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00000010 旅人は、掛けて割って二十になった酒場で、青年に出会う。

 □□


「ねえ、お話をして。どこにでもありふれた、私の耳にもよく届く話を」

「フィクション・ノンフィクションを問わないのかな」

「関係ないよ。――惑星の話?」

「地上は栄えていたんだよ、ほんの数十年、僕らの親の世代の頃の話さ。宇宙人と交易して、たくさんの技術やたくさんの知識を手に入れて、すっかり便利になったんだよ。けれど、ある日、宇宙から物資が届かなくなった。何故だかわかる?」

「宇宙船が惑星に来なくなったから」

「その通り。突然の事故なのか、意図的な政策なのか、空からの訪問者は唐突に途絶えた。でも、真相を探る手立てはない。いつの間にか、すっかり相手に依存しきってしまっていた僕らの惑星は、もう自分達の力じゃ、シャトルを夜空に打ち上げることもできなくなっていたんだ。かくして人類は自給自足の必要性に迫られた。でも、無理な相談だったんだよ。破壊された自然環境がそれを許さなかったんだ」

「けれど、私達は生きている」

「環境はすっかり死に絶えていたけどね。水は汚れ、空気は淀み、緑は絶え、動物が死んでいった。でも、致命的なアクシデントじゃない。僕ら人類には優れた機械化技術があった。環境の改善はもはや手遅れだけど、自分達の肉体ならいじることができる。劣化する生身の腕の代わりに鉄の腕を。空気から毒を消す代わりに、体内に解毒装置を。改善ではなく、今の環境に適応する道を選んだんだよ」

「すごいね」

「僕は君に話してるんだよ」

「すごいね、イソラ」


 明滅する街の明かり。

 常に雲が立ち込めるアエリアには、昼がない。

 せいぜいたまに薄ぼんやりと白く濁ったような光が差し込むくらい。それだって、あくまで稀な出来事だ。雲にそっくりな汚染物質からは、時折、雨によく似た汚染物質が降り注ぐので、人々は空など見ないし、また、見ようとも思わない。建造物のネオンは常にやや斜め下を向いているから、人は人ばかり見ている。それしか関心を向ける対象がないのだ。

 だから、ここでは殺人も姦淫も起こるし、強盗も恐喝も起こる。

 人間が人間にする行為ばかりが、変わり映えもなく繰り返される。

 数十年前との違いといえば、彼らが生身の生物であるか、機械化されたサイボーグであるか程度だろう。刑事達は血痕を調べる代わりに、オイルの染みを鑑識に回す。男と女が交わるかわりに、サイボーグとサイボーグが交わる。そして、体内の培養床に疑似精液が着床する。わずかに残った生身の機能が、不器用に新たな命を作る。生まれてくる赤ん坊は、機械化しなければ死ぬし、機械化すれば生き残る。それは少なくとも、愛するか愛さないかよりは軽い問題だ。人間はどこででも生きていける。アエリアでも、ウェネンツでも、名も知らないどこかの街角でも。


 イソラは通りを歩く。


 見かけたネオンの数を見かけた人の数で割る。それに自分の歩いた距離をかける。百までの好きな数字を引く。二で割る。そうやって切りの良い数字になるまで試していると、じきに二十になった。二十件目に見かけた酒場の扉を開く。

 瞬間薫る黴の匂い、強烈な腐臭。

 マイクロチップに吹き込まれたデータに基づいて、感覚は即座にこの街のルールに適応する。腐臭がアルコール臭に変化する。暗がりの中の電子音は、酒場の喧騒に変わった。笑い声。楽しそうな声。

 イソラは微笑んで、カウンターに近づく。


「カルアミルクを」


 マスターは、冗談みたいなちょび髭を有した、ひょうきんそうな紳士だった。疑わしそうに、でもどこかユーモアを混ぜて、彼はイソラに訊ねてくる。


「年齢は?」

「まからないかな」

「俺も十八くらいの頃に同じような台詞を酒場で言ったことがある。マスターはうんと言わなかった。毎日通い詰めて説得に成功するまで二年かかった。この意味がわかるかい」

「教えてほしいな」

「何ごとにも近道はないってことさ」


 肩を竦めるイソラ。


「じゃあ、ただのミルクを」

「こちらは、ただのカルアを」


 声が重なる。

 隣を見ると、青い髪の青年が肘をついて、指先でカウンターを軽く叩いていた。店内にかかるジャズと同じリズムだった。惜しいことに、時々、わずかにずれる。でも、それこそが一番楽しいようだ。微かに鼻歌すら口ずさんでいる。

 イソラは話しかけた。


「音楽が好きなんですか?」

「大好きだね。そういうお前さんは、酒が好きなのかい?」

「いえ、それほども飲めませんけれど。甘いのじゃないと」

「じゃあ、ミルクとカルアミルクの二択なら?」


 イソラは笑った。降参するしかない。小さく舌を出す。


「実は、お酒は大好きなんですよ」

「だと思った」


 カルアとミルクが、仲良くカウンターに並んだ。どちらもボトルからそのまま注ぐだけだ。店にとっても、そう手間な注文ではなかっただろう。

 青年はイソラの知らない歌詞を口ずさみながら、そのカルアをいくらかミルクの中に注いだ。

 混ぜると、白みがかった琥珀色になる。

 カルアミルクだった。


「お近づきの印に」

「いいんですか?」

「飲みたいんだろう? 顔に油性マジックで書いてある」

「後でよく拭いておかなくちゃ」


 笑って、少し嵩の増えたグラスを持ち上げる。青年が、嵩の減ったグラスを持ち上げて応える。わずかにガラスが触れ合って、小気味のよい音を鳴らす。二人の乾杯は奇麗に為された。双方、一息に飲み干して、空の盃をカウンターに置く。いい味だった。マイクロチップのせいだけではあるまい。


「この街の人ですか?」

「母親のお腹にいる時からね。その母親も、そのまた母親も、生まれる前からここの住人さ。けれど、そう訊いてくるってことは、お前は違うんだろうね。どこのお腹で育ったんだい?」

「旅人ですよ。母は死にました」

「奇遇だな、俺の親もこの前死んだよ。海馬を補助するハードディスクが錆びついてね。脳が膿んじまった。最後はボケがひどくて、世話をするのに苦労したよ。でも、不思議だな。いなくなると、ぽっかり穴が開いたみたいに寂しくなる。なあ、皆そんなもんなのか?」

「心が空っぽになってしまいそうな時はありました」

「やっぱりね」

「自分の不透明度が下がって、徐々に空気と同化していく。そのかんじが嫌で、旅に出たのかもしれません」

「ここで暮らすのかい」

「ここで暮らしたいです。ここはいい街だから」

「普通の街だよ。けど、そうだな」


 演奏が終わって、奏者が切り替わる。音楽は絶やさない。変遷していく。


「うちのマンションに来るといい。俺の部屋の上が空いているしさ。管理人にかけあってやるよ。何なら、俺の部屋におさまってもいい。母親が死んだ分部屋が広くなったから、あんたが俺の空っぽを埋めてくれてもかまわないんだ」

「いいんですか?」


 初対面の相手に、とイソラは呟く。青年は、ゆっくりと幅の広い肩を揺らし、リズムを取り出した。やはり、わずかにずれたまま。だが、それが見ていてとても楽しげなのだ。青年は微笑む。


「二人で過ごしたい夜だってあるさ。一人で過ごしたい夜と同じくらいありえる話だよ」


 青年の名前は、ユナタと言った。


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