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29 お嬢様と迫る終焉

 中央神殿は、最悪の状況の中で出来うる限りの手を打った。

 各神殿の水鏡を通じて、各国に災厄の本格化を伝え、最高神官長名で軍の派遣要請を行う。同時に中央神殿の神官兵の大多数をセントリア山の砦に集結させる命令を下した。まだ各地の街や村に残っている人々に関しては、地下の壕に避難するか、各地の兵の駐屯地まで自主的に避難するよう呼びかける。

 もうどこの街や村が襲われたからといって、助けに向かっている余裕はない。グランシルドが課せられた本来の使命、楽園を守るために、セントリア山の砦を死守するしかない。

 だが、本来ならその中心に立つべき勇者はおらず、神の力をもって災厄を鎮めるべき勇者の剣も失われたままだ。

「……全ては、私の責任です」

 蝋人形のように顔色を失ったまま、ラルフ神官長は水鏡の前に立ち尽くしている。

 青白い光を放っている水鏡には、大陸中央の湖が映っていた。湖畔の岸辺が大きく地割れを起こし、そこに流れ込む湖の水が濁流となって大地を浸食していく。なぎ倒された木々は枯れ、黒ずんだ大地の上を無数の魔物が蠢いている。

 できうる全ての手を打ち終えたラルフ神官長は、オズワルトとリーアを水鏡の間に呼んだ。呼ばれた理由は、リーアにも何となく分かった。二人に共通するもの、それは、父娘という関係だけではない。この中央神殿で、勇者となれる資格のある唯二人の人物だった。

「今になって後悔しても遅いのは分かっています。けれどなぜ、リーア殿が勇者の剣を持ってここへ現れた時、他の者に勇者の剣を託すため旅立つことを許してしまったのか。これから起きる悲劇は、全て私の責任です」

 ラルフの言葉に、リーアは胸を締め付けられるような気がした。

 彼は、リーアに罪の意識を感じさせないよう、全ての責任を自分が被ろうとしている。

「いいえ、違います。私の、……いいえ、勇者の血筋全員の責任です」

 リーアは苦しくて仕方がなかった。泣きたくて、けれど泣く権利すら自分にはないように思えた。

 自分さえ、犠牲になっていれば。

 けれど、なぜ自分だけが勇者という重すぎる役目を引き受けなければならないのか。その役割の重さはさることながら、自分だけ、という理不尽さにリーアはどうしても納得できなかった。

 なぜ、これほど勇者の血筋の誰もが、グランシルドを救う勇者になり得る存在であるという意識が希薄だったのか。

「私、ここに戻ってきてからずっと考えていたんです。どうしてこんな事になってしまったんだろうって。そもそも、勇者の剣がジェイク・ハノンの手を離れて十年近くもフレイル邸の家具の裏で埃を被っていたのに、誰もそんなこと知らなかったんです。私がそこに隠したことを忘れていたのが問題だったんですけど。でも、それっておかしくないですか?」

「リーア、今はそんなことを言っている場合じゃ……」

「今だから、言っておかなきゃいけないの!」

 言葉を差し挟んできた父に、リーアは逆に言葉を浴びせた。

「私は、自分が勇者の血筋だなんて知らなかった。誰もそんなこと教えてくれなかったから。他の親戚の人達は、父様が次の勇者になるものだって信じきっていた。けれど父様は、自分がその役目を拒否したら、他の誰かが引き受けてくれると思っていた。そんなのっておかしいと思わないの? グランシルドの存亡がかかっているっていうのに、そんないい加減な他力本願で良いわけ?」

「……良くはないだろうな」

 オズワルトは、困ったように眉を下げた。

「勇者の座を巡って勇者の血筋同士が血を流すことだってあったくらい、勇者になることは名誉なことだったはず。でも、いつの間にかそんな名誉よりも、今目の前にあるささやかな幸せが大切になってしまったり、名誉を手に入れるために辛い思いをするくらいなら今のままでいいって、そんな意識しか私達は持っていなかった。こんなんじゃ駄目なのよ」

「それは、我々神殿側の責任でもあります」

 リーアの熱弁を黙って聞いていたラルフが、静かに口を開いた。

「これまで百五十六代に渡って、勇者の剣は滞りなく次代の勇者に引き継がれてきました。故に、我々は勇者の血筋の自主性にお任せする、という立場を貫いてきたのです。ですが、それは甘え以外の何物でもありません。勇者の血筋である全ての御方に、次代の勇者になり得る可能性があることを意識していただくべき体制を整え、勇者の剣を厳重に保管しておくべきだったのです」

 リーアは深く頷くと、ラルフ神官長の皺の寄った大きな手を取った。

「この災厄を乗り切ったら、ぜひ、その体制を構築してください。もう二度と、こんなことが起こらないように」

 リーアを見つめ返す濁りのない澄んだ湖のようなラルフの目が潤んだ。

「そうですよ、最高神官長様。それが、あなたの責任の取り方です」

 リーアの背後から、オズワルトがそう呼びかける。

「……分かりました」

 答える声は掠れていたが、そこには明確な決意が滲んでいた。

「お辛いでしょうが、耐えて下さい。きっと、これから起こる被害はグランシルド史上未曾有のものになるでしょう。この災厄を乗りきれたとして、その後この世界がどうなっているのかは誰にも予想がつきません」

 オズワルトの言葉は大袈裟ではない。四王国に五つの神殿、というグランシルドの在り方すら維持できるかどうかも分からない。

 この中央神殿ですら、今回の災厄に耐え切れない可能性だってあるのだ。本来、各国の軍との合同軍で災厄に立ち向かっていた神官兵隊は、そのほとんどがセントリア山の砦に集結している。つまり、中央神殿の守りは従来とは比べ物にならないほど薄くなっているのだ。

 グランシルドがこれほどの危機に陥っているというのに、勇者の剣を持ち去った偽エドガルドは依然行方知れずだ。しかも、勇者の血筋の誰かであることは間違いなのだが、それがどこの誰かであるのか未だに判明していない。

 きっと、偽エドガルドが言ったことは間違いではないのだろう。勇者の血筋の誰かが、正式な婚姻関係ではなかった女性に産ませ、その後も認知しなかった子。もしくはその逆で、正式な婚姻関係にない誰かの子どもを身ごもり、密かに産み落とした子。

 でも、それなら何故彼は、オズワルトの子エドガルドを騙ったのだろうか。

「それにしても、奴は一体、どこにいるんでしょうね」

 同じことを考えていたのか、オズワルトが不意にそう口を開いた。

「死んだ息子の名を騙るとはいい度胸だ。一度その面を拝んでやりたかったが」

「いい人そうに見えたんだけど、人は見かけには寄らないのね」

 リーアはエドガルドの爽やかな笑みを思い出して、むしょうに腹が立った。と同時に、世界を救う至宝でありながら、勇者の血筋にいいように玩ばれている勇者の剣が不意に可哀想になってきた。

「でも、勇者の剣も哀れよね。これまで、百五十六回も災厄を鎮めるためにこき使われた挙句、今度の勇者の血筋にはいらないいらないってたらい回しだもん。嫌にならずに私に付き合ってくれただけ、今になって有り難かったと思うわ。それなのに、今度は勇者になりもしない奴に連れて行かれて……」

 怒りのあまり、神官長の前だということも忘れてぶつくさと文句を垂れ流していたリーアは、ふと父を振り返った。

「勇者の剣って、どこにいても持ち主の所へ帰ってくるのよね?」

「ああ」

「でも、その持ち主って、どうやって判断しているの?」

「そりゃあ、勇者の剣を持って、自分が勇者になるって言った奴のことを持ち主だと認識するんだろう」

「その人が、こんな災厄を目の前に何もしなくても?」

「勇者の剣は、勇者になる気のないお前にずっと付き合ってきたんだ。どんな持ち主であろうと関係ないんじゃないか?」

 そうか、そうだよね、とリーアはうな垂れる。いっそ、今の持ち主に愛想を尽かしてここに戻ってきてくれないかなと期待したのだが、その可能性はなさそうだ。

「どんな人間でも、持ち主は持ち主か。そうよね。今更、戻ってきてくれなんて虫が良過ぎるわよね。散々、邪魔者扱いしてきたんだもん。悪かった、心を入れ替えるから許してくれなんて言っても無駄よね」

「そんなことを言って戻ってくるくらいなら、とっくにお前の手元に戻ってきてるはずじゃないか」

 オズワルトの言うとおり、偽エドガルドが行方不明になってから、リーアは何度も勇者の剣に戻ってくるよう呼びかけてきた。それでも何の音沙汰もないということは、勇者の剣がすでに偽エドガルドを主と認識していることを意味する。

「そうなんだけど……。取り戻すことができたら、今からでも何とか被害を減らすことができるんじゃないかって思ったの」

 でも、勇者の剣もその持ち主も、どこにいるのか全く見当もつかない。

 リーアが深いため息を落とした時だった。

 突然、水鏡の間の扉が激しく叩かれ、返答する間もなく扉が開かれた。

「失礼します。旦那様、お嬢様!」

 飛び込んできたのは、軽武装したレイルだった。

「大変です。祈りの塔の最上階に、突然何者かが立て篭もったのですが、そいつが……」

 レイルの表情は、明確にリーアに対して何かを語っている。

 そう、あいつの顔は、リーアとレイルしか知らない。

「偽お兄様……?」

 リーアの声に、レイルは唇を噛み締めたまま頷いた。

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