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⑯ お嬢様と魔物の襲撃

 金属音が響き渡るたびに、腕に激痛が走る。衝撃と共に骨が軋み、筋繊維が音を立てて断ち切れているようだ。

「ぐずぐずしない! 魔物は、こちらの都合に合わせたりしてくれませんよ」

 容赦ない激と共に、的確で重い斬撃が加えられる。ちょっと待って、疲れた、もう駄目、という甘えが通じないことは、ここ数日に渡る稽古で思い知らされていた。

 リーアは歯を食いしばり、勇者の剣ではなく、レイルが用意してくれた普通よりも若干小振りの剣の柄を握り直した。

『お嬢様が勇者の剣をお使いになったら、稽古の相手をする俺の身が保ちませんから』

 レイルの言った通り、勇者の剣はそれ自体が人知を遥かに超えた力を持っている。例え持ち主がリーアのような運動能力の全くない少女であっても、対峙する相手は勇者の剣にとって敵と認識され、神の力とたたかうことになる。だから、勇者の剣を剣の稽古に使うわけにはいかなかった。

 では、例え魔物が襲ってきたとしても、勇者の剣さえ持っていれば安全じゃないか、とも思えるのだが、そうではない。持ち主の力量が高ければ高いほど、やはり勇者の剣が発揮できる力は大きくなるのだそうだ。

 それに、リーアは誰か勇者に相応しい“勇者の血筋”に勇者の剣を渡す旅を続けている。ゆえに、勇者の剣を手放した後、イストラートの王都にある自宅まで帰るまでの間、嫌でも自分で自分の身を守らなければならない。レイルと一緒にいるといっても、彼も万能ではない。レイルに剣の稽古を勧められると、リーアは少し考え、すぐに腰を上げた。

 災厄が近づいているせいで、夏の陽気はいつまで経っても訪れず、若干肌寒い風が吹き渡っているが、それでも動きっぱなしでいると汗が吹き出てくる。

 リーアは汗で滑る剣の柄から手を離し、服の裾で掌を拭った。その掌にも、驚くほどの肉刺ができ、それが潰れて耐え難い痛みを発している。

「少し、休みますか?」

 レイルのその声を聞いて、リーアはホッと息を吐き出し、すとんとその場に腰を下ろしてがっくりと項垂れた。その汗に濡れた前髪を冷やすように、涼しい風が吹き抜けていく。

 リーアとレイルは、南部のアークラッド地方からイストラート王都に戻り、今は中央神殿へと向かっていた。大陸中央に広がる湖の北岸にある、大陸随一の規模を誇るその神殿は、イストラートを含む全ての国にいる勇者の血筋を掌握している。そこへ行き、他国にいる勇者の血筋の情報を掴み、彼らの元へ赴く。その旅の途上だった。

『これから中央神殿へ? 何をおっしゃる。時間がないのですよ? どうして誰かに剣を渡して来なかったんですか』

 リーアが勇者の剣を持ち帰ったのを知ったウェラルドの剣幕に押され、旅装を解く間もなく中央神殿へ旅立つことになったので、リーアはアークラッドでの出来事を、父に語ることができなかった。

『叔父さんほど立派な戦士はいないわ。じゃなかったら、前の勇者だった大伯父さんが、自分の息子を差し置いて、甥であるオズワルト叔父さんに勇者の剣を託したりしないわよ』

 従姉妹ルーシィの台詞が耳から離れない。

 本当に、父は彼女の言うとおり、立派な戦士だったのか。だとしたら、どうしてあんなに変わってしまったのか。それを問いただしたかったのに、そんな時間もなかった。

「お嬢様、大丈夫ですか?」

 風が渡る丘の上、草原にぺったりと腰を下ろしたまま、呆然と宙を見つめて考え事をしているリーアを、レイルは疲労のあまり喋ることすらままならない状態になっていると勘違いしたらしい。日に焼けた顔を近づけ、心配そうにリーアを覗き込んできた。

「……なんか、臭う」

 リーアは顔をしかめてレイルを睨んだ。

「えっ、俺ですか?」

 レイルは慌てて自分の両腕を交互に鼻に近づけて匂いを嗅いだ。

「分かんない。……でも、なんか、生臭い匂いがする」

 リーアがそう言った時だった。

 キィ……ィン…

 少し離れたところに置いてある荷物に立てかけてあった勇者の剣が鳴動し、宙に浮き上がったかと思うと、いきなりリーアの目の前まで滑るように飛んできた。

「……勇者の剣が」

「お嬢様……!」

 レイルが素早く抜剣してリーアの前に立ち塞がった。

 丘の稜線を越えて、黒い塊が目の前に飛び込んできた。同時に、耐え難い異臭がその異形の生物から吹き付けてくる。まるで、天日の下で腐りきった臓物のような、吐き気を催すほど生臭い臭気だ。

 黒い獣は、牙を剥き出して唸った。人の親指ほどの大きさの牙は黄色く、つりあがった瞳も黄色く燃えるような光を帯びて、こちらを睨み付けている。毛並みは針金のように尖っていて、濡れたような艶を放っている。

「……!」

 リーアは、その獣の足元を見て息を飲んだ。獣の足に踏まれた草が、波紋を広げるように枯れ、黒く変色していく。

「……魔物」

「お嬢様、勇者の剣を!」

 リーアを庇うように獣の前に身構えているレイルが、そのままの姿勢で低く呟いた。リーアは、その肩が小刻みに震えているのを見てしまった。

「うん」

 リーアはそれに気付かない振りをして、勇者の剣の鞘を抜き放った。

鞘から刀身が抜け出てしまうと、鞘は弾けるような光を残して消滅する。

 外気に触れた刀身は、解放感を味わうかのように眩い光を放った。

 ギッ……!

 その瞬間、魔物は古くなったドアが軋むような音を発した。そのまま、勇者の剣が発する光に溶けるように、黒い姿がだんだんと消えていく。

 やがて、勇者の剣の光が弱まると、そこにはただ枯れて黒くなった地面がポツポツと残されているだけだった。

 まるで動きを止めていた世界が回りだしたかのように、小鳥の囀りがリーアの耳に戻ってきた。

「……さっすが、勇者の剣よね」

 リーアは感心して、濡れたような輝きを帯びる勇者の剣の刀身を見つめた。

褒められたのが分かるのか、しばらく嬉しそうにその輝きを揺らめかせていた勇者の剣は、やがてその光を弱くしていくと、小さな金属音を立てて鞘を纏った。

「これが勇者の剣の力なのですね。さすが、世界を救うために神が下された武器です。……俺なんか、お嬢様をお守りするどころか、逆に……」

 そこまで言って、レイルは下唇を噛み締めた。青ざめた顔は表情もぎこちなく、額からは汗が滴っている。

「そんなことないよ。レイルはちゃんと私を庇ってくれたじゃない。それに、勇者の剣を使うように教えてくれたし。感謝してるんだから」

 リーアがそう言って微笑むと、いつもははにかんだような笑みを浮かべて頬を染めるレイルが、今日は怒ったような目つきをして顔を背けてしまった。

「……レイル?」

「今、俺ちょっと思ったんですけど」

「何を?」

「お嬢様は、ずっとその剣を持っていたほうが安全なんじゃないかって」

 リーアはきょとんとしたまま、レイルの言葉をしばらく反芻していたが、やがてその言葉の意味するところを理解して頬を膨らませた。

「じゃあ、レイルは私が勇者になればいいっていうの?」

「……いえ、そこまでは。ただ、勇者の剣を持っている者が、一番安全なんじゃないかって思ったんです」

「それで、さっきみたいな気味の悪い獣がうじゃうじゃ湧いてくる戦場に立てって言うの? 大地を引き裂く勢いで吹き出してくる災厄に立ち向かえって、そう言うんだ」

 レイルは、親に頭ごなしに叱られ、反論も出来ずに途方にくれる子どものような表情を浮かべた。

「……申し訳ありませんでした」

 レイルはそう言って頭を下げたが、顔を上げた時、そこにはいつもの人懐っこい彼の表情はなかった。

「山間部ではなく、こんな平地にまで魔物が出現するなんて、よほど災厄が迫っている証拠です。先を急ぎましょう」

 レイルは淡々とそう言いながら、二人の荷物をまとめ始めた。

 なんだか、妙な態度ね。

 そう思ったものの、リーアはさっき自分が激昂した相手の機嫌を取る気にもなれず、沈んだままのレイルの横顔を見つめていた。

 ……勇者の剣を持っていたほうが安全、か。確かにそうかも知れないけど。

 リーアは、自分の右手に握られている長剣を握る手に力を込めた。

 歴代の勇者の中で、災厄との戦いで命を落とした者はいない。それは、ただ単に勇者に相応しい力量を持った者だけがその務めを果たしてきたからなのかも知れない。けれど、確かに魔物を、発した光だけで消滅させてしまった勇者の剣の力を目の当たりにして、リーアはレイルと同じ感想を抱いた。

 ……勇者の剣を持つに相応しい人を探して、この剣を渡して、その後、私は自分の身を守れるのかしら。

 リーアは、震えるレイルの肩を思い出した。大の大人である彼でも竦んで動けないほどの恐怖。災厄は、人間を本能から揺るがせるだけの恐ろしさを持っている。

 でも、私じゃいけないんだ。

 あなたは絶対に勇者になってはいけない。そう言ったウェラルドの真っ直ぐな瞳が、リーアの脳裏に張り付いていた。

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