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③ お嬢様と元使用人

「……これぞまさしく、勇者の剣!」

 ウェラルドが絞り出すような声を上げたが、それは神聖なものを前にした厳かな声ではなく、突然の出来事に衝撃から立ち直れずにいる擦れた声だった。

「これが、勇者の剣……」

 リーアは、手に取ってくれと急かすように光を強弱させる剣を見つめた。

 ちょうどリーアの視線の高さに刀身がくるように剣先を上にして宙に浮かんだ勇者の剣には、精巧な飾りを施された柄と剣身の境目に、親指の先ほどの大きな丸い蒼色の宝石が埋め込まれている。

「へえ、こんな剣だったんだ。あのおじさんに渡された時は布に包まっていて、剣みたいとは思ったけど、実際中身を確かめなかったから分かんなかったわ」

 リーアは、顔も姿も曖昧な、けれど低くて優しい声だけは何となく覚えているジェイク・ハノンから剣を受け取った後の記憶を掘り起こしていた。

 あの時は確か、五歳か六歳ぐらいだっただろうか。幼児には重すぎる荷物を受け取り、よろめいて再び顔を上げた時には、その人の姿はもうどこにもなかった。とにかく、この手のものを、あの人の言った通り父にも母にも見つからないところへ隠してしまわなくてはならない。幼いリーアは周囲をうろうろとさまよった結果、普段は滅多に使われない客間の壁と飾り棚の間の隙間に隠しておいたのだ。

「そうだった。あそこに隠してたんだった」

 そう言いつつ、リーアは両手で剣の柄を掴んだ。

 その瞬間、剣身が青みを帯びた白い光を放った。眩しくて目を細めると、光は突然消え、濡れたような光を放っていた剣身は銀色の鞘に納まっていた。

「えっ、……どっから鞘が出たんだろう」

 驚いてまじまじと剣を見つめるリーアの耳に、父オズワルトの苦笑交じりの声が飛び込んできた。

「リーア、お前、このままじゃ勇者にされちまうぞ」

「……え?」

 耳を疑ったリーアは、苦々しげな笑みを浮かべる父を振り返った。

「言っただろう? それは“勇者の証”なんだ。その剣は、災厄を打ち払うために神から下されたものなんだから、勇者の血筋の中で、その剣を所持する者が勇者ということになる」

「ちょ、ちょっと、冗談言わないでよ」

 リーアは笑いながら右手をひらひらと振った。

「私は、まだ十五のいたいけな少女よ? 勇者の血筋がどうのこうのというより、私みたいなのが世界の命運を背負えるわけがないじゃない」

「いいえ。歴代の勇者に、女性がいなかったというわけではありません。それに、あなたより年少、十四歳で勇者の務めを果たされた方もいます」

 耳を疑うような台詞が聞こえた。

 振り向くと、ウェラルドはやや青ざめて、テーブルの角に寄りかかるように立っていた。

「でも、だからって私は……」

「オズワルト殿の言われた通り、勇者の証を持つ者が勇者なのです。不本意とは思いますが、今の時点ではあなたが勇者ということになります。私はその事実を、王と神殿に報告しなければなりません。……ですが、オズワルト殿。よいのですか?」

 ウェラルドの困惑した視線を受けて、オズワルトは問い返すように片方の眉を上げた。

「勇者は、オズワルト・フレイルの娘リーアだと報告しても構いませんね?」

「ああ」

 オズワルトの返答が、感嘆詞だったのか肯定だったのか量りかねて、リーアもウェラルドも彼の次の言葉を待った。だが、オズワルトは黙したまま、自分を食い入るように見つめる娘と神官を不思議そうに眺めた。

「まだ、何か?」

「あ、いえ。……では、そのように。失礼します」

 オズワルトの態度で、あの“ああ”は肯定だったのだ、と解したウェラルドは、一礼して踵を返し、去っていった。

 残されたリーアは、事の次第を理解すると、わなわなと全身を震わせた。

「あ、あの、……父様? ……今、父様が私に、勇者になれって言ったように聞こえたんだけど、勘違いかな? ……それとも空耳?」

 恐る恐るリーアが問うと、父は苦笑しつつ首を横に振った。

「お前が勇者になりたいのなら、それもよし」

「……じょ、……冗談じゃないわよ!」

 リーアは怒りを爆発させた。

「ならば、誰か別の“勇者の血筋”に剣を託すしかないな」

 呆気に取られる娘の前で、オズワルトは無造作に寝癖の残る頭を掻いた。

「それにしても、あいつにここを突き止められるなんてな。しかも、まだ幼い娘を騙して剣を渡していくとは、仕返しのつもりか」

「仕返し?」

「あ、いや、何でもない。だが、これだけは言っておく。ジェイクから剣を受け取ったのはお前だ。俺は絶対に剣を受け取らない。それだけは御免だからな」

 リーアの頭にみるみる血が昇り、何かが突き抜けていった。

「何でよ! いたいけな娘に、地獄みたいな戦場に行って戦えって言うの!?」

「だから、嫌なら他の奴に勇者の剣を渡して、代わってもらえばいいじゃないか」

 リーアは、あんぐりと口を開けて、暢気にそう言い放った父親を眺めた。

「あの……、娘の代わりに、自分が他の勇者の血筋を探しにいってあげようとか、そういう気持ちはないわけ?」

「ない」

 オズワルトは、きっぱりとそう言い放った。

「考えてみたら分かるだろう? 俺よりお前が行ったほうが、他の奴も代わりを引き受けてくれる率が高いって」

「……信じらんない」

 リーアは、ワナワナと拳を握り締めた。

 昔から、頼りなくていい加減な父親だと思っていたが、ここまでだとは思わなかった。悲しさと苛立ちが込み上げてきて、リーアは手にした勇者の剣を、父親の前のテーブルに叩き付けるように置いた。

「私は、勇者の血筋なんて知らないからねっ。世界を滅ぼしたくなかったら、父様が何とかしてよ」

 リーアはそう言うと、くるりと踵を返した。

「どこへ行くんだ? ……待て、リーア!」

 呼び止める父の声を断ち切るように、リーアは渾身の力を込めてドアを閉めた。

 その振動で、まだ窓枠に残っていたガラスの破片が落ちて砕ける音が響いた。


「誰かと思ったら、お嬢様じゃないですか。どうしたんです? こんな時間に」

 ドアを開ける音に続いてそう言った青年が誰か、リーアにはテーブルに突っ伏したままでも分かっていた。自分のことをお嬢様と呼んでくれる青年は、一人しかいない。

「旦那様と喧嘩して、家出なさったそうよ」

 からかい半分の優しい声は、青年の母の声だった。

「……喧嘩、ですか。でも、うちを頼ってくれるなんて嬉しいですね。ここへ来てくださるのも、随分と久しぶりじゃないですか」

 言葉だけではなく、本当に嬉しそうに弾んだ声が記憶よりも大人びていて、顔を上げたリーアは驚いて息を飲んだ。

「レイル。……随分立派になったのね」

「え? そうですか? でもまだ、しがない貴族の屋敷の門番でしかないんですけどね」

 そう言って照れたような笑みを浮かべたレイルは、リーアの向かい側の席に腰を下ろした。

 ふと、レイルの深い蒼の双眸が、日に焼けて精悍な印象になった顔の中で心配そうに曇った。

「……泣いていらっしゃったんですか?」

「まあね。……もう、今日という今日は、あのクソ親父には愛想が尽きたわ」

 リーアは握り締めた拳を震わせると、ふいに脱力したように再びテーブルに突っ伏した。

「また、何か不都合でもあったんですか?」

 レイルは気遣わしげにリーアの顔を覗き込んできた。心配そうに差し出してきた手が、リーアの髪に触れる直前で躊躇いがちに引っ込められるのをみて、ちょっとだけ残念な気持ちになる。

「それがね。今回は、暮らし向きのことが理由じゃないらしいんだよ」

 レイルの母ハンナはそう言うと、息子の夕食の支度を整えるために部屋を出て行った。

 外はもう真っ暗で、ハンナとリーアは先に食事を済ませている。

「じゃあ、一体何があったっていうんです?」

 レイルは心配そうに問いを重ねる。昔からレイルはリーアにとても優しかった。

 レイルは、フレイル家に代々仕えてきた使用人の子だった。レイルの父レノンはフレイル家に最後まで残った使用人で、フレイル家の家計の事情で暇を出した半年後に亡くなった。生き甲斐を失い、若くして抜け殻のようになったレノンは、ある朝ベッドで冷たくなっていたのだ。

 妻ハンナは、夫がそんな死を遂げたにも関わらず、今でも相変わらずリーアのことをお嬢様と呼び、気にかけてくれている。息子のレイルも、幼い頃からリーアの遊び相手になってくれ、体つきが大人と大差なくなった頃からは暇を見てはフレイル邸の力仕事を手伝いに来てくれた。ただ、二年ほど前に別の貴族の屋敷の門番をするようになってからは、すれ違うことが多くなり、こうやってまともに顔を合わせて会話するのは本当に久しぶりのことだ。

「……実は父様、“勇者の血筋”だったの」

「………は?」

 あまりに突然の告白に、レイルは思考が追いつかずにポカンと口を開けた。

「勇者の血筋とおっしゃいますと、あの、災厄を鎮められるという……?」

 リーアは一度だけゆっくりと頭を縦に振った。

「で、私が昔、そうとは知らずに“勇者の証”をある人から預かっていたの。それを持っている人が、勇者になるって決まりなんだって」

「……はあ」

「で、父様は、自分は剣を受け取らないっていうの。剣を受け取ったのはお前だから、お前が勇者になれって。勇者になるのが嫌なら、他の“勇者の血筋”に剣を渡すしかないって。私の代わりに、勇者になってくれる人を探すのも嫌だって言うの。信じられる?」

 レイルに訴えるうちに悔しさが込み上げ、再びリーアの目から涙が零れ落ちた。

「それは酷い!」

 レイルは椅子を蹴って立ち上がった。

「いくら旦那様でも、冷たすぎます。リーアお嬢様はこんなにも懸命に旦那様を支えて家計を遣り繰りなさっているというのに、この上、勇者の代わりを探せだなんて」

「でしょ? 酷いわよね。無責任にもほどがあるわ」

 リーアは憤慨して、テーブルに拳をドン! と叩き付けた。

「世界の命運がかかってるのよ。災厄を撃退しなければ、グランシルドも、その先にある楽園も滅びてしまう。父様はああ見えても、時々賭け試合で賞金をもぎ取ってくるぐらいだから、剣の腕は確かだと思うの。年は年だけど、男なんだし、充分勇者としてやっていけるわ。だから私、父様への期待を込めて、勇者の剣を置いて家出をしてきたの。……そうだわ! 父様が勇者として無事に災厄を退けて凱旋すれば、イストラート王家から名誉職を与えられて、一生優雅な生活を保障されることになるわ。没落したフレイル家も再興できる。ヒールデリア家のように、屋敷も庭園も立派に造り直せるのよ。そうすれば、フフフ……」

 まだ見ぬ明るい未来に、リーアは一人、ほくそ笑んだ。

 そんなリーアを見つめながら、レイルは複雑な表情を浮かべている。

 幼少の頃から、厳しい生活を余儀なくさせられてこられたのだから、致し方ないのかもしれない。だが、純粋な瞳で笑っていた少女が、いつの間にか計算高い女性へ変わっていく過渡期を見ているようで、物悲しさを感じているレイルのことなど、リーアは全く目に入っていなかった。


 日が落ち、周囲が闇に包まれても、娘は帰ってこない。

『父様がなんとかしてよ!』

 リーアが言ったことは、まるで子どもの我儘だ。嫌なことを嫌と言ってしまえば、逃れられると思っている。

 そう簡単に、勇者の剣から逃れられると思うなよ。

 オズワルトは、勇者の剣から逃れるために努力した。拭い去りたいような卑劣な手を使った。だから、二度とこの手に勇者の剣を持つつもりはなかった。

 ……それにしても、ジェイク・ハノンにこの家を嗅ぎつかれたのは誤算だった。

 しかも、何も知らない幼い娘を言いくるめ、ハノン家が勇者の血筋の呪縛から解放されるまで、オズワルトの気付かない場所に勇者の剣を隠させていたとは。

 オズワルトは深いため息を吐いた。

 娘が家を出て行ったときから、オズワルトは椅子から腰を上げていない。目の前のテーブルには、主人に置き去りにされた勇者の剣が青白い微光を放っている。

「……俺がお前の主人になると言えば、あの子はお前から解き放たれるのだがな」

 呟いたその声に反応したのか、勇者の剣の放つ光が一瞬だけ強くなった。

「だが俺は、お前の主人になるつもりは、全くない!」

 オズワルトがそう言った瞬間、剣はまるで人間が怒りに震えるかのようにカタカタとテーブルの上で動き始めた。

 一瞬、閃光が煌めいたかと思うと、光の筋を残して剣はテーブルの上から消えた。

 ズーン! ガシャン、パリン、…ガタン、……ドーン…

 破壊音が立て続けに、そしてだんだん遠ざかっていく。

 屋敷が奮え、揺れるシャンデリアから埃が舞い落ちてくる。

 あーあ。また、リーアに怒られちゃうなぁ……。

 舞い上がる埃の中で、オズワルトはがっくりと肩を落とした。

『この剣は、何があっても勇者の傍にあり、その身を守る。……というのは聞こえはいいが、実は勇者がその任を放り出さぬよう、監視しているのだ。何があっても追ってくる。嫉妬深い女のようにな』

 二十年前、勇者の剣の所有者だった伯父が苦笑いを浮かべながら語った言葉が、その時、オズワルトの脳裏に生々しく甦った。


 リーアは、レイルの家のベッドで横になっていた。

「私が突然押しかけたんだから、毛布を貸してくれれば床ででも寝るわ」

「いいえ、お嬢様にそんな真似をさせるわけにはいきません」

 レイルは頑として聞き入れず、リーアにベッドを明け渡してくれた。

 その彼は今、居間の床で寝袋に包まっている。

 ……お嬢様、かあ。

 何代にも渡って仕えてくれた使用人を、経済的な理由で解雇したのはフレイル家なのに、レイルもハンナも未だにリーアのことをそう呼んでくれる。当のフレイル家はとっくに貴族としての体面すら保つことができなくなり、生きていくのがやっとの暮らしが続いているというのに。

 ああ、でも父様が勇者になってフレイル家を再興できたら、レイル達にもまた、うちで働いてもらえるわ。そしたら、気前良く給金、奮発しなきゃ。

 そう思うとほんの少しだけ、父親に苦労を押し付けた心苦しさが和らいだ。

 ……父様が勇者として旅立つまで、家には帰らずにいよう。私が戻ったら、あの父様のことだもん。きっとまた私に全部押し付けようとするに違いない。でも、ここにずっといるわけにもいかないし。

 ここに置いてくれと頼めば、レイルもハンナも絶対に嫌とは言うまい。むしろ、心から歓迎してくれるだろう。

 けれど、それではリーアの気が済まない。

 いっそ、ハンナの娘ということにしてもらって、どこか貴族の屋敷の住み込みで働けないかな。料理や洗濯、掃除の腕なら、そこいらの使用人に負けない自信はあるし。

 そんなことを考えながら、リーアはいつしか眠りに落ちていった。

 と、その時。

 ガッシャーン!

 突然、ベッドの脇の窓ガラスが砕け散り、寝ているリーアの上に降り注いできた。

 リーアは目を剥き、文字通り飛び上がった。

「きゃっ、……何?」

 毛布の上に飛散したガラスの欠片が、青白い光を受けて煌めいている。

 その上、天井にほど近い場所に、光を放つ何かが浮かんでいる。

 細長いその物体は、逃げた罪人を追い詰めた役人の目のように、冷たい光を放ちながら、じっとリーアを見下ろしている。

 毛穴という毛穴から、汗が噴出した。

「ぎゃああああっ!」

「ど、どうしました、お嬢様!」

 絶叫を聞いて部屋に飛び込んだレイルが見たもの、それは、頭から毛布を被り、丸くなって震えているお嬢様と、その上で嬉しげに光を点滅させる一振りの長剣だった。

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