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② お嬢様と神官様

「私はウェラルド・フォン・エリクス。イストラート神殿に仕える神官です」

 フレイル邸の客間に落ち着いた金髪の青年はそう名乗った。

 言われて初めて、リーアは彼が着ているのが白い神官衣であることに気付いた。胸に銀糸で描かれているのは、神殿の象徴でもある盾の紋章。銀糸での刺繍は、彼が神官長に次ぐ地位にあることを示している。

 ……へえ。この人がかの有名なエリクス伯爵家の子息かぁ。噂通り、綺麗な顔をしてるんだなぁ。

 エリクス家は王家ともつながりの深い上流貴族だ。美貌の者が多く、過去に幾人もの王妃を輩出している名家で、歴代の当主は勿論、師弟はことごとく王政府の重要な地位に就いている。だからこの青年もまだ二十歳を幾つか過ぎた程度の年齢で、すでに神殿内での地位を確立しているのだろう。

 目の前に座った若干十五歳のリーアがそんな世間ズレしたことを考えていると、ウェラルドは早速と口を開いた。

「本日伺ったのは、他でもありません。この春先から続く陽光の翳りは、災厄が迫っているための現象。それを受けて、大陸各地の神殿はすぐにでも“勇者の証”を持つ者が現れるものと思っておりました。しかし、待てど暮らせど一向にその御方は現れません。そこで、中央神殿の意向を受け、各国の神殿が“勇者の証”の探索を行いました。そしてようやく、こちらのお宅に“勇者の証”を持つ者がいらっしゃると判明したのです」

「……勇者の証?」

 リーアは首を捻った。お宅にいる、と言われても、現在フレイル家には父と自分しかいない。それに、その勇者の証が宝石のようなものであれば、とっくに売り払って生活費に消えている可能性もある。そう思い至ると、リーアの全身から冷や汗が噴き出した。

 もし、世界を救う“勇者の証”を、そうとは知らずに借金の形に売り飛ばしたりしてたらどうしよう。……しょ、処刑されたりなんかするのかな。

 青くなるリーアを余所に、父親は暢気な声で応じた。

「ですから、当家にはそのようなものはありません。先ほども申した通り、私の記憶では、ウェストラントのジェイク・ハノンが所持しておりました。彼の邸宅を探したほうが有益だと思いますが」

 無精髭は伸びたい放題、よれよれの薄汚れたシャツにボサボサの髪。貴族ではなく売れない芸術家といったほうがしっくりくる風体だ。

 だが、ウェラルドは困ったように首を横に振った。

「ウェストラント神殿も、そう認識していたようです。しかし、ハノン家から勇者が出仕してこないことに疑問を感じて問い合わせたところ、すでに勇者の証は別の“勇者の血筋”の手に移っているとのこと。それが誰であるか訊ねたところ、ハノン家のご当主は“イストラートのガードナー殿”だと答えたそうです」

「じゃ、どうして我が家に? 我が家は“フレイル家”ですけど」

 リーアは目を瞬かせた。

 するど、ウェラルドは目を丸くして瞬きを繰り返し、呆れたように短いため息を吐いた。

「あなたはご存知ないのですか? オズワルト殿の元の名を」

 そう言われて、リーアは父がフレイル家の入り婿だったことを思い出した。

「ガードナーだったっけ? 父様の旧姓」

「知らなくて当然だ。お前にはそういうことは一切教えてないからな」

「何で教えてくれなかったの? たった一人の娘なのに」

「片田舎の半農役人の家だ。王都で暮らす貴族の娘には必要ないだろう? そんな情報は」

 確かにそうかも知れないが、リーアにも知っておく権利がある。

 実際、知らなかったことで、さっき恥をかいた。偉そうなことを言っているが、ただ単に教えていないことを忘れていただけだろう。そういういい加減なところがあるのだ、この親父は。

「じゃあ、そのジェイクなんとかって人は、父様に“勇者の証”を渡したって言ってるんですね?」

「いいえ」

 当然、「はい」という返事を予想していたリーアはずっこけそうになった。

「はあっ? そう言ったんじゃないの?」

「実際に勇者の証をガードナー家の人物に渡したのは、ジェイク・ハノン氏ですが、今回その情報を神殿にもたらしたのは、現ハノン家当主デュエル殿です」

「なんだと。では、ジェイクは、まさか……」

 突然、オズワルトは血相を変え、ウェラルドに詰め寄った。

「何でも、三年ほど前に急逝されたとか」

 それを聞いたオズワルトは力が抜けたように椅子に腰を下ろすと、項垂れて頭を抱えた。

「どうしたの? 父様。そのジェイクって人と友達だったの?」

「友達……? ……ああ、……まあ、そう言えば聞こえはいいが。……畜生、これで、ハノン家は解放されたな」

 オズワルトの口調には、羨望まじりの悔しさが滲んでいた。

「解放って、何のこと?」

 リーヤの疑問に答えたのは、ウェラルドだった。

「勇者の血筋は、実際に勇者となった者から数えて、六親等以内の血族を言うのです。つまり、ハノン家はジェイク殿が先の勇者から数えて六親等にあたる方だったのですね」

 ウェラルドの問いに、オズワルトは顔を上げると忌々しそうに吐き捨てた。

「ああ。しかも、奴には兄弟がいなかったから、ハノン家にはもう六親等以内の血族はいない。晴れて呪縛から解放されたって訳だ」

「ちょっと、呪縛って何よ。仮にも、災厄から世界を救う勇者様でしょ? その血筋なんて、名誉なことじゃない」

 リーアは訳が分からず混乱しつつも、何故か腹立たしかった。栄光に満ちた勇者様の血筋を呪縛だなんて、よく言えたものだ。

 だが、オズワルトはリーアの無知を笑うように吐き捨てた。

「名誉だって? お前は何も知らないからそんなことが言えるんだ」

「何も知らないって……。今まで何も教えてくれなかったのは父様のほうでしょ」

「ほう、そんなに知りたいか? 災厄と戦うのがどれほど恐ろしいかってことを」

 今まで見せたこともないような真剣な顔のオズワルトに戸惑いながら、リーアは穀物店のおかみさんが見せた不安げな様子を思い出した。

 オズワルトは二十年前、災厄との戦いに従軍して、最前線でその恐怖を体験している。その時の記憶が蘇ったのか、表情を強張らせながらオズワルトは口を開いた。

「あれはまさに地獄だ。何もかも放り捨てて、逃れられるものならどこかに身を隠し、通り過ぎるまでただじっと耐えられるものならそうしたい。だが、皆がそうやって逃げたら、この世界は滅びてしまう。だから誰もが身も凍るような恐怖と戦い、死んでいった。裂けた大地から溢れる魔物、その大地は瘴気に侵され、斃れた者の残骸が折り重なっている。勇者は、そんな戦場にあって、人々の先頭に立って戦わなければならないんだ。戦場から目を逸らすことすら許されない。そんな苦行の、どこが栄誉だ?」

 見たこともない父親の鬼気迫る表情に、リーアは言葉にならない恐怖を感じた。

「……でも、勇者様は神様から災厄と戦うための力を与えられているんでしょ?」

「確かに、神は人間に、勇者の剣という力を与えた。だが、それだって、勇者の剣の持ち主に世界を守る責任を押し付けているようなもんだ」

 その時、リーアの頭の片隅で、何か欠けていた断片が埋まったような気がした。

「……勇者の……剣? 勇者の証って、ひょっとして剣なの?」

 とっくに忘れ去られていた記憶が、脳の奥からひょっこりと頭を持ち上げた。“剣”という言葉が、眠っていたその記憶を呼び覚ましたのだ。戸口に立って自分を見下ろす、父くらいの年齢の男性。

 ―大丈夫。その時がきたら、何もかも分かるから。

 手渡された、とても長くて重い、布に包まれた固いもの。

 何故か寒気を感じて、リーアは鳥肌が立った腕を摩った。

「ジェイクって人が三年前に亡くなったということは、うちに勇者の剣を持ってきたのは、それより前ってことよね」

「そうなるな。……って、リーア、お前、まさか……」

 オズワルトの顔がだんだんと引きつっていく。彼にとって最悪の結末を悟ったのだろう。

「……あれって、どのくらい前だったかな。……確か、まだ母様も生きていた頃で、その時はなぜか父様も母様も、当時唯一うちにいた使用人もどこかに出かけていて、私が玄関扉を開けたの。……その人は、これはとっても大切なものだから、誰にも見つからないところへ隠しておけって。……父様や母様にも内緒にしておけって」

「……何ということだ」

 オズワルトは頭を抱えて呻いた。父のそんなに打ちひしがれた様子を見たのは、随分久しぶりだとリーアは思った。

 そう、母親が亡くなった時以来だ。

「おそらく、その時ジェイク・ハノン氏から受け取ったのが、勇者の剣だったのですね。それを、一体どこに隠したのですか」

 ウェラルドは対照的に目を輝かせながら身を乗り出した。

 彼にしてみれば、任務達成がすぐ目の前まできているのだ。その真剣な眼差しを見ていると、ついからかってやりたくなる……という意地悪な思いは微塵もなかった、といえば嘘になる。だが、そんな悪意があろうがなかろうが、これは紛れもない事実だった。

「……それが、全く思い出せないんですよねー」

 照れ笑いを浮かべながら答えたリーアに、ウェラルドはあんぐりと口を開けた。

 神官にとって神は至上の存在であり、神の意志に従って世界を守ることを使命としている。そんな彼にとって、世界を守るために神から与えられた勇者の剣を、「掃除に使う箒をどこにしまったか忘れました」程度に扱われるなど考えられないことだ。

 次の瞬間、ウェラルドは透けるほど白い拳を勢いよく机に叩きつけた。

「思い出せない、で済むとお思いですか? 勇者の剣を、なっ、……失くしたなんて、そんなこと許されるはずがありません。世界が滅びてしまうのですよ!」

「そ、そんなこと言われたって……」

 白い肌を上気させ、美しい顔を歪めて語気を荒げるウェラルドに、リーアはたじたじと後退りした。男にしておくには勿体ないほど美しい顔だけに、その表情は怒りを通り越して凄みさえ感じさせる。

「忘れちゃったものをすぐに思い出そうとしてそうできるなら、苦労はしません。でも、十年近く前のことだし、それから今に至るまでに大変なことがいろいろあって、誰かから受け取った剣をどこにしまったかなんて覚えていられなかったんです。……言い訳は無用、とおっしゃりたい気持ちはお察ししますけど」

「お気遣いは結構です。何の解決にもなりません」

 冷たくあしらわれ、リーアがため息を吐いた時、オズワルトが呟いた。

「探す必要などない。呼べばいいのさ」

「よ、……呼ぶ? 呼んだら出てくるっていうの?」

 冗談だろうと鼻で笑いながら振り返ると、父は不敵な笑みを浮かべた。

「疑うなら、騙されたと思って一度呼んでみるといい」

 そう言われても、無機物である剣に呼びかけるなんて恥ずかしい真似はできない。

 だが、ただならない気配を感じてチラリと視線をやると、ウェラルドがこちらを鋭い目つきで睨んでいるのが見えた。無駄であろうがなかろうが、勇者の剣を見つけるためにはどんなことでもやれと言わんばかりの表情だ。

 どうせこの後、屋敷中を探す羽目になるのだ。フレイル家は、屋敷も敷地も手入れが行き届かず荒れ放題だが、元伯爵家だけあって広さも部屋の数も半端ではない。

 これで出てくるんなら、手間も省けて儲けものってものよ。

 リーアは自分に言い聞かせるように何度も深呼吸すると、大きく息を吸い込んだ。

「あー、あー。勇者の剣、勇者の剣。この屋敷にあるのなら、すぐに出てきてちょうだい」

 客間に響き渡ったリーアの声は、高い天井に反射し、虚しく響き渡った。

「……ちょっと。やっぱり出てこないじゃない」

 恥ずかしさで頬が熱くなる。リーアは頬を掌で挟みながら、父を睨み付けた。

「騙したのね」

「騙すもんか。これで出てこないとすれば、勇者の剣は他の者の手に渡っているということ……」

 オズワルトの言葉は、最後まで続かなかった。

 雷光のような光が、向かい合って立つ父の横顔を青白く染めたかと思うと、突然、窓ガラスが飛散した。

「きゃっ!」

「うおっ!」

 父娘が同時に叫んだ。ウェラルドは声を上げることすらできず、目を剥いて立ち尽くしている。

 庭に面する窓ガラスが、無残にも砕け散っていた。それも一枚だけではない。庭を挟んで向かい側の棟の窓ガラスも割れ、その向こうに見える部屋のドアは蝶番が外れかけになってぶら下がった状態で、力なく揺れている。

「おお、これは……」

 感嘆の声を上げるウェラルドの声に、恐る恐る顔を上げたリーアの目に飛び込んできたのは、目の前で青白い光を放っている一振りの長剣だった。

 なんか、得意気に見えるんですけど。

 リーアは、よく馴れた飼い犬が主人の言いつけを守り、尾を振りながら褒められるのを待っている場面を思い浮かべた。物である剣には意志などないのに、なぜかそんなふうに見えたのだった。

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