⑱ お嬢様と北の王国
ノスタニアは、大陸の北部に広がる王政国家だ。その国土の北半分は万年雪を抱えた山脈地帯で、とても人間が暮らしていける土地ではない。だが、南部でも内陸地帯は、災厄が近づくと魔物が跋扈し、小さな村はすぐに壊滅してしまう。ゆえに、ノスタニアは王都のある南東地方と、代々公爵家が治める南西地方に村や街が集中していた。
そのうち、南東地方のセリカという小さな村に、先の勇者アルバート・ガードナーの息子夫婦が住んでいた。
勇者としての役割を果たし、ノスタニア王に名誉職を与えられ、王都で豊かな晩年を送ったアルバートの再三の誘いを断り、息子ランディは母の故郷であるその百戸余りの家が寄り添うように建つセリカ村に骨を埋めたのだという。
今では、その村にランディの二人の息子、つまり先の勇者の孫であり、リーアにとって再従兄妹となるフリックとアッシュが暮らしている。
同じ前勇者の孫といえば、グッテンハット公爵家のアルジャーノがいる。そう考えると、期待よりも不安の方が大きかった。けれど、年齢も二十歳前後と勇者としては適齢であり、前勇者の直系でありながらも田舎で実直に暮らしていることを考えると、人柄にも期待が持てるのではないか、とレイルと話し合い、この二人に望みを繋ぐことにしたのだった。
リーアは乗馬ができないので、中央神殿で馬を二頭借り、一頭に荷物を載せ、もう一頭にレイルと相乗りすることにした。以前、グッテンハット家から相乗りしてエリクス家へ戻った時は、リーアがドレスを着ていたことと時間的な余裕もあり、レイルの腕に抱かれるような格好での相乗りだったが、今回は騎乗用のズボンを履いていることもあり、リーアはレイルの後ろに跨った。時間的な余裕もないので、レイルは容赦なく馬を駆る。リーアはレイルの腰にしがみつき、背に頬を当てて、駆ける馬の背から振り落とされないようにするので精一杯だった。
お蔭で、三日後には目的のセリカ村に到着できたものの、馬から下りたリーアはその場に座り込み、しばらく立ち上がることも声を出すこともできないほど疲労困憊していた。
「フリック・ガードナーという人のお宅はどちらかご存知ですか?」
村で最初に会った初老の男に声をかけると、口髭がやたら濃く、そのわりに頭の毛の寂しい男は、何やら早合点した様子で、ああ、と頷いた。
「あんた、フリックの親戚だね。どこから来たんだい」
……えっ? どうして親戚って分かったんだろう。
不思議に思いながら、リーアはとりあえず正直に答えた。
「イストラートの王都からです」
「へぇ、イストラート! ……そうか、アルバートさんの弟さんがイストラートにいるって聞いたことがあったな。それにしても、こんな物騒な時期に、よくそんな遠いところからわざわざ駆けつけたもんだ」
「はあ」
そりゃ、勇者になってくれる人を探しているんだもの。こんな物騒な時期だからこそ、遠いところをわざわざ駆けつけても来るわよ。
と、内心突っ込みをいれてみるが、冷静に考えてみれば、この男がリーアの事情など知っているはずもない。
不思議に思っていると、男はリーアの斜め後ろを指差した。
「フリックの家はあの牛を放してある柵の向こうに見える、赤い屋根の家だよ。それにしても、間に合って良かったな。式はあと一刻も経たずに始まってしまうよ」
「えっ?」
リーアの驚く声をまた勘違いしたらしく、男は「急いで行きなよ」と笑いながら去っていった。
「……式?」
「どっちの式でしょうね。結婚式か、葬式か」
レイルは伸び上がって、斑模様の牛の向こうに見える赤い屋根の家に目を凝らしている。
「とにかく、行ってみますか?」
「うん。でも、お葬式だったらどうしよう」
しかも、亡くなったのがフリック本人だったとしたら、有力な勇者候補が一人、いなくなってしまったということだ。けれど、あの初老の男の様子からして、それはなさそうだな、とリーアは感じていた。
案の定、赤い屋根の家の庭にはテーブルが所狭しと並べられていて、その上には皿やグラス、そして料理が豪快に盛り付けられた皿が幾つも乗っていた。田舎の人々が精一杯のお洒落をして、次々にそのテーブルの周りに集まっている。気の早い者は、もうすでに酒瓶の栓を抜いて喉を潤わせていた。
「……やっぱり、結婚式だぁ」
リーアは家の裏手の垣根の間から庭の様子を眺めながら、背後にいるレイルを振り返った。レイルは長身なので、リーアのように四つん這いになって垣根に顔を突っ込まなくても、垣根の上から充分中の様子を覗くことができる。
「そのようですね。あれ、あの人は……」
レイルのその声に、視線を敷地内へ戻したリーアも、その人物に気が付いた。
古ぼけた礼服を着込み、癖のある黒髪を精一杯整えて、緊張の余り胸の前で落ち着きなく手を組み合わせたり握ったりしている青年がいる。
その横顔に、リーアは見覚えがあった。というより、彼とそっくりな顔をよく知っている。
「……父様だぁ」
二十歳前後のオズワルトはこんな顔をしていただろう、と思えるほど、彼はリーアの父にそっくりだった。
「本当に、オズワルト様とよく似ていらっしゃいますね」
二人はそう囁き交わしたが、声は届かなくてもその嬉しげな波長が伝わったのか、その青年はふと二人の方を振り返った。
「げっ!」
慌てて垣根から顔を引いたリーアだったが、時すでに遅し。青年は二人に気付いて、こちらに駆け寄ってきた。
「君達、誰だい? 村の人じゃないよね」
セリカ村は小さい。村人かそうではないかはすぐに分かってしまう。
慌てたリーアだったが、最初から目的があってこの男を訪ねたのだ。リーアは立ち上がってズボンの膝に着いた土を叩くと、青年に向かい合い、正直に説明した。
「私は、リーア・フレイルといいます。父はオズワルト・ガードナーといって、先の勇者の甥になります。実は……」
「ええっ! 君が、あのオズワルトさんの娘さん? どうしてここへ? オズワルトさんは儀式を受けるためにもう中央神殿へ発ったの?」
説明を遮られ、それどころか矢継ぎ早に質問を受け、返答に窮したリーアは、とりあえずされた質問を全て無視することにした。
「あなたは、フリック・ガードナーさんで間違いないですね?」
「はい」
「実は、あなたにお話があるんです。勇者の剣のことで」
「勇者の剣……?」
フリックは、リーアの右肩から生えるように覗く精巧な造りの柄を見て目を見張ったが、それで多少なりとも事情を察してくれたようだった。
「家の中には弟のアッシュもいます。彼も呼んできだほうがいいですね?」
「そうですね。お願いします」
フリックの気遣いに感謝しながら、リーアは頷いた。
「……そうか」
家の中は、花嫁の支度と料理の準備でごった返している。だから、納屋の陰にまぐさ桶を四つ伏せ、そのうち一つに腰を下ろして真剣な表情でリーアの話に聞き入っていたフリックは、厳しい表情を浮かべて口を開いた。
「父から、勇者としての使命を果たした祖父が、次代の勇者として見込んだ甥のオズワルトという人物に勇者の剣を渡したと聞いていたものだから、てっきり今回はその方が勇者になってくださるものとばかり思っていた。まさか、君のような齢若いお嬢さんがこんな大変な目に遭っているとは露知らず、僕は……前勇者の直系の孫でありながら、何も知らず申し訳ない」
フリックは、膝の上で組んだ手をぎゅっと握り合わせ、恥じ入るように目を伏せた。
「兄さん。俺達が何も知らなくて当然じゃないか」
恐縮するフリックに、気にする必要はない、と言おうとしたリーアは、その声に遮られた。
「じいさんは俺達の親父じゃなく、あんたの親父に後を託したんだろ? つまり、あんたの親父はじいさんの実の息子よりも、勇者に相応しいって評価されたんだ。しかも、じいさんからその剣を受け取っている。それなのに、今更勇者になるのは嫌だから、こっちに責任取れっていうのは虫が良すぎるんじゃねえか?」
ふてぶてしい態度で偉そうにそう言い放った弟のアッシュは、見た目も中身もフリックとは似ても似つかない。赤茶けた髪を無造作に伸ばし、目つきは鋭く、山の中でばったり出くわしたら山賊だと勘違いされそうな容貌だ。
「そ、……それを言うなら、うちの父親が実はどんな人なのか見極めもしないで勇者の剣を託したあなた達のおじいさんにも責任がないとは言えないわ。でも、百歩譲って、虫がいいんじゃないかって言われても仕方ないとして、それでもこの世界を救うためには、私じゃなくてあなた達二人のどちらかに勇者になってもらった方がいいと思うの」
二十代前後の二人の青年を前に、リーアはきっぱりと言い放った。
遠回しに話を進めている時間はない。幸いにも、二人ともリーアが思い描いていた、勇者として不足のない若い健康な青年達だ。
ようやく肩の荷が降ろせる、その終着点はもうすぐそこまで来ているのだ。
ところが。
「俺は御免だね」
アッシュは事も無げにリーアの要請を蹴った。
「アッシュ、お前……」
「うるせーな。大体俺は、じいさんって奴が大っ嫌いだったんだよ。なぜ親父がじいさんの誘いを撥ねつけてこの村に残ったのか、兄貴も知ってるだろう? 親父は、じいさんの後継に選ばれなかったことをずっと恥じてたんだ。だから、じいさんの栄光に縋りつくことをよしとしなかった。親父はずっと、じいさんを恨んでた。親父に惨めな思いをさせて一生苦しめたくせに、今更俺達に何をしろって言うんだ!」
アッシュは燃えるような目でリーアを睨み付けると、まぐさ桶から立ち上がり、地面を踏み鳴らして立ち去ってしまった。
「すまない。弟が、随分と失礼なことを言って」
申し訳なさそうにフリックが立ち上がり、リーアに頭を下げた。
「いいえ。元はと言えば、うちの父親が前勇者の意志を受け継がなかったのが問題なんです。だから、どんなに酷いことを言われたって構いません。でも、これには世界の命運がかかっているんです」
そう、勇者の剣を他の誰かに受け取ってもらえるなら、どんなことにだって耐える。例え、理不尽な怒りをぶつけられたとしても。
「そうだね」
フリックはそう言うと、顎に手を当ててしばらく地面を見つめていた。やがて、顔を上げたフリックは、やや強張った顔でリーアに言った。
「とにかく、今日はこのまま式に参加してくれないか? もっと早く実情を知っていればよかったのだけど、僕も将来の伴侶と新たな生活に向けて歩き始めてしまったのでね。彼女を説得してみるよ」
「えっ。それじゃあ……」
リーアは思わず立ち上がった。
「きっと、彼女も理解してくれると思う。だから少し、時間をくれないか? あまりに突然のことで、僕も気持ちの整理がつかない。けれど、君のような子に大変な役割を課して、僕みたいな大人が個人的な幸せに浸っているのは間違いだと思うから」
「ありがとう。フリックさん、……ありがとう」
思わず、リーアの両目から涙が零れ落ちた。その震える肩を、レイルがそっと後ろから支えてくれる。
堪えようとしても、涙は後から後から流れ落ちる。抱きしめてくれるレイルの胸に顔を当てて泣いていたリーアは、フリックが思いつめた表情で自分を見つめていることに気付かなかった。




