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26 お嬢様と来訪者

 リーアが眠っている間に、事態は大きく動いていた。

 ドワラ村に出現した魔物と戦ったカシュー・グラード隊長率いる神官兵は、生き残りの村人を連れ、一度中央神殿に戻った。負傷した神官兵と村人を神殿の各担当に引き渡すと、カシューは今回の出撃の報告のためラルフ神官長の元を訪れた。その報告の際、リーアがヘリオ村まで戻ってきていることを告げたのだという。ラルフ神官長は、リーアに一刻も早く神殿に戻るように伝えるよう、カシューに言伝をした。

 その後、カシューは神官兵を率い、慌しくヘリオ村へと引き返した。魔物の出現地域が、だんだんとヘリオ村に近づいているため、警戒網を敷く必要があったのだ。そして、ラルフの言伝を伝えるためにリーアを探していたカシューは、リーア達が泊まっている宿屋を探し出した。だが、リーアが眠っていたため、代わりに応対したレイルにラルフ神官長の言葉を伝えた。

 レイルはカシューがエドガルドのことを全く知らないことに驚いた。だが、きっとエドガルドはカシューと入れ違いになってしまったのだと思い直し、リーアの代わりにその兄が勇者の剣を持って中央神殿に発ったと告げた。

 カシューはすぐにその報告のため、部下を中央神殿まで戻らせた。だが、中央神殿には、勇者の剣を持ったエドガルドなる人物はまだ到着していなかった。不審に思ったラルフ神官長は、別の隊長が率いる神官兵の一団に命じて中央神殿からヘリオ村までの間をくまなく探させたが、それらしき人物を発見することはできなかった。

 エドガルド・ガードナーは、勇者の剣を持ったまま、忽然と姿を消してしまったのである。


「一体、何が起こったというのでしょう」

 柔和で優しい印象しかなかった最高神官長ラルフの顔に、今は厳しさが滲んでいる。

 その表情を見て、リーアは改めて、とんでもない事態が起こっていることを悟った。

 カシューに連れられて中央神殿に戻ったリーアは、兄の姿を探した。しかし、お前の代わりに世界を救うと頼もしく笑ってくれた兄はどこにもいなかった。

 お兄様。一体、どこに行ってしまったの?

 すでに、勇者の剣の所有者は、リーアからエドガルドに移ってしまっている。だから、いくらリーアが約束の日までに中央神殿に戻っても意味がない。

 ラルフ神官長が待てる限界と定めた日が過ぎても、勇者は神殿に現れない。それどころか、勇者の剣は神殿がその存在を把握していない男の手に渡ったまま、その男と共に行方知れずになっている。

 その責任を問う声が、神殿内で囁かれるようになった。

「そもそも、勇者の剣を持参したあの少女に、猶予期間を与えて中央神殿から出した神官長様のご判断は正しかったのでしょうか」

「いや。まず、前勇者から後継にと選ばれておきながら、その任を放棄したオズワルト・ガードナーこそ全ての元凶……!」

「何にせよ、あの時、有無を言わせず儀式を執り行ってあの少女を勇者にしておけばよかったのだ」

「ご冗談を。素性の知れない男に勇者の剣を渡して、今日こんにちの事態を招いておるのはあの娘ですぞ。そんな無責任な人物に、勇者となられては困る」

 数々の声は、自然とリーアの耳にも入ってくる。

 私はただ、本当に勇者に相応しい人に、勇者になってもらいたかっただけなのに。

 リーアは、ただ耳を塞いで、兄が一刻も早く中央神殿に現れてくれるのを祈ることしかできない。

 中央神殿は、災厄との戦いの際にはグランシルド防衛の本拠地となる。そのため、神殿の敷地は広大で、世界四王国の軍が駐留できるよう宿営施設や医療施設も完備され、周辺の村々の住民を受け入れる体制も整えられている。

 近隣の村から、魔物の襲撃から辛くも生き残った人々が、日に幾度となくやってくる。カシュー達神官兵に守られるようにして中央神殿に辿り着いた彼らは、皆、生気のない恐怖を貼り付けたような顔をしていた。

 災厄が終わるまで中央神殿に滞在することになったリーアは、自然、そういった災厄の被害者達を目にする。

 ……あなた達を助ける力が、私にはあった。……あったのに。

 軽くなってしまった背中。勇者の剣の重さと共になくなった、勇者としての重責。

 けれど、改めて思い知る。自分が今まで持っていた力の大きさに。そして、本来それが果たすべきグランシルドの民を救う使命ではなく、ただ自分がその重すぎる任を放棄するためだけに使ってきたことに気付いて、リーアは愕然とした。

 その間にも、被害はこんなにも広がっていたというのに。

 後悔が胸を締め付ける。どんな言い訳も、自分の責任を回避する正統なものにはなりえない。

 来ない兄を待ち続けて五日目。

 中央神殿を訪れた人物がいた。


「……父様」

 中央神殿に突然現れたオズワルトの姿に、リーアは目を見張った。

 突然の父の来訪もさることながら、彼の凄まじい風体に愕然としたのだ。

「途中、村が魔物に襲われているところに行き当たってな。巻き込まれたという訳だ」

 自分のなのか、他人のなのか、はたまた魔物の返り血なのか、オズワルトはほぼ全身が乾いてこびり付いた血と、泥と汗でドロドロになっていた。

 オズワルトが来た、という知らせを受けて、滞在している中央神殿の本殿を出て、更に広い敷地を小走りに駆けてようやく見つけた父の姿は、兵の宿営地に近い西門を入ってすぐの厩舎の近くにあった。

「こちらへどうぞ。お着替えをご用意しております。ご希望なら、大浴場をご使用ください」

 少年の神官見習いが駆け寄ってきて、オズワルトにそう声を掛けた。

「ああ、すまんな。リーア、説明は後だ。こんな格好で、神聖な本殿内をうろうろする訳にはいかないからな」

 血に濡れたマントや手袋を手馴れた様子で外し、神官見習いが差し出す籐の籠に放り込む父は、これまでの父と同じ人物だとは思えない。

「本殿で待っていてくれ」

 短く言うと、オズワルトは案内の神官見習いを置いていく勢いで歩いていく。

 その姿からは、日頃の若隠居ならぬ道楽オヤジの姿は想像できない。しかも、周囲にいた若い神官兵たちは、憧憬の念を込めて父の後姿を見送っている。

「すごいよな。たった一人で、五匹の魔物をあっという間に斬り捨てたってさ」

「へぇ。何者だ?」

「あの人が、オズワルト・ガードナーだよ。前勇者アルバート・ガードナーから、勇者の剣を託されたっていう……」

「そうなのか。でも、今頃になって何をしに来たっていうんだ?」

「娘が心配になったんだろ? ほら……」

 囁き交わされる声に思わず振り向くと、こちらを見ていた視線がシラーッとかわされる。

 今頃になって何をしに来た? 本当に、それが聞きたいわ。世界中の誰よりも、私が一番それを聞きたい。

 突然の父の来訪と、普段とはかけ離れたカッコいい姿に騙されそうになっていたリーアだったが、彼らのお陰で目が覚めた。

 そうよ。何よ今更!

 リーアはくるりと踵を返すと、本殿への道を戻り始めた。

「お嬢様!」

 途中、兵舎の一角からレイルが飛び出してきた。彼は、神官兵の身の回りの世話をする雑用係を買って出ていた。彼の腕なら神官兵に引けは取らないが、神官兵となるには神官として修行を積まなければならない。災厄が本格化し、各国からの軍が到着したら、イストラート軍の末端に加えてもらうつもりなのだそうだ。

 一方リーアは一応、貴族の娘だ。中央神殿では、賓客のもてなしを受けている。だが、一日中何もすることがないので、膨大な蔵書を誇る図書館に籠もる日々を送っていた。

「お聞きになりましたか? 旦那様が……」

「うん。神官見習いの一人が、父様が来てるって図書館まで知らせに来てくれたの。さっき西門の前で会ったわ」

 では、やはり本当に旦那様でしたか」

 レイルも、今頃になって何をしに来たのかと思っているらしい。複雑な表情の彼は、リーアに何と言葉を続けていいか思案している様子だった。

「リーア殿」

 本殿の方向から、オズワルトの来訪を知らせに来てくれた神官見習いが小走りにやってきた。

「最高神官長様がお呼びでございます」

「ラルフ様が?」

 これは、父の来訪と何か関係があるな、とリーアはピンときた。父が本殿で待つように言ったのも、ラルフ神官長を交えて何か話があるからに違いない。

「レイルも一緒に来て」

「分かりました。持ち場を離れると上司に伝えてすぐに後を追いかけますから、お嬢様はどうかお先にお戻りください」

 リーアが頷くと、レイルは兵舎の方向へ素早く駆けていった。

 貴族のお嬢様は賓客だが、使用人の自分は違う。だから、何か仕事をしなければ。そう言って、彼は雑用係として働き始めた。

 武器防具の手入れ、食事の支度と後片付け、寮内の掃除洗濯に加え、各国の軍を受け入れる宿舎の準備もしているという。魔物に襲われて命だけは助かった村人達の受け入れのため、従来からいた雑用係の人手が足りず、力仕事も多いため、レイルの加入はとてもありがたがられているのだそうだ。

 私だって、家事ぐらいはできるのに。

 けれど、貴族のお嬢様はどうか貴賓室で静かにお暮らしください、と無言の圧力を受けたら、そうするしかない。

 そうよ。貴族である私に雑用なんてさせていることが知れたら、イストラート王国に対して申し訳がたたないって神官長様もおっしゃってたじゃない。

 兵舎を本殿まで伸びる小道を歩きながら、周囲を行き交う人々に目をやる。神官兵の姿に混じって、粗末な服を着た老若男女様々な年代の人々が働いている。

 片足を引きずりながら水の入った桶を運ぶ男、小さな子どもを従えて洗濯物を干す女、曲がった腰で薪を割る老人、赤子を抱えて日陰で子守唄を歌う老女。皆、災厄のせいで故郷を失った難民達だ。

 滞在している間の支給品として、神殿から支給された神官見習いの服を着ているリーアが勇者の血筋であるということに、彼らは気付かない。神官見習いの一人だと思われているのか、ありがたがって頭を下げる者もいる。

 私の正体を知ったら、彼らはどうするだろう。

 不意に恐怖に駆られて、リーアは本殿までの道を駆け戻った。

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