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⑧ お嬢様と伯爵家

 ……………はあああー。

 リーアは本日もう何度目か分からないため息を吐いた。

 とにかく、何もかもがこれまでの人生で目にしてきたものと明らかに次元が違う。まるで別世界に迷い込んでしまったかのような錯覚さえ受ける。

「もういい加減、口を開けてキョロキョロなさるのはおやめになってはいかがです?」

 正面に立ち、リーアの身支度の差配をしているのは、ウェラルド・フォン・エリクスの母マルグリットだ。ウェラルドと同じ色調の金髪をゆったりと結い上げ、年齢を重ねたゆえのふっくらとした体つきは、柔和な顔立ちとあいまって、まるで全てを優しく包み込む大地の女神のようだ。

 マルグリットは素早く的確に侍女たちに指示を出しながら、落ち着きのないリーアの挙動に扇子を口元に当て、可笑しそうに微笑んでいる。

「……すみません。本当に、何もかも素晴らしくって」

「お褒めいただいて嬉しいですわ。ちなみにあなたも、とても素晴らしくおなりですよ、リーアさん」

 マルグリットがリーアの背後に回る。侍女がカーテンを引いて、壁一面に張られた姿見が現れた。

(……わ)

 リーアは息を飲んだ。

 身につけるもので人はこれほど変わるのか、と思えるほど、別人の自分がそこに映し出されていた。

入念に施された化粧によって日焼けの跡やニキビは消え、鮮やかな口紅で顔がパッと華やいでいる。丁寧に梳られた金髪には眩い宝石をあしらった飾りが揺れ、やや大きめのドレスはリーアの貧弱な体を覆い隠している。勿論、出るべきところには隙間を埋める詰め物がたっぷり詰め込まれていた。

「まるで一輪の可憐な花が咲いたよう。とってもお似合いですよ。急なことで、嫁いだ娘のお下がりで申し訳ないですけれど」

 背後に立ったマルグリットがにっこりと微笑む。

「そんな。こちらこそ、突然こんなことお願いしてしまって申し訳ありません」

「いいえ。聞けば、リーアさんと伴の者が我がエリクス家で支度をなさることを提案したのは、わたくしの息子だというではありませんか。そういうことであれば、エリクス家の威信にかけ、グッテンハット家に引けを取らない令嬢にお支度を整えましてよ」

 五十を超えた貴婦人はお茶目に片目を瞑ると、やにわに自分の首元に輝いていた金剛石と紅玉の首飾りをリーアの大きく開いた首元に回した。

「これでよろしいですわ。リーアさんは真っ白な画布のような方なので、とても飾り甲斐がありましたわ。ねえ、ウェラルド」

 伯爵夫人の声に驚いて振り返ると、入室してきたばかりのウェラルドが打たれたようにその場に立ち尽くした。

「……変われば変わるものですね」

 失礼ね!

 そう怒鳴りたい気持ちをリーアは必死で抑えた。

 ここはウェラルドの家、そして彼の母の前だ。リーアはその母に身支度を整えてもらったのだから、突っ込みを入れるなどとんでもない。

 それにしても、相変わらず素直すぎる奴。一言くらい、お世辞でも言えばいいのに。

「ウェラルド。貴族の令嬢に対して、その言い方は何ですか。それだからあなたは、未だに妻を迎えられないのです」

 リーアの代わりに、マルグリットが息子を叱る。

 うわっ、お母様、そんなストレートパンチをかまさなくても、とリーアは冷や汗をかいた。

「そっ、……そんな内々の事情をバラさなくてもいいじゃないですか。それに、私は神に身も心も捧げておりますゆえ、妻帯など考えてはおりません」

「またそのような世迷言を……。ま、今はそんな討論をしている場合ではありませんわね。レイルと言いましたか? そちらの支度のほうはどうです」

「ええ、完璧です。グッテンハット家との約束の刻限も近づいてきましたし、そろそろ出発するといたしましょう」

 ウェラルドはそう言うと、扉を大きく開け放った。

「……レイル」

 リーアは息を飲んだ。

 そこには、どこからどう見ても立派な騎士にしか見えないレイルが、はにかんだような笑みを浮かべていた。先日、家出を敢行した際、二年ぶりで彼に再会したときの比ではない衝撃がリーアの天辺から爪先まで走った。

「お嬢様、お綺麗ですね」

 ほんのりと頬を赤く染めたレイルに、真っ直ぐど真ん中の褒め言葉を投げかけられて、リーアはすっかり舞い上がってしまった。

「そ、……そんなに褒めたって、何にも出ないんだからねっ!」

 気がつくと、下町のおじさんの冗談をあしらうときの台詞を、リーアは大きな声で言い放っていた。


 顔は十人並みでも、完璧な化粧と豪奢なドレス、それに眩いばかりの宝石で飾りつけられれば、誰でもそれなりに美しく見える。それによって本人の意識も変わり、自然と表情も仕草も優雅になってくる。

 今のリーアは、どこからどう見ても貴族の令嬢だった。きっとフレイル家が先代の勢いを保っていれば、リーアはここまでとはいかなくても綺麗に着飾って、社交界にデビューしていただろう。

 窓の外を眺めながらそんなことを考えていたリーアは、馬車が揺れた拍子に膝の上でガシャッと鳴った勇者の剣の音で我に返った。繊細で高価なドレスの布地の上では、勇者の剣は場違いなほど血生臭く凶暴な存在に見える。

「いいですか。いきなりアルジャーノ殿に勇者の剣を託したいなどとおっしゃってはいけませんよ。グッテンハット家訪問の名目は、あくまで勇者リーア・フレイルが、同じ勇者の血筋であるアルジャーノ殿に挨拶する、ということなのですから」

 馬車の向かいの席に座ってそう言ったウェラルドの表情が、なぜかやや青ざめて見える。

「え? ……どうしてですか? だって、そのアルジャーノって人にこの剣を渡して勇者になってもらうのが目的なのに」

「正面切ってアルジャーノ殿に勇者の剣を託したいと言ったところで、相手が素直に受け取ると思いますか?」

「思いません……って言わないといけないのかな」

「最初に申し上げておきましょう。彼は、喜んで世界のために身を捧げるような献身的な性格ではありません」

 ウェラルドはキッパリとそう言い放った。

「……はあ」

「彼は、他人のものなら奪ってでも自分のものにしたい、逆に、他人から頼みごとをされても鬱陶しがる、という非常に面倒な御仁なのですよ」

「典型的な我儘なんですね」

 ええ、とウェラルドは頷いた。

「ですので、リーア殿は、ただ勇者として誇らしくしておいでなさい。そうすれば、彼は勇者であるリーア殿が羨ましくなってくる。彼が勇者の剣を手にしたいと言ったら、やや渋って、“冗談でも、ご自分が勇者になるだなんて言わないでくださいね”とでもおっしゃれば、彼は必ずその気になるでしょう。後は、さりげなく剣をグッテンハット家に残してくればいいのです」

「ず、……随分と思い切ったことを考えるんですね」

 リーアは、お世辞と嘘のつけない素直な性格だと思っていたウェラルドが、意外と策士であることを知って驚いた。やはり、この歳で神官長に次ぐ地位まで上った男だけあって、エリクス家の抜け目の無さはしっかりと受け継いでいるらしい。

「その後、アルジャーノ殿が何と言って勇者の任を逃れようとしても、名門公爵家ゆえに大っぴらにその任を拒否することはできないでしょう。そんなことをすれば、家名に傷がつく。家長のグッテンハット公は自尊心の強い方ですから、そんなことをお許しにはならないでしょう。神殿も早急に勇者の任命式を執り行うことにいたします。その間、勇者の剣を返されるのが怖いとおっしゃるなら、我が家があなたとお父上を匿います」

「そこまでしていただけるんですか」

 リーアは感動すると同時に、逆に傷ついている自分にも気付いていた。

それほど、この人は私に勇者になってほしくないんだわ。こんな小娘では頼りないから。こんな小娘に世界の命運をかけるわけにはいかないから……。

 それが、神殿の意志なでもあるのだろう。

 それにしても、さっきからウェラルドの顔色が悪い。青ざめていた顔は、次第に土気色に変わってきた。

「ウェラルド様。どうなさったのですか? お顔の色が優れませんが、もしかしてお加減が悪いのですか?」

「……いえ。昨夜はよく眠れなかったものですから、…馬車に酔ったのかも知れません」

 えええええーっ。この大事なときに!

 そう叫びたかったけれど、あまりにウェラルドの具合が悪そうで、リーアは心の中で叫ぶに止めた。

「大丈夫です。もうすぐグッテンハット家に到着しますから、馬車から降りればよくなるでしょう」

「本当に、大丈夫ですか?」

「ええ、ええ。何のこれしき……」

 しかし、グッテンハット家の門を通過する頃には、ウェラルドはまともに座席に腰掛けていることもままならない状態となり、何とか出迎えた公爵家の執事に取次ぎを依頼すると、脂汗を滲ませて座り込んでしまった。御者はそんなウェラルドを馬車に担ぎこむと、あっという間にエリクス家へと引き返していってしまった。

「では、勇者リーア・フレイル様、レイル殿、どうぞこちらへ」

 グッテンハット家の執事が、立ち尽くす二人を屋敷の中へ招じ入れた。

 馬に騎乗して馬車に付き添ってきたレイルは、突然のウェラルド退場に驚きを隠せないでいる。

「社交の場に出たこともないお嬢様をただお一人残して、国でも一、二を争う名門公爵家に放り込むなんて……」

 リーア本人以上にレイルはうろたえていた。

「大丈夫よ、レイル。幸か不幸か、ウェラルドさんからちゃんと策は授かっているから」

「策、……ですか?」

 うん、とリーアは頷いた。

 その拍子に、髪に飾られた宝飾が揺れ、眩い光を放った。

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