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⑭ お嬢様と従姉妹

 アンネの家は、広い畑の真ん中に建っていた。

 柵で囲われた畑は全てよく耕され、土は肥沃なことを示す黒に近い色をしていたが、そこには何かが植えられているような気配はない。

「全く、おじいちゃんたら、今年は作物を作るなってうるさいの。労力が無駄だ、種が勿体ない、そんな時間があるなら、災厄に備えて壕でも掘れって」

 アンネは片目を瞑って祖父の口真似をし、リーアが目を丸くするのを見て笑った。

「おじいちゃんは長年の経験からそう言ってるんだろうけど、身内の私達ならともかく、余所の畑のことにまで口を出すから、私達は肩身の狭い思いをしているのよ」

「なぁにを言っておるか! 災厄が来て、ワシらだけ助かるようなことになれば、もっと肩身が狭いわ。ワシはワシの信念に従って、正しいことを村人に諭しとるだけじゃ」

 先に家の中に入っていたセシルが、家の窓から顔を突き出して喚いた。

 その次の瞬間、更に喧しい声が家の中に響き渡った。

「……赤ん坊?」

 赤ん坊の泣き声が上がった瞬間、セシルは肩を竦め、アンネはあっという間に家の中に駆け込んだ。

「おじいちゃん! やっと寝てくれたばかりなのに、アンソニーが起きちゃったじゃない。大きい声出さないでよ」

「す、……すまん」

 そんなやりとりが家の中から聞こえてくる。

 どうしようか、とリーアとレイルが玄関で立ち尽くしていると、背後で人の気配がした。振り向くと、日に焼けた農夫が鍬を片手に、不思議そうに二人を見つめている。

「うちに、何の用だい?」

「あ……、えーっと……」

「トム、その二人はお客さんだよ。女の子の方は、私の従姉妹になるんだ。アンソニーにおっぱいをやってくるから、中に通してお茶でも出してやってよ」

 家の中から、アンネの大きな声が聞こえてくる。それより更に大きいアンソニーの泣き声が重なり、リーアはその騒々しさに呆気に取られてポカンと口を開いた。

「ま、そういうわけだから、とりあえず中に入ってくれ。……あんた、アンネの従姉妹だって? 俺はアンネの旦那でトムっていうんだ。入り婿だから、肩身は狭いけどな」

 トムの人の良さそうな微笑を見て、リーアとレイルはなるほど、と内心呟いた。それで、アンネの夫に対する態度が大きいのか。

 トムがお茶を出してくれるまで、二人はトムに言われた通り、椅子に掛けて待っていた。

 トムがポットとカップを持って現れると、ふいにセシルが婿に厳しい視線を向けた。

「今日はどれだけ掘った?」

「……まだ、それほどは。でも、もうそろそろ、うちの家族が入れるくらいの広さにはなりそうだよ」

「それじゃあ、いかん。災厄が始まれば、何の準備もしてこなかった奴等が助けてくれと縋ってくる。そういう奴らの為にも、できるだけ広くて頑丈な壕を用意しておくんじゃ」

 セシルの命令口調に、トムが小さくため息を吐いたのが、目の前でお茶をついでもらっているリーアにははっきり分かった。

「……で、なぜお前さんが勇者の剣を持っておるんじゃ」

 改めてセシルにそう聞かれ、リーアは背から膝の上に移した勇者の剣を、布の上から握り締めた。

「実は……」

 語り進めるうちに、セシルの表情が苦虫を潰したようになっていく。

 おっぱいを飲み終え、満足したように眠る赤ん坊を抱いたアンネが戸口に現れて、じっとリーアの話に聞き入っていた。

「……という訳で、私は他の勇者の血筋にこの剣を渡すため、ここへ来たのです」

 話し終えると同時に、セシルは杖も持たずに勢いよく立ち上がった。

「け、けしからん! 実にけしからん! ……オズワルトもオズワルトだが、その娘たるおぬしも何たること!」

 顔を真っ赤にして喚くセシルの怒りの矛先が、父だけではなく、どうやら自分にも向いていることに気付いたリーアは、驚いて椅子から飛び上がった。

「えっ、私が、どうして……?」

「仮にもガードナー家の血筋を引くものなら、例え赤子であろうが老人であろうが、男であろうが女であろうが、世界を救うという大望に燃えて当然じゃ。その誉れ高い勇者としての責務をみすみす誰かにくれてやろうなどと、……とんでもない愚か者め!」

 木の枝のような節くれだった人差し指を突きつけられ、リーアは息を飲んだ。

「だ、……だって……」

「ええい、軟弱者めっ! ならばよい。ワシが勇者となって世界を救う。剣を寄越せ!」

「えっ、……えええーっ!」

 さすがにこれには驚いたアンネが、夫に赤ん坊を渡すと、リーアから勇者の剣を奪おうと飛び掛ってきたセシルを引き離しにかかった。

「ちょ、ちょっと、おじいちゃん! 正気なの?」

「正気もクソもあるかっ! ワシゃ、こんな悔しいことはない。あの兄が、自分の子ではなく、甥である我が息子オズワルトに勇者の剣を託したと聞いた時、あれほど誇らしく思うたことはなかった。じゃが、何じゃ、この体たらくは。ガードナー家の汚名を雪ぐためにも、ワシが立派に世界を救うてみせる!」

 セシルはリーアが握っている勇者の剣を掴んで放さない。枯れ木のように細い腕のどこにそんな力があるのか、と不思議に思いつつ、リーアはセシルに剣を奪われないよう、必死で柄と鞘の部分を両手で抱え込んでいた。

「ええい、放さんかっ! ワシが代わってやろうとゆっておるではないかっっ!」

「だ、駄目だよ、おじい様」

 リーアは、アンネに背後から抱きつかれて青筋を立てながらも必死の形相で食らいついてくるセシルが、だんだんと可哀想になってきた。

「……だって、災厄って滅茶苦茶恐ろしいんだよ。勇者の役目って、本当に大変なんだよ」

「だから何じゃ! そんなことはおぬしに言われんでも分かっとるわい!」

「おじい様に、そんなことさせられないよ」

 一瞬、セシルの剣を奪おうとする腕から力が抜けた。

「……私は、確かに災厄が怖い。……でも、……でも、それだけが理由じゃない。私みたいなのが、勇者になっちゃいけないって思うから。こんな頼りない人間に、世界の命運を任しちゃいけないと思うから……」

「何ぃ、貴様、ワシに勇者としての力量がないとほざくか!」

「ちょっと、いい加減にしなよ、おじいちゃん!」

 アンネの、家事と育児で鍛えられた太い腕が、セシルの顎と胴をがっちり掴んで引き倒した。

「……全く。誰がどう見ても不安だろうがね、おじいちゃんが勇者になったら。五十代で勇者になった大伯父さんだって、体がもつのかって心配されてたってのにさ」

 アンネが腰に手を当てて立ち上がると、孫娘に力で及ばないことがよほどショックだったのか、セシルは天井を呆然と見つめながら荒い呼吸を繰り返している。

「ごめんね、リーア。びっくりしたでしょう?」

「う、ううん。……それより、私のほうこそ、おじい様に悪いことしちゃった」

「このジジイには、このぐらいやらなきゃダメ」

 そう言って笑ったアンネは、ふと表情を曇らせた。

「そうか。あんたは、その勇者の剣を渡す相手を探しに来たんだね」

「……はい」

「私も一応、勇者の血筋だ。だけど、その剣を受け取るわけにはいかない。あんたみたいなまだ若い女の子には酷な話だと思うけれど、私はあんたに代わってその剣を受け取ることはできない。アンソニーは、私が傍にいて守ってやらなきゃいけないし、家族を残して行くことなんてできない」

 表情を曇らせ、目を伏せたアンネは、リーアに対して心から悪いと感じている。それは彼女の言動からひしひしと伝わってきた。

 この家はアンネ中心で回っている。乳飲み子の息子アンソニーは言うまでもなく、頑固一徹だが年齢には勝てない祖父セシルも、人はいいが入り婿で気の弱い夫トムも、全員がアンネという人物無しでは生きられない。もしアンネが勇者として旅立ってしまえば、この家の人間関係はすぐに瓦解してしまうだろう。

「……分かりました」

 リーアは、自分を納得させるように何度も頷いた。

 まだ、希望はある。勇者の血筋は、まだ何人もいるのだから。

「では、他の勇者の血筋の方はどこにお住まいですか? 我々にはそう時間は残されていないのです。確か、このアークラッド地方には、まだオズワルト様のご兄弟とそのお子様達が住んでいるはずですが」

 レイルが、口を引き結んで何も言えないでいるリーアに代わって、アンネに訊ねた。

「ええ。私の姉は、隣村に嫁いでいるよ。私達の父は亡くなったけれど、叔父、つまり、オズワルト叔父さんの弟になる人も、家族とその村に住んでる。でも、皆、とても勇者に相応しいとは思えないけどね」

「えっ。それはどういう……」

「行って、その目で見ておいで。その中で、あなたが勇者として剣を託したいと思った人に、その剣を渡すといい」

 アンネはそう言うと、リーアの肩を叩いた。

「でも、出来れば私は、これからあなたが会う人達に、剣を渡してほしくない」

「えっ、でも……」

「ま、それはあんたが決めることだ。そしてあなたはきっと、剣を渡せずに戻ってくると思う」

 アンネの言葉にリーアは戸惑い、レイルを振り返った。レイルはただ、無言で頷いた。

 行って、その目で全てを見てくる。それしか、リーアには道は残されていなかった。

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