⑨ お嬢様と再従兄弟
「へぇー。お前が勇者なんだぁ。何か、本当に大丈夫なの? って感じぃ?」
椅子から立ち上がりもせず、だらしなく背もたれにもたれた格好のまま、名門グッテンハット家の子息アルジャーノはだるそうな声を上げた。
……こっ、…これが、私の再従兄弟?
冷静になって考えてみれば、リーアにとって、これが初めて見る父方の親戚だ。
父様といい、この若様といい、無気力でだらしなさそうなのばっかり。こんなのでいいの? 勇者の血筋って。
執事に、グッテンハット公爵は城での公務があり今日は会えないが、勇者とは是非一度会って話をしたいとおっしゃっていた、と説明を受けて入室した客間に、でん、と鎮座していたアルジャーノは、開いた扉の前で立ち尽くしているリーアに失礼極まりない言葉を投げかけた後、興味を失ったかのように背後に畏まっている給仕を振り返った。
「早速、料理出しちゃって。もうボク、待ちくたびれちゃってさあ」
……初めて会う客の前で言うことか!
リーアは額に青筋を浮かべたが、大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせた。
何としても、この脂肪の塊のような栄養過多の若君に、勇者の剣を押し付けて逃げなければならないのだ。
「お待たせして申し訳ありません、アルジャーノ・フォン・グッテンハット様。わたくしは……」
「リーア・フレイルだろ? 知ってるよ。ボクとは親戚になるんだってね」
……いきなり呼び捨てかよ。
リーアは、拳を握り締めた。
それにしても、いくら公爵家と伯爵家では家格の違いがあるとはいえ、このお坊ちゃんのリーアへの対応は酷すぎる。
「でも、やだなぁ。母方の親戚って、平民か、貧乏貴族なんだもん。そのせいで、ボク、昔から異母兄弟に苛められてさぁ。だから、気分的に受け入れられないんだよね、母方の親戚って」
いえいえ、苛められているのは母方の親戚のせいではなく、あなたのその性格のせいだと思いますよ。
にこやかに微笑みながら、リーアは聞こえても構わないと思うほど強く心の中で言い放った。
「それで、それが勇者の剣?」
アルジャーノはソーセージのようにプクプクした指で、ぞんざいにリーアの右側を指差した。
「ええ、そうです」
お手に取ってご覧になりますか? と続けそうになって、リーアは咄嗟に言葉を飲み込んだ。
いけない、いけない。この若様は天邪鬼なのだ。手に取って見たいと言うまで、大切なものだから触らせません、という態度を取らなくちゃ。
リーアは右手に提げていた勇者の剣を、両手で抱えるように持ちかえた。いかにもこれは、私の宝物ですというように。
「ふーん……」
アルジャーノは椅子から身を乗り出した。その目に、羨ましげな光が浮かぶ。
いい反応だわ。
リーアが内心ほくそ笑んだときだった。
「お待たせいたしました」
扉が開き、食欲をそそるいい匂いが室内に充満した。隣室の食堂に用意された何十人もが同時に会食できる長いテーブルに、二人だけでは食べきれないほどの料理が次々に並べられていく。
「あ、来た来た。その剣は後でゆっくり見せてもらうから、先に食事に移ろう」
アルジャーノはこれまでの緩慢さからは想像もできない素早さで椅子から飛び上がると、颯爽と食堂へと歩いていってしまった。
ちっ。……食欲が先か。
想像はついていたものの、ここまで徹底的に駄目男だと、リーアは怒る気にもなれない。
「……いいんですか? あんな方に勇者の剣をお渡ししても」
食堂へ向かう間に、レイルがさりげなく耳打ちしてきた。
……仕方ないじゃない。私が勇者になるわけにはいかないんだから。
少なくとも、アルジャーノがどういう人物かを知っていたにも関わらず、彼に勇者の剣を渡すよう勧めたウェラルドは、リーアよりも彼のほうが勇者に相応しいと思っているのだから。
リーアは気力を振り絞り、どんな嫌味をいわれようともにこやかに応じ、いかにもアルジャーノとの会食を楽しんでいます、という振りを続けた。
最初は刺々しい毒ばかりを吐いていたアルジャーノも、次第に打ち解けてきたのか、はたまた空腹を満たして落ち着いたのか、子どものようにとりとめのないことを喋り始めた。
「……でね、父上はボクに、芸術の才能があるっておっしゃるんだよ。ボクの前では、かの有名な画家リオーンも影が薄くなるって。でも、由緒正しいグッテンハット家の子息が、卑しい画家になるわけにはいかないだろう? だからボクは仕方なく、毎日離れのアトリエにこもって、湧き上がる創作意欲を人知れず爆発させているというわけさ」
「まあ、そうなんですか」
……それはぜひ、作品を見せていただきたいですわ、という一般的なお世辞をリーアは紅茶と一緒に飲み込んだ。ウェラルドに受けた忠告を思い出したわけではなく、ただ単に本当にアルジャーノの描いた絵など見たくなかったのだ。
ところが、彼のような種類の人間は、相手が何を嫌がっているのか非常に鼻が利く。アルジャーノは口の周りを肉の脂でぎらつかせながら、上目遣いにリーアをじっと見つめた。
「見てみたい?」
……うわーーーっ。いやーーーっ。気持ちわるーーーい!
吐き気を催すようなギタギタした目つきに耐え、リーアは引きつる頬の筋肉を叱咤激励して、かろうじて微笑を浮かべた。
「ええ、ぜひ、拝見したいですわ」
「そう? ……じゃあ、しょうがないなぁ。特別に君にだけ見せてあげるよ」
えっ?????
リーアは呆気に取られ、思わずナイフとフォークを取り落としてしまった。
はっ、……話が違うじゃないのよっ! こっちの言うことにはとことん反発する、天邪鬼だったんじゃないの???
内心叫んだところで、ウェラルドは今頃、自宅のベッドの上だ。
「ちょうど食事も終わったところだし、これからアトリエに案内するよ。ほら、そんな落としたナイフとフォークなんか、給仕に任しときゃいいんだから」
アルジャーノは太った体を揺すって立ち上がると、突然むんずとリーアの手首を握った。
……ぎゃっ!
心の中で悲鳴を上げたリーアだったが、ここでアルジャーノの機嫌を損ねるわけにはいかない。しぶしぶ席から立ち上がったリーアに、アルジャーノは更に追い討ちをかけた。
肉料理の油に塗れたソーセージのような指を、エリクス家の侍女が丹念に巻いてくれたリーアの髪に絡めてきたのだ。
………!
汚いだとか、気持ち悪いの次元ではない。
どうやら、アルジャーノはニコニコ微笑みながら自分の話を聞いてくれるリーアが、自分に気があると勘違いしたらしい。それに加え、彼はリーアに、レイルも給仕もいる前で、まるで娼婦を扱うように手を握り、髪を弄んだのだ。
………なによ、これ。
リーアは怒りよりも嫌悪感よりも、恐怖で体が竦んでしまった。
リーアが石のように固まってしまったことで、アルジャーノは更に興奮してしまったようだった。
「へえ、いい首飾りをしてるじゃないか」
アルジャーノの手が、大きく開いた胸元を飾る金剛石と紅玉を連ねた首飾りに伸びた。
……やめて!
リーアは反射的に、右手を大きく振り回した。
パン!
乾いた音がして、リーアの右の掌にヒリヒリと焼け付くような痛みが広がった。
「な、……何をするんだよぅ」
アルジャーノはペタンと床に尻餅をつき、怯えたような声を上げた。
「……大丈夫ですか? お嬢様」
左の頬に赤い手形をくっきりとつけているのは、二重顎のアルジャーノではなく、そう言ってにっこりと微笑んだレイルだった。




