25 お嬢様と理想の勇者
「……代われるものならって、あなたは?」
そう問うリーアの声は擦れていた。
まさか、勇者の血筋の誰か……?
不安に押しつぶされそうな闇の中に、一筋の光明が差したような気がした。
残る勇者の血筋で、この青年に該当するとすれば、ローエン家の主筋でアーサーと異母弟となるアレックスかイザークのどちらかになる。
だが、青年は予想とは全く異なる名前を口にした。
「俺? 俺は、エドガルド・ガードナーだ」
……え? ガードナーって。
確か、存命のガードナー姓の者には、全て接触済みのはず。
振り向くと、同じ疑問を抱いたのだろう。レイルが素早く羊皮紙を取り出して広げた。リーアも横からそれを覗き込む。
前勇者アルバート・ガードナーとその弟セシルの子孫には、リーア達は全員に会っている。後は、アルバートの父オルバスの兄弟の家系だが、ガードナー姓はオルバスの他は兄のヘイルのみ。そのヘイルの子は一人娘で、ローエン家に嫁いでいる。つまり、その子からはローエン姓で、ガードナー姓ではない。
ちなみに、オルバスの姉カーシャが嫁いだのがハノン家。つまり、六親等目にあたるジェイクが亡くなり、アルバートから数えて六親等以内の血筋が絶えて、晴れて勇者の血筋から卒業した例のハノン家だ。
レイルは不審感を顕わにして羊皮紙から顔を上げると、エドガルドを睨み付けた。
「中央神殿の勇者の系図には、あなたの名前はありませんが」
「えっ、そうなのか? ……そうか。じゃあ、きっと親父が俺の出生を神殿に届け出ていなかったんだろう。ひっでぇなぁ」
エドガルドは一瞬表情を曇らせると、すぐに陽気な表情に戻って頭を掻いた。
「俺の両親は正式に結婚してたわけじゃなかったから、神殿が俺の存在を把握してなかったとしても不思議じゃない。それでもあくまで疑うっていうんなら、俺にその剣をちょっと持たせてみてくれないか?」
リーアは少し考え、エドガルドの目をじっと見つめた。なぜか既視感さえ覚えるその黒い瞳は、嘘を吐いているようには見えなかった。
「お嬢様……!」
無言でエドガルドに剣を差し出したリーアを止めるようにレイルが囁いたが、リーアは剣を持つ手を引っ込めなかった。
エドガルドは一度、いいのかい? と確認するようにリーアを見つめ返す。
リーアが小さく頷くと、エドガルドは解けるような優しい笑みを浮かべ、それから両手で剣をしっかりと掴んだ。
その瞬間、勇者の剣はほのかに青い光を帯び、まるでリーアに甘えるときのようにその光を点滅させたのだった。
「……本当なのね」
「信じてくれたようだな。……で、どうする? 君が勇者になる? それとも俺が代わってやろうか」
エドガルドの口調は軽いが、その目は誠実そうに見えた。年齢は二十代半ばほどで、ノスタニアで再従兄妹のフリックに会って以来、リーアが思い描いていた理想の勇者に相応しい外見と雰囲気を持った若者だ。
「一つ、訊いてもいいですか?」
レイルは丁寧な言葉遣いながら、やや棘のある口調でエドガルドに訊ねた。
「何だい?」
「あなたが勇者の血筋だとして、どういう素性の方なのか聞かせていただきたいのですが」
エドガルドは頭を掻き、それからリーアとレイルが耳を疑うようなことを言った。
「オズワルトって人を知ってるかい? 前の勇者の甥になる人なんだが」
「え? ……ええ、まあ」
知っているも何も、娘がここにいるんですが、とリーアは心の中で呟いた。
「俺は、そのオズワルトの息子なんだ」
一瞬、リーアの思考が停止した。
「えっ。ええええええええーっ!?」
零れ落ちそうなほど目を見開いてレイルを振り返ると、レイルもかなりの衝撃を受けたらしく、顔を強張らせたまま何も言えないでいる。
当の本人のエドガルドは、ポカンとした表情でリーアとレイルを代わる代わる見つめた。
「え? 何か、マズいことでもある? オズワルトの息子って」
「……マズいって言うか、私も、オズワルトの娘なんですけど」
今度は、エドガルドの目が大きく見開かれた。
「ええっ、そうなの? 君が? ……そっか。親父の奴、あれから結婚したんだ」
エドガルドの言う“あれから”というのがリーアには分からなかったが、とりあえず頷くと、エドガルドは深く頷いて、リーアの頭の天辺から爪先までを何度も見つめた。
「へえー……。俺にこんなに可愛い妹がいたなんてなぁ」
そう呟いたエドガルドはふいに表情を緩ませ、いきなりがばっとリーアに抱きついてきた。
「うわっ!」
「そうかぁ。俺の妹だったんだなぁ。勇者になろうなんて大した度胸だ。偉いぞ、さすがは俺の妹だ」
「お……、お兄様……?」
「よせやい、お兄様なんて。兄貴で充分だよ。それともお兄ちゃんのほうが呼びやすいか? いやいや、照れくさいなぁ。そうか、俺、お兄ちゃんだったんだぁ」
エドガルドの表情は緩みまくっていて、リーアの顔をしげしげと見つめながら、頭をわしわしとなんども撫でてくる。
リーアは戸惑いながらも、兄だというこの男の顔をじっと見つめ返した。そう言われれば、目元と体形が少し父と似ているような気がした。この男の目に既視感を覚えたのは、そういう訳だったのだ。
と、突然、レイルが何の前触れもなくいきなり抜剣した。
「レイル!?」
「あなたが勇者として相応しいかどうか、試させていただきたいのですが、宜しいですか」
そう言うなり、レイルは剣を構え、切っ先をエドガルドに向けた。鋭い目つきと険しい表情は、ザッカリアで裏組織を相手にしていた時と同じだ。
「フン、面白い」
エドガルドは鼻を鳴らすと、リーアに勇者の剣を押し付けるように渡し、すらりと自分の剣を抜いた。
「ちょ、ちょっと、二人とも……」
制止しようとするリーアの声を無視して、素早く繰り出された二人の剣は音高くぶつかった。始まってしまった攻防を、リーアはただおろおろしながら見守ることしかできないでいた。
二人の手合わせは、まるで剣の舞を見ているかのようだった。鮮やかな攻撃、卒のない防御、流れるような身のこなしから繰り出される斬撃は素早く、リーアはその剣の動きを目で追うだけで精一杯だった。
やがて、乾いた音を立てて剣が地面に突き刺さり、もう片方の剣が相手の喉下に突きつけられた。
「……どうだ。俺は勇者に相応しいか?」
荒い息を吐きながらそう言ったのは、レイルの喉元に切っ先を突きつけているエドガルドだった。
「ええ、合格です」
そう答えたレイルは、エドガルドが剣を引くと、地面に落ちた自分の剣を拾い上げて鞘に収め、リーアを振り返った。
「お嬢様。どうなさいますか?」
その時、リーアはレイルの意図を察した。
彼は、エドガルドが勇者の剣を託すに相応しい人物であるかどうか、身をもってリーアに見せてくれたのだ。
ザッカリアで、リーアがレイルを助けるために自分は勇者だと宣言してしまったことを、きっと彼はずっと悩んでいたのだ。魔物に襲撃された村の惨状を目の当たりにし、一度はした決心を揺るがせているリーアを側で見ていれば、尚更だろう。
エドガルドが現れたことで救われたのは、リーアだけではなかったのだ。
「お兄様、お願いします」
リーアが改めて勇者の剣を差し出すと、エドガルドは自分の剣を鞘に収め、両手でしっかりと受け取った。
「俺がお前の代わりに、この剣で世界を救ってやるからな」
彼の言葉に呼応するように、勇者の剣が一際鮮やかな光を放った。
……私の役目は終わった。
思い描いていた理想の人物に勇者の剣を託すことができたと、リーアは満足感に浸りながら、出会ったばかりの兄の勇姿を誇らしく見つめていた。
エドガルドは、リーアから勇者の剣を受け取ると、すぐに中央神殿へと発った。
その姿を見送った後、リーア達はヘリオ村の宿屋で荷を解いた。
これから先は、勇者の剣なしでイストラートの王都まで戻らなければならない。あるいは、危険な旅を避け、堅固な城壁を持つ中央神殿に身を寄せ、災厄が過ぎてから家に戻ることにしてもいいだろう。
その時は、父の元に兄を連れて行こう、とリーアは決めた。
ずっと隠し続けていた腹違いの息子が私と一緒に戻ってきたら、父様ったらどんな顔をするかしら。
その瞬間の父の様子を想像するだけで、リーアは笑みがこぼれそうになる。
可愛い妹。エドガルドはそう言ってくれた。爽やかな彼の笑顔が、今も脳裏に焼きついている。
リーアはずっと、兄弟が欲しいと思っていた。兄でも姉でも、弟でも妹でもいい。そうすれば、どん底の貧乏生活を送っていても、今よりずっと楽しくて心強いはずだとそう思いながら暮らしていた。
その心の隙間を埋めてくれていたのは、レイルだった。だが、彼はどれだけリーアに優しくしてくれても、主家の娘と使用人の息子の区別をつけ、ある一定の距離から決して踏み込もうとはしない。それは、身分差や主従関係を考えると当然のことなのだが、リーアは寂しさを感じずにはいられなかった。
だが、エドガルドはリーアが自分の妹だと知った瞬間、抱きしめてくれた。それだけで、リーアの心の中の空いた部分が埋まったような気がする。
「お嬢様、どうなさいますか? やはり、今から二人だけでイストラートへ戻るのは危険だと思うのですが」
「そうだね…」
上の空で答えてから、リーアはふと我に返った。
「でも、あの父様を、災厄が終わるまで一人にしておいて大丈夫かな」
「家事の面でしたら、俺の母も時々手伝いに伺うと言ってましたから大丈夫でしょう。けれど、旦那様はきっと、お嬢様のことを心配なさるでしょうね。他の人が勇者になったのに、お嬢様が帰ってこないとなりますと」
「そうね……」
他の勇者の血筋に勇者の剣を託した後、どこかで野垂れ死にしたのではないかと勘違いされるかも知れない。
「中央神殿の水鏡なら、イストラートの神殿と通信ができます。中央神殿で災厄をやり過ごすのなら、ウェラルド様に言伝をなされてはどうでしょう」
「そうだね。じゃ、そうしようか」
リーアがそう決めたのには、理由があった。
中央神殿に向かう途中で遭遇して以来、魔物は全て勇者の剣で消滅させてきた。幾度も襲われるうちに見慣れたとはいえ、やはり災厄の生み出す猛獣を見ると、本能を揺さぶられるほどの恐怖を感じる。そんな魔物を相手に、レイルが勇者の剣を持たないリーアを守りながら、イストラートの王都まで無事に戻れるという確証は、どうしても持てなかった。
「それにしても、お嬢様。本当にお疲れ様でした。よくここまで頑張りましたね」
レイルにそう労いの言葉をかけられて、リーアはこれまでの疲れが一気に襲ってきたように思えた。
「うん。……ほんと、遠くまで来たよね」
ひと月半前までは、日々の生活を送っていくだけで精一杯だった。いきなり勇者の血筋だと言われて、しかもその勇者の証は自宅の棚の後ろに押し込まれたまま十年近く埃を被り、存在自体を忘れ去られていた。
生まれて一度も王都を出たこともなかったのに、父の故郷アークラッド地方、そして大陸中央の中央神殿、大陸の北ノスタニアを東から西へと横断した。そして父と離れたまま、人生で最初の災厄を迎えようとしている。まさか、こんな大冒険を経験することになろうとは、リーアは夢にも思っていなかった。
だが、やはり神様はちゃんと見ていてくれる。最後の最後、中央神殿を目前にしたこの土壇場で、リーアは抱えていた重すぎる荷物を、兄という頼もしい存在に渡すことができたのだから。
気が緩むと、急に眠気が襲ってきた。
「……う様。お食……、……しますか?」
レイルの声が遠のいていく。
「うーん……」
声にならない言葉を発しながら、リーアは心地よい夢の世界に舞い降りていった。
「……様、お嬢様!」
乱暴に揺すり起こされて、リーアはぱっちりと目を開けた。だが、目は開いても焦点は定まらない。まだ意識は半分夢の世界に足を突っ込んだままだ。
「……に?」
「今、カシュー・グラート隊長が来られて、まだエドガルド様が中央神殿に到着されていないというのです。このヘリオ村から中央神殿までの道中、何かあったのではないでしょうか」
目蓋が重くて、いくら目を擦っても思うように開いてくれない。それでも、リーアはそのまま再び眠りに落ちてはいけない事態が起こったことは察した。
「何かって、あのお兄様に何が? レイルよりも強くて、勇者の剣も持っているのに……」
「とにかく、一度中央神殿に来るよう、神官長様がおっしゃっているそうです。外で、隊長が待ってくださっています」
リーアの胸の中で、言い知れない不安が膨らんでいく。一体、兄の身に何があったというのだろう。
――ごめん、ごめん。ちょっと寄り道しただけなんだ。
あの陽気な声でそう言い訳をするエドガルドの姿を想像して、リーアは少しだけ落ち着きを取り戻した。
自分はあの立派な兄に全てを託したのだ。もう、自分のこと以外、何も案ずることはなくなった、はずなのに……。




