22 お嬢様と剣探し
「お嬢様。一体どこにいらっしゃったんですか」
ヴィヴィアンの家を出てから、どこをどう歩いたのか分からない。
レイルの声にハッとして顔を上げたとき、リーアは人通りの多い表通りの道の端を、生気を抜かれたようにさまよっていた自分に気付いた。
「レイル……」
背中が軽い。本当なら、心まで軽いはずだった。それなのに、この心細さは一体何なのだろう。
「お嬢様、剣を、勇者の剣をどうなさったのです?」
気のせいか、レイルは殺気立っているように見える。ふと彼の胸元や袖口に、赤黒い飛沫が飛んでいるのを発見して、リーアは息を飲んだ。
「レイ……」
「勇者の剣を、どうなさったのですか?」
重ねて問われて、リーアの目に涙が込み上げてきた。
リーアが今にも泣き出しそうなことに気付いて、レイルは我に返ったのか、努めて優しい声を出した。
「こんなところでも何ですから、どこか落ち着く場所でゆっくり話しましょう。……俺も、お嬢様が突然いなくなってしまって、取り乱していたものですから。すみません。問い詰めるようなことを言ってしまって」
ポロリ、とリーアの目から涙が零れ落ちた。
「……渡したの」
「え?」
「勇者の剣、アーサー・ローエンの娘だって人に」
「娘、ですか?」
レイルは怪訝そうに眉を顰めた。
「うん。……私が勇者になるわ。それでいいわね、って言われて、私、一言も言い返せなかった……」
しゃくり上げるリーアの肩に、レイルは優しく手を置いた。
「お嬢様は勇者になりたくなかったのですから、何も言い返す必要はないと思いますよ」
「……うん。……そうだね」
レイルの声は優しかったが、今のリーアには何の慰めにもならなかった。
「けれど、気になりますね」
レイルはそう呟くと、胸元から羊皮紙を取り出して広げた。
「見てください、この系図。アーサーの曽祖父ヘイルは、先の勇者アルバートの伯父です。すると、アーサーはアルバートと六親等の間柄になります」
「……それで?」
「それで? じゃないですよ。つまり、アーサーの娘は勇者の血筋から外れることになるんです」
「えっ。……えええーー!?」
驚いて叫んだリーアの脳裏を、ある可能性が過ぎった。
あの剣がもたらした、恐ろしい光景が脳裏に蘇る。
「急いで、勇者の剣を取りにいかなくちゃ」
「そうですね。でも、今の状況では勇者の剣の持ち主はお嬢様なのですから、呼べば飛んで帰ってくるのではないですか?」
「だから、それが問題なんだってば!」
リーアは、暢気なレイルの言葉を一蹴した。
「あの剣が飛んで戻ってくる間に、周囲に被害を出さなかったことってある?」
リーアとレイルの家、グッテンハット家とエリクス家。被害の大小はあるものの、いずれも家屋を破壊されている。ヴィヴィアンの家は古い賃貸アパートだ。壁に大穴を開けられたら、最悪の場合、倒壊してしまうかも知れない。
「その、アーサーの娘が住んでいる家はどこなんですか?」
「それが、覚えてないの」
リーアは取り合えず今来た道を引き返しながら、おろおろと言い訳をした。
「連れて行かれたときは強引に手を引っ張られてだったし、ここまで出てくる間は記憶もないくらいぼーっとしてたし」
「何か目印になるような特徴はなかったんですか?」
「周囲は同じような古いアパートばっかりで、特徴って言ったって……」
焦りながら、リーアは表通りから路地を覗いた。そこには、小奇麗な住宅地が並んでいて、とてもさっきの薄汚れた下町は見えない。
ヴィヴィアンに勇者になる資格がないと分かって、リーアは目の前の霧が晴れたような気がした。そうなると、彼女に剣を渡してしまったこと自体がまるで夢だったように思える。彼女の家が分からないのも、あれが現実ではなかったからではないか。
けれど、いつも一定の負荷がかかっていた肩と背中の辺りが淋しい。やはり、勇者の剣は手元にないのだ。
陽が傾き始め、風景が朱色に染まり始めた。歩き疲れ、道端の木箱の上に腰を下ろしたリーアは、沈んでいく太陽を見つめながらため息を吐いた。
「……やはり、お嬢様に剣を呼んでいただくしかありません」
レイルがそう言い出すのではないか、とリーアは予想していた。日が沈むこんな時間まで、あてどもなくヴィヴィアンの家を探すのを手伝ってくれた。本当は、自分が彼女の家を覚えていれば、こんな手間はかからなかったのに。
「ごめんね、レイル」
「は?」
「ううん。……そうだね。二、三日のうちにはここを発たなくちゃいけないんだもん。剣を呼び戻すしかないよね」
そう言ったものの、リーアはどうしても、剣を呼ぶ気持ちにはなれなかった。
元はと言えば、彼女に剣を渡したリーアの責任なのだ。ちゃんと系図を頭の中に入れておいて、アーサーの子どもが勇者の血族から外れることまで把握していれば、彼女を失望させることもなかっただろう。挙句、彼女が借りている家を壊して、人的被害を出して、もし彼女が責任を問われることになったら、と思うと、吸い込んだ息が震える喉から音もなく漏れ出してしまう。
「ごめん、レイル」
「ですから、さっきから何なんですか? 謝ってばっかりですよ」
「私、ギリギリまで探してみる」
そう宣言して立ち上がると、もやもやしていた心の中がすっきり晴れたような気がした。
「レイルは宿に戻ってて。暗くなったら帰るから」
「何を言うんです。一緒に行きますよ。今のお嬢様は勇者の剣を持っていらっしゃらないんですから。それに、またどこかへ行ったままいなくなってしまったら困りますからね」
にっこりとそう微笑んだレイルは、その申し出を断る言葉が見つからないほどいい男に見えた。
「ごめんね、レイル」
「ですから、さっきから謝ってばっかりですよ、お嬢様。俺に謝ることなんか、一つもありませんから」
陽が沈み、夜の帳が下ろされると、商業都市として名高いザッカリアはまた違った一面を見せる。昼間の間、潰れた店が並んでいるように見えた裏通りに明かりが灯り、怒声と嬌声が酒の香に混じって、賑わいを増していく。
リーア達は、ごろつき達の少ない格式の高そうな店を選んで夕食をとることにした。酔っ払いに絡まれるのが嫌だったのもあるが、どうやらレイルが昼間、リーアと逸れている間に裏組織の連中相手に何かやらかしたようなので、そういう連中が出入りしそうにない店を選んだのだった。
「ねえ、レイル。その染みは何?」
勇者の剣のことで頭がいっぱいだったので、気付いていながらどうしてもその話題には踏み込めなかったのだが、こうして腰を落ち着けて向かい合ってみると、レイルの服の飛沫はどうみても血飛沫のようにしか見えない。それによくよく見ると、レイルの口の端は少し腫れていて、服も襟元や袖の辺りが力一杯引っ張られたあとのように伸びきっている。
「相手の鼻血ですよ。あの後、例の三人組にまた絡まれましてね。逃げるときにあの一番若い奴の顔を殴ったら、鼻血を吹いたんです。それが付いたんですね」
レイルは表情一つ動かさずにそう言うと、忙しなくパンを千切っては口の中に放り込んでいる。
リーアは不審げに眉を顰めた。
もし、レイルが昔、小さかったリーアと遊んでくれていた頃と変わっていなければ、さっき言ったことが本当に起きていたとしても、こんなに素直に全てを話したりはしない。
木から落ちたリーアを下で受け止めてくれた時、その衝撃で腕を脱臼したのに、レイルはその怪我の理由を、帰り道で転んだからだと嘘を吐いた。そんなことが何度もあった。もし、あの三人組に絡まれたのが本当だとしても、レイルはきっと、自分が露店の柱にぶつかって鼻血を出したせいだ、くらいの嘘を吐くはずだ。
「ねえ、レイル。本当は何が……」
リーアがそう問いただそうとした時だった。ふいに、店の入口が騒がしくなった。




