21 お嬢様と美少女
「ちょっと、何なの? あなたは誰?」
少女は店内に踏み込み、二人に気付いた店主に片手を上げて挨拶した後、まるで我が家のように屋内を突っ切って、裏口を出た。その間、リーアは少女に腕を摑まれ、なす術もなく少女についていく羽目になった。
店の裏は、寂しげな裏通りだった。少女は周囲を見回すと、今度は小走りに駆け出した。勿論、腕を摑まれたままのリーアもそれに倣うしかなかった。
そうして、いくつか通りの角を曲がり、うらぶれた住宅街の階段を駆け上がってそのうちの一室に駆け込んだとき、ようやく少女は大きな息を吐いてリーアの腕を放してくれた。
それでようやく、リーアは少女に向けてその質問をすることができたのだ。
「私の父に、何か用?」
振り向いた少女は、走り回った後のせいか、色白の頬は桃色に染まり、大きな菫色の瞳は生き生きと輝いていた。将来美人になることを約束された整った顔立ちの中で、その目は見るものを圧倒するほどの輝きに満ちている。
「……父って?」
「アーサー・ローエンよ。昨日から、この辺りで訊きまわっていたでしょ?」
へえ、……娘なんだ。
リーアは驚いて、思わず頭の天辺から足の先までしげしげと少女を眺めた。
「父にどんな用があるの? といっても、父はここにはいないけど」
「えっ? いないの?」
リーアは呆然とし、それから改めて家の中を見回した。
そこは、貸し部屋なのだろう。同じ建物には、薄い壁を通して別の住人の気配がある。部屋は薄暗く、小さな暖炉と古びたテーブルしかない。その奥にはドアが一つあり、そこが寝室になっているのだろう。だが、狭いわりに圧迫感を感じないのは、この部屋がきちんと片付いているからだ、とリーアは思った。
「いないわよ。あいつらから聞いたでしょ? 父は裏組織に追われているの。そんな状況で、このザッカリアにいられるとでも思っているの?」
「それじゃあ……」
「もう二年ぐらい前からここには戻ってないわ。王都へ行ったか、それとも別の国に渡ったか。でも、多分この街の近くにはいないわよ。裏組織に捕まったら、確実に命はないから」
少女の口調は、実の父について語っているとは思えないほど淡々としていた。
「で、あなたは何の用? うちの父に、お金を騙し取られたとか? 生憎、私も生きていくのに精一杯で、父の不始末を穴埋めできるほどの余裕はないのよ」
少女の顔立ちは大人びてはいるが、恐らくリーアとそう年齢は変わらないだろう。それなのに、言うことは大人と遜色ない。
ふと、リーアは思いついた。アーサー・ローエンが勇者の血筋なのだから、その娘であるこの少女もそうなのだ。自分と同じ齢頃の少女に勇者の剣を押し付けるわけにはいかないが、彼女も当事者の一人なのだから、一応事情を説明しておいたほうがいいだろう。
「私はリーア・フレイル。イストラートの王都から来たの」
先に名乗ると、少女もまだ名乗っていないことに気付いたのだろう。リーアに椅子を勧め、自分もその向かい側に腰を下ろした。
「私はヴィヴィアン・ローエン。ザッカリアで商売をしていた父と街の中心地で暮らしていたけど、その商売が駄目になって、父が失踪してからはこの下町で暮らしているの」
まるで、生まれはよかったのだけれど、今は自分のせいではない理由で落ちぶれている、と誇示したいような台詞だ。どうやら、プライドの高い少女らしい。
「実は、あなたのお父さんは、勇者の血筋なの」
そう切り出すと、ヴィヴィアンは大きな瞳をさらに大きく見開いた。
「……勇者の血筋って、あの、災厄を鎮める?」
「そう。私もその勇者の血筋のうちの一人なの」
そう言うと、リーアは背負っていた勇者の剣をテーブルの上において、鞘を包んでいた布を取りはなった。
剣は薄暗い部屋の中でも、威厳ある光を湛えている。ヴィヴィアンが生唾を飲み込むのが、その細い喉が上下する動きで分かった。
「この剣をあなたのお父さんに渡して、勇者になってもらおうと思って会いに来たのだけれど、いないのなら仕方ないわ」
「じゃあ、他の人を探すの?」
そう訊かれて、リーアは首を横に振った。
「そうしたいけど、もう時間がないの。災厄はもうすぐそこまで来ていて、中央神殿の神官長がくれた時間も残りはあと七日。二、三日のうちにはここを発たないと、約束の日までに戻れないから」
「あなたが、勇者になるの……?」
頼りないわね、という心の声を隠そうともしないヴィヴィアンの表情に、リーアは苦笑した。
「そうなることになるのかなぁ」
「じゃあ」
ヴィヴィアンは形のいい唇をきゅっと引き結んだ。
「私が代わりになるわ」
「え……?」
リーアがその言葉の意味を把握する前に、ヴィヴィアンの手が勇者の剣を摑んでいた。
「私が勇者になる。それでもいいんでしょ?」
「え……、まあ、そうだけど……」
この子、勇者の剣を手にして、『勇者になる』って宣言しちゃったよ。
リーアは頭の中が真っ白になり、突然の展開を順序立てて理解しようとしても、なかなか事態が飲み込めなかった。
……ええっと、アーサー・ローエンの娘なんだから、ヴィヴィアンが勇者になっても全然構わないわよね。でも、これまで大の大人でも拒否してきた勇者の役目を、こんな可憐な少女があっさり引き受けちゃっていいのかな。ひょっとしたら、ヴィヴィアンは災厄がどれほど恐ろしいものか、勇者の役目がどれほど大変なことか分かっていないのかも知れない。自分が勇者の血筋だと知らされる前の私みたいに。
リーアは落ち着こうと、こめかみに指を当てて揉み解した。
「ねえ、ヴィヴィアン。勇者って、本当に大変なのよ。魔物はうじゃうじゃ湧いてくるわ、地面は裂けるわ、目の前で人がバタバタ死んでいくわで、前の災厄のときに従軍したうちの父親なんかも、あんな地獄絵図みたいな戦いには二度と行きたくないってごねるくらいなのよ。それに……」
「大丈夫。歴代の勇者の中で、災厄との戦いで命を落とした者はいないし、誰が手にしても災厄を打ち破るだけの力をこの剣は持っている。だから私でも大丈夫よ」
リーアが勇者になることを思いとどまらせようとしていると感付いたのか、ヴィヴィアンは手にした勇者の剣をもう二度と放すまいとするように両腕で抱え込んだ。
逆に、予想外の展開に戸惑ってうろたえたのは、リーアの方だった。
「で、……でもね。本当に恐ろしい目に遭うのよ。それに、この世界の命運が託されるわけだから……」
「それが何? そんなこと、これまで何十人、何百人の勇者がやってきたこと?」
そう言われて、リーアはこれまで自分が悩み苦しみ、やっぱり自分じゃ駄目なんだと思い続けてきたことが、全て間違いだったような気がした。
「それよりも、災厄を鎮めた勇者は、祖国の王室に取り立てられて、残りの人生を保証されるってことが重要なの。私はもう、こんな貧乏暮らしは真っ平だわ。母様が生きていた頃のような、街の屋敷での何不自由ない暮らしに戻りたいのよ」
リーアは、ヴィヴィアンではなく、もう一人の自分がその台詞を言ったような錯覚に陥った。
こんな貧乏な暮らしはいやだ。いつか、貴族という肩書きを持参金に、金持ちの商人と結婚して、何不自由なく暮らしたい。ほんの少し前まで、自分はずっとそう思いながら生活していた。
そんな生活を自分の力で手に入れられる、その機会はずっと自分の手の中にあったというのに、ただ父やウェラルドが言う災厄の恐怖に怯え、自分では役不足だと決めつけ、ずっと誰かにこの重荷を渡すことだけを考えてきた。
それなのに、ヴィヴィアンは一瞬たりとも迷わなかった。自分の目的のためには、例え死ぬような恐怖を味わうのだとしても、受け入れるだけの度量があるのだ。
やや眉間に力を入れたヴィヴィアンの顔は、凛としていて、ハッとするほど美しかった。
「ね。私が勇者になるわ。それでいいでしょ?」
再度の問いに、リーアは首を横に振ることができなかった。




