30 お嬢様と祈りの塔
祈りの塔は、中央神殿の北にある本殿の東隣に建っている塔を指す。
過去、中央神殿に逃げ込んで災厄を迎えた村人が、軍に加わって戦場に出た家族の無事を祈るために利用していたため、その名がついた。今でも、災厄が本格化すると、祈りを捧げにくる民は多い。
円柱形の塔の内部には壁に沿って螺旋階段が伸びており、その階段を昇りきった先、塔の最上階に祈りの間がある。
「その男を最初に見かけた神官見習い殿が、男が持っている剣が勇者の剣に似ていると思い、声を掛けたのだそうです。ですが、男は鞘を抜かぬままのその剣でいきなり神官見習い殿を殴り、この塔の中に逃げ込んだと」
祈りの塔へ向かうリーア達の先頭を歩きながら、レイルが振り返りつつ説明する。
「騒ぎを聞きつけて、俺が祈りの塔へ駆けつけた時には、塔の入り口の扉は閉ざされていました。神官兵は魔物の襲来に対する警備で手が離せず、残った雑用係だけで扉を破壊して突入するわけにもいきません。扉の前で思案していると、男が祈りの間の窓の側に立っているのが見えたのです。遠目でしたが、間違いありません。あの男でした」
リーアはぎゅっと拳を握り締めた。ふつふつと胸の奥から湧き上がってくるのは、怒りだ。
「で、ここまで来といて、勇者にならないどころか神官見習いを殴って立て篭もり? 冗談にも程があるわ」
あれだけ爽やかな笑顔で後はお兄ちゃんに任せろ的なことをほざいておいて、ふざけるのも大概にしろと言いたい。
リーアの前を歩くオズワルトの手がワキワキと動いている。よほど血が騒いでいるようだ。魔物の返り血を綺麗に拭われて戻ってきた剣が、彼の左腰で歩みに合わせて揺れている。
「扉は破壊しても構いませんね? 最高神官長様」
「勿論です」
オズワルトの問いに答えるラルフ神官長の声は、今までにないほど好戦的だった。
それはそうだろう。勇者の剣無しで災厄に打ち勝てるのか、とついさっきまで絶望的な気分でいたのに、犯人がその剣を持ってわざわざ中央神殿にやってきたのだ。しかも、ご丁寧に塔という逃げ場のないところに立て篭もってくれている。
「ですが、相手は勇者の剣です。剣の腕では上回っていたとしても、神の力を持つ剣に対抗するのは容易ではありません。腕の立つ神官兵を数名、援護に呼びましょう」
だが、オズワルトはその提案に首を横に振った。
「いいえ、それには及びません。これ以上、中央神殿の守りを薄くするのはよくありませんし、大人数で挑んだところで大差ありません。ここは、私一人で片を付けます。リーアも、塔の外で俺が出てくるまで待っているんだ」
数日前のリーアなら、父の言葉に素直に頷いていただろう。だが、リーアは感じていた。自分も行かなければならない、と。
「私が一緒に行くと、足手まといになる?」
「……なんだ。一緒に来たいのか?」
意外そうに、オズワルトは苦笑した。
「だって、騙されたのは私よ? 文句の一つも言ってやりたいじゃない」
すると、レイルがリーアの側まで来て、オズワルトに頭を下げた。
「旦那様。私がお嬢様をお守りします。ご一緒させてください」
オズワルトは考え込むように腕を組んだが、答えを出すのにそう時間はかからなかった。
「分かった。だが、危険だと判断したら、すぐに逃げるんだぞ」
うん、と頷いて、リーアはレイルにありがとう、と笑顔をみせた。
本殿の東の通用口から出て、角を曲がるとすぐに祈りの塔が見えてくる。
見上げた塔の最上階に、窓越しに人影が見えた。
「……あいつ」
レイルに聞いて分かっていたことだったが、リーアは自分の目で見て間違いないと確信した。
さらりとした茶色い髪の、引き締まった体躯の男。
「……!」
リーアは思わず息を飲んだ。
今、あいつが手招きをしたように見えたのは、見間違いだろうか……。
レイルの報告では、塔の扉は固く閉ざされていると聞いていた。だが、念のために再び扉に手を掛けてみると、何の苦もなく扉は内側へと開いた。
「……そんな。確かに、さっきまで内側から鍵がかかっていたはずなのに」
レイルが同意を求めるように視線を送ると、見張りのために塔に張り付いていた雑用係の少年二人も首を何度も縦に振る。
「あの男は、レイルさんが皆さんを呼びにいっている間も、あそこにああやってずっと立っていたんですよ」
一体誰が鍵を開けたのだろう、と少年の一人が気味が悪そうに肩を竦める。
「奴は一人ではないということか?」
「先に別の人間が塔の中に潜んでいたという可能性は、否定できませんね」
レイルの言葉に、オズワルトは眉を顰めた。
「幸い、塔の中には隠れる場所はほとんどない。だが、気を抜くな」
内側に僅かに開いた扉を、息を合わせてオズワルトとレイルが片方ずつ蹴る。同時に激しく内側の壁に打つかり、硬い音をたてて跳ね返った扉の影には、誰も隠れていた様子はない。
塔の中は剥き出しの螺旋階段で、オズワルトの言った通り、どこにも身を潜められる場所はなかった。
先頭をオズワルト、続いてリーア、最後尾をレイルがゆっくりと階段を昇っていく。
階段が終わると、そこは円形状の広間になっていた。最上階の祈りの間だ。
突き当たりの窓辺に立ち、外を見ていた青年がゆっくりと振り返った。それは本当に間違いなく、リーアの兄を名乗った人物だった。
「やあ、リーア。よく来たね」
「……っ!」
男は何の悪びれた様子もなく、穏やかな笑みを浮かべ、両手を広げて歓迎する素振りを見せた。
「ふざけるな。貴様、何者だ」
「おや、誰かと思ったら、親父じゃないか。しばらく見ない間に、随分老けちゃったんだなぁ」
オズワルトに向けて、偽エドガルドは屈託のない笑顔を浮かべている。
「貴様に親父と呼ばれる筋合いはない」
「へぇええ。貴族のご令嬢と再婚したから、平民の娘だった母さんとの子である俺はもう息子じゃないっていう訳? ひどいなぁ」
偽エドガルドの口元が歪んだ。
「何だと?」
オズワルトの声には息子を騙る男に対する怒りと警戒心が込められていたが、そこにほんの少しだけ、もしかしたら、という響きが含まれていた。
「俺はね、親父。ずっと待ってたんだよ。親父が助けに来てくれるのを、魔物に体を引き裂かれ、暗闇の中に閉じ込められて、それでもあんたをずっと待ってたんだ」
「……!」
まさか、本当にお兄様だったの? とリーアは息を飲む。
けれど、魔物に体を引き裂かれって、どういうことだろう。やっぱり、エドガルドは死んでいて、けれどそれなら、目の前にいる人物は一体……。
そんなリーアの混乱を余所に、偽エドガルドは表情を歪めたまま、手にした勇者の剣をリーア達に向けて突き出した。
「見てくれよ、親父。俺は勇者の剣を手に入れた。俺は勇者になったんだ」
オズワルトは渋面のまま、感情を抑えた低い声で訊ねた。
「百歩譲って貴様がエドガルドだとして、勇者の剣を手に入れたなら、なぜすぐに中央神殿に来なかった?」
偽エドガルドは空虚な視線を宙に彷徨わせながら、寂しげな笑みを浮かべた。
「……だってさ。もうこの世界に、母さんはいないんだ。それなのに、一体、何を守ればいいっていうんだい?」
「ちょっ、ふざけないでよ!」
リーアは思わず叫んでいた。
「そんな事、言い訳にもならないわ! 今、この瞬間も誰かの大切な人の命が奪われているのよ。そんな個人的な感傷に浸ってるくらいなら、私にその剣を返しなさい! あなたになんか、勇者になる資格はないわ!」
「自分はどうなんだ!」
偽エドガルドはそう叫ぶと、すらりと勇者の剣を抜いて一閃させた。
見えない衝撃派がリーア達を襲い、三人は吹き飛ばされて背後の壁に叩きつけられた。
「……っつぅ」
「大丈夫か? リーア」
お互い庇いあいながら起き上がる三人を、偽エドガルドは傲然と見下ろした。
「お前、自分は関係ない、こんな自分は勇者に相応しくない、誰か替わってよ、代わりに勇者になってよって、ずっと思ってたんだろ? 何度も俺を置き去りにして、都合の良い時ばっかり使いやがって」
「……?」
……今、俺を置き去りにして、って言った?
擦りむいた脛を押さえながら、リーアは偽エドガルドの今にも泣き出しそうな顔を見つめた。
「父親も父親なら、娘も娘だ。何で自分ばっかり重荷を背負わされるんだって、感傷的になってるのはそっちだろ? そんな風に扱われて、俺が嫌にならないとでも思っているのか!」
「……何を言って……!」
隙を見つけて斬りかかったオズワルトは、偽エドガルドに剣が届く範囲内まで近づくことができなかった。偽エドガルドが右腕をほんの少し動かしただけで、オズワルトの体は床から浮き上がり、見えない手で投げつけられるように背中から壁に激突した。
「父様!」
「……危ない!」
くったりと気を失った父に駆け寄ろうとしたリーアは、不意に背後から突き飛ばされた。床に這いつくばったリーアを掠めるように、レイルの体が飛んでいく。
「レイル!」
レイルの体は窓枠に激突し、左腕が窓を突き破った。割れたガラスの破片と共に、切れたレイルの腕から流れ落ちた血が床に滴り落ちる。
リーアの頭の中で、不意に何かが弾けた。
「……いい加減にしなさいよ」
リーアは偽エドガルドを睨み付けた。
「あんたの本当の主は私なのよ」
静かに、けれど威厳をもってリーアは偽エドガルドに一歩、また一歩と近づいていく。
逆に、慄いたように偽エドガルドは一歩退いた。
「戻ってきて、一緒に戦って頂戴。でないと、グランシルドが滅びてしまうわ」
「……また勝手なことを。本当は、俺なんかいらないくせに!」
叫んだ偽エドガルドの顔の左側面が、不意に赤く照らし出された。
中央神殿の南正門付近で、火の手が上がっている。
割れた窓から、臭気が流れ込んでくる。煙と、血と、生臭い瘴気の臭い。魔物の大群が、中央神殿へと到達したのだ。
高い塔の窓から外へ目をやれば、中央神殿の左右をすり抜けるようにして、大量の魔物がセントリア山へ駆け上がろうとしているのが見えた。
あんな数の魔物、とても砦の神官兵だけでは対処できない……!
「ねえ、お願い。あなたの力を貸して!」
改めて振り向くと、偽エドガルドは無表情でじっとリーアを見つめていた。
「お願いだから、私のところへ帰ってきて! 早くしないと、皆死んじゃう!」
リーアは偽エドガルドに駆け寄り、その右手に握られている勇者の剣に手を伸ばした。だが、衝撃と共にリーアの手は弾かれてしまった。
「……どうして? 私があなたをずっと手放そうとしてきたから?」
偽エドガルドの目はリーアを見つめたまま、何も語らない。けれど、言い知れない寂しさと悲しさがそこにはあった。
「……そうだよね。あなただって傷つくよね。……酷いよね。グランシルドを守るために、ずっと頑張ってきたのに。……ごめんね」
リーアは両手を伸ばして、偽エドガルドの体にゆっくりと回した。
「ごめんね。私が悪かったの。許さなくてもいい。……でも、怒るのは私にだけにして。もう二度とこんなことにならないように、あなたがこんな扱いを受けるようなことにならないようにするから。……だから」
偽エドガルドの、体温を感じさせない体をきつく抱きしめる。
「お願い。あなたを失いたくないの」
リーアの頬を伝って流れ落ちた涙が、勇者の剣に落ちた。
世界が、漂白されたかのように、真っ白な光に包まれた。




