⑮ お嬢様と叔父様
その女性は、とても幸福そうな顔をしていた。
アンネより幾分ふくよかで、その分柔らかい印象を与える、穏やかな顔つきと落ち着いた物腰をしていた。
リーアはその女性、アンネの姉にして自分の従姉妹ルーシィを一目見た瞬間、勇者の剣を彼女に託すのを諦めた。
……彼女のふくよかさは、単に肉付きだけの問題ではなかった。彼女にはサミュエルという二歳の息子がおり、更にこの秋に二人目を授かる予定だった。
リーアはそれでもルーシィに全てを語った。その上で、彼女には剣を渡せないと告げた。
「ごめんなさいね。でも、今はこんな体だから」
ルーシィはそう言って、張り出した下腹部を愛おしそうに撫でた。
「でも、叔父さんが勇者の剣を他人に渡したなんて、信じられないわ。私達、絶対に次の勇者はオズワルト叔父さんだって信じてたから」
ルーシィが困惑したように顎に手を当ててため息を吐いたのを見て、リーアは目を瞬かせた。
「そうなんですか? 昔のことはよく知らないけど、今じゃホント無責任で自己中心的で、あんな人には勇者は無理だと思います」
「そんなことないわ。叔父さんほど立派な戦士はいないわよ」
ルーシィは、まるでリーアを叱りつけるような勢いだった。
「へ? ……立派?」
「そうよ。じゃなかったら、前の勇者だった大伯父さんが、自分の息子を差し置いて、甥であるオズワルト叔父さんに勇者の剣を託したりしないわよ」
リーアの脳裏には、寝ぼけ眼で、言葉よりも欠伸が多く、寝癖のついたままの髪で、庭の奥の草をせっせと毟っている父の姿しか浮かばない。
「あなたのお母さんとも、叔父さんの戦果のおかげで結婚したんでしょ?」
「……それはそうなんですけど」
「私は直接会ったことはないけれど、立派な人だったって皆言ってたわ。だってそうでしょ? こんな田舎の役人の息子が、戦いの功績で貴族になるなんて」
そんな成功物語の主人公が、あの父様……?
リーアは混乱してしまった。てっきり、父が自分の過去について話半分に聞いておけと言ったのは、悪評についてだと思っていたのに、まさか、生まれて初めて父様への褒め言葉を聞くことになろうとは。
夕闇が迫ってきたのか、巣に戻る烏の声が空に響いている。それを聞いて、レイルが口を開いた。
「この村に、オズワルト様の弟になられる方とそのご家族が住んでいると聞いたんですが」
「ああ。ティム叔父さんね」
そう答えると、ルーリィは表情を曇らせた。
「あなたが勇者の剣を渡す相手を探しているのなら、無駄になると思うけど」
アンネの言葉を肯定するような悲観的な忠告を聞いて、リーアはレイルを振り返った。
……それでも、行くしかないよね。
自分の目で見て納得しないことには諦められない。リーアにとっても、勇者の任は重すぎる、手放したくて仕方がないものなのだから。
「とりあえず、家を教えてもらえますか?」
リーアが訊くと、ルーリィは小さくため息を吐いた。
その家は、夕暮れに溶けてしまいそうなほど小さく、古ぼけていて、窓から明かりが漏れていなければ廃墟だと思ったに違いない。
リーアが傾いた戸を叩くと、ややあって戸が開いた。
「……?」
リーアは最初、そこに誰もいないと思った。だが、実はリーアが想像していたのよりもだいぶ低い位置に彼の頭部はあった。
「だぁれ?」
ようやく喋っているといった感じの幼子の声だった。
リーアは、戸の隙間から顔を覗かせている小さな男の子に思わず微笑んだ。
「ここは、ティムさんのお家?」
「うん、そう」
「お姉ちゃんは、ティムさんのお兄さんの娘なの。ティムさんに会えるかな?」
男の子はしばらくリーアを見上げて指を咥えていたが、やがてゆっくり頷いた。
リーアは家の中に一歩足を踏み入れて唖然とした。そこには一面、あらゆる生活道具が散乱していた。しかも、その中にお世辞にも清潔と言えるものは何一つない。
「これは……」
言葉も出ないリーアの耳に、苦しげな咳が聞こえてきた。
「……ジャン。……誰か来たのか?」
その声に弾かれるように奥の部屋に走りこんだ男の子を追ったリーアとレイルは、そこに置かれたベッドに横たわる男性の、病的にギラギラ光る目と鉢合わせして、息を飲んだ。
「……ティムさん、ですか?」
「そうだが。誰だい、あんたらは」
一瞬、手負いの獣が身構えるような殺気を放ったティムだったが、リーアが全てを説明すると、毒気を抜かれたように穏やかな顔つきになって吐息した。
「……そうかい。オズワルト兄さんの娘かい。……だが、ご覧の通り俺はこの様で、息子はまだあの齢だ。いい年をして若い女房をもらったが、体を壊して畑仕事も出来なくなって貧乏になった途端に飛び出されて、家の中もこんな有様だ。他人さんのことなんか、考えてる余裕なんてないさ」
そう呟くと、ティムはまた激しく咳き込んだ。その様子を見て、レイルが眉を顰める。
「……俺はもう、長くはないかもな。だが、残されるジャンのことが心配でたまらねぇ。まあ、誰かが引き取ってくれるだろうが。それとも、あいつを勇者様にしてくれるかい?」
冗談とも本気ともつかない口ぶりでそう言われ、リーアは戸惑った。
「……ジャンは、まだ三歳くらいですよね」
「だからどうした。世界の命運を託すには役不足かい?」
はっきりとそう訊かれたので、リーアははっきりと答えるしかなかった。
「はい」
「ま、そりゃそうだな。あいつよりは、あんたの方が少しは頼りがいはあるだろう」
それはそうだ。いくらなんでも、まだ三歳の従兄弟に勇者の剣を押し付けるほど、リーアも腐ってはいない。
リーアは鞄の中から財布を取り出し、金貨を三枚テーブルの上に置いた。
「支援してもらったものだから、あまり多くは置いておけないんですけど、これで医者にかかって、早く元気になってください」
そう言った瞬間、ティムの目に炎が燃え上がった。
「そんな施しは無用だ。俺達はなるようになる。用が済んだのなら、早く帰ってくれ!」
やせ細った体を起こし、手を伸ばしてテーブルの上の金貨を掴むと、ティムはそれを床に投げ捨てた。
「……でも、こんなんじゃ駄目です」
リーアは首を横に振った。
「こんなんじゃ、ジャンが可哀想です。これは、ジャンのために置いていきますから」
リーアはそう言うと、床に落ちた金貨をそのままに、ティムの家を後にした。制止する声が激しい咳によって途切れたが、リーアは振り返らなかった。
「……よかったのですか?」
背後から遠慮がちにそう問うレイルに、リーアは頷いた。
「親の身勝手で、子どもが苦労するなんて、許せないから」
兄弟ゆえに、ティムにはオズワルトの面影があった。それが、リーアの怒りを掻き立てていた。そのため、
「……にしても、お嬢様の従姉妹に言われた通り、誰にも勇者の剣を渡せませんでしたね」
と、レイルが嘆息するまで、リーアはすっかりそのことを忘れていた。
「あーっ! ……あ~あぁ……」
星空の下に、諦めともつかない嘆きの声が響いた。
アークラット地方に生存する勇者の血筋は、前勇者アルバート・ガードナーの弟であるセシル・ガードナー。その長男であるルドルフは亡くなっているが、その二人の娘ルーシィとアンネ、彼女らの息子達、そして、セシルの三男ティムとその息子ジャンの七人だ。
父の父と、その子孫。そのうちの誰も、勇者の剣を手に災厄に立ち向かうに相応しい人はいなかった。
「仕方がないわ。アンネさんにはまだ乳飲み子がいるし、ルーシィさんは妊娠中だし、ティムおじさんは病気だし、サミュエルもアンソニーもジャンもまだちっちゃいし。おじい様は論外だし」
リーアは自分自身を納得させるように呟いた。
「では、お嬢様が勇者に……?」
「諦めるのはまだ早いわ!」
イストラートの勇者の血筋が書かれた紙を、リーアはくしゃっと握り締めた。
「勇者の血筋がいるのは、イストラートだけじゃないもの。こうなったら、どこへだって行ってやろうじゃないの!」




