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⑲ お嬢様と新婚夫婦

 花嫁は、ほっそりした体をより際立たせる、細身のドレスをまとって現れた。その白いドレスは、彼女を冬の湖面に舞い降りた白鳥のように魅せていた。

「……綺麗な人だね」

 遠くイストラートからお祝いのために駆けつけたフリックの親戚として、リーアとレイルは村人に混じって若い二人の門出を祝っていた。何も知らない花嫁は無邪気に微笑み、やや表情の固いフリックの腕に細い腕を絡ませて、始終華やかな笑みを振り撒いていた。

「幸せそうだね」

 呟いたリーアに、レイルは頷きながら、真剣な表情で囁き返した。

「はい。でも、フリック殿はすぐに新妻と離れ、災厄との恐ろしい戦いに赴かなければなりません。そういう事情を知っているからでしょうか。二人を見ていて、俺は胸が締め付けられるような思いがします」

 ずん、とリーアの胸に重いものが圧し掛かったような気がした。

 ……だめだめだめ。気にしちゃだめ。やっと、勇者に相応しい人に、剣を渡すことができたんだから。

 リーアはその重苦しさを振り払うように、頭を激しく横に振った。

 この幸せな新婚夫婦の前に突如現れ、その仲を引き裂く。自分が物語の悪役のような存在であることを、リーアは認めたくなかった。

 でも、認めざるを得なかった。それが事実なのだから。

 ……仕方ないじゃない。誰も彼も勇者になれない理由を抱えていて、結局全部私に押し付けようとするんだもの。私がこの人にこの重荷を押し付けても、誰が私を責められるって言うの?

 嫌だから、面倒だから、幼い子がいるから、妊娠しているから、病気だから……。どんな理由があるにしても、リーアの頼みを断ったことには変わりはない。そのことで、自分がどれだけ傷ついたか、どれだけ追い詰められていたのか、その重荷から解放されて、リーアは改めてそれに気付いた。

 と同時に、なぜかスッキリとした気分になれない自分にも気付いていた。

 特に、花嫁の側でやや曇った笑みを浮かべるフリックの、父によく似たその顔を見ていると、胸に塊のようなものが痞えて涙が出そうになってしまう。

「……ああっ、もう!」

 半ば自棄になって、リーアはすぐ傍のテーブルに置いてあったグラスを取ると、その中身を豪快に煽った。


「……ったー。頭がガンガンするぅ……」

 リーアは呻きながらゆっくりと起き上がった。

 室内は暗くてよく見えないが、どうやらベッドに寝かされていたようだ。あの時煽ったグラスの中身が、人生で初めて口にする酒だったとは、本当に迂闊だった。

『お、お嬢様!? 北国の酒はきついんですよ!』

 急に世界がグルグル回り始めて、追い討ちのようなレイルの台詞を聞いたまでは覚えている。どうやらその後卒倒して、家の中に担ぎ込まれて寝かされていたようだ。

 夜が更けたのか、窓の外も真っ暗で、あれだけ賑やかだった庭は静まり返っている。

 少し離れたところから、静かな寝息が聞こえる。暗闇に目を凝らしてみると、壁にもたれるようにして誰かが座ったまま眠っていた。

「レイル……」

 それがレイルだと分かった瞬間、リーアはじんと胸が熱くなった。

 思えば、彼は勇者になる気のないリーアのために、仕事を辞めてまで危険な旅に同行してくれている。それなのにリーアは我儘ばかりで、彼の忠誠をいいことに振り回し続けてきた。

「ごめんね、レイル……」

 でも、もうそんな旅も終わりだ。フリックに勇者の剣を渡して、リーアはイストラートへ帰る。勿論、レイルと一緒に。

 ふと、リーアの耳に、誰かが泣き叫ぶ声が聞こえてきた。何を言ったのかは分からないが、しきりに何かを喚いている。その声は、部屋の外から聞こえてくるようだった。

 リーアは痛む頭を押さえながら、レイルを起こさないようにそっとベッドから降り、音がしなようにゆっくりとドアを開けた。

「……どうしてあなたが行かなきゃいけないの?」

 涙交じりの女性の声が、今度ははっきりと聞こえた。リーアが顔を出した廊下の先に階段が見える。声は、その階段の下から聞こえてきた。

 フリックの、お嫁さん……?

 リーアは廊下に出るとドアを閉め、忍び足で階段の上まで移動し、階下の様子を窺った。

「あの子に任せればいいじゃない。アッシュの言う通りよ。どうして今更、あなたが勇者を引き受けなきゃいけないの? あたし達、今日結婚したばかりなのよ?」

「しっ、イザベラ。客人に聞こえる」

「聞こえたって構わないわ!」

 フリックの諫める声に激昂したのか、新妻の声はさらに高くなった。

「私は小さい時から、ずっとあなたが好きだった。恋人同士になった後も、あなたが一人前になって生活が安定するまで結婚できないって言ったから、何年も我慢して待ち続けたのよ。なのに、やっと結婚できたと思ったら、今度は勇者になるから、災厄を鎮めるまで待てって言うの? その時にはお互いに、生きていられる保証はないのよ?」

「僕は必ず、生きて君の元へ帰るよ」

「私は!? この村が魔物に襲われたら、助かる自信は私にはないわ!」

 リーアは痺れたようにその場に立ち尽くした。

 フリックも返す言葉が見つからないのか、言い返す言葉が聞こえてこない。

 ややあって、少し落ち着きを取り戻した新妻の、諭すような声がした。

「ね、フリック。明日、あの人にちゃんと言って。僕は勇者にはなれないって」

「……それはできない」

「フリック!」

「彼女も、辛い思いをしてきたんだ。僕が剣を受け取ると言ったら、ボロボロ泣いて喜んでいた。あんな姿を見せられて、今更断るなんてできないよ」

 魂を震わせるような、悲痛な叫びがその後に続いた。フリックが何度も優しく宥める声が聞こえたが、それすらかき消すようにさらに大きくなった泣き声は、途切れることなくしばらく続いた。

「……お嬢様」

 ふいに肩に手を置かれて、リーアは驚いて振り返った。

 その瞬間、殴られたような衝撃が頭を襲った。

「……レイル。頭が痛いんだから、驚かせないでよ」

「あっ、すみません」

 頭を押さえて顔を顰めるリーアに、レイルは心底気の毒そうな表情を浮かべた。

「ところで、新婚夫婦の話を盗み聞きですか?」

「やめてよ。意地の悪い姑みたいじゃない。そんな悪趣味ないわよ。……でも、聞いちゃった、フリックさんの本心」

 本当は断りたいが、今更できないというのが彼の本音なのだ。

「……私、どうすればいいんだろう」

 思えば、リーアにとって、ここひと月は激動の日々だった。

 突然、勇者の血筋だと言われて、勇者の剣の主にされて、世界を救うという大役から逃れるために、一度も会ったことのなかった父方の親戚を訪ねてまわった。はっきり言って、苦労の連続だった。早く家に帰って、これまで通りの生活に落ち着きたかった。

 フリックは、そんな旅の中で唯一、勇者の剣を受け取ってもいいと言ってくれた人物だった。もし、彼の申し出を断ったとして、残り十日で他に彼のように勇者に相応しく、なおかつ剣を受け取ってくれる人物に出会えるとは思えない。

『どうして、あなたではいけないのです?』

 ふいに中央神殿の神官長の言葉を思い出して、リーアはしばらくその言葉を噛み締めた。

 やがて、ゆっくりと首を横に振ると、リーアはレイルを押し退けるようにして部屋へと戻った。

「お嬢様?」

「レイル。まだ眠いだろうけど、支度して」

「は……?」

「あんな会話を聞いて、それでも自分が楽になるんだったら知ったこっちゃないって、私はそんなふうに割り切れないわ」

「それじゃあ……」

「期限はあと十日あるでしょ? ノスタニアの西南地方に、誰か一人いたわよね、男の人が」

 リーアの記憶では、確かアーサー・ローエンという、遠縁に当たる人物だったはずだ。

「その人に、賭けてみるわ」

「いいんですか?」

 レイルの優しく包み込むような声に、リーアは自分の決断にちょっとだけ尻込みした。

「私の決心を鈍らせるようなことを言わないで」

 弱気になりそうな自分を叱咤し、ベッドの脇に立てかけてあった勇者の剣を取ると、右手で抜剣できるよう背中に固定する。もう幾度となく繰り返してきた作業だから、手馴れたものだ。

 フリックはああいう律儀な性格だから、きっとリーアがやっぱり勇者の剣を渡さないと言えば、自分達のことは何も心配するなと、何事もなかったような顔で手を差し出すだろう。そんなことをされたら、リーアにはその手に勇者の剣を乗せないでいる自信はなかった。

 だから、夜明けにこっそり家を出て行くことにしたのだ。

 リーアは紙に、フリックへの感謝の気持ちをしたためた。そして、自分のことは気にしないで二人で幸せになってください、と締め、その紙に金貨を一枚包んでベッドの枕元に置いた。

 昨夜は夜更けまで言い争いをしていたせいか、リーア達が荷物を抱えて階段を下りても、二人とも起きてはこなかった。

 もしかしたら、目覚めてはいるが起きてこないだけかも知れない。それが、リーアが勇者の剣をこの家に置いていくと思っているからなのか、それとも剣を渡さずに去ろうとしていると知っているからなのか。どちらなのかは分からない。

 とにかく、フリックに会ってしまえば決心が揺らぎそうなリーアは、彼の顔を見ないで家を離れることができたのは幸いだった。

 ……後悔はしない。しちゃいけないんだ。

 リーアは、萎えそうになる自分の心に何度もそう言い聞かせた。

 太陽が山の稜線を白く照らし始める。夜が明け、新たな一日が始まろうとしていた。

 ……あと、十日。

 自分を奮い立たせるために、リーアは馬上でレイルの腰に回した手に、グッと力を込めた。

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