初める。



時が近づいた。



「アルカナ」

光に怯えるアルカナの肩にそっと左手を添える。

空いた右手で彼の顔に触れれば、アルカナは泣き出しそうな、まるで途方に暮れる迷い子のような表情を浮かべる。



ごめんね、アルカナ。


最後に彼の顔を焼き付けようと、まじまじと眺めると彼は戸惑いと不安で瞳を揺らす。


ゆらゆらと揺れる瞳に近付き、そっと彼に口付ける。

それは、私と彼との初めてでおそらく最後の口付け。

コクリと密かに含んでおいた丸薬を口移しにし、彼が飲み込んだのを確認する。

名残惜しいが不安からか、ややかさついた彼の温かな唇から離れる。

アルカナは、驚きのあまり固まっていた。

それを見ながら、私は複雑な気持ちだった。

彼が、誰よりも強い彼がこんな剣を握ったことすらない、非力な私に簡単に隙を取られたのは、彼が私に心酔していたから。

私が与えるものなら、それが拒絶以外なら何であっても彼は喜んで受け取るが故に、彼は無防備だった。


私がしようとしていることは、彼を忌み嫌い、拒絶する為ではない。

彼に幸せになって欲しいから、すること。


けれど、きっと彼は拒絶だと、裏切りだと思うだろう。


いくら彼の幸せを願おうと、これは彼の願いを省みない方法だから。


それでも、私には彼以外にも大事なものがあって、どちらも切り捨てられなくて、足掻いて足掻いて、ようやくここに辿り着けた。


喜びと悲しみと罪悪感と達成感と様々な思いが混ざり合い、胸が締め付けられるように苦しい。


ごめんね、アルカナ。

どうか、幸せに。


そう願い、今一度彼を見れば、彼の身体はぐらつき、瞳は今にも閉じようとしていた。


そっと彼の身体を押し、床に横たえる。

既に力が抜け、辛うじて目を開けて居るだけのアルカナは、私の力に抗うことさえ出来ず、声も出せない。


それでも、雄弁に怒りと絶望を湛えた彼の瞳を、私は完全に閉ざされるその時まで、見ているしかなかった。


罪深い私に出来るのは、せめて瞳を逸らさないことだけだったから。




長くて短い一時が過ぎ、アルカナの瞳が完全に閉じるのを待つ。


彼が眠ったのを確認し、今一度だけ、万感の思いを込めて、頭を撫でる。



何時までもそうして居たかったが、窓の外は明るさを増すばかりで、時間が差し迫っていることを示していた。


密かに手に入れていた小刀で、思い切って手首を切り裂く。

鋭い痛みの後、ボタボタと音がし、血臭があたりに満ちる。

止まない痛みと共に、徐々に全身から力が抜けていくし、冷や汗が止まらない。

このまま、横になれたらと思う。

それでも、まさかここで失敗するわけには行かない。


ゆっくりと詠唱を始めれば、私の血もそれに合わせて動き始める。彼を中心に円陣が描かれていく。

霞む目と増して行く痛みと寒気を必死にこらえながら、条件を追加していく。

一つは、人がいるところ。

二つ目は、彼が忌み嫌われることのない世界であること。

三つ目は、彼が幸せになれること。


たった三つの条件。

けれど、それを追加し終わらないのに、私の視界は霞み、暗くなりつつあった。

先ほどまであった痛みは既に感じず、されど耳なりが激しく寒くて寒くて堪らなかった。

それでも、気力を振り絞り、何とか追加し終わる。

震える唇で、途切れ途切れになりながらも詠唱を唱える。

既に体を支えることすら困難で、床に寝そべりながら、最後の詠唱を口にする。


あぁ、アルカナ。

どうかどうか、幸せに。



ただ、それだけを願い、円陣が光り出したのを見たのが、私の最後の記憶。





だから、陣が効力を発揮する直前私の体も光り、円陣と共に消えたのを知らなかった。

まして、アルカナと同じ異世界に転送され、彼と再開することになるなんて、私は知らなかった。




少女は、理解しきれていなかった。

少年の執着の強さを。


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