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00001000 旅人は、艶めかしい彼の手を思い出す。

 □□□□□□□□


「ここ?」

「そう」


 イソラに連れられて、少女は部屋に入る。握る手の柔らかい感触。人間に似た彼女。

 荷物は少ないけれど、一応イソラが持っていた。そういう気配りは自分は誰に教わったものだろうか。いや、きっと随分前から持っていた。

 ひとけのない部屋を見渡す彼女。イソラも彼女の行動をなぞる。

 奇麗な部屋とは言い難かった。幻想の感覚をかぶせても、まだ、雑多な印象を修正しきれない。

 奥の方に古びたベッドがあって、その中は空だった。この部屋の主が、母親を世話していた頃に使っていたものだった。

 ベッドの横には、積み上げられた容器。

 フィルターを切ってみれば、見たことのあるガラクタだった。

 いつ、どこで見ただろうか。越してきたその日に、越してきたその部屋で見た。ユナタがゴミ袋に入れて回収していってくれたのは、こんな色のこんなガラクタではなかっただろうか。

 ああ、でも、これはガラクタなどではない。わかっている。あの時、自分は幻想の感覚を遮断していたから、何もかもがガラクタに見えた。違ったのは少女くらいのものだった。だから、何が本当のゴミで、何が有用な何かであるかなどわかるはずもなかったのだ。


「ユナタはもう戻ってこないの?」


 アエリアが訊いた。イソラは首を振るしかない。


「わからないよ。麻薬を取り扱った罪は、都市によって違うんだ。服用しただけで人に売っていないなら、殺されることはないと思うけれど」

「この容器が麻薬?」

「そう、もう空だけど。あの日、僕の部屋で見つけたんだろうね。僕が入る以前に住んでいた売人の置き土産。そして、こっそりと持ってかえった。それにしては、随分大胆なやり方だったけれど」

「どうして?」


 その問いに答える言葉は、持っていなかった。

 彼は何を考え、何を見ていたのだろう。母親が死んだ。ただ、それだけのことだ。海馬が膿んだ。よくある出来事だ。ああ、けれど、わかってもいた。いくら日常にありふれた出来事であっても、一般化などできるはずもなかったのだ。人間の掌は、サイボーグ化が進んだ今でも、大きさに限りがある。(すく)える悲しみは、種類も大きさも限られているのだ。

 血色のよい、艶めかしい彼の手。麻薬中毒者の症状。

 喪失感が麻薬を求めたのだろうか。そして、更なる喪失感を生んだのだろうか。金がほしくて働いていたのではなかったのだ。金によって手に入る麻薬を欲していたのだ。捕まった売人の置き土産はすぐに底を突く。でも、きっと、売人は、イソラの部屋以外にも、いたるところにいるだろう。

 自分はどうだったのだろうか。


「どうしたの」


 いつの間にか見つめていたらしい。少女が小首を傾げている。イソラは苦笑した。


「僕の話をしてもいいかな」

「私の話もしていいのならね」


 それは、気の利いた切り返しに聞こえた。イソラは頷く。用意はできていた。


「君に似ていたんだ」

「誰?」

「僕の街のね、僕の幼馴染に。ほとんど家族だった。ひょっとしたら、忘れているだけで、本当に家族だったのかもしれない。何度も記憶を焼いたから、もう細部はあやふやだけど」

「かなしいお話?」

「ううん、馬鹿な話。サイボーグ化を嫌がる人ってどこにでもいるんだ。人間というポテンシャルに価値を求める人達。君はその変形だけど、僕の幼馴染はまさしくそれだった。声高にサイボーグを嫌悪したりはしなかったけれど、最後まで手術は拒否していた」

「死んだんだね」


 重力に押しつぶされてね、と答える。

 惑星の局所的な重力異常は、年々ひどくなる一方だ。生身には耐えられない。


「最後は、ベッドから起き上がることもできなかったよ。空っぽのベッドを見るのが嫌で、きっと僕は旅に出たんだ」

「理由もあやふや?」

「多分、もう一切合財全部がね。――君の話は?」


 少女はしばらく何も言わなかった。何と言えばいいか迷っている様子ではなかった。何も言うことなどないのだという感じの、当惑が透けて見えた。


「最近ね、変なんだ。あなたといつどうやって出会ったか、だんだん記憶が曖昧になっていく」

「そうなんだ」

「私は人間ではないのかも」

「知ってるよ」

「本当に?」

「ゴ○○リだろう?」


 少女は笑ってみせた。


「少し、覚えてる。それ」

「必要ない記憶だよ。仕事も決まったんだろう。君は一人で生きていける。管理人は、空いた部屋に人が越してくることを歓迎してくれているからね。少し知り合いの匂いがする部屋だけど、問題ないだろう? 僕も手伝うから」

「なんだかユナタみたいな言い方」

「君は彼に会ったっけ」

「顔は見た。上の階の、あなたの部屋の窓辺から。歌も聞いたよ。時々窓を開けていると、微かに聞こえるんだ。奇麗な声だった。そのままの人でしょ?」


 そっか、とイソラは笑う。


「歌が聞こえる距離なんだな。二段ベッドみたいなものだものね。うん、ユナタはそういう人だった。裏表なんか全然なかったから」

「あなたはまだ旅の途中なんだね」


 イソラは小首を傾げる。アエリアは苦笑した。イソラのその仕草は、彼女の癖をそのままトレースしていたし、アエリアの苦笑はイソラに似ていた。だんだん似ていく。出会って、育んで、時が経つ内に混ざり合っていく。そうして、赤ちゃんになっていく。人も、都市も、文明も、きっと変わらない。機械か生身かなんて、外側のデコレーションにすぎないのだから。


「イソラって呼んでもいいかな」

「私の名前はアエリアだよ」

「そうだったね」


 笑って、部屋を後にする。彼女が扉をしめる音が聞こえた。その後に下りた錠前の音も。



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