⑦ お嬢様と勇者探し
「……なんかもう、……ぐったり疲れたぁ」
自宅に戻ったリーアは、崩れるように椅子に座るとテーブルに突っ伏した。
「お帰り。……あれ? まだ勇者の剣を持っているのか。他の勇者の血筋に渡してくるんじゃなかったのか?」
中庭へ続く扉の向こうから、オズワルトが暢気に濡れた手を汚れた手拭いで拭いつつ、そう声をかけてきた。
どうやらまた、庭の雑草を毟っていたらしい。まだ五十歳そこそこだというのに、すでに気分は隠居爺らしい。
「とりあえず、国内にいる勇者の血筋を何人か教えてもらったの。明日、早速王都にいるその人のところへ会いに行くわ。……なんだったら、父様。代わりに行ってくれる?」
「いや、遠慮する」
言うと思った。
リーアはため息を吐くと、ポケットから折りたたんだ紙を取り出した。
もう、父親を当てにしようと思わないことだ。昔から頼りないとは思っていたが、ジェイク・ハノンに勇者の剣を掴ませた経緯といい、この人は本当に自分勝手なんだとリーアは痛感していた。
世の中には、時々耳を疑うほど常識のない人間がいる。守らなければならない家族を抱えながら、酒に溺れて暴れ、犯罪行為を繰り返し、労働に耐えられず生活費を稼ぐことすら出来ない者。そんな男と一緒になったばかりに、そんな父の元へ生まれたばかりに、日々地獄のような暮らしを強いられている人達をリーアは何人も知っている。
でも、私も似たような境遇じゃないの?
たまたま、母が父の我儘を受け入れられるだけの身分と財力を持っていただけのことだ。だがそれも、もう限界を超え破綻を迎えようとしている。
自分には世界を救う、なんて大それたことはできない。本音を言えば、大の大人でさえ恐れて義務を放棄するような勇者になど、恐ろしくて絶対になりたくない。
でも、勇者の血筋として生まれた以上、せめて勇者としての理想に燃えた、勇者に相応しい人物にこの剣を託すことこそ、自分に与えられた使命じゃない? リーアはそう思うようになっていた。
それさえ放棄して、あくまで父に全てを押し付けようとするのなら、自分は父やジェイク・ハノン以下の無責任者ということになってしまう。
いつもなら、「何でよ、娘にこんな大変なこと押し付けるつもり!???」と食ってかかる娘が、黙ってそっぽを向いてしまったことに、オズワルトは一抹の不安を感じたらしい。
「リーア。おい、大丈夫か?」
服の埃を払いつつ部屋に入ってきた彼は、突然、廊下側のドアから入ってきた若者に驚いて身構えた。その動作は、これまでの緩慢な動きとは違い、とても五十を超えた男とは思えないほど俊敏だったが、そっぽを向いていたリーアは全く気付かなかった。
「失礼します、旦那様」
「ああ、何だ、レイルか。どうした、ここへ来るなんて珍しいな」
オズワルトは、その若者がレイルだと気付くと、すぐに構えを解いて表情を和らげた。
「はい。実は今朝、お嬢様と神殿までご一緒させていただきました。今後も、お嬢様がどなたかに勇者の剣を託されるまで、お傍にお仕えさせていただこうと思いまして」
レイルは小脇に包みを抱えたまま、人のいい笑みを浮かべた。
「なんだと。では、アラウィスク家の門番の仕事は辞めてきたのか?」
「はい」
まるで少年のように無邪気に答えるレイルに、オズワルトは頭を抱えた。
「しかし、うちにはお前を雇うだけの余裕はないぞ。それはよく分かっているだろう」
「大丈夫よ、父様」
リーアはレイルに目配せをした。
レイルは頷いて、小脇に抱えた包みをテーブルの上に置くと、中から拳大ほどの袋を取り出してリーアに手渡した。
「勇者の剣を、勇者となる人に託すまでの支度金。必要なら、その都度神殿に請求して構わないそうよ」
リーアは袋の口を解くと、テーブルの上にその中身をぶちまけた。
耳慣れない金属音と共に、目に眩しい金貨が煌めきながら積み重なる。リーアは、見慣れないその輝きに眩暈を起こしそうになった。
「ウェラルド・フォン・エリクスって、さすが名門のお坊ちゃんね。とーっても、太っ腹だわ。勇者を支援し、災厄を退けるのが神殿の使命、って、他の神官に何も言わせなかったのよ。必要なら、エリクス家から神殿への寄進を倍増させていただく、とか言っちゃって」
気前の良さといい意志の固さといい、さすがはエリクス家の子息だ。見た目も秀麗で文句のつけようがない。これで黒を白だと言い切れるだけのふてぶてしさと演技力が加われば完璧だろう。
だが、全てを与えないところが偉大な神の意志というところだろうか。彼は純粋過ぎるがゆえに神官になり、その彼に出会ったことで、リーアは当面金銭面で苦労することはなくなったのだから。
「一刻も早く、勇者となる人物を確定したいのだろう。それだけ、災厄が迫っているということだ」
オズワルトは、テーブルを転がり、床で跳ねてまた転がりだした金貨を拾い上げると、じっとその表面を眺めた。それ一枚で、今までのフレイル家の生活レベルなら、一ヶ月間は維持できる。
「それにしても意外だったな。この王都に、俺とお前以外の勇者の血筋がいただなんて」
「前任の勇者アルバート・ガードナーの私生児が、貴族の養女になって名門グッテンハット家に嫁いでるんですって」
それを聞いたオズワルトは、複雑な表情を浮かべた。
前の勇者というのはオズワルトの伯父にあたる。その伯父に私生児がいたなど、できればまだ生娘のリーアには知られたくない話題なのだろう。
確かに、それを神殿で聞かされた時はリーアもどう反応していいのか困ってしまった。けれど、だからといって無視してしまえる存在ではない。
なにせ、その女性には、勇者には適齢の若い息子がいるというのだから。
「前任の勇者の直系が、イストラートの公爵家子息なんてすごいじゃない。きっとこの剣を持っていったら、公爵家の名声をグランシード全土に轟かせる好機! なんていって歓迎されること間違いなしよ」
「それよりまず、公爵家に入れてもらえるのかが問題だな」
オズワルトは鼻で笑いながら、リーアの粗末で擦り切れた服をちらりと見やった。
「大丈夫です。その辺のことも、ウェラルドさんにちゃんと差配してもらってますから」
「なんだって?」
「フレイル伯爵家っていったって、今は王宮にも出仕していないし、こんな格好で勇者の剣を持ってきましたって言ったところで、門前払いされるに決まってるわ。だから、まずエリクス家で私とレイルの支度を整えて、ウェラルドさんと一緒にグッテンハット家へ行くことになったの」
リーアは金貨を袋へ戻しながら、小さくため息を吐いた。
「ほんと、大変よねぇ、ウェラルドさんも。こんなことにまで付き合ってくれるなんて。早く頼りがいのある勇者に剣が渡るといいんだけど……」
イストラート神殿の水鏡がその光景を映し出したのは、その日の深夜のことだった。
「神官長様、これを……」
当直の神官は、明かりの落ちた室内で青い光を放つ水鏡の前で、今にも崩れ落ちそうに震えている。
イストラート神官長ジェノ・フリスクに続いて水鏡の間に足を踏み入れたウェラルドは息をのみ、すぐに震えている神官の傍に駆けつけ、その体を支えた。
「……これは。過去の映像でしょうか」
水鏡に映る光景は、それが時間も空間もかけ離れた場面を映し出していると分かっていても、吐き気を催すほど凄惨極まりない。
ウェラルドの腕の中で、ついに震えていた神官は恐怖のあまり意識を手放した。
「だとよいのだが」
ジェノの眉間にも皺が寄っている。水鏡の光だけの室内で、その皺は不安に比例するように深く見えた。
「昨日、勇者の剣がこの神殿に入った。それに呼応して、水鏡に眠る過去の災厄の映像が引き出されたというのなら、まだ救いがある。だが、これが今現在、グランシードのどこかで起こっている光景なのだとしたら、事態は相当差し迫っておると言わざるを得ん」
「……しかし、勇者は、今はまだおりません」
「そう。そして、この光景、この惨状を目にすれば、ますます勇者の任を引き受ける者はいなくなるだろう」
ウェラルドはジェノの声に促されるように再び水鏡に目をやり、次の瞬間、顔を覆って床に突っ伏した。突き上げてくる吐き気を、意地だけで何とか堪える。
災厄は、地中から天へ向かって噴き出す。それは黒い嵐となり、地下の魔物を地上へ吐き散らし、盾であるグランシルドを食い破って天の楽園へ昇ろうとする。その際、中央神殿の周辺、大陸の中央部が最も甚大な被害を受ける。今では、中央神殿の南には、対岸が見えないほどの大きな湖ができていた。以前は全て陸地だったものが、数千年、百何十回という災厄の襲来によって削り取られ、そこに雨水が溜まって湖となったのだ。
水鏡の向こうで、たった今、魔物に首を跳ね飛ばされた住民の躯が、地上に崩れ落ちる前に数頭に喰らいつかれ、臓物を飛散させて千切れ飛んだ。
「……地獄だ」
ジェノは厳しい目つきで水鏡に映る光景をじっと見つめている。
「だが、大陸全土をこのような地獄と化すわけにはいかん。……ウェラルド」
「はい」
「期限はひと月だ。ひと月後、その時点で勇者の剣を手にしている者を勇者とする」
「え、……ですが、もし彼女が他の勇者の血筋に剣を……」
「だから、ひと月待つと言っておる」
ジェノは、最後までウェラルドに言わせなかった。
「過去、女性勇者の例がないわけではない。しかし、あれでは。……最初から別の誰かに重荷を預けようとする者には、背負いきれるものではない」




