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24 お嬢様と迫り来る災厄

 リーアの呼びかけに応えて飛んできた勇者の剣が破壊したのは、リーア達が食事をとっていた飲食店の二階の壁だけだった。といっても、壁に開いた穴はそれなりに大きく、修繕には大規模な工事が必要なことは明らかだった。

 だが、店の主人は事情を知ると、修繕費は神殿に請求するから大丈夫だと笑って許してくれた。昔から、こういう勇者の剣に関する事故は、神殿が責任を持つ仕組みになっているのだという。

 神殿には、財力に応じて人々が寄進をしている。つまり、グランシルドの人類全体で、災厄を乗り切るための費用を負担しているようなものだ。

「ということは、うちやレイルの家に空いた穴の修理費も、当然神殿に請求していいのよね?」

 助かった、これで冬が来るまでに屋敷を修理できる、とリーアは胸を撫で下ろした。尤も、もしそういう制度がなくても、リーアはイストラント神殿、特にウェラルドに修理費を請求する気満々だったのだが。

 店主と話をつけたリーアが、レイルと共に店を出ようとしたときだった。

「ちょ、ちょっと待っておくんなさい。その剣は、私が大金と引き換えに買い取ったものなんですよー」

 店の二階から商人らしき男が慌てて駆け下りてきた。この店の二階は簡易の宿屋になっていて、この商人はそこの宿泊客のようだ。

 リーアは訝しげに眉を顰めた。

「買い取った? 誰から?」

「あなたくらいの齢の、なかなかの器量良しの女の子でしたがね。とにかくそれは、私のものですよ」

 商人は目をぎらつかせて、催促するように手を差し出してきた。

「お前、勇者様から勇者の剣を取り上げようと言うのか」

 レイルが鋭い眼光で睨みつけると、商人は慌てて手を引っ込めて肩を竦めたが、それでもまだ未練がましく恨めしそうな顔をしている。

「……仕方がないわね。ヴィヴィアンにこの剣を渡したのは私なんだし」

 リーアは持っていた旅費のうち、中央神殿に戻るのに必要なだけの金額を残して全て商人に手渡したが、それでもその商人は首を横に振った。

「これでようやく半分です」

 ……ヴィヴィアン。どんな高値でこの剣を売りつけたのよ。

 リーアは呆れて物が言えなかった。

「勇者の剣と知りつつ、金儲けに利用しようとしたお前が悪い」

「そんな、殺生な……」

 レイルに叱られて、商人は半べそをかいた。その泣き顔が若干演技くさいが、かといって完全に突き放す訳にもいかない。

「仕方がないわね。私達ももう持ち合わせがないから、神殿に請求してもらうしかないわね」

「神殿に……?」

「尤も、お前の言い分が通るかどうかは分からんが。何しろ、災厄を目前にしたこの時期に、勇者の剣の転売に加担して金儲けを目論み、剣を取り戻した勇者に金を要求するような不心得者だからな。逆に縄打たれないことを祈っているよ」

 レイルの脅しに商人は顔を青くしたが、諦めきれないのか、なおも手を揉み絞って悔しがっている。

「ふん、金の亡者が」

 レイルが忌々しげに吐き捨てた。

 その点で言えば、裏組織のボスであるあの老人のほうがずっとグランシルドの民としての心がけがあるといえるのではないだろうか。

 恨みがましい視線を送ってくる商人にいつまでも構っている訳にもいかず、リーア達は早々に店を離れた。

「何だか釈然としないなぁ」

 往来を歩きながら、リーアは首を捻った。あんなに勇者としての使命感に燃えていたヴィヴィアンなのに、なぜこんなに早く剣を売却したのだろうか。

 ……もしかして、最初からそのつもりだったの?

 そう思った瞬間、リーアは立ち止まっていた。

 災厄の恐ろしさにも怯まず、世界を救うという大任にも臆せず、自分が勇者になると宣言したヴィヴィアン。彼女の自信に満ちたあの表情も、自分の未来を自分の手でつかもうとしているあの言葉も、全て大金を手に入れるための嘘だったのだろうか。

 ……ううん。きっと、彼女は、あの時は本気だった。

 リーアはそう思うことにした。そして、利口な彼女は、自分が勇者の資格を持たないとすぐに気付いて、もう一つの残された手段に賭けたのだ。勇者の剣という、かけがえのない至宝を売ることによってまとまった金を手に入れ、新たな土地で人生をやり直すという方法に。

 ……大丈夫。彼女ならきっとやり直せる。

 度胸と美貌を兼ね備えた彼女なら、きっと自分自身の力で未来を切り開いていけるだろう。リーアはそう信じたかった。


 ザッカリアを発ったリーアとレイルは、二日後、セントリア山脈にほど近い街道を進んでいた。

 ここに来て、魔物の出現頻度は増し、リーアは勇者の剣を背負っているよりも、腕に抱えていつでも抜けるように警戒している時間の方が多くなっていた。

 二日目の太陽が沈もうとしていた。

 一刻ほど前に通過した村で聞いたところによると、もうこの辺りに次の村があるはずだった。今日はその村で泊まろうと思っていたのだが、鬱蒼と茂った木立に差し掛かったとき、その向こうの上空に、夥しい数の鴉が舞っているのが見えた。幾重にも重なるその不気味な鳴き声に、リーアは背筋が寒くなるのを感じた。

「嫌な予感がします」

「そうだね」

 馬上、リーアはレイルの背から腹に左手でしがみ付きながら、右手でしっかりと勇者の剣の柄を握り締めていた。こうしておけば、魔物にふいに襲撃されても、勇者の剣が一瞬にして消滅させてくれる。

 木立を抜けると、その先に村が見えてきた。

「……これは」

 思わず馬を止めたレイルの後ろで、リーアは小さく悲鳴を上げて凍りついた。

 地面に広がる、黒々とした染み。その中に転がる赤黒い肉片は、明らかに人間の体の一部だった。それらに鴉が群がり、嘴に内蔵らしき長いものを咥え、キョトンとした表情で周囲を見回す。

 ギャア!

 生きている人間の接近に気付いたのか、一羽が力強く啼いた。その声に呼応するかのように口々に喚きながら、鴉達は一斉に飛び立った。黒い羽が夥しい数の人間の残骸の上に舞い落ちる。

「魔物の仕業でしょう」

 レイルが呟いた。

 風が舞い、リーア達に向けて吹きつけてきた。染み付くような強烈な死臭に、リーアは嘔吐しそうになった。実際、嘔吐せずに済んだのは奇跡だった。

「レイル。行こう」

 この村に留まることはできない。再度、魔物が襲来してくる可能性もあったが、リーアは何より一刻も早くこの地獄絵図から逃げ出したかった。

 レイルが馬を進め始めた。馬の脚が、引き裂かれた人間の体を跨いでいく。

「……これが、災厄なのですね」

 レイルの言葉が胸に重く圧し掛かった。

 ……こんなの、耐えられない。

 父が、絶対に勇者にはならないと言った気持ちが、今になってよく分かった。こんな光景のど真ん中で、毅然と軍の戦闘に立って戦うなんて、自分には無理だ。絶対にできない……。

 勇者になると決心したはずのリーアの心が、軋むような悲鳴を上げていた。


 中央神殿に程近いヘリオ村に到着したリーア達は、そこで中央神殿所属神官兵隊長カシュー・グラートと再会した。

「お帰りなさいませ、勇者様」

 恭しく膝を折ったものの、彼の表情には明らかな不満の色が見て取れた。

リーアが勇者の剣を持って帰ってきたことで、結局こんな小娘が今回の勇者なのか、と落胆したのに違いない。

「急ぎ、中央神殿へお越しください。神官長がお待ちです」

 カシューの言葉に、リーアは頷くことができなかった。災厄によって滅びた村の地獄絵図のような惨状を見て、一度は固まりかけた勇者になるという決心が揺らいでいた。

 返答の代わりに、リーアは彼に話しかけた。

「こんなに大勢の兵を率いて、どこへ行くんですか?」

 カシューからやや離れた場所で、百人近い神官兵が完全武装して整列していた。

「この周辺でも、魔物が横行し始めております。我々はその討伐に向かうために神殿を出立し、今はこの村で小休止をしているところなのです」

 その時、鎧の音を響かせながら、神官兵が一人駆け寄ってきた。

「隊長、この先のドワラ村で魔物が出現し、村人が襲われているそうです」

「何……?」

「先ほど、ドワラ村から逃げてきたという村人がこの村に到着し、そう申しております」

「分かった。すぐにドワラ村に向かい、魔物の排除と村人の救助を行う」

 カシューは立ち上がると、リーアに軽く頭を下げて走り去っていった。

 リーアはその後姿を見送りながら、脳裏にちらつく地獄絵図に気力を削がれ、ついにカシューを呼び止められないままだった。

 ――私も行きます。

 あの村の惨状を見る前だったら、きっとそう言えていただろう。勇者の剣の力で魔物を消滅させれば、ドワラ村の人々や神官兵の命を一人でも多く救えるのに。

 ……あんな光景、できることならもう二度と見たくない。

 人間だったものが、無数に転がっていた。なぜ人間として生まれてきた者が、これほど尊厳を奪われた躯にならなければならなかったのか。そう思うたび、胃液がせり上がってくる。

 リーアの様子がおかしいことに、レイルも気付いたようだった。

「大丈夫ですか? お嬢様。お顔の色が悪いようですが」

「……うん」

 いくら強がろうとしても、平気だとは嘘でも言えそうになかった。

 その時、俯いたリーアの視界に、レイルとは別の男物の長靴が入ってきた。

「勇者の剣を持っているくせに、随分へばってるじゃないか。大丈夫か?」

 からっとした明るい声がしてリーアが顔を上げると、若い男が握手を求めるように手を突き出してきた。

「若い女の子が勇者になるって聞いて、代われるものなら代わってやりたいと思ってきたんだが、来て正解だったみたいだな」

 そう言って微笑んだ青年は、背はレイルほど高くはないものの、牡鹿のように引き締まった体躯をしていて、さらりとした茶色い髪に黒い瞳をした、爽やかな好青年だった。

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